お味はいかが?



……なんでこんなことになっているのだろう。
ボクは目の前にちゃくちゃくと進んでいく鍋の準備をぼんやりと見ていた。
部屋を埋めるのは目の前の鍋から香りたつ甘い匂い。
そして……。
「シルヴィー、もうすぐできるからな!」
キッチンから聞こえる、舌のおかしいバカの声。
『シルヴィー、夕飯くってけよ!どうせ暇なんだろ?』
数十分前のあいつの発言が脳裏をよぎる。
なぜあの時帰らなかったのだろう。
両親が出かけていない、マコトさんも、あの変な宇宙人もいない。
……そこで予想はついたはずなんだ。
ボクは、たとえようのない後悔とこの後の惨事に向けて大きなため息をひとつついた。


「おっしゃー、鍋の準備できたぜー!」
沈むボクとはうらはらに、あいつが嬉しそうにザルを抱えて居間に飛び込んでくる。
ザルの中にはしらたき、くずきり、ナタデココ……。
ボクの舌に、過去一度だけ振舞われた悪魔の味がよみがえる。
「シルヴィー?」
苦々しく歪んだボクの顔を目の前の味オンチが不思議そうに見る。
「……ボクは食べないからな」
「えーっ?!」
奴の顔が心底驚いたような表情になった後、今にも泣き出しそうに歪む。
「何で?何で?今日は俺特性サイバー鍋なんだぜ?!」
「だからだ、だから!」
サイバー鍋、それは温めたファイバーゼリーにしらたきなどの食材を入れた鍋と呼ぶのもおこがましい食
物のこと。
一度だけ食べたその味は、もはや食物と呼んでいいものかさえもわからない。
「ちゃんと今日はシルヴィーの好きなレモン味のゼリーを選んだのに!」
サイバーが空になったファイバーゼリーの容器をボクの目の前に出す。
だからどうした。
「……アレをうまいというお前の舌がわからない」
「うわっ、ひでぇ!何だよ、パルは『故郷の味がするウパー』って言ってうまそうに食ってくれるぜ?」
「それは暗にお前の舌が地球外だと言ってるんじゃないのか?」
「ちぇっなんだよ、後から食べたいって泣きついても食わせてやんないからなー!」
「望むところだ、このバカ」
ぶつぶつ言いながらあいつが鍋のふたをあけると、大量の湯気と鼻につく匂いが舞い上がった。
奴が鍋の中身を軽くすくって味見をする。
「あー、うめー」
奴が嬉しそうに笑いながらザルの中身を鍋に落とす。
にこにことしまりのない顔をしながら、目の前のバカは再びふたを閉じた。
あの味を心底うまいと思えるあいつの舌はどうなっているのだろう。
少なくとも、地球の規格外であることは間違いないはずだ。
「……何じろじろみてんの?食べたくなった?」
「そんなわけあるかこのバカ」
「またバカって言った!」
バカ以外の何者でも無い者をなんて呼べと言うんだこのバカは。
「お前の舌はどうなっているんだろうな、と思っただけだ」
「俺の舌?」
「……そんな物をうまいと思えるなんてどこかに欠陥があるに違いない」
「何だよ、それ!」
「そのままの意味に決まってるだろう、そんなこともわからないのか?」
明らかにむかついてる表情の奴をからかうように続ける。
が、奴は考え込むように下を向いた後、突然何かを思いついたようににやりとわらった。
な、なんだ?
ボクはその奴の不気味な笑顔に思わずたじろいでしまった。
奴が椅子に座っているボクの近くに笑いながら近寄ってくる。
「シールヴィー、俺の舌のこと知りたいんだよね?」
奴は笑みを顔に浮かべたまま、ボクのすぐ目の前の位置まで近づく。
「……別に知りたくもない」
「いいっていいって、た〜っぷり教えてやるよ」
急に視界が肌色に多い尽くされ、唇に湿った感触が湧き上がる。
キスをされている、と気がついたのはその数秒後だった。
抵抗しようと体を動かすも椅子に押さえつけられていてはうまく力が入らない。
「いきなり何を……う、ぐっ?!」
せめて文句の一つでも、と口を開くとぬめりを帯びた何かがボクの口内に侵入してくる。
その何かは口内を蹂躙し、ボクの体からは意思に反して力が抜けていった。
鼻こうを甘ったるいレモンの香りが通り過ぎる。
そこでボクはこの口腔内を蹂躙する何かが奴の舌であることに気がついた。
奴の舌が僕の舌を絡め取るたびに、人工的なレモンの味がする。
唾液が溢れ、絡まりあう舌が卑猥な濡れた音を立てる。
……調子にのるな、このバカがっ!
「っいってぇ!」
カリッと言う小さな音とともに奴の体がボクから離れる。
「はぁ、は、ぁ……いきなり何をするんだっ!」
「だって、シルヴィーが俺の舌のこと知りたいって言ったんじゃん!」
「そういう意味なわけないだろうが、このバカめ!」
「だからって舌噛むことはないじゃんよー……いてぇ……」
「ふん、自業自得だ」
ボクは自分の心を落ち着けるように、息を整える。
横の鍋は再び沸騰し蒸気を吐き出していた。
「やべぇ、煮えすぎちまう!」
奴がカセットコンロの火を弱め、ふたを開ける。
さっきと同じ匂いがボクの鼻こうをくすぐった。
奴が器に鍋の中身を盛り付けていく。
もう舌の痛みなど忘れたかのように、にこにことした笑顔が顔には浮かんでいた。
器の中の黄色い物体を見ると、舌に先ほどのレモンの味が思い出される。
「シルヴィー?」
「……なんでもない」
ボクはわずかに赤らむ顔を悟られないようにそっぽを向いた。


くそっ、もうしばらくレモン味のファイバーゼリーが飲めないじゃないか。



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