「あいた、あいたたた」
隣で眠っていた乙女さんが声をあげて、俺は夢から覚める。
「んー、どうしたの乙女さん。こんな夜中に…」
「レオ、なんだかお腹が痛くて…」
乙女さんの訴えで部屋の電気を点けてみると、
乙女さんのパジャマの下半身、股間の部分が血でべっとりと濡れていた。
「えっ?!何!?乙女さん、血、血がでているよ!!」
「痛みはたいした事はないが…レオ、とにかく医者を呼んでくれ…」
気丈な声を出しているが、乙女さんの声と体が震えている。
俺も乙女さんの血を見て体が震える。違う!ここで俺がしっかりと乙女さんを支えなきゃ!
部屋の電話の子機を取り、119番に電話をかける。
呼び出し音が鳴っている間。乙女さんの手を握り。お互い冷静になろうとつとめる。
「すいません、救急車、救急車お願いします」

救急車が家の前に到着し、乙女さんが搬送される。
「レオ、レオぉ、私の体はどうなってしまったんだ」
いつもの凛々しい乙女さんとは思えないほど、弱弱しく俺に語りかけ、握る手がぶるぶると震えている。
俺はその手を強く握り返す事しかできない。
「とにかく、とにかく病院でお医者さんに見てもらおう」
病院に到着するまでの時間がもどかしい、もっと速く、速く走ってくれ。

病院に搬送され、医者が乙女さんの容態を確認する。
「流産の可能性が高いです。急いで母体の手当てを始めます」
「………は?アンタ、いや先生、今、流産って…」
乙女さんは緊急治療室で処置を受けている。
俺は通路の長椅子に座り、神に祈る。
「頼む、乙女さんとお腹の子が無事なら、俺はアンタの信者になる。
何でもする。だから乙女さんと子供を助けてくれ…」
俺は自分に何も出来ない事に歯軋りをし、乙女さんの安否を願う。


手術が終わり、担当医が手術室から出てくる。
「先生、乙女さんの容態は?!」
「患者の体は大丈夫です。原因は不明ですが、流産は10人に1人の割合で発生します。
原因が不明というのも多いことで、妊娠という現象に対して避けられない事なのです」
「そんな……運が悪かった。で割り切るしかないんですか!」
「幸い、母体には異常はありません、数ヶ月で健康な体に戻り再び妊娠を行う事も出来るようになるでしょう。
むしろ夫の貴方が妻を労わってあげる事が重要です」
「…はい、先生の適切な処置、ありがとうございました」
俺と乙女さんとの最初の子供が流産。
ああ、神様、貴方はなんて不幸を俺たちに与えるのだ…
悲しさと悔しさで、俺の両目から涙がこぼれていた。

病室に移された乙女さんのベットの傍らで乙女さんの目覚めを待つ
「ん…レオ…そうか、私麻酔で眠っていたのだな」
目覚めたばかりの乙女さんは、まだ夢の中にいるようなぼおっとした顔をしている。
「乙女さん…」
乙女さんは俺の顔を見ると、ぽろぽろと涙を流し始める。
「うッ…レオ、レオ、私とお前の子供が、子供が…」
「乙女さん、乙女さんが悪いんじゃない、運が悪かったんだよ」
「運が悪い?!そんな言葉で済まされる事じゃないんだ!」
乙女さんは両手を顔にあてて嗚咽を漏らしている。
あんなに強くて凛々しい乙女さんが、少女のように泣きじゃくっている。
そんな乙女さんを見ていると、悲しみが再び溢れてくる。
だけど、もう涙は出ない。俺の涙は出尽くしているから。
俺が乙女さんを支えてやらなきゃ。


俺の人生は常に失敗の連続だ。起こってしまった事に対して「運が悪かった」で終わらせる事に慣れている。
負け犬属性が身に染み込んでいるんだ。
だが、乙女さんは違う。常に己の信じる道を進み、努
力と鍛錬であらゆる障害を排除して無敗の人生を歩んできた。
そこでこの流産、自らの行動で避ける事も許されず。挽回の努力も許されないのだ。
失ったお腹の子は取り戻せない、乙女さんは心に深刻なダメージを与うけていた。

2月に妊娠が判り、4月に子供を失った。
生まれてくる子供の為に行った努力が、今では虚しく感じてしまう。
乙女さんが流産した事はごく身内にしか話していない、
カニやスバル、フカヒレは近所の幼じみ故に気付いているが、俺を気遣ってかこの話題には触れてこない。
ただ、俺に優しく接してくれる。それだけで俺の心は癒されていった。
俺は乙女さんの夫になったんだ。夫としての努力を怠る事はできない。
俺は皆の支えを受けて日常に戻る事ができた。

しかし、今の乙女さんには俺しか居ない。俺が乙女さんを支えてやらなきゃいけない。
少しでも1人にすると、気の抜けた表情で視点の合わない目をしている。
太陽のようだった笑顔も見れなくなった。それに気付き、
俺は胸が張り裂けそうな思いで苦しくなった。乙女さんのそんな姿は見たくない。
俺は退院後も乙女さんの傍にいた。学校は祈先生に事情を話し欠席の許可を貰った。
授業はよっぴーのノートのお陰で大きな遅れを出す事はなさそうだ。
乙女さんが悲しみを乗り越えられるように支えてあげる事に専念した。
「乙女さん、面白そうな映画借りて来たから、いっしょに見よう」
「乙女さん、公園の桜が綺麗に咲いているから、見に行こう」
「乙女さん、一緒に料理の勉強しよう、2人で覚えれば上達も早いって」
その甲斐あってか、以前のように笑顔を見せてくれるようになり、
医者からも運動の許可が出た。乙女さんは以前の自分を取り戻したようだ。
俺も乙女さんも学業に復帰し、以前の生活に戻る事になった。
流産は辛い経験だったが、お互いが元の生活に戻れた事を、俺は素直に喜んだ。


「乙女さん、たっだいまー」
乙女さんは大学に行っても、部活動は行わない事にしたそうだ。
授業が終われば妻として俺の世話をしてくれる。俺は幸せな男だ。
乙女さんは家に居らず庭で木刀の素振りを行っていた。
「レオか、お帰り。今日は遅かったな。もう食事の支度は終わっているぞ。
とは言っても、スーパーのお惣菜だがな」
乙女さんは素振りを続けながら、苦笑交じりに話している。
俺は素振りをしている乙女さんの姿を姿を見て驚いた。木刀を握る手が血で真っ赤に染まっている。
「うわっ、乙女さんの手、血が出てるじゃないか!やり過ぎだよ!」
「ん…?ああ、そうだな。しばらく運動していなかったから、思いの外熱を入れてしまった」
手を止めて呟く乙女さんの顔を見て俺はゾクリとした。生気の無い無表情の顔。以前の清々しい顔ではない。
乙女さんは悲しみを忘れる為に自分に厳しくして心を殺そうとしているのか。
ヤバイ、こんな時どうすれば良いのか判らない。俺は自分の情けなさに悲しくなってしまった。
乙女さんの両手を手当てして、夕食を済ませる。
俺は乙女さんの事で頭がいっぱいで食事の味が判らない。


深夜近くになりお互いベッドに入る事にした。
俺は乙女さんの体を引き寄せておやすみのキスをねだる。
思い返せば、あれ以来、キスすらしていない。
この行為すらも不謹慎な気がしてお互い触れ合う事を避けていた気がする。
「乙女さん…キスして」
「あ…そうだな、おやすみのキスだ…」
お互いの唇が軽く触れ合う、俺は自分の思いを伝えるように、唇を深く重ね合わそうとする。
「…んっ、レオ、もう寝よう」
乙女さんは俺のディープキスを拒絶するかのように体を引き離す。
俺は乙女さんの目を見つめるが、乙女さんは伏せ目がちに俺と視線を合わせないようにしている。
「乙女さん…怖いの?俺と体を合わせて、また妊娠する事を…」
「レオ……違う、私はそんなつもりじゃ…」
「お腹の子の事は悲しい、俺もスゲー泣いた。泣きまくったよ。でも、引きずっちゃダメなんだ。
お腹の子も大切だけど、俺は同じように乙女さんも大切だ。
今の乙女さん、見てられない。昔の強いお姉ちゃんだった乙女さんはどこ行ったんだよ!」
「………」
「乙女さん、俺を見てくれ、俺を叱ってくれ、俺を抱きしめてくれ!
 ひっ、うぐっ、うわぁーーーん」
俺は乙女さんの両肩を掴んで、馬鹿見たいに声をあげて泣いていた。
「ば、馬鹿だなぁレオ。どうして泣くんだ。泣いたら私も悲しくなってしまうではないか…
声をあげて泣くな、私まで…ひぐっ、うっ、う、うわぁーーーーーーん」
「乙女さん、乙女さん、ううっ、乙女さん、うあーーーん」
「レオ、レオ、レオぉ、あーーーーーん、あぐっ、うわーーーーん」
2人で抱き合って泣いた。心が空っぽになるまで泣き続けた。


翌朝早朝。目が覚める。
あの後泣きながらベットに入り、俺は乙女さんの体を優しく抱きしめ、
乙女さんは俺の胸の中で涙を流し続け、泣き疲れて眠ってしまった。
まだ、俺の腕の中には乙女さんが眠っている。可愛い寝顔だった。
俺は乙女さんが愛おしくなりぎゅっと抱きしめてしまう。
「ん……朝か…おはよう、レオ」
「おはよう、乙女さん」
昨晩さんざん泣いたお陰で、目元が腫れあがってボロボロの顔をしている。
でも、俺の大好きな乙女さんの顔に戻っていた。嬉しくなってまた腕に力を入れてしまう。
「あっ馬鹿、こんな朝から抱きしめるな!…でも、力強くてあったかくて、心地良い…」
乙女さんは俺の腕の力を味わうかのように、身を任せてうっとりとしていた。
「お前に抱きしめられると、あったかくて気持ちがいいな。
私がまた悲しくなったら、この腕の中で慰めてくれ」
再び、俺と乙女さんは抱き合ってお互いの存在を確かめ合った。

その日は、園芸店に行って桜の苗木を買ってきた。
庭先にその苗木を植えて育てる事にする。
「お腹の子は亡くなったけど、この桜の苗木がお腹の子として成長してくれる。
あの子は桜として生まれ変わるんだよ」
「…お腹の子を失ったのは悲しいが、悲しみを引きずって私はお前すら見えなくなっていた。
レオには…私よりも辛い思いをさせてしまったな」
「ん、良いんだよ乙女さん。俺は乙女さんが元気になってくれただけで幸せだよ」
俺は乙女さんの肩を抱き寄せて、小さな苗木を見つめる。
俺達は生まれる事ができなかった子供の為に、幸せに生きなければいけない。
不幸を乗り越えて、俺達は生き続けるんだ。


数年後、桜の苗木は順調に成長し、今年初めて花を咲かせてくれた。
まだ、まばらにしか花を咲かせていないが、これからさらに大きな花を咲かせるだろう。
「レオ、待たせたな。柴又に行くのなら、タクシー呼んだ方がいいかな?」
乙女さんが庭にやってきた。腕の中には生まれたばかりの赤ん坊が居る。
俺と乙女さんの、かけがいのない子供だ。

〜END〜


(作者・205氏[2005/11/23])


※前作 つよきすSS「愛の結晶

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