●迷子の夜



里の外れにある夜の演習場は、深い森に囲まれている。
昼間でも暗いそこは、夜になればなおさら不気味な場所だ。

ぎゃあぎゃあ…

「ひぃっ!」

ぽとり、と懐中電灯を落としたイルカ先生が抱きついてきた。
ベストを通して、どっどっど、と心臓の音が響いてきて、先生がどれほど緊張しているかが伺える。

「あっ!す、すいません!」

あわわわ、と1人で勝手に慌ててパッと離れてしまう。

「いいですよ。もっとくっついても。こう暗いと怖くなる気持ちも分かりますよ」

「馬鹿いわないでください!だ、誰が怖いもんか…」

落とした懐中電灯を拾って、イルカ先生はずんずん歩いてゆく。
アカデミー生が迷子になったと知らせが入って、イルカ先生がまっさきに呼びにきたのは誰でもなくオレ。深い森の中で二人きり…非常事態とはいえ、この展開に、にやけるな、という方が無理だ。

オレは覆面の下でにんまりと笑いながら、イルカ先生には聞こえないくらいの小さな口笛を吹いた。

ガサガサッ…!

「わぁッ!!」

イルカ先生が盛大に飛び上がって抱きついてきた。
懐中電灯が弧を描いて茂みに落ちる。
あーあ、あれじゃ、もう見つからないな。
これで、本当の暗闇に二人きり状態。分かってる?今の状況。
本当は、誰が一番危険か、イルカ先生は知らない。

ほんっとうにこの人、リアクションがいちいち面白い。
オレのベストにしがみついて子犬みたいにブルブル震えている身体をしっかり抱きとめ、可愛いお尻に手を回してかすかに撫でてもなんにも文句を言わない。
真剣な目は、その向こうを透視しようとでもいうように、まっすぐに、まっすぐに闇に突き刺さる。オレも、一度でいいから、そんな風に見つめられてみたい。どこまでもまっすぐなこの人に、いじわるな心がむくむくと広がってゆく。

「…ねぇ、イルカ先生、知ってます?この森に伝わる幽霊のお話…」

「え?」

「もう何十年も前、恋人に振られたくのいちが、こんな新月の夜に、この森の大きな木で首をくくって死んだそうなんです。でも、その魂は眠りにつけず、夜な夜な亡霊がこの森を彷徨うという怪談が…」

「…や、やめてください!嘘言わないで下さい!」

「本当の話なんですよ?目撃者が何人もいて、有名なお話です」

「…」

イルカ先生はオレの作り出した話にすっかり青ざめて腕の中で大人しくしている。
その時、また茂みがガサッと大きな音を立てて、腕の中の人がびくりと身体を震わせた。

「…迷子の子、捜さなくていいんですか?」

「は、はい。あ、懐中電灯…」

「無くなりましたよ。貴方がさっき落として」

「え…」

不安な顔に、かすかに良心が咎める。

「お互いくっついて探しましょう。俺たちまで迷子になったら困るでしょ?」

「嫌です…!」

イルカ先生は強情に首を横に振る。でも、その頬は態度とは逆に、赤い。

「意地っ張りですねぇ…、ね、じゃあ、手をつないでいきましょうか?迷子が見つかるまで」

オレが、そっと取った手が、振り払われることはなかった。 ちょっとためらいがちに俯くイルカ先生の手を引き、草むらをかきわけてゆきながら、オレは、背後の木の陰で「ふう」と小さくため息をつく影に感謝した。










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絵日記から抜粋

(2007/8/18書)




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