「よし、今日はこれまで!」
乙女さんの声が道場に響いた。
「皆、悪いが明日は休みだ。それから対馬、残れ。」

ここは霧夜カンパニー所有の道場。
会社付きのSPが日々武術訓練に励む場所だ。
大学を卒業してエリカと共にこの会社に入ってからもう3年になる。
その間週5日、俺も訓練を受けていた。

皆が道場から出て行くなか乙女さんのもとへ向かう。
「どうしたの?乙女さん。」
「明日は姫も来る日だったな?」
「そうだけど。」
仕事で忙しくなったとはいえエリカも週に一度訓練を受けていた。
彼女の野望に向かって努力する姿勢は相変わらずで、
着実にそれが実現に近づいていることがそばにいる俺にもはっきりと感じられた。
「そうか。」
乙女さんは一瞬思案をめぐらせた。
「明日は二人だけでここに来い。いいな。」
それだけ言うとさっさと道場から出て行ってしまった。
「え?ちょっと乙女さん!」
声をかけたところでもう乙女さんの姿はない。
一体何をやろうというんだ?
俺には疑問だけが残された。


翌日。
俺はエリカと並んで道場に正座して乙女さんを待っていた。
二人の間に会話は無い。
ただ、静かな時間。
昨日の疑問は残ったままだった。

しばらくして乙女さんが入ってきた。
俺たちの目の前に立つ。
「今日は二人の組み手を見せてもらう。」
「・・・。」
二人だけ呼んだ理由はこれか?
「はい。」
聞きたいことはあったがここは道場。
師に無駄な質問は許されない。
ちらりととなりのエリカを盗み見ると、いつも通り凛とした表情で前を見つめていた。

向き合って構える。
気は向かないが仕方が無い。
諦めて集中することにした。
相手はエリカだ。
以前は全く歯が立たなかった。
一瞬でも気を抜けばやられる。


「はじめ!」
「ハッ!」
私は合図と同時に一気にレオとの間を詰めた。
手数を多めに出しながら自分の間合いに持っていく。
レオはそつなく攻撃を流しているけど、それも作戦のうち。
ようやくレオが出してきた右を払って、来た!
絶対によけられない必勝の間合い!
ごめんね、レオ。
喰らえ!お嬢様ハイキック!!
あ〜あ。レオももう少し強くなってると思ったのにな。
私は渾身の一撃を叩き込んだ・・・はずだった。
よけられた・・・?
次の瞬間、レオは無防備な私の懐に飛び込んでいた。
馬鹿な・・・。
今まであれをよけられたのは乙女先輩と橘館長だけ・・・。
やられる!
一瞬の後に来るであろう強烈な一撃に備えて体が強張る。

俺にはできない・・・。
勝負を決めるべき場面。
俺は軽くエリカに体を当てただけで、間合いを開けた。
エリカと目が合う。
その瞳が怒りに燃えていた。

「そこまで!」
乙女さんが止める。
「今日はこれだけだ。上がっていいぞ。」
必要なことだけ言うと、今日もさっさと出て行ってしまった。
いつからそんな性格になったんだ?あの人は。


「バカレオ・・・。」
呟きながらエリカが俺の横を通り過ぎる。
「エリカ・・・」
「さっさと着替えて帰るわよ!」
振り返る事も無く怒鳴られた。

俺は道場の入り口でエリカを待った。
空は赤くなっていた。
最近、エリカが車で移動するときは大体俺が運転している。
というかそれが今の主な仕事だ。
我ながら少し情けない。
なんて声を掛けようか・・・。
そんなことで悩んでいるうちに彼女がやってきてしまった。
明らかに機嫌が悪い。
めちゃくちゃ悪い。
「じゃ、じゃあ帰ろうか。」
あれだけ悩んだというのにいざ口から出たのはこんな台詞だった。
我ながら少し情けない。
「待ちなさい。」
ずいっと近寄られる。


バチーン!
見えなかった・・・。
左頬に超強烈な一発。
3秒程してようやく痛みを感じた。
これは口内が切れてるかもしれない。
「ほんっとに腹立つ!レオの分際で私に手加減!?なめてんじゃないってのよ!!」
「ご、ごめん!!あれは・・・」
バチーン!!
2発目。
意識が飛びそうになる。
さらに振りかざされる右手。
恩赦は望めそうに無い。
バチーン!!!
一瞬意識が飛んだ気がしたが、なんとか持ちこたえた。
殺される前に言い訳、否説得しなければ!
「エリカ聞いて!あれは・・・」
「あーすっきりした。ほら、帰るわよレオ。」
「え?」
「だから帰ろうって言ってんの。レオが運転するんでしょう?」
「あ、ああ。そうだね。」
とりあえず命は助かったらしい。
にしても一体なんなんだ???


よろよろと黒塗りの車に近づき、後部座席のドアを開けてエリカを乗り込ませた。
俺も運転席に座り、目を閉じる。
「10秒待って・・・。」
「そんなに効いたの?」
「うん。」
「しょうがないわねぇ。」
さっきとは一変して楽しそうなエリカ。
「よし、行こうか。」
「お願いね。運転手さん♪」
キーを捻る。彼女好みの下品ではない心地よい低音が響いた。

2年前から俺たちは本社ビルからそれ程遠くない場所に部屋を借りている。
まぁつまりは、同棲。
炊事、洗濯に掃除。
家事は俺が一手に引き受けている。
大都会の夜景を独占してしまえそうな高層マンションなのだが、二人で住むには広すぎる。
休日が家事で終わることも少なくない・・・。
非の打ち所が無い模範的な主夫だ、と自分では思う。


幹線道路からビル街へと車を入れた。
昼と夜の狭間。
少し寂しいような気持ちと、これから始まる夜の時間への期待が混ざり合う時間帯。
街の明かりも点きだしている。
「ねぇ、レオ。」
「何?」
「今日はすごく悔しくて腹立たしかったわ。」
「ごめん、謝るよ。でも俺には出来なかった。」
「まあそれはもういいわ。でね・・・」
目の前の信号が赤に変わった。
同時に訪れる沈黙。
エリカはいつもより丁寧に、そして心なしかやさしく言葉を続けた。
「私は今すごくすっごく気分がいいの。なんでか分かる?」
全然分からない。
バックミラー越しに降参の視線を送る。
少しはにかんだような笑顔を返された。
「だってこれからはレオが私を守ってくれるんでしょう?」
「!」
そうか、今まではエリカの方が俺より強かったもんな。
信号が変わり、車列がゆっくりと動き出す。
「今日はお祝いよ。レオが私の騎士になった日を。あのサンテミリオン、開けるわよ!」
「そんないいワインに合わせられるようなもの家にあったかな。」
「いいのよ。レオが作ってくれたものならなんでも。」
「もう少しとって置くのかと思ってた。」
「ちょうど飲み頃よ。それに今日ほど美味しく飲める日は当分来ないわ。」
エリカは心底うれしそうだった。
「・・・そっか。」


急に車が停まった。
「どうしたの?」
レオは答えない。
ただじっと前を見詰めている。
しばらくして後ろを振り返りながらようやく口を開いた。
「少しドライブに付き合わない?」
「ん?別にいいけど・・・」
「よし、決まり。」
レオは車をUターンさせると、いつもより強めにアクセルを踏み込んだ。
なんか気合入ってるし・・・。
「どこに連れてってくれるのかしら♪」
「ん〜。海の方なんてどうかな?」
「言っちゃってるし!」
「あ、ごめん。」
「いいけどね、別に。それより道分かるんでしょうね?」
「お任せください、姫。」
「姫って・・・久しぶりに聞いたわよ。レオなんか緊張してない?」
「いやぁ別に・・・」
「絶対おかしい!」
「そうかな。」
「変なことしたらただじゃおかないわよ!」
「わ、分かってるよ。」


1時間後、私たちは海沿いの公園にいた。
もうすっかり日は落ちている。
遠くに見える街の明かりがきれい。
上から見下ろすほうが好きだけど、こういうのも悪くはないわね。
生きている街の音が微かに聞こえてくる。
私はそれに世界を感じる。
大勢の人間が住み、各々の欲望を満たすために生きる世界。
近い将来、そこに私の名を、存在を深く深く刻み付けてやる。
そんな想いが胸に浮かぶけれど、今は静かに繰り返される波の音に包まれ、私の心は穏やかだった。
でもコイツは、レオは何なの?
少し歩こう、とか言って連れ出しといて十分も無言ってどういうことよ。
抗議しようと口を開きかけたとき、急にレオが立ち止まり、私の方に向き直った。


「今度は何?なんだか今日は全てが急ね。」
「エリカ、結婚しよう。」
「・・・え?ええ??」
私の世界から音が消えた。聞こえるのは私とレオの声だけ。
「何か一つでも、エリカの役に立つものを持てたら言おうと思ってた。
 まだまだ乙女さんには敵わないし、側近としても使い物にならないのは分かってる。
 でも、全力でエリカを守るから!だから・・・」
頭の中が真っ白になる。
きっと顔は真っ赤だろう。
確かに一緒に住んでるし、好きだけど、結婚なんてまだまだ先のことだと思ってた。
でも実際言われてみると相当にうれしいもので・・・。
勿論答えは決まってる!
「いいわよ。ずっと私の傍にいなさい。」
こんな時でも命令口調になってしまう自分にちょっと腹が立った。
小さくガッツポーズするレオ。
「よかった・・・。それじゃ、これ。」
上着のポケットから白いハンカチを取り出した。
掌の上で開くとそこにはシンプルなシルバーのリング。
私の手をとり、そっとはめてくれた。そしてその上にやさしくキス。
全く、いつの間にこんなこと覚えたのよ!
こっちがはずかしくなるじゃない!
「それにしてもシンプルな指輪ね。」
「うん。ありのままのエリカを愛したいって思ったから。気に入らなかった?」
「嫌いじゃないわよ♪」
気に入らない訳が無い。レオがくれたんだから!レオがくれた婚約指輪なんだから!!


隙を突いて私は駆け出した。
10m程離れた所で立ち止まり、振り返る。
「返してって言っても、もう返してあげないからね!!」
どうして素直にうれしいって、ありがとうって言えないんだろう。
さっきは少しだけうまくいったのにな。
まぁしょうがないか。性分だものね。
またレオに背を向けて歩き出す。指輪を大事に抱えるようにして。
小走りに追いかけてくるレオ。
やっぱり私たちはこうでなくっちゃ!
レオが追いついて隣に並んだ。
私はその腕を取る。
高校生だった、あの頃のように。


(作者・inner sketch氏[2007/04/15])

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