Touta Vol.3

小学校の運動場には雨が降っていた。中学年の男の子が一人、ぽつんと校舎の玄関口に立って、水溜りの波紋を眺めていた。下校時刻を回って、とうにほかの児童の姿はない。だがしばらくすると、背後の廊下から慌しい足音が聞こえて、もう一人、同い年くらいの少年が現れた。

「あーつかれたー。先生しつこいよ。サッカーボールなんて、ショウガクセーに選ばせんなよ」

隣に並ぶと、待たせた言い訳とも自慢ともつかない独白をする。スポーツが得意で、地域の大会で際立った成績を残し、体育教師に気に入られ、練習がない日も何かと理由を付けて残される。うっとうしさと誇らしさの入り混じった口振り。

「兜太。さきかえってりゃよかったじゃん」

「うん。でも弓美里ちゃんのお見舞いいくでしょ」

「えー。めんどくせぇ」

わざとらしい言い草にも、連れは柔らかく笑ったきりだった。

「それに明良、カサもってないし」

「てきとうにかりてくよ」

「僕持ってるから」

兜太が大きめの傘を広げると、明良はちょっと照れながら一緒に入る。幼馴染はまだ、男との相合傘なんて格好が悪いとか、特に気にもしていないのだろう。意識している自分が馬鹿みたいなので、口には出せない。寄り添って剥き出しの二の腕同士が触れると、冷えた肌の感触が伝わった。初秋から中秋にさしかかる頃。半袖を着てきた子供は、日によって不意の寒さに震えるはめになる。弓美里は熱まで出した。

「なぁ。ずっとあそこいた?」

「うん」

「さむくねぇの」

「うん…なんか、とちゅうからさむくなってきたけど…」

「ばかだなぁ。中入ればいいのに」

「とちゅうからそう思ったけど、めんどくさかったから」

面倒くさいなんて、本当のところ、あまり兜太が使わない言葉だ。明良はぼんやり傘の裏地を見上げて、むずむずする鼻をこすった。くしゃみが出る。

「明良こそやばいんじゃない?」

「…まじだ…はは…はやく行こう」

多分、兜太は辛抱強い。何かに気付いたり、理解したりするのは遅いけれど。

サッカーのオフサイドを説明してやも、弓美里はすぐ分かったのに、兜太は時間がかかった。でも静かに耳を傾けていて、最後にちゃんとまともな質問をした。途中で飽きたり、自分の話を始めたりしない。ちょっと大人みたいなところがあった。明良が前に家へ遊びにいった時に会った、兜太の父親によく似ていた。ほかでは口数の少ない弓美里も、兜太を聞き役にするといつまでも楽しそうにお喋りしている。うんざりして明良が話題を変えるまで、ずっとだ。

「お前、変わってるよな」

「え?」

「すげー変わってるかも」

「え?え?」

背の高い方の少年は、低い方の肩を抱いて、急に笑い出すと、傘の柄を掴んで、引っ張るように雨の中を走り出した。


辛抱強さ。遅さと鏡合わせの取り柄といえたのかもしれない。

無数の火柱に照らされた夜の森の奥。刃の堕刻使いは、茫洋とした表情のまま、度重なる淫戯に困憊した体を、なおも真直ぐに保っていた。

風凪の刺客は、勝ち誇った笑みを浮かべて捕虜から手を離し、妖精族の女戦士へわずかに歩み寄る。合図とともに、幾十もの猿が獲物へ殺到した。

待ち望んでいた一瞬。ぼんやりしていれば、そのまま過ぎ去ってしまっただろう。だが辛抱強く耐え、機敏に反応しさえすれば逃すはずもない機会。

少年は滑るように動いた。右腕から刃を生やし、己のセーラー服の胸を四角く切り取って、心臓の真上に貼り付けられた爆弾を外す。雷管代わりの術符を寸断すると、次いで場にいるすべての猿から同様に死の玩具を取り除いていった。続けて一匹一匹の鼻面に几帳面ともいえる精密さで浅く斬り付ける。

ほとんど止まった時の中、溶けた飴のように重くなった空気を切り開いて突き進み、目に付く危険を残らず片づけると、二人の女のあいだに割り込む。どっと疲労が増して、突っ伏しそうになるのを、どうにか堪える。蓄えていた力の大半を使い尽くしたが、誰にも気取られる訳にはいかない。

時の流れが戻ると、辺りには旋風が巻き起こり、暗示に操られた獣はいずれも顔から血を飛び散らせて、もがきながら地に落ちた。

「…ほう…薬に耐性ができていたのか…いつからだ」

手長足長は感心したように呟く。同じ堕刻使いとして、兜太の神速の身ごなしを捉えていたらしい。だが邪魔はできなかった。堕刻によって高まる能力には個々に差があるのだ。

「降参して下さい。リムと僕二人に、あなたは勝てません」

「ああ。睦み合いを記録している最中からだな…一対一では勝つ自信がなかったか。あの腰の振りよう、思った以上の女優という訳だ」

「トウタはお前を殺したくなかったのさ」

リムマーヤは莞爾として、相棒の隣に並んだ。

「宿主を生かしたまま堕刻の力を奪えるのは私だけだからな」

「くくく…そうか。お陰で人死にが増えねばよいがな…猿ども!」

第ニ波、第三波の猿が押し寄せる。刃の堕刻使いは、かすかにふらつきながらも、スカートを翻して走り出すと、易々と獣から爆弾を切り離す。不利を悟った風凪の刺客は、即座に退却を始めた。右腕が異様に縮み、その分だけ左腕が伸びると、高みにある椎の枝を掴んで樹上に跳び上がる。

だが、雑魚に構わず済むようになった妖精族の戦士が、すぐさま標的に肉薄した。飛翔の呪文が長躯を宙へ運ぶと、斧の一閃が、逃げる魔人の鼻先をよぎる。

二人の女は、それぞれ鳥のごとく枝に泊まって睨みあった。

「おやぁ…儂を殺す気か?」

「うっかりしていた。トウタにはあとで手違いを謝っておかないとな」

「ちっ、図に乗るな!」

再び毛むくじゃらの腕が長く伸びて、葉陰に隠れたロープを引っ張る。木々の奥から爆弾のつぶてが唸りとともに飛来する。リムマーヤは上半身をねじって躱し、腰の回転をそのまま腕に伝えると、長柄の斧に弧を描かせ、振り子の要領で横薙ぎに払った。

手長足長はぎりぎりまで引きつけてから、斜め後ろへ跳んで避ける。背に置いていた樹に斧を食い込ませようという目論見だった。だが異界の刃は、ふたかかえもありそうな樫の幹をあっさりと切り倒した。

算を乱した魔人の喉元へ、猛烈な斬撃が追いすがる。

「止まれ!!!」

堕刻の力を帯びた命令が、ぎくりと女戦士を凍りつかせる。しかし一秒も経たぬうちに、褐色の豪腕は筋肉を波打たせ、再びじりじりと斧を敵の首筋へ押しやり始めた。

利きが悪い。やはり付け焼き刃の操りの技は、かつて数百人を殺し合わせたという訪礼弓美里には遠く及ばなかった。顎の真下に凶器を当てられた手長足長は、椎のざらついた樹皮を背を押し付けながら、身を強張らせた。

「止まれ!武器を捨てろ!」

「教えて…やろうか…サル女」

少女の浅黒い容貌が引き攣った笑みを作る。暗示に抗って喋れるのだと証明するために、無理矢理頬の筋肉を動かしている。ひどい痛みのはずだが、まるでそれを感じさせなかった。

「宿主が…堕刻を…選ぶんじゃない…堕刻が…宿主を…選ぶ」

「武器を捨てろ。お前は儂を殺せぬ。大事な兜太が望んでいないだろう」

だが妖精族は刺客の惑わしに応えず、淡々と台詞を続けた。

「…お前の技には…無理があるんだ…ひとり…ひとりの…心の在り様が…違うように」

「兜太を悲しませるな。刃を外せ」

「堕刻の在り様も異なる…お前は…堕刻の求めに…耳を傾けず…型にはめて…使おうと…した…それは堕刻の…対極にある…」

「くっ…死ね!自刃せよ!」

がくんと腕が止まる。リムマーヤの顔から笑みが消えて仮面のようになると、斧がするすると引かれて、使い手本人の鎖骨の上へ当てられる。手長足長は狂喜した。

「そうだ…そうか。お前の望みは死…解放だな…そのまま首を刎ねよ。さすればこの、憎しみに満ちた世から自由になれるぞ。仲間の元へ逝ける」

「だめだ!リム!」

木の根元の辺りから、少年の呼びかけが届く。わずか数分で、あまたの獣を残らず打ち伏せて、相棒のもとへ辿り着いたのだ。少女は、頬に張り付いていた氷が溶けたかのように、柔らかく微笑むと、再び目にも止まらぬ疾さで、敵へ刃を突きつけた。次いで片手で柄を短く持つと、もう片手を空け、人差し指と中指をそろえて、ぴたりと操り師の額へ押し当てる。

「私の望みはもう、死じゃない」

「いや、死ぬのだ。死を恋しく思っているはずだ」

「無駄だ。まだ分からないのか。堕刻の声に耳を傾けない限り、お前にはもう、まぐれ当たりもない」

「黙れ。死ね。命を断て!」

「しょせんはヒトか。堕刻の真価も理解せずに死ぬとは不様だな」

「くっ…」

風凪の刺客は、燃える瞳で妖精族の女戦士を凝視しながら、投げつけられた嘲罵を反芻した。確かに刃の堕刻使いが発揮した力に比べ、暗示の効果はいささか弱かった。あの少年にしても完全に堕としたはずなのに、戯れに連れと再会させた途端にするりと逃げられた。足りないのか。何かが。

手長足長は焦る心を抑えて目を閉じ、己の内にあるはずの護符に念をこらした。額に疼きが集まり、意識が遠のいていく。頭の奥で何かが蠢く。

だしぬけに瞼の上から眩しさを覚えて、魔女が目を見開くと、褐色の娘がにんまりして小さな金属の欠片を摘み取っていた。そのままぽいと梢の辺りまで放り投げると、愕然とする敵をあとに宙へ躍る。

「しまっ…」

身を乗り出す手長足長を振り切り、リムマーヤは堕刻とともに虚空を降りながら、片手で印を結ぶと、もう片手に斧を構え、高らかに唱えた。

「罪深きもの、欲深きもの、歪められしもの、堕刻よ、我咎人たるエリザルの裔として、汝と、汝の中の罪とを打ち砕かん。邪悪なる堕刻よ。邪神の戯れの塊よ!!」

「やめろぉおおおおおお!!!」

欠片が大地に落ちる瞬間、斧の背にある鶴嘴の尖端が打ち下ろされ、火花を散らす。はるか地の涯から、この世ならぬ断末魔の叫びが起こり、森に谺した。

手長足長は、魂が引き裂かれるような喪失に慟哭すると、操っていた猿そっくりに跳ねて木々の上を遁れていった。葉群を駆け抜けながら、仕掛けという仕掛けを作動させ、出遅れた二人の敵に紅蓮の置き土産を残していく。

天地を揺るがす爆轟に耳を打たれ、万象を滅ぼし尽くす焔に肌を炙られながらも、風凪の刺客は、己の内側にぽっかりと開いた虚無に凍えた。


「リム!こっち…っ…」

セーラー服の少年は何かを伝えようとする仕草をしてから、途中でうずくまってしまった。肌も露な戦装束をまとったダークエルフの娘が、すぐに走り寄って抱き起こす。

「…トウタ」

「あは…ごめん…早く…」

「分かってる」

リムマーヤは兜太を横抱きにすると、稲妻の迅さで森を突っ切っていった。確実な脱出路はただ一つ。手長足長のたどった道筋に沿っていくのだ。燃え盛る幹が倒れこむより先に下を潜り抜け、もうもうと立ち込める厚い煙の壁を破り、炎に紛れて見失いそうになる赤い光点を追いかける。狩りの術はまだ効果を残していた。

幾度か、業火に包まれて落ちかかってくる太枝を、少年の右腕がばらばらに刻んで撥ね退けた。しかし徐々に、炎そのものが前を阻み、真直ぐに進むのが難しくなる。やがて羚羊の如く馳せていた浅黒い両脚が止まる。紅蓮が高い壁となって二人を遮っていた。

「く、あの女最後の最後まで…」

「降ろして…僕が…炎…斬る…」

少女は迷った。他に術はない。だが明らかに相棒は消耗しきっていた。

「大丈夫…だから…」

「待て、私が何とか…」

咳き込む。一方には堕刻の加護、一方には妖精の魔法の防御がある。煙に巻かれててもしばらくなら気を失ったりはしない。だが火は空気から活力の素を奪い去り、毒を混ぜていく。長く耐えられる訳ではない。

リムマーヤは切なげに兜太を見下ろした。連れだけでも助ける方法はないかと思案する。

「リム…変な事考えないで…」

「分かってる…」

転移の術。できるだろうか。あれは村の長老が何人もで準備をして行う。反動が大きく、扱いは難しい。だがごく短い距離ならば、このちっぽけな体を森の外れへ運ぶだけならば。

「リム…」

「少し黙っていてくれないか」

娘は柳眉を寄せて、複雑な唱句を思い出そうとする。だが少年はむずがる赤児のようにもがいて、また告げた。

「でも…聞こえない?」

問いかけられて、長い尖り耳が震えると、樹液の爆ぜ音と熱風の唸りの彼方から、無数の金属の板が空気を打つ重い響きを聴き取った。知っている。確か人間の作った空飛ぶ機械が立てる騒鳴だ。

「ヘリだよ…」

エルフが人間に教えられるとは。女戦士は苦笑いすると、肩の力を抜いた。もう周囲に迫る炎も恐ろしくはなかった。やがて、人間が消火剤と呼ぶ薬が無遠慮に撒かれ始める。下に誰かいると知っているのか知らないのか。しかし板が空気を叩く音は着実に二人の方へ近付いてくる。

目を凝らすと、薬を撒くヘリが三つ、ずっと大きなヘリが一つ、かなり低空に浮かんでいるのが見えた。大きな機体からはロープがぶら下がり、梢より高くに揺れている。あそこまで行って掴まれというつもりか。リムマーヤは、こういう粗雑な救助方法を考えつく者を一人しか知らなかった。

「…よりによってあいつが来たのか」

「リム?」

「分かってるさ。”溺れるものはドラゴンの尾も掴む”」

最後だけ故郷の言葉で呟くと、相棒を抱えたまま地を蹴って、飛翔の呪文を唱える。目一杯の魔力を込めて、跳躍すると、ほとんど奇跡のような正確さで索の端を捉える。するすると登ると、やや呆気に取られながらも入船院の職員が引っ張り上げてくれる。

「無事で何より」

貨物室の奥から、不機嫌そうな声がする。チャイナドレスをまとった、リムマーヤと同い年ぐらいの少女が、綺麗に脚を組んで座っていた。肌にぴったりとした絹の布地は豊満な胸やくびれた腰を浮き立たせ、年に相応しからぬ色香を漂わせている。とはいえ眼鏡ごしに覗く双眸は剣の如く鋭かった。

「さて…ちっとも私の活躍がなかった訳だが。どう釈明する」

なじるような口振りに、煤だらけの妖精族は相棒を抱いたまま歯を剥き出して応じた。

「貴様!貴様はもっと手下をしつけろ!イリフネインのいきあたりばったりな策のせいで、トウタは…トウタは…」

「ふうん。写真で見るより似合ってるな。女装」

「しゃし…」

「うちの連絡員が送ってくれた。ご馳走様。そうか…後ろの処女はとられてしまったか…いずれ私がと思っていたが」

「はあああ!!!???」

少女は素頓狂な叫びをあげてから、胸元へ視線を落とすと、幸いにというか、年下の少年は眠り込んでいた。緊張が解けたためだろう。一瞬、口元を緩ませてから、慌てて表情を引き締めると、入船院の総領に向かい合う。

「二度とこんないい加減な話には乗らないぞ」

「ああ。大丈夫だ。この件を差配した男は処分した」

「ふん。手回しがいいな」

「それなりに優秀な人材だったのでな。向こうニ十年間は北極圏で幻のレン高原を探す業務に勤しむだろう。あれは南極だという噂もあるが確かめてみないとな。しかし詰まらない。台湾で新しい武器を買って即、とんぼ返りしてきたというのに。使う機会もないとは」

古い漢字でびっしり埋まった扇をひらひらさせながら、龍宇華はかたえを向き、窓の外に広がる炎の森を眺めやった。

「本当に残念だ。間宮兜太を傷付けた女は私の手で嬲り殺してやりたかったが」

リムマーヤは唇を咬んで、首を振った。

「トウタは望まなかった。だから生かした」

「おやそうか?だが、どちらにしろ、屍鳥羅は失敗を許さない。生かしたところで意味はないな…それに」

「何だ?」

「入船院も許さんな」

眼鏡の少女はにっこりすると、秘密めかして扇で顔を覆った。


手長足長は盲滅法に走っていた。後先考えずに作動させた罠から熱と烟を受けて、耳も目も鼻も、五感の一切がまともに働かなくなっていた。だが命にかかわる傷は負っていなかった。堕刻を失った苦しみだけは執拗に胸を苛んだが、狂うほどではなかった。殺戮と拷問の修羅を生きてきた刺客にとって、あらゆる絶望も悲嘆も、精神の破滅をもたらしはしなかった。

「また…手に入れてやる…新しい堕刻…何度でも…儂は…諦めぬぞ…あの女と小僧を殺すまで…そして…屍鳥羅を…」

だしぬけに風切り音がして、揺れる乳房のあいだに矢羽が生える。女は膝を折って、信じられぬという面持ちで突っ伏した。ややあって正面の茂みを掻き分け、ひょっこりと男が頭を出す。ぼろぼろのスーツに、ひび割れた眼鏡。そこかしこに怪我をしているが、動きに支障はみられない。獲物に近寄ると、無抵抗の骸に弩を向けて、丁寧に体幹へと矢を撃ち込んでいく。

「これは広岡さんの分、これは佐藤さんの分、これは岩波さんの分。これはえーと、立川くんの分。足りなくなってきたな。とりあえずこれは愛車の分」

矢筒が空になると、てきぱきと武器を鞄に仕舞う。あとは屍を眺めながら、職場から出た不燃ゴミをどう片づけようかと考え込む風に顎に手をやる。

「まぁいいか。本家に連絡入れておけば…」

胸ポケットから爆発の中でも死守した携帯電話を取り出すと、短縮ダイヤルを押す。

「あ、もしもし菅沼です。こちらこそお疲れ様です。はい。終了報告です。ええ。予想針路に出ました。で清掃なんですが…え?ああ、いや県警は来ますよすぐに。いやそれはないですね。向こうはちゃんと調べますから。お願いします。あ、硝安?出た?じゃぁ資料を、ええ、共有フォルダのところに上げといてもらえれば、あ。そうそう、そこで大丈夫です。打ち上げ?いやー明日は報告書でいっぱいっぱいで。週末なら…広岡さんたちの通夜もあるからなぁ…こっちで考えときます」

通話を切ってから、死んだ女をぐるりと仰向けにする。かっと見開いた瞳は怨念を含んで無を睨んでいた。菅沼は瞼を閉じさせると、合掌して特に信じてもいない仏に極楽淨土への案内を願った。

やや申し訳ない気持ちもあった。恐らく間宮兜太とリムマーヤは、敵を殺さずに堕刻を破壊するために苦労しただろう。しかし入船院としては仇を討つのも義務ではあったし、実際のところ慈悲をかけてもあまり意味のない相手ではあった。

「…しかし、やっぱり長生きできない職場だな。風凪って」

引き抜きの件は考え直そうと、入船院の連絡員は決めた。表向き今の仕事を続けながら風凪に情報を流すだけで高収入、というふれ込みだったが、どうも広岡などは先に寝返りに応じていた節がある。挙句に屍鳥羅から思いがけないボーナスを貰って、あの世に旅立ってしまったのではないか。

「でも入船院も長生きはできそうもないんだよな…」

弩一つに戦闘機ほどの開発費をかけられるというのも、本家に限った話だ。下端は業務車両に複合装甲と耐爆ガラスを入れるだけで、さんざん予算とりに骨を折らねばならない。苦労して改造しても一度の事件でおしゃかになり、補充はめったにない。

やれやれどうしたものかと首を捻りながら、来た道を戻ると、爪先が何か固いものを蹴る。無造作に拾い上げると、金属の板だと分かった。

「あれ、これはあれだな」

間違いない。資料写真で幾度も確認している。本家に連絡を入れようとまた携帯電話を取り出しかけ、ふと手を止める。

「…ふぅん…」

菅沼は欠片をポケットに収めると、珍しく鼻歌などを歌いながら、足取りも軽く歩いていった。

次の地獄へ。

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