もはや二人の部屋同然になってるレンの部屋。
大切な熊のぬいぐるみと栄冠のトロフィーが横に飾られたベッドの上で、
弱体化した月光に照らされて青みがかるレンとアタシ。
「レン…」
「ん、起きたのか?」
毛布の中で手と手を絡めて柔らかく握り合う。
言っとくけど、エッチはしてない。
「あのね……赤ん坊、できたわ」
「…………What?」
ビックリするのはわかってたけど、これ程とはね。
「あ、あの、ベニスさん。もう一度言って頂けますかね?」
「ハルみたいな口調になってんぞ。だーかーらー、妊娠したって言ってんの」
「マジか!?」
「マジ。今日の病院ではっきりと」
最初に妙だと思ったのは数週間前から。
レモンとかすっぱいもの無性に食べたくなったのがキッカケ。
後は吐き気と倦怠感が時々訪れるようになった。
すぐレンには見抜かれて休むように言われ、森羅様に進言されちゃしょうがない。
それでも、鳩に台所を占領されるのが嫌で今日は全快を装って働いていたけど。
挙句の果てに台所で倒れそうになった。
鳩に助けられてしまうなんて一生の不覚。
あいつの事だから、この先きっと恩着せがましくネチネチ言ってくるに違いない。
そんなこんなで、レン付き添いのもと病院に行かされて医者から病名を聞いた。
結果は、まごうことなき妊娠。
「道理で調子悪かった訳だ。大事な事なんだから、病院帰りに言ってくれよ」
「月明かりの下、手を繋ぎながら告白した方が雅でしょ」
レンや森羅様たちが心配して原因を聞いてきても、
疲れたから眠ると言って答えを先延ばしにしていた。
鳩とデニーロ以外には後でちゃんと謝ろう。
「そこまで拘るんか」
「それがアタシだから。それに、アンタに一番最初に伝えたかったし」


そりゃあアタシも最初は戸惑ったわ。
けど、それ以上に嬉しかった。
だって、アンタとの間にできた命だから。
アンタも喜んでくれると確信してる。
「お前、間違ってんぞ」
「え……?」
「さっき言ってくれた方が、みんなで一斉に喜べてより雅だったろ?
 何より、俺がもっと早く聞けた」
そう言って、微笑んでくれた。
本当に喜んでくれてるのはわかる。
でも、同時にどっかで苦しんでいるのもわかった――――。

そんなこんなで開かれた祝いの宴。
森羅様たちに色々と名前の提案を頂いたけど、こればっかりは産まれてからでないとね。
「くるっくー。叔母さんになるんですね、私」
デニーロに打ち勝ったところで鳩が話しかけてきたけど、適当にあしらおう。
「そうなるわな」
「ところで、他愛ない話をおひとつ。女の人が妊娠してる時って、
 男性は浮気しやすいんですよ。知ってましたかー? 知らないですよねー」
「何が言いてぇんだよ!」
「憐れですねー、惨めですねー、可哀想ですねー」
「やかましいわ!!」
マジで腹が立つわ、コンチクショウ。
レンはアホゥだから、そんな事しないっての。
今だって夢っちやナトセと話してて、姉の悪行に気づいてないし。
「よせんか、お前達。宴でいらん騒ぎを起こすのは無粋だぞ。デニーロとの一件もそうだ」
「た、大佐…すみません」
「すみませんでした。ベニちゃんもこの通り反省してますから勘弁してあげてください」
「鳩……テ、テ、テメェ……」
いかんいかん、ストレス溜めると子供に良くないっていうし。
後でハルをいじめてスカッとしよう。
とばっちりだけど、ウチの子の為だから光栄に思いなさい。


「まあ飲め」
大佐と話していたら、森羅様が不意にビンを差し出してきた。
レンはさっきの報復とばかりに理不尽ないちゃもんをつけるデニーロに絡まれながら、
ミューさんたちと盛り上がっている。
「あの、森羅様。お酒はちょっと……」
「わかっているさ。これはジュースだ」
「それなら喜んで頂戴します」
グラスに注がれたジュースは口当たりが良く、喉を滑らかに滑っていく。
「しばらくお前と酒を交わせないのが残念でならん。まあ、その分レンに頑張ってもらおう」
「……エールを送っておきます」
「ところで明日の確認だが、今日来日した我が師が川神市のコンサートで指揮する」
そうだった。ピロシキ大好きという爺さんを空港まで迎えに行く予定だったのを、わざわざ
中止してまでこの宴を開いてくださってたんだ。
打ち合わせとか色々あった筈なのに……。
『コンサトート大成功の前祝いも兼ねるから丁度いい』
そう自信たっぷりに笑ってくださっていたけど、本当にありがとうございます。
「私も第二部で指揮を執るから大佐も連れて行くつもりだ。ハルも恒例のセミナーだし、
 その分家が手薄になってしまうが……」
「小僧がおりますから大丈夫でしょう」
「ふふ、大佐も随分とレンを買うようになった」
「そうでなくては、この先困りますからな」
「確かに。大黒柱は屈強でなくては。なぁ、ベニよ」
「ええ、まあ…」
レン、さっきの愛想笑いといいどうも昨日から様子がおかしい。
あんな大根演技で隠してるつもりかしら。
具合悪いって訳じゃないんだろうけど、思いつめたみたいで。
一体何をそんなにウジウジしてんのよ。
アタシにも言えないのか。話せないのか。
もし心配かけないようにしてるんなら大間違い。
アンタが相手なら心配しないより心配する方が断然マシだわ。
何を抱え込んでるか知んないけどさ、相談しなさいっての。


「それはお前にも言えるだろう、ベニ」
「はい?」
「思ってる事が丸わかりだ、レン共々腹芸のできん奴め。だがそれがいい」
「…別にご相談する程の事でもないと思ってたんですけどね」
「お前にとってもたいした事ではないだろうがな。私の目は節穴ではないぞ」
流石は森羅様、ご慧眼恐れ入ります。
「案ずるな、ベニ。お前はお前のままでいい」
「と、仰りますと?」
「それが、お前の悩みにとって最善の策という事だ。そのままでいけ。だが、レンに正面きって
 告げるべきだろう。全てを分かち合うのが恋人……いや、家族だからな。どんな悩みでも
 包み隠さず話し合え」
その時、ミューさんがチラリとこっちを意味深に見てきた。
すぐに顔を戻して誤魔化していたけど。
「それだけだ。ベニはベニのままでいろ、それがお前だけの雅だ。仮面を被るのは許さん」
「森羅様……」
「そうだ、それがいい。それが一番だ」
大佐も頷く。
「ベニにベニだけの雅があるように、私にも私の……久遠寺森羅だけの音色がある。
 明日はそれをもって、これまでの私のイメージを粉砕して大喝采を浴びてやるさ。
 何人たりども否定などさせん」
「流石です、森羅様ぁ」
だけど、大佐が神妙な顔つきで森羅様を見てる。
それに対してか、森羅様は不敵に微笑んだ。
「別に気負ってなどいない……ただ、何も知らず、何も期待せず。それでいて私を
 奮い立たせてくれる者がいるだけだ。産まれた暁には偉大な久遠寺森羅を
 見せてやろう、と。それが楽しみでならんのさ」
そっと、アタシのお腹に手を触れて。
「新たなる私の第一歩を麗羅(れいら)に捧げよう」
もうその名前で完全に決定ですか。


宴会が終わってみんなが部屋に戻った後もアタシはナトセとアタシ本来の部屋で一緒だった。
「ベニ、さっきまで元気なかったけど何を悩んでたの?」
ベッドの上で恒例の膝枕をしながら、ナトセが言ってくる。
「アンタまでお見通しってか。悩みって程じゃないけどさ……アタシゃ、子育ての事なんて
 よくわかんないからね。なんつーか、子供にどういう事したらいいのか…」
両親は早くに死んだから顔も愛情も憶えてない(そもそも、愛なんてあったか微妙だし)
叔父と叔母はアタシを引き取ってすぐに売り飛ばしてくれたし。
働かされてた店の亭主だって、親代わりというには論外すぎる。
「普段どおり接してあげればいいと思うな。素のままのベニが一番いいって、
 レン君も言ってくれたんでしょ?」
以前、馴れ初めを白状させられてしまった時の話を引っ張り出された。
さっきも森羅様に言われたし。あの時は酒も手伝ってちょとノロケてしまったと今でも反省してる。
『レンの奴も随分と味な事を言う。だが、真理か』
そう呟いて、森羅様は何故か自嘲気味に笑っていたけど。
「赤ちゃんも同じだよ。必要なのは、飾らないお父さんとお母さんの愛情だけ」
「養育費も必要じゃない?」
「ま、まぁ、それもそうだけどね」
「でも、言いたい事は…何となくわかる気がするわ」
レンを引き合いに出されたら、納得するしかないじゃない。
「大丈夫、ベニはきっといいお母さんになるよ」
「根拠ないなー。ま、努力はするけど」
「ファイトだよ、ベニ」
ナトセがお腹に顔を密着させてくる。
「ちょっと。まだ聞こえないわよ」
「うん。でも…少しこうさせて」
弟が母のお腹にいた時もこうしたと、淋しく笑った。
「大事にしてあげてね。守ってあげてね、ベニ……私は………守れなかったから……」
搾り出すような小さな声。
膝に垂れた水滴は、左目だけからこぼれた涙。
それが、どれだけ重い意味を持つかアタシは知ってる。
でも、だからこそ言ってやらないと。


「はっ、何言ってんの。ナトセ、アンタ神様? 主人公補正かかったスーパーヒーロー?」
「……違うよ…」
「でしょ? そんなら、アンタにできる事なんてたかが知れてるでしょうが」
「でも、私は守り……たかった…」
「アンタ、クソ真面目な上に……優しすぎんのよ」
優しすぎて、自分で自分の傷が癒えるのを許さない程に。
「今すぐは無理でもさ…アンタもいい加減自分を赦してやんなさい。でないと、
 あの世なんてもんがあるならアンタの家族いつまでたってもそっちで悲しんでるでしょうね。
 アタシも夢っちも、久遠寺のみんなも…鳩の奴はどうか知らんけど。アンタのそんな姿見るのは
 正直、悲しいわ。わかる? アンタがアタシらを悲しませてんのよ」
「私の……せい…?」
「そうよ、アンタのせい。だから責任取んなさい」
涙でグシャグシャになってる顔を、上から真っ直ぐ覗いて。
「大事な奴を守りたい、今度こそ守るって言うなら…アタシらをそんな悲しみから守ってみせて」
目を見開くナトセに、一気に畳み掛ける。拒否させない為に。
「アンタはただ、いつもみたいにドジしまくって飯食いまくって花の手入れとかして
 夢っちと仲良くしてればそれでいいの。それで、この子可愛がってくれれば言う事ないわ」
「ベニ……」
「まだ男か女かもわかんないけどさ、アンタさえその気があるなら……姉貴分になってやって」
「……いいの…こんな……私で……?」
「今だって、アンタはアタシの子供みたいなもんでしょーが。躾にてこずるったらありゃしない」
自分で言って初めて気づいた。
そっか、ナトセで予行練習できてたんだ。なら、この調子でいいのかも。
「アンタの家族にダブらせるのはご法度。この子はこの子として、よ?鳩みたいな姉も却下。
 あとは、変に一途にならないで思いつめない事。この条件さえ守れるなら、
 いくらだって可愛がってやって。甘やかさない程度にね」
そう言って、咽び泣くナトセをかき抱いてやる。
「ったく、辛気臭い話は嫌いだってのに。腹の前でメソメソ泣かれると、この子まで泣き虫になるでしょ」
「……ごめんね…ベニ……」
「次謝ったら、一週間おやつ抜くわよ」
「…それは……やだなぁ…」


自室に戻った未有はベッドの上に転がりながら瞼を閉じてIQをフル稼動させていた。
やがて、意を決したように起き上がり。
「デニーロ、この近辺で明日開いている病院をリストアップして」
わざわざパソコンを立ち上げるよりも、今回はデニーロを使った方が速い。
という理由もあるが、本当は誰かに聞いて欲しいというのが大部分を占めていた。
「おう、どうしたよ」
「明日……行くわ。前々から動悸が頻発するの。この私の並外れた知性で
 原因は大体わかっているけれど、どんな結果でも姉さんたちには必ず報告する。
 家族なら、包み隠さず相談するべきらしいから」
そう言って、苦笑した。
「そうか、ようやく決心したか。遅すぎるぜー」
「……気づいていたの?」
「俺様を誰だと思ってんだ、バレバレだっつーの。でも、きっと俺様だけじゃねぇぞ」
「…少なくても、夢とナトセとハルは真っ先に消去法で除外していいわね。有力候補は美鳩かしら」
「だろうなぁ。他の連中は鈍すぎるもんなぁ」
「でもベニには余計な心配かけたくないわ。今が最も大事な時期だし」
「そりゃそうだけどよぉ。あいつだって、『余計』だなんて思ったりしねーよ」
「確かにそうだけれど。レンとベニと、あの子の……おかげだから」
朱子が妊娠したと知らされた時、遠い記憶が甦った。
まだ夢が母親のお腹にいる頃、森羅と共に期待に胸を躍らせていた日々。
来る日も来る日も待ち望み、そして遂に産まれた時の嬉しさ。
あの時と同じ高鳴りが今回も湧いてきた。
温かく、優しく、微笑ましく、幸せな気持ちが。
そこで思った。
一旦生まれてしまえば後は永遠に生き続けるような不死生命体なら、自分はあれほど喜んだろうか。
今も、これほど夢を愛しいと思っているだろうか。
錬と朱子、そして他のみんなもあれほど祝福するだろうか。
今度もまた胸が高鳴りを感じただろうか。
答えは限りなくノーに近い。
いつか別離が来るからこそ、生物は愛する者をより愛しく想い、大切にするのだろう。
それが限られた命の代償なら、決して悪くないのかもしれない。
命には、限りがあっていいのだ。


ただ、果てしなく永遠に続いていくものも確かに存在する。
それは、誰かを愛した人から愛された人へ延々と継承されていく記憶。
誰かを愛する事をやめない限り無限に語り継がれていく、楽しかった思い出。
自分の夢は、その一片になるような場所だ。
なのに、いつか訪れる別れで悲しみたくなかった。
もう誰も失いたくないと思う事は当然だが、その為に
理想を無機質な機械に委ねて楽になろうとしていた。
愚かだったかもしれない。
死を否定するなら、生きる事も否定するというのに。
それのどこが永遠の『命』だと言えるだろう。
「……麒麟アダルトともあろう私にあるまじき失態だわ」
「お前もまだまだガキだからなぁ」
「何ですってこの無礼者!」
「いいじゃねーか、これからまだまだ成長できるって事だろ? 俺様はどこまでもついてってやるぜ」
「デニーロ………ありがとう」
「へっ、よせやい。礼ならあいつらのガキに、産まれた時言ってやれよ。お前があんまり意固地
 になるようだったら、俺様がカラダ張ってお前の過ちを正さなきゃならなくなるトコだったんだからな」
「何を言ってるのやら。でも…まだ100パーセント納得できた訳じゃないの。まだ…怖いわ……」
「ある程度は普通だけどな。難しく考えんなよ、お前ならちょっと頑張ればすぐ治っちまう。
 余計な事考えすぎんのは頭脳派キャラの悪いクセだぜ」
「だといいけれど。今からでも…治ってからでも……夢を叶えられると思う?」
「大丈夫だぜ。あいつらのガキが希望をくれる、お前もちゃんとそれに応えられる。
 なんたってお前は未有――――名前どおり、未来が有るんだからな」
機械に心が宿るかどうかは誰にもわからない。
どれだけ感動的な台詞を発しても、所詮はインプットされたプログラムの一環かもしれない。
だがこの時だけは、まるで心からの言葉だった。

ナトセが泣きつかれて眠るまで付き添ってやってたら、部屋に戻った時レンはもう寝てた。
ドジったなぁ、ナトセほっぽっとくべきだったかも(そんな事しないけどね)。
まあ、いいか。明日がある。
アンタの悩みくらいアタシが聞いてやるから、だからアンタもアタシの悩み聞いてよね。
微笑んで、頬にキスしてアタシも一緒に眠りについた。


頬に何か温かい感覚が広がる。
起きなさいよ。
目ぇ覚ましなさい。
本能がそう告げる。
同時に、この温もりの正体も。
「…レン……?」
うっすらと目を開け、身体を起こす。
時計を確認したら、習慣になってる起床時間よりずっと早い。
ぼんやりと曇った視界のどこを探しても、彼の姿は部屋のどこにもなかった。
トイレにでも行ったんだと勝手に解釈して、もう一度眠る。
そうした事を、アタシは数時間後に猛烈に後悔した。

「おい、鳩! レンはどうしたの!?」
レンがどこかに出かけた事に気づいても、大声を出すと森羅様たちを
起こしてしまうから朝礼まで待たなきゃいけなかった。
その分、鳩に一気に詰め寄る。
「こら、朱子。朝から何だ」
「でも、大佐……レンがどこにもいないんです」
「小僧なら急遽休みを取ったそうだ。聞いとらんのか?」
何にも聞いちゃいない。
黙ってどっかに行く。アタシはその程度の存在だったの?
「じゃあ、どこに…」
「残念ですが、私は全く知りません。くるっくー」
こいつ絶対知ってんな。
「知らなくても言って貰わなきゃ困んのよ」
「ベニちゃんに愛想尽かして出て行ってしまったんじゃないでしょうか?」
「あぁ!? 吐けよ、オラ!!」
「いい加減にせんか、朱子!」
「くっ……」
大佐に言われちゃ仕方ない。
この場は引き下がるけど、憶えとけよ鳩。


朝礼が終わってすぐ、アタシは鳩を廊下に引き止めた。
「レンちゃんがどこに行ったのであれ、レンちゃんを信じて待っててあげるべきなんじゃないですか? 
 それができないなんて、恋人として最低ですよー?」
「……アタシは最低…か。そうかもね……」
レンが悩んでるのを知りながら、気づいた時に聞かないで放置してしまってたから。
「ええっ!? 今頃気づいたんですか!?」
わざとらしくオーバーリアクションしやがって、いちいち癇に障る奴。
「まあ、ベニちゃんの場合ちょっぴり最低なだけですよー。お父さんみたいな本当に
 最低な人は、自分を最低だなんて思ったりもしませんから」
アンタらの父親ってよっぽどクズなのね。
「大体、ベニちゃんが最低なのは今に始まった事じゃありませんからねー。私からすれば
 レンちゃんを奪っただけでは飽き足らず、レンちゃんを凌辱して妊娠までした極悪非道な
 アバズレですから。今更落ち込む事じゃありません」
「………慰めてんのかよ、それ」
「いいえ、追い討ちをかけてるだけですよ。くるっくー♪ さらに、このゴミをベニちゃんに進呈しますね」
「鳩、これって…」
渡された一枚の紙切れには、駅の名前だの行き方だの住所まで丁寧に書き記してあった。
鳩の筆跡だから、レンが鳩に行き先を教えておこうと渡した奴でもなさそう。
「はっ…随分と用意がいいじゃない。全部計算の内かい」
「何の事でしょうか? 弟が急に里帰りしたいと言った時に道を忘れないよう毎日書き綴っていた
 メモですよー。もう思い出したので必要ありませんから」
って事は、これはレンと鳩の故郷か。
ただの里帰りだとしても、アタシに一言くらい言えっての。
いや、そうじゃないから黙って行ったのか。
「あのアホゥ…グズグズしてらんないわ」
「今から行くんですか?」
「生憎、アタシはただ待ってるだけの女じゃないの。帰りを待つどころか、追い越して先回りしてやるわ!」
時間的にそれは無理だけど、これくらいの気合でなくっちゃね。
「森羅様ー!! いきなり申し訳ありません、お休みください!」

主のもとへ大急ぎで駆けていく朱子の後姿を、美鳩は黙って見つめていた。
「そんなベニちゃんですから……………レンは惹かれたのね」


何とか森羅様を説得し、出発してから数時間。
乗客も殆どいなくなる程のド田舎に差し掛かっていた。
自然豊かな風景は最初こそ新鮮だったけど、そろそろ飽きてくる。
そんな時――――。
「I CAN NOT SPEAK ENGLISH。だから日本語で失礼しますよ」
いきなり声をかけられた。
っていうか、イントネーションかなり歪だし。
「お一人でご旅行ですか?」
「まあ…そんなもん。で、アンタ誰よ? 何の用?」
「良かったー、日本語通じるみたい。やったぜ」
眼鏡をかけた猿みたいな奴だった。
ヘラヘラと笑う姿が滑稽極まりなく、ピエロ以外に存在意義が見出せない。
「ご一緒してもいいですか? いいですよね。いやー、空気が新鮮で美味しいですねー。
 きっとあなたはもっと美味し……いや、綺麗な景色はホント心洗われますよ、うん。
 知ってました? 遠くの緑を見ると視力が良くなるらしいんですよ、水平線とか星もそうらしいです」
うるせーな、このメガネザル。
大体テメェ、何でこんな馴れ馴れしいんだよ。
下心も丸見えだから余計イラつく。
「ナンパならお断り。アタシ、彼氏もいるし妊娠もしてるし。他当たって」
「えーっ!? に、妊娠中……」
「そうよ」
「チキショー、何てこった。こ…この…この俺が…まさか……み…見誤る事になるとは…
 あれ? でも待てよ。妊娠中って事は……すなわち然るべきプロセスを経ている…
 おお、想像だ!! 想像するんだ新一! …ハァハァハァハァ……」
駄目だ。この生物は脳幹まで腐りきってやがる。
一体保健所は何やってんの。
これ以上関わったら、お腹の子が妙な病気に感染しそうな気がする。
「キモいんだよ! 消え失せろ、エテ吉!!」
「ひぃっ! ご、ご、ご、ごめんなさいいいいい」
ちょっと睨んでやったら急にブルブル震えだした。
「うわあああああああん!! お姉ちゃん、やめてよう! 日焼けした背中をタワシで擦るなんてひどいよう!!」
本当に、何なんだこいつは……。


「ん? おーい、フカヒレ。ここにいたんか、何やってんだ?」 
車両間のドアを開いて、今度はチビが現れた。
中華料理の高級食材が何なんだと思ったけど、どうやらメガネザルのあだ名らしい。
「お? この果汁みてーにベタつくオーラは……コラ、そこのネーチャン」
チビがガンつけてきた。
「ボクの連れが何やら世話になったようですねー。ここは一つ、友人として仇を取らせて貰いますよ」
「はぁ? 何言ってんだオメー」
「オラ、邪魔だ。どけや!」
アタシの問いかけを無視して、通路で震えていたメガネザルを容赦なく蹴り飛ばした。
何が友人だよ、聞いて呆れるわ。
「さーて。邪魔な障害物はなくなったし、これで思う存分血祭りにできるね。
 客もいないから目撃者も気にする必要ないし、運搬材だぜー」
シャドーボクシングのように両手を交互に素早く入れ替えて威嚇してきた。
でも、本人がちんちくりんなんであんまり迫力はない。
ってか、運搬材って何よ。万々歳じゃないんかい。
こんなチビにナメられんのは我慢できないけど、腹の子に万が一があったらいけないし。
「あのねぇ、ジャリンコちゃん。アタシはアンタに戦りあう気はこれっぽっちもないの」
「そっちには無くてもこっちにはあるもんね! 実はフカヒレの敵討ちなんて別にどうでもいいんだけどさ。
 ただ、オメーが気に喰わないからボコボコにしてやんよ!! 恨むんなら、ココナッツを恨みな!!
椰子の実がどうしたってんだ、この馬鹿が。
マジいっぺんシメてやる。
って、これじゃいけないわ。
我慢我慢、森羅様の器の大きさを学ぶって決めたんだから。
「器も胸も背もちっちゃいアンタなんか相手にするだけ無駄だっての」
元気があってやんちゃね。
「――――ぬわぁにいいいい!!」
「あ! 思考と台詞が逆に!!」
「この毛唐めが!! ボクを……ボクを本気で怒らせたな、ドチクショー!! 
 楽に死ねると思うなよ! 殺してやる! 絶対殺してやる! 百回殺してやるー!!」
完全にキレやがった。
ブンブンと腕を回して飛び掛ってくる。
子供だけは絶対に守ろうと、アタシは何よりも先に腹をガードした。


「「やめろって!!」」
颯爽と躍り出てきた二人組が跳躍したチビを確保する。
おかげで、チビの指一本アタシには触れなかった。
「車内での暴力行為は厳禁だぞ、カニチャーハン」
「旅行にまで来て何やってんだ。フカヒレも」
二人のうち、赤毛の方は結構ルックス良かった(レンには遥かに及ばないけど)。
もう一人はパッと見、頼りなさそうで冴えない奴。
でも、心の奥底には熱い炎を滾らせてる感じがした。
「離せー、バーロー!! こいつ、何でだかココナッツと同じ感じがしてムカツクんだよー!!」
「何言ってんだ…どうもすんません、ご迷惑おかけました」
「こいつの狼藉はどうか水に流してやってください。ビスケット差し上げますから」
「いや、渡されても困るんだけど」
でも、妊娠中はやたらと腹が減るし貰っておいた。
「ボクが悪いのかよ!?」
「だってそうだろ」
「おい、甦れフカヒレ」
冴えない方が転がっていたメガネザルを起こすと、メガネザルもようやく現実の世界に帰還したらしい。
チビを押さえつけたまま、二人はメガネザルから事情を聞いていた。
一通り事情聴取が終わると、二人は一転して険しい顔でチビに何か話し始める。
頭ごなしに怒鳴るんじゃないあたり、まるで親子みたいだった。
だけど、保護者ならちゃんと鎖に繋いどけよ。
最初はふてぶてしい態度を取っていたチビだけど、やがて驚いた顔になってから罰が悪そうに変わっていく。
「うう…」
ようやく解放された途端、チビはトコトコとこっちに歩いてくる。
「何よ? 今度はさっきみたいにはいかないわよ」
「…………赤ん坊いるのに…ボクが悪かったよ…」
それだけポツリと呟くと、チビはダッシュでドアへ走り出す。
「負けてない、負けてないもんね!」
チビの捨てゼリフに続いて、3人もこの車両から出て行った。
ホント、嵐のようにやってきて嵐のように去っていった連中。
ま、少しは気分転換できたしそこは感謝しとこう。
悪さしたガキを諭すように叱る姿も、参考程度にはなったし。


ここがレンの生まれた町、ね。
改札を出た所に設置されたベンチに座り、空を見上げて一息つく。
ここで待機しておこう。
長時間電車に揺られて疲れたってのもあるけど、今から紙に書かれた住所の家を探すには
時間がかかるだろうから待ち伏せ方が効率いい。
だって、レンは必ず帰ってくるから――――。

案の定、それから一時間もしないうちにレンはのこのこやって来た。
おお、妙にスッキリした顔つきになってんじゃん。
それは喜ばしいけど、そう簡単には気が収まらない。
手始めにチョップ食らわせてやろう。
どうにかして言葉を紡ぎ出そうとしてるレンに向かって、アタシは駆け寄っていった。

東京行きの電車の中で、アタシはレンから全てを聞かされた。
逆にアタシも小さな不安を洗いざらいぶちまけたし、これでおあいこね。
「最初はどうしていいかわかんなくて当たり前だろ? 苦労して、困って、悩んで、そうやって
 勉強していけばいいさ。そうするうちに上手くなれるって。お前は努力家だから尚更」
そこまで言われると、何でもできる気になるじゃない。
アンタに惚れてホントに良かったわ。
「俺も手伝うし、二人で頑張ろうな。だから、結婚してくれ。全てを賭けて幸せにするから」
「――――!!」
「考えてみれば、まだ言ってなかったから」
悪戯っぽく笑うから、胸がキュンするじゃない。
「実はここ、俺と鳩ねぇが七浜に向かう時座ってた席なんだわ。配置も全く同じ。
 これ、俺なりに考えた雅なプロポーズ」
道理で、ここに座ろうぜとかお前はそっちに座れとか細かく指示してきた訳だわ。
「最初の時は俺と鳩ねぇだった。今日までの出発点みてぇなもんかな? それを、
 今度はお前と子供と一緒で…うまく言えねぇけど…なんつーか……その…」
「アンタはアホゥなんだからさ、無理して言わなくったっていいわよ」
余計な続きを言わせないようキスして口を塞いでやる。
それが、アタシなりの雅な返事だった。


「お姉ちゃんレーダーが感知しましたー。二人とも、もうすぐ帰ってきますよ」
「よくわかるわね」
「しかも、レンちゃんがプロポーズしたようです。くるっくー……まあ、結婚式というのは
 新郎新婦どちらかが強奪されるものと決まってますから。チャンス到来ですー」
「やめておきなさい」
めっ、と未有が美鳩を諌める。威厳はあまりなかったが。
「私は外で待ってやろう。今日のコンサート大成功を麗羅に早く教えてやりたいからな」
「じゃあ、みんなで行こうよー。夢が先陣を切るね。えへへ」
恍惚に酔いしれる夢に引率されて、ぞろぞろと玄関の方へ向かう。
なお、夢のささやかな栄光は家の前に着くまでの儚いものだった。

広大な海を見渡す丘の上に、小さな教会が建っていた。
割と狭い礼拝堂には正装に身を包んだ久遠寺家の面々だけではなく揚羽と小十郎・
アナスタシアや圭子の姿もあり、賑やかなムードに満ちている。
その中央で、着慣れないタキシードに身を包んだレンは肩を鳴らす。
そんな様子さえ、感慨深げに目を細めて。
「正直、お前と朱子がこうなるとは思っていなかったぞ」
「俺だってそうさ。あんだけ仲悪かったしなぁ…まあ、いい思い出だぜ」
「ふっ、もう小僧とは呼べんな。幸せにしてやれよ、全身全霊でだ」
「望む所さ………オヤジ」
「――――ほう」
「まぁ、その…アンタはベニの父親みてぇなもんだからな。そうなると、義理の父親って事になるしよ」
照れくさそうに頬をかいて視線を逸らす錬に、大佐はヒゲを整えうっすらと微笑んだ。

新婦側控え室と紙が張られた部屋で、アタシはウェディングドレスを身にまとった。
レンタルだけど、まるでアタシの魂を象徴するかのように白くて眩しい。
あの路地裏から、いつか必ずと誓っていたものの一つ。
それが、ようやく実現する――――そう思うと、何だか急に緊張してきた。
緊張を解きほぐそうと、着付けを手伝ってくれた鳩に語りかける。
「おい鳩、これからは……義姉さんって呼んだ方がいいの?」
「願い下げですー。私を姉扱いしていいのはレンちゃんだけですから」
「はっ、そう言ってくれてこっちも助かるわ。アタシもアンタを義姉さんなんて呼びたくもないし」


軽口を叩きながら、壁の鏡に向かって細部をチェックする。
背中のチャックはちゃんと上がってるか、とか。
刺繍がほつれたり糸が飛び出てないか、とか。
髪につけたベールのブーケが曲がってないか、とか。
とにかく念入りに確認しまくる。
もしどっか抜けてたら、大恥かいて雅どころじゃないし。
「よし、これでオッケー。我ながら惚れ惚れするわ。まさに雅よねー」
「中々ですー。でも、少し彩りが悪いかもしれません」
「え? そう?」
「はい。ベニちゃんのイメージカラーは赤ですし、純白なんて似合いません。
 そのウェディングドレス、真紅に染めてあげたくなります」
「どういう意味だ、コラ! アタシの血でかよ!!」
やっぱ、こいつとは相容れないわ。
そう思った時、扉がノックされた。
静かに開いたかと思うと、ナトセが顔を覗かせてくる。
「そろそろ時間だよ――――うわっ、とっても綺麗だよベニ!」
「あったりまえでしょ?……ありがと」

廊下をある程度進んだ所で、大佐が待っていた。
「ふむ…美しいぞ、朱子。今回ばかりはスペシャルな私にも匹敵するな」
「ありがとうございます、大佐」
これは二つの意味がある。
綺麗だって褒められた事もそうだけど、もう一つ。
もしも、大佐に拾って貰えなかったら。
もしも、あの時違う男に声をかけていたら。
今頃どんな暮らしを送っていたのかわかんない。
何より、レンに出逢えなかったから――――。
「いい顔だ。おめでとう」
優しい瞳と微笑みに思わず言葉が詰まる。
初めて出逢った時、『人殺しの顔』なんて言ってホントすみませんでした。
「では、行くか」
「はい!」


真紅のバージンロードを一歩づつ、大佐と足並みを揃えてしっかりと歩いていく。
行き先は聖壇の前。
誰よりも何よりも大切な奴が待っている場所。
目的地まで辿り着くと、大佐は参列席へと戻っていった。
残ったアタシは、レンと揃って神父の前に並び立つ。
因みに、神父役は夢っち。
予算ケチったんじゃなくて、本人が立候補したからだけど。
「何かよくわかんないけど、別世界でも夢はレン君の結婚式じゃそうする気がするんだ」
と、これまた訳わかんない理由を言っていた。
まぁいいか。夢っちの妄想は今に始まった事じゃないし。
「えーっと、ちょいてきとーだけど。ベニさんはこのものを夫とし、健やかなる時も、病める時も、
 変わらぬ愛を誓いますか?」
レンと一緒に、お互いを見つめ合う。
弾む心をそのまま声にして。
「勿論、誓うわよ!」
確かにかなり緊張したけど。
それ以上に、幸せで顔がとろけそうになった。
「レン君。その健やかなる時も病める時もこれを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、
 その命の限りこれを守らん事を誓いますか?」
期待と不安がごちゃ混ぜになる。
そんなアタシに、レンは一瞬だけしっかりと微笑んできて。
「はい、誓います」
まるでオリンピックの選手宣誓みたいに高らかで力強い声だった。
「じゃあね、えーっと…その……誓いの口づけを…きゃー」
神父役が照れてどうすんだか。
「んじゃ、やるか」
レンの目がアタシの瞳を覗き込んでくる。
「ったく…もうちっと雅な言い回ししなさいよね」
少し背伸びして、レンの唇に自分の唇を強く押しつけた。
もう何度目のキスかなんてわかんないけど。
今までしてきたどのキスよりも最高な気がした。


唇を離すと、参列席から拍手の雨が降ってきた。
進行上、夢っちもやや遅れて拍手してくる。
森羅様・大佐・ミューさん・ナトセ・鳩・デニーロ・夢っち・ハル・夢っちの友人一同。
みんなそれぞれなりの笑顔で祝福してくれてる。
「それでは、そろそろ景気づけに鳩を飛ばしょうか。くるっくー♪」
鳩が手品の要領で眷属を出そうとした。
「美鳩、迷信だけど鳥を室内で放すと不幸を招くと言われてるわよ」
「勿論知ってます」
「鳩、テメェ嫌がらせかよ!!」
「こらこら。雅に行こうぜ、おい」
「うっ…しまった」
途端に、有無を言わせない強引さでアタシを抱きかかえる。
「……アタシのガラじゃないと思うんだけど」
「そうか? 結構サマになってると思うけどな。俺がそう思うだけじゃ…駄目か?」
憂いを帯びた眼差し(大根演技だけど)で見つめてくる。
卑怯者め、そんな顔されたらアタシは……。
「それに、お前は軽いから案外楽だし」
「暴露すんな!でも、まぁ……」
「ん?」
「悪かないわ。雅だし、幸せだし」
ベルの荘厳な音色が鳴り響く小さな教会。
身内やごく少数の知り合いだけが参列する、ささやかな結婚式。
だけど、ここは世界で一番雅な空間。
今日は、世界で一番雅な日――――。

扉の向うの陽光を目指し、錬と朱子はまるで今後を象徴するようなバージンロードを辿っていく。
人生とは紅の道。
幸せを掴むには、時には心が傷だらけになって血まみれになるような事も多々あるだろう。
希望を見出した森羅・南斗星・未有たちにも、まだまだ困難が待ち受けているに違いない。
それでも、この二人――――いや、三人なら。
そして森羅たちも、やがて産まれてくる小さな命がいればきっと……。


(作者・名無しさん[2007/08/29])


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