彼らは、手を取り合うにはあまりにも幼く。
狭く暗く湿った冷たい石室で、身を寄せ合う事もできずに立ち尽くしていた。

[いとけし手]


「もうやめてください!」
ただ、リゼルグには叫ぶことしかできなかった。
「どうしてですか? 私さえ強くなれば、全てを救えるのですよ。」
諭すように、宥めるように、目の前の少女はゆっくりと語りだした。
白銀の髪、透けるような白い肌を全て露にしたその少女は、自分たちを統べる存在。
色素の欠乏した異形の小さな躯に、鉄の処女の名を戴く、アイアンメイデンジャンヌ。
白い肌には無数の朱や紫の傷跡が走り、所々赤い染みが広がっていた。
真っ白な肌は流れる血をさらに毒々しく見せる。
そして、その体からは、片腕が欠けている。
かつて「右腕だったもの」はまるで人形の部品のように足元に無造作に転がっていた。
彼女がこうして自らを痛め、そして再度『復活』することでその力を高める事ができる。
そして彼女はこうする事で、世界の苦しみを一心に受けているのだ。
だが、その細い腕には世界は大きすぎるように見えた。
それでも彼女はその身に全てを抱こうとしているのだ。
残った左腕が、そっとリゼルグの柔らかな髪を撫でる。
「そう、全てを。 ……貴方の事も。」
優しくされても、ただ我儘な子供のように喚く事しかできなかった。
違う、と。救われたくなんて無い、と。
そう叫んでみても、その理由を言葉にする事ができない。
これではただの癇癪でしかない、そう思ってもやはりなにも変わらなくて、リゼルグは悔しさに震えた。
「ごめんなさい。目を閉じて。気味が悪いのでしょう?」
自分の無力さがひたすらに辛かった。
違う、もう一度叫んだ。自分が、メイデンが傷つけている。
それでもやはり、何もできない。
「メイデン……様……。」
掠れた声で、リゼルグは名前を呼びつづけた。
しかし、それが何の意味も無い事も知っていた。
二人は途方に暮れたように、お互いを見つめる。
血の流れる色の見えるメイデンの瞳に映る自分はひどく弱弱しかった。
「何をしているのかね、リゼルグ・ダイゼル?」
その空気を裂くように冷たい低い声がリゼルグを咎めた。
突然扉が開き、強い光が差し込んでくる。
逆光で、立っている男の表情は見えないが、怒りを露にしているに違いない。
「メイデン様は、只今巫力を上げる為世界の痛みに耐えていらっしゃる最中なのだぞ。
 神聖な空間に立ち入るつもりか、貴様。」
びくっ、とリゼルグは体を強張らせた。メイデンの表情も険しくなる。
「ここは私がなんとかします。 貴方は自分の部屋に戻っていてください。」
メイデンが素早く耳打ちする。
「でも……。」
「急いで。」
そう急かすメイデンは、既にリゼルグを見てはいなかった。
男に、艶然と笑いかけている。
「私が呼んだのです。マルコ。もう戻らせますから……。」
そしてもう一度、目だけでリゼルグに合図する。
マルコが、こちらへ向かって歩いてくる。
リゼルグは不安げな瞳で何度もメイデンを振り返ったが、諦めたように部屋を出て行こうとした。
「待ちたまえ、リゼルグ・ダイゼル。」
去っていくリゼルグを、メイデンの腕を掴んだまま、振り返ろうともしないでマルコが呼び止める。
「折角の機会だ。メイデン様のお姿を見ていくといい。」
「な……何を言い出すのです!マルコ!?」
珍しく取り乱すメイデンに構わず、マルコはその小さな躯をいとも簡単に床に押し倒した。
片方しかない腕はすぐに押さえられ、メイデンは自由を奪われる。
先ほどまでの妖艶な余裕の笑みは消え、ただ怯えたような、焦ったような表情が浮かぶ。
「ああ……今日はこんなにも傷ついて……お可哀想に。」
白々しい、嘲笑にも聞こえる科白。
「これでまた、世界も救われることでしょう……貴方にはそのお力が備わっていくのですよ。」
此の行為が一体世界の何になると言うのだろうか。
気味が悪いほどに優しく、優しく、男はメイデンの剥き出しの皮膚に触れる。
しかしその仕草からは、慈しむような愛情は微塵も感じられず、
むしろ切り裂いているような、殴りつけているかのような得体の知れない狂気を感じた。
その薄く浮かべた笑みには恐怖さえ覚えた。
ああ、これが男なのだろうかとリゼルグは自らにすら、吐き気を覚える。
「嫌ぁ…… やめてください……。」
消え入りそうな声。
切り取られた腕の根元から、マルコは血を啜る。
広がる赤い部分を拭い取り、その下の白い躯をねっとりと味わうように。
血を拭い、そしてその舌はその先、メイデンの全身を這いまわる。
メイデンの背筋に、快楽と嫌悪が同時に走った。
その眼は涙を浮かべ、ひどく辛そうな表情でリゼルグを振り返る。
リゼルグは茫然と立ちすくんでいた。
目には確かに、この光景が映されている。
だが、一体目の前で行われている"これ"が何なのかを理解することを脳が拒否していた。
「見ないで……。」
メイデンが懇願するように呟く。
それは間違いなく、リゼルグに対しての言葉だった。
リゼルグは咄嗟に数歩、後ずさりした。
しかし、その瞬間それまでリゼルグには目もくれず、執拗にメイデンの躯を舐っていたマルコが、顔をあげリゼルグを見た。
その眼はギラギラとした狂気を湛えており、それだけでリゼルグをその場に封じ込めるには十分だった。
これではまるで憎悪だ、リゼルグはそう感じた。
マルコはその表情のまま、絶え間なくメイデンの躯を自らの唾液で濡らし、汚していった。
やがてそれも飽いたのか、メイデンの細い手首を掴み、自らの陰茎を握らせた。
そしてメイデンを押さえていた腕を解いた。
メイデンは逃げる素振りも見せず、左腕だけでぎこちなくそれを掴む。
「神のご加護がありますように……。」
そうメイデンは呟いた。
薄い唇が、マルコの陰茎にゆっくりと近づき、そして触れる。
リゼルグはただその光景を眺めていた。
メイデンの舌が先ほどのマルコがしたのと同じ淫靡さで、それの上を這いまわった。
濡れた音が響く。
マルコは虚ろな目でメイデンを見下ろしながら、小さくずっと何事かを呟いている。
あるいは、メイデンのことなど目に入っていないのかもしれない。
しばらくそれを続けさせたあと、また無造作にメイデンを床に押さえつけた。
「出て行って……!」
リゼルグには、メイデンの体液と唾液に塗れた唇が、僅かに動いたように見えた。
リゼルグにはそれがメイデンの、最後の抵抗に見えた。
それすら虚しく、マルコは自らの猛った陰茎をメイデンの膣口に押し付ける。
リゼルグにはメイデンの体が軋む音が聞こえる気がした。
浅黒い肉茎が、きつく閉ざされたそこをこじ開けるように進んでいく。
「見ないでっ…… 見ないでえええっ!!」
メイデンの叫び声が響く。
その瞬間にマルコは目をすっと細め、口元を歪める。
正気を取り戻したのか、それとも狂気のままなのか定かではなかった。
「……彼に見られるのは、嫌なのですよね?」
涙に濡れた赤い瞳が、何度も頷く。
「……でも、それでは終われませんね……分かりますか?」
メイデンが言葉に詰まる。
ゆっくり俯くと、目を閉じた。零れた雫が、頬を伝い落ちる。
「あ、あ、あっ、あああ……、」
こんな行為すら行っていることが、リゼルグに知られなければ、どんなに良かっただろう。
リゼルグの幼い手はこれからどう私に触れるのだろう。
あるいは、もう私の知らない手になってしまうのだろうか。
今更もうなにもかも手遅れだ、そう思ったメイデンは瞳を伏せる。
そして視界から、リゼルグの姿を消した。
早く終らせるため?彼の顔を見ないため?彼の存在を忘れるため?
そんなことはメイデンにはもう関係なかった。
自分に問いかけることすら諦め、馴れた風にマルコの上で媚びるように腰を動かした。
「んあ、あ、ああっ、はぁんっ、んんっ……、」
その瞬間から、メイデンは何かを考えるのを止める。
自らの浅ましさに眩暈がした。
マルコは変わらず、薄ら笑いを浮かべながらその光景を眺めているのみだ。
リゼルグは、目を開いているはずなのに自分の視界が暗黒に染まる得体の知れない感覚と、絶え間なく襲う吐き気を感じていた。


やがて、どれくらいの時間がたったのだろう。
ぐったりと横たわるメイデンに、急に興味を無くしたようにマルコは消えた。
その姿は世界の総てに醒めたかのように見えた。
メイデンは、荒い息でただ天井を見つめている。
その目はマルコのあの虚ろな目が伝染したように焦点を結んでいなかった。
リゼルグは金縛りから解けたように、メイデンの白い肌にそっと触れた。
床の石のように、ひんやりとしていた。
リゼルグはそれでも感触を確かめ、じっと押し黙って触れ続けた。
やがて、その手の温度が伝わったのか、ゆっくりとメイデンは立ち上がった。
弱弱しくふらりと一瞬揺れ、乱れた髪も滴る血液も精液も唾液もそのままに彷徨うように動き出す。
何処へともなくふらふらとメイデンは歩みだした。
そんなメイデンの手を、リゼルグは強く引いた。
そして絞り出すように、叫ぶ。
「逃げよう!」
しかし引いた手は、動くことなく。
「……どこへ?」
大きな赤い瞳は、虚ろに問い掛けた。

→[The road side]

→[The crow side]


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