11、 その日、俺はタオルと水筒の入ったバッグを抱えて、街を歩いていた。 電柱には、祭りのぼんぼりや提灯が飾られ、各家には、祭りの花が飾られて華やかだ。 もうすっかり祭りの準備もできているという風情。 しかし、俺はといえば、マイペースなもので、まだ夏の日が名残惜しい格好を隠して、北の浜辺へ向かう。 祭り会場の浜辺にはいつも誰かがいたから、人目を避けて、岩影の小さなスペースにお邪魔する。 Tシャツを脱ぎ捨てると、海パン一丁になる。 鰯雲に、黄土色の岩がぽつんと海に浮かんでいて、どこかさびしげた。 そう、俺は、また『御鬼嶽』の前にいた。 あれから…あれからといっても、いつのあれからなのか忘れるくらい前から、暇になるとこの岩を見るようになっていた。いつの間にか。 遠くの海に浮かんでいる鬼の住処を見上げていると、海を渡って行ってみたい気持ちになる。 幸い、海は遠浅で。 ついに海パンで来てしまうに至って、自分がどれだけあの岩に固執していたか気づかされた。 でも、実際に、行くつもりは毛頭なかった。 平安より前の世、この島には、人を喰らう鬼がいたそうだ…。 若くて清らかな乙女を好んでな…島の住人はたいそう困っていたそうだ。 祭りの終焉には、清らかな乙女が、顔を覆い真っ白な着物を着て、1人で、手製の船をこいで、沖合いの洞窟に向かう。 そこには、小さな社があって、そこで、祈りをささげて――――。 綱手の言葉が耳に蘇る。 …はたして、そこには鬼がいた。 清らかな乙女の純潔を奪い、喉笛に噛みつくと、噴きだす生暖かい血で渇きを潤す。 しかし、俺の想像の中で、鬼は泣いている。 たった一人で、あの洞窟でこれからも暮らしてゆかねばならない。 身を捧げにきた乙女も、種も違えば、姿も違う。 自分の姿に怯え、仲間になってくれることもないから、殺すより他はない。 鬼は声をあげて泣く。血の涙を流して。 …妄想たくましい己に呆れて、自嘲気味な笑みを浮かべる。 でも、もし…自分の背後に感じていた気配が…と思う。 しかし、それも祭りまでだと自分でなんとなく感じている。 瞼を閉じて強く願う。何事も起こらなければいいと。 祭りの夜はカカシ先生が隣にいて、一緒に踊りながら笑いあえていたらいいと…。 「なにしてるんですか?」 「わぁ!」 背後から、たった今まで想いを馳せていた人物が現れて、息が止まるくらい驚いた。 「か…カカシ先生!」 今日は白衣も着ずに、白いTシャツを身につけ、下は海パンだ。 「あー、たまにはこういうのもいいですねぇ」 潔くシャツを脱ぐと浜辺に脱ぎ捨てる。 白くたくましい裸体が露になる。 引き締まった体に、思わず見とれてしまう。 医者なのに、漁師をやっている己よりいい体躯をしているなんて、どうしてだろうとつい考えてしまう。そして、そういえば、カカシ先生の裸を見るのは、閨のなかだけであったとこに気がついて、1人で赤くなっていたが、カカシ先生は構わず、海に入っていく。 「気持ちいいですよ、イルカさん、さっきからずっと海を眺めていたようですが、見ているだけで泳がないんですか?その格好で」 見ていたのか。 いつから…? ばしゃばしゃとこちらに水を駆ける仕草をしてきたので、誘われるままに海に入る。 「ひゃ〜!冷たい」 「はは、まだまだ暑いのに。これくらい、どうってことないでしょ」 水母はいないかだろうかと心配しながら、海の中でそろそろとビーチサンダルを脱ぐとカカシ先生が横からそれを奪い去って、あっけなく浜辺に投げ捨てた。 「行きましょう」 そう言って、腕を取られ、ずんずんと沖に向かって歩かされる。 「え、え、え?行きましょうってどこへ」 「『御鬼嶽』へ。行きたいんでしょう?」 「そんなこと一言も…」 「顔にでてますよ。俺たちの背丈なら、あの岩の近くで泳ぐだけでそのまま行けます」 「なんでそんなこと…」 知っているんだ、と言おうとして、そういえば、カカシ先生は、俺よりも何年も前からこの島に勤務しているんだ…と思い出して、なんて愚かなことを尋ねようとしているんだろうと、自分が情けなくなった。 喧嘩も強いカカシ先生だが、泳ぎも一流だ。 中学高校と泳ぎの得意だったはずの俺はどんどん引き離されて、念願の『御鬼嶽』にたどり着くころには、カカシ先生は先に洞窟の中に入っていってしまって姿さえなかった。 1人取り残されて、惨めな気持ちで『御鬼嶽』の砂浜にあがる。 カカシ先生、この岩が嫌いじゃなかったのか、1人で先に行くほど来たかったのかと恨み言を、つい、心の中で囁いてしまう。 「か、カカシ先生、どこですか〜…」 苔の生えた壁に手をつき、カカシ先生の姿を探しながら、岩をぐるりとめぐると、沖側の裏の裂け目から、中に入ることができた。 なにか、匂う。 初めて嗅ぐ、磯の香りとは違う…少し生臭い、生物の匂いだ。 匂いも気になったが、それより今は目の前の光景だ。 洞窟の中は、思ったより狭い。 天井が割れていて、太陽の光が、内部のわずかな砂浜を明るく照らしている。 濃く影の落ちる洞窟で、その明かりはどこか神聖で、知らず知らず、ほうっと嘆息していた。 洞窟の中の水溜りに生き物はいないかと目を凝らしながら、ずっと視線を壁へ移す。 すると、奥まった、影になっているところに、小さな社を見つけた。 「これが、鬼を祭ってる祠か…」 近寄って、期待を込めた目で見つめる。 古い白木でできている祠には、去年のものだろう…枯れてしなびた榊が飾られ、いまだ錆びない金の装飾が眩しい。扉の中央には固く封がされていて、難しい古代中国語のような字でなにか書かれている。 はがしたい衝動に駆られて、自分を諌める。 でもこの中にはなにが入っているんだろう。 「気になりますよね」 「わっ!」 またも突然背後から現れ、心臓がばくばくと激しく鼓動を鳴らす。 「もう!驚かさないでください!」 「すいません。ただ、イルカさんがあんまり真剣だったから…つい、からかいたくなって」 「なっ!酷いですよそれ」 カカシ先生は、怒る俺の腰に腕に回し、祠の横の壁に押さえ込む。 「オレ知ってますよ、この中に入っているもの」 「本当ですか?」 「ええ、知りたいでしょう?」 「はい」 「だったら、その代わり、一つお願いを聞いてください」 「は…?」 甘い笑みを浮かべるカカシ先生には悪いが、お願い、という言葉になにか嫌な予感がした。 …なにかとてつもなく無理なことを注文されたりして… しかし、祠の中身を知っているという誘惑には勝てず、俺はカカシ先生の腕の中でコクンと頷いた。 カカシ先生はにっこりと笑いながら答えた。 「こういう中に入っているのは、大体、神様、この場合、鬼の身代わりになるものです。 だからきっと文字の入った紙切れか、それっぽいものが入っているんですよ」 「へぇ…なんだか、普通ですね」 「なにかもっとすごいものでも入ってると思いました?鬼の体の一部とか?もっと怖いモノとか…?」 「こ、怖いもの?」 怯える俺に、カカシ先生が意地の悪い笑みを浮かべて、耳元で、恐ろしい言葉を吐いてくる。 俺は真剣に青くなった。 「や、やめ…!んっ…!」 突然唇をふさがれて、腰の辺りをまさぐられる。 慣れた手つきに反応して、すぐにじんわりと熱くなる腰が恨めしい。 「こ…こんなところで…」 祟られたらどうするんですか! 俺が怒ると、ふふっ、と鼻にかかった妖しい笑い声が返ってきた。 「いいじゃないですか。鬼がいるというのなら、見せつけてやりましょうよ。俺たちの仲を。 鬼が嫉妬するくらい熱く…おっと」 ぶんっと振り上げた拳が空を切った。 「カカシ先生!」 あはは、と、先ほどまで、どきりとするくらい甘い笑みを浮かべていた人物とは思えないほど明るい笑い声が帰ってきて、「先に帰って診療所でお待ちしてますよ。お願い事、聞いてくださいね」と 言うなり、割れ目から、海に消えてしまう。 なんてすばやいんだろう! 後を追いかけて海に姿を見せたが、カカシ先生の背中はもうかなり遠いところに見えるばかりだった。 (2005/9/10:) NEXT |
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