イギリス ・アイルランド の 
アイルランド編

2003  8.18〜9.01


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トラモア
海辺の町トラモアに着きました。
想像した通りアイルランドはどんよりと曇っていました。灰色の空と海・・・・・
アイルランドだ〜!来ちゃったんだ〜!と一人感慨ひとしお・・・・

Nonkyにとってアイルランドは、どんよりとした空と海、もしかしたら妖精に遇えるかもしれないお伽の国、それと以前に観た映画フィオナの海」のあのイメージが強く有って、密かに憬れていた国でした。そのアイルランドに1歩足を踏み込んで、思わずアイルランド民謡の「ダニーボーイ」を口ずさんで、ああ・・・ナンだか胸が高鳴る!


4日目 8月21日
海に面した高台に有ったホテルは一風変わった装飾で、真っ赤な壁に「ギネスビール」のポスターが描かれていました。面白いのでその部分の拡大写真をごらんください。新聞記者、弁護士、裁判官、等々いろんな職業の男達に飲まれているという意味でしょうか。
潮風の香りがする早朝の町を散歩していても出会うのは同じツアーの日本人ばかり、町の人は誰も見ない。もう8時なのに?・・・・・同じホテルに外国のツアー客も沢山泊まっていたのに・・・早朝散歩は日本人だけなのね!
車も走っていないな〜!淋しい町だな〜!
海岸に出ると広い砂浜が続き海鳥の足跡が寄せては返す波に消されていく。

曇り 気温16.7℃ 湿度87%(海岸)
ウォーターフォード
トラモアを後にしてウォーターフォードへ着いた時は、小雨がパラついて来ました。
アイルランドの南部ウォーター州の州都で、ベーコンの製造で有名らしいです。その他に特産であるクリスタルグラスは、アイルランド系大統領であったJ・F・ケネディもこよなく愛し、輝く切り込みに、思わず手にとった時の重厚な感じが特徴だとか・・・

海岸に沿って広い道路と商店街が並び、町の象徴でも有る「レジナルドの塔」は、1世紀の歴史を背負って街の中に有りました。
雨 気温20.7℃ 湿度87%

「レジナルドの塔」が見える晴れた日のウォーターフォードの写真はこちらです。

ブラーニー城
海岸線のドライブを楽しみながらコーク地方へ、小さな村でありながら、訪れる人が多く「アイルランドで1番大きな村」と言われるブラーニーへ。

その訳は、ブラーニー城の一角に有る塔の最上部の「ブラーニー・ストーン」。
この写真の最上部、白く空が覗いて見える部分に人の頭が見えるでしょ?ソコが問題の場所なんです。世界各地から「ブラーニー・ストーン」にキスする為に塔の中の狭い螺旋階段に順番待ちの人が列を作って上に上がれないそうなんです。
小説で紹介されて一躍有名なったこのブラーニー・ストーン。
石にキスをすると雄弁になれるそうですヨ!

曇り 気温22.9℃ 湿度69%
ブラーニー城最上部
この日は観光客が少なくて人がやっと通れる狭い階段を登ってやってきました。キスの順番を待っている人が10人位いました。
係りのオジさんに支えられながら、逆さまになってキスをするそうです。
ナンだかスリル満天ですね!

Nonkyもやって見たかったのですが、2日前の夜の寝違えで身体が痛くてここまで来るのがヤットでした。余りの痛さで目が覚めたら前の晩の柔軟姿勢のままの格好で寝てたんです〜!自分でも信じられない!
午前中は歩けないくらいの腰痛が続いています。トホホッ!
キスの現場

キラーニー
デリーナサンガート山脈を越えてアイルランド南西部、ケリー州中部の都市キラーニーへ着きました。農業地帯の中心であるこの町は三つの湖が有り風光明媚で観光客が多く、花で飾られ/た通りを馬車が行き交い、二つの修道院があります。

通りから細い路地に入ると、しゃれたレストランや小さな土産物屋が並んでいて、どの店も窓辺に花を飾ってそれは綺麗でした。

曇り 気温22.7℃  湿度66%

大きなアウトレットのショッピングセンターが有りました。1時間も見て回って、結局収穫はゼロ。沢山有り過ぎて迷ってしまって決断できなかったんです。後になってかっとけば良かったッテ後悔ひとしお・・・・・


観光乗り合い馬車で30分くらい走って町外れの湖(ローワーレイク)の中に突き出た城跡にやってきました。湖には白鳥や水鳥が沢山居て、のどかな光景が広がっていましたが、天気が良くなって、気温は30℃近くなり、日差しが強くなリ暑くなってきました。

アイルランドの天気は、1日の中に春夏秋冬が有ると言われ程目まぐるしく変わり、上着を着たり脱いだり又着たり、それはもう忙しいのなんの・・・・

(馬車15ユーロ)
キラーニー泊
リング・オブ・ケリー
5日目 8月22日

今日はキラーニーから西方に突き出たイベリア半島をぐるっと一周する「ケリー周遊道路」をドライブして、アイルランド南西部で髄一の観光地、
キローグリン→グレーペン→ナワーシミル→ウォータービル→スニーム・・・・・と小さな町々を巡ります。

次々に現れる絶景・・・・の筈でしたが・・・・天気が悪くて何にも見えません。
この海(ディングル・ベイ)には時々イルカやアシカの泳いでいるのが見えるそうです。「アッ!いたよ〜!ウッソ!」「イルカイナイか!」バスの中は、なぜか盛り上っていました。
拡大画像

クームキスタCoomkista Pass)
クームキスタとは別名「黄金の谷」、ノルマンディの戦いの時ダブリンまで逃げる途中で逃げ切れず、この谷のあちこちに持っていた黄金を埋めたと言う事です。説明を聞いたらこんな何でもない谷の景色も見る目が違ってきてしまいます。今でも掘れば黄金がワンサカ、ワンサカ出るかもしれないんですよ!
誰もチャレンジしないのかな〜黄金堀り・・・
こんな話には眠気も吹っ飛ぶNonkyでした。
外は雨が激しくなって、バスの窓を叩きます。

「道路が狭くて対向車とのすれ違いが大変、ドライバーの腕の見せ所、バスの運転手のロバートさんの腕前は超一流、無口でシャイ、休憩時間は本を読んでいる
文学成年(?)なんです。



ケール湾
途中の町に変わったモニュメントが有りました。木組みに皮を貼って作った船でアイスランド→サザーランド→アメリカと、2ヶ月掛けてコロンブス以前に大陸に渡った4人の神父が居たと言うことです。ホーーーーッ!歴史を覆すかも・・・・・

この辺は海岸なのに高山植物が自生しているし、亜熱帯の植物も有る。遠くメキシコの海からカビリアンの水も流れてくるので意外と暖かい、不思議な環境でした。

天気が良かったら素晴らしい景色なんでしょうけど残念です。
ウォータービル
半島の先端に近いここウォータービルは、遠浅の海に面して長い海岸線が続き、チャップリンの別荘が有った所で、道端のバス停には、チャップリンの等身大の銅像がいかにもバスを待っているかのように自然に立って居ました。あんまり寒いので、その前のアイリッシュ・パブに立ち寄りアイリッシュコーヒーを注文しました。

リキュールなんかも入るらしいけどこの店のは「クリステッド・テン」と言うウィスキーだけが入ったアイリッシュ・コーヒー!味は・・・・・率直に言って「玉子酒」・・・・・
身体は温まりますね!


雨 気温19.3℃  湿度98%
スニーム
ウォータービルから30分程バスで走って、雨があがったばかりのスニームは小さな町で、立派な教会と土産物屋が少し。アイリッシュミュージックのCDのお店が有名だそうでNonkyも一枚買いました。
曇り 気温20.9℃  湿度86%

またバスは山間部に入ると、山が一面赤くなっていました。ヒースの花だそうです。ヒースの花って色がくすんでいるので、遠目には山火事の後のように見えました。

リング・オブ・ケリーもいよいよ終盤に指しかかり見納めの、
「貴婦人の眺め」と言われている景色です。曇り 気温22.3℃  湿度77%

キラーニーへの帰り道に大きな牛がウロウロしていました。しばらく走った後で急にバスが止まって現地ガイドのデヴィッドさんが、近くの農家に走りこんでいきました。トイレの我慢が出来なかったのかな?ッテ一瞬思ったら、迷い牛の報告をしたのだそうです。事故に遭ったら大変だから・・・・・
凄く感謝されたようです。デヴィッドさんは、元ダンサー、歩き方もスマートで毎日ネクタイを取り替えるジェントルマンなのですよ。

アイリッシュレストラン (キラーニー)
今夜は、現地ガイドのデヴィッドさんお奨めのアイリッシュレストラン。7人兄弟の肉屋さんがやっている肉料理の店。アイルランド特有の石造りの店に綺麗に花が飾ってあって中々良い感じのレストランだ。一応メニューを渡され数品の中からアイリッシュシチューを殆どの人が注文した中で、一人だけローストビーフを注文した人がいた。「肉屋にきてローストビーフを食べなくては来た意味が無い」等と、のたまわっていた。

さて、料理が運ばれてきて、ローストビーフを注文した男性にもアイリッシュシチューが来た。彼はウェイトレスを呼んで料理が違うと言ったら、ウェイトレスは、不思議な顔をして困っていた。添乗員さんが飛んで来て、今日はローストビーフはやっていないのでシチューかその他しか無いというと彼は「僕はローストビーフを注文した。それが今になって出来無いというなら何にも要らない・・・nothing・・・」と凛としていた。事前に料理の説明が行き渡っていなかった結果のトラブルだったが、こんな時自分の主張を通せるのはやっぱり語学力が伴わないと駄目なんだな〜とツクヅク感じされられた場面でした。


アイリッシュ・ミュージック
特別注文のローストビーフがNonkyの前の男性に運ばれてきて、アイリッシュシチューに少しガッカリしていた全員の羨望の眼差しの元、赤ワインでのどを潤しながらローストビーフに舌鼓を打つ。だって、期待したアイリッシュシチューだけど、肉屋さんが経営する店なのにジャガイモの影に肉が恥かしそうに隠れている状態なんだもん・・・・・・

そんな食事時間も、終盤のアイスクリームが運ばれて来た頃、楽器を持った4〜5人の男性が入ってきて白い服の髭の濃い人がギターの弾き語りを始めた。哀愁に満ちたアイルランドの歌は、お肉よりもジャガイモの多かったシチューのことなどすっかり忘れるくらいに素晴らしい歌だった。始めて見る「パンパイプ」は、氷枕の黒いようなのを脇に抱えて腕の押し加減で音を調節する。

可愛い少女が3人綺麗な刺繍で飾られた衣装を着てアイリッシュ・ダンスを始めた。細くしなやかな足はまるでピンポン玉の様に床を飛び跳ね足が床に着いた瞬間が分からないほどに俊敏な動きをする。手は両脇に下したままで、足の動きだけのダンス!身体がよほど軽く無いと、この動きは出来ないでしょう!ため息交じりで、ポテトもアイスクリームもゼーーんぶ平らげた事を後悔しても遅かった。最後に皆で輪になって踊り、盛り上った。普段は市役所とか郵便局に勤めている演奏者たちも、今日ほど楽しいお客は始めてだと喜んでいたそうだ。良かった!夜も大分更けて9:30も回っているのに外は未だ明るかった。
キラーニー泊

アデアの村
6日目 8月23日
キラーニーからバスに揺られて、「可愛い町コンテスト」で一位になったアデアの村に着きました。拡大画像

妖精のお家のような、わらぶきの可愛い家が並んでいます。手入れの行き届いたにはがいっぱいで、家の中は、コーヒーショップとか土産物屋になっていました。
今にも、小人さんが家の中から出てきそうな錯角に陥りました。


アデア・マナーホテル
可愛い家並みが途切れた所に、大きな門が有って、中に入ると鳥の声と、朝露に濡れたフカフカの芝生。見渡す限り、緑に囲まれている場所、コレがホテルが持っているゴルフ場に通じる道でした!遥か彼方に豪華なクラブハウスが見えました。
ここが有名な「アデア・マナーホテル」 840エーカーも有るという全景の写真はこちらです。
凄いですね〜!(写真が小さくてゴメンナサイ!)こんなホテルで何ヶ月も滞在できるなんて、経済力の格差を実感させられました。

晴れ 気温22.2℃  湿度83%
リムリック
ダブリンの南西198kmに位置するリムリックはシャノン川河口の三角江基部に位置して港湾都市でアイルランド第三の都市。意外な事に市(city)として見とめられたのはロンドンよりも早かったそうです。
今では近代的な産業都市のリムリックも、一昔前、貧困に苦しんだ人々の事は映画「アンジェラの灰」に、その悲惨さが描かれています。

トモンド橋の向こうに見える塔は、橋を渡ってくる外敵を発見する為に1210年に建てられたという「ジョン王の城」。
驚くほど流れが速く、綺麗な水のシャノン川には、カモメや水鳥達が沢山群れ飛んでいました。海が近いんですね!


拡大画像

条約の石
トモンド橋袂に有る「条約の石」は、イギリスの王位争いに端を発した宗教戦争で、アイルランドのカトリックの信仰の自由と地位の保証を認める「リムリック条約」を結びこの石をシンボルとしたが、イギリス議会はこの条約を認めずアイルランドに攻め込み結果的にこの石は「裏切りの石」となってしまった・・・・石のように堅い約束もあてになら無いという戒めでしょうか・・・・・

晴れ 気温24.8℃  湿度73%

今日は青空に白い雲、空気が澄み切って、爽やかな秋と言った感じです。

拡大画像
ロック・オブ・キャシェル (1101年建立)
リムリックから一時間ほど走って、ダブリンの南西165kmの「キャシェル」の町に有る、90mの石灰岩の丘に聳え立つ要塞「ロック・オブ・キャシェル」は、1000年以上も王室と宗教の権力の象徴だったんですね。

入場料3.5ユーロ(何処でもシニア料金が一般料金の半額近い値段なので、全員シニアになって入場します。20代の人が即席シニアになってもうるさく聞かれないのは、のんびりしてるな〜と思いました。)

日差しが強くなって暑い!

晴れ 気温24℃  湿度52%
拡大画像


聖パトリックの十字架
ロック・オブ・キャシェルの門をくぐるとすぐに変わった形の十字架が有りました。「聖パトリックの十字架」ですが、コレは複製で、オリジナルは何世紀もの間風雪に晒さた為痛みが酷く屋内に入れて展示してありました。

要塞の中は28mの塔や教会など見事な建築物が残っていて、コルマクスの礼拝堂はアイルランドを代表するロマネスク様式として有名。
要塞から眺める田園風景はまるで油絵の様でした。

「聖パトリック」は、4世紀後期イングランドで生まれ、少年の時奴隷としてアイルランドに連れてこられ6年間羊飼いとして過したが、ここから逃げろと神のお告げがあり、苦難の末、生まれ故郷のイングランドに帰り神学を学んだが、「もう一度戻ってきて私達と一緒に歩いてください」と言うアイリッシュの夢を度々見るので、再びアイルランドに戻り一生をキリスト教布教の為に尽くしたアイルランドの守護聖人。

ロック・オフ・゛キャシェルからアイリッシュダービーの本場、カラーレース・コースを経由して首都ダブリンに到着しました。

ダブリン
7日目  8月24日

その夜、隣のベッドで寝いる連れのうめき声で目が覚めてしまった。食べ過ぎが飲みすぎか、夢でも見たのかと思ってそのまま又眠りに付いたが、朝までうめき声は続いたので、訳を尋ねると今までに無い腹痛が続いて我慢できない痛さだと言う。生憎、今日は日曜日でホテルの診療所も近くの病院も休診日だったため救急車を呼ぶことになった。

15分程待ったら「Ambulance」と車体に大きく書いた派手な救急車がホテルの正面玄関に横付けになり、事情を知らない朝食前のお散歩から戻って来たツアー仲間達は何事かと玄関に集まってきた。説明する閑も無くNonkyもそのまま一緒に「Ambulance」の人になっていました。車中で色々聞かれながら15分ほど走って着いた病院は「Baumont Hospital」ハンサムな白衣ではなく紺色の診察服の若い医者が病状を聞く。又次ぎにおへその見えるようなジーンズのロングへヤーの若い女医さんが同じ質問をする。一緒に行ってくれた添乗員さんが医療用語に苦労しながら応対してくれたので助かった。

心電図と採血の為にカーテンで仕切られた部屋の中に入れられて検査中を待ってる間、朝から水も飲んでいないことに気付いて、空腹感と戦っていると、患者さんの朝食用カートを運んでいるおばさんと目が合った。「コーヒー飲むか?」と言われてそのコーヒーに飛びつきました。欲しそうにしているのを分かってくれたんですね!生きかえった心地がしました。給仕のおばさんがマリア様に見えた一瞬だった!おばさん有難う!美味しかった〜!

検査の結果が11時ごろ出るからその頃又来る様に言われて一旦ホテルに戻り遅めの朝食を済ませて又タクシーで病院に行くと今度は白衣の若い女医さんが不整脈が有るから心臓の疑いが有る。もう一度採血と心電図を取ってその結果が3:30頃出るので又その時間に来る様に言われた。ナンだか大変な事になって来た。添乗員さんの提案で病院には戻らずにせっかくだからダブリン市内に出てみようと言うことになりタクシー乗り場を探したがいくら病院の周りを歩いても車一台走っていない。それにしても大きな病院だ。敷地内に病院スタッフのマンションとか大規模のゴミ焼却場まで有る。やっと流しのタクシーを捕まえて市内まで行く途中道が渋滞して来た。

今日はアイリッシュサッカーの試合が有りアイルランドの北の方のチームとダブリンのチームの決勝戦があるから車で応援に来ているのだそうだ。緑と白の旗をなびかせて車が渋滞している。道には同じカラーのユニホームを来た人々がゾロゾロと決勝戦が行われるスタジアムに向かって歩いている。今夜は町に出かけないほうが安全だ。試合の後はアチコチで喧嘩が始まって大変物騒だからと、デビッドさんが気にしていたらしい。今の時間だったら、ツアーの皆さんは市内観光を終わって自由時間になりそれぞれ散っている頃だがめぼしい場所は決まっているからキット誰かに会えるはずだと添乗員さんの長年の感は働き、とりあえず「ギネスビール蒸留所」に行ってみた。

入場料は10ユーロの所、シニア料金で6ユーロ(一言お断りしておきますが!子供意外は殆どの人がシニア料金で入ってました!)入場券にビール券が付いていてギネスビールが飲めるんです。展望台で案の定ツアーの人達と再会し、真っ黒できめこまかい泡の、トロリとしたほろ苦いギネスビールを飲みながら観光が出来なかったダブリンの町を複雑な思いで見下ろしていました。又病院に戻らなくてはならない手前、ハーフグラスを注文した事が今となっては心残りで仕方が無いんです。

三度の採血と心電図の結果からも病名が確定できず、結局心臓の薬を貰ってホテルに戻って来た時は少し痛みも薄らいできた様だった。その夜はダブリンのチャイニーズのテイクアウトの店で買った焼きそば風の麺とチャーハン風な御飯を部屋で食べた。小さな兄妹が作っていた店だったので、ちょっと心配だッたけど「アラ!美味しいじゃない!」チャイニーズ料理は何所の国で食べても美味しく食べれるんですよね!

こんな訳でダブリンでは写真が写せませんでした・・・不安を抱えたまま、明日はダブリンを離れて又イギリスに渡ります。

ダブリン港
8月25日
不安な一夜が明けて、病院で出された心臓の薬をのんでも、容態は改善されないのでやっぱり心臓の病気では無いのでは・・・・・と思いつつそれでも昨日よりは元気そうにしているのでこのまま快方に向かいそうな希望的観測の元、イギリスに渡るフェリーに乗りこみました。
ダブリンの港を離れた船内で、旅行社「World Bridge」と、ツアー責任者の意向として、旅程中断日本帰国を言い渡されました。
その時は体調も落ち付いて来ていたので本人も残念そうでしたが、他のメンバーに迷惑が掛かっては申し訳無いので、仕方なく従うことにしました。ナント Nonkyの分まで既に日本までの航空券のチケットを手配済みだった!えッ?エッ?うそでしょ?
!・・・・・・アセッタ!


サテ どうなりますことやら つづく・・・・・・・・

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