Slime Girl Vol.1

午後になって空は灰がかってくもり、風もわずかに湿りをふくんでいた。

しかし焼け野跡の雑木林にはまだ、午前にさんさんと照っていた日のぬくもりが残っている。

雨が降り始めるまで、若干のいとまがありそうだった。青いきれのこもる大気にはなお、のんきに恋をことほぐ紛雲雀まがいひばりの歌が行き交っている。

地上では、おいしげった下生えがやかましい音をさせて揺れている。餌を探す獣にはあらず、ぶかぶかの野良着をまとった子供がひとり、つたや枝をかきわけて歩いていた。時折、確かめるようにこずえのむこうを仰いではまたすぐうつむき、せきこんでから、注意深く四方に視線をめぐらせる。

間もなく、昔の山火事で朽ちた蛇松へびまつの樹の、うろこだらけの根元に、白いふちどりのある羽衣茸はごろもきのこを見つけ、足を止めて根ごと引き抜き、背に負ったかごにほうりこんだ。

くさむらのあいだに横たわる倒木や、ななめに傾いた幹には、天からの恵みを待ちかねるように、ほかにも赤や黄や黒の形も大きささまざまな傘がひらいていたが、小さな手足は慣れた所作で、あやまたず目当ての種類だけを集めていく。

どれだけ時間が過ぎたろうか。こずえのあたりを騒がせていたさえずりが急にしずまりかえる。

頭巾をかぶり、口元に樹皮紙きがわがみを巻いた容貌がふとまた上がって、正面をにらんだ。きゃしゃな指が、額までおりていた布をつまんで、細い首のうしろに押しやり、艶やかな黒髪と黒目、焦茶の額をさらした。とがった耳までもがあらわになって、かすかにうごめく。

そばで翼が空を打ち、黒い影が何羽も飛び立つ。鳴き合う甲高い叫びは、のどかさのかけらもない警戒の響きだ。

幼い茸採りが身構えるうち、目の前のしげみが揺れて、いきなり真ん丸い塊が跳び出した。

透明な水玉。朝露を千倍にも万倍にも大きくしたような、美しい輪郭。雲を通してとどく弱い陽射しにさえ、まばゆいばかりにきらめき、おもてはかすかに虹の光沢をはね返している。およそ獣とも虫とも似つかないが、はっきりと命に満ち満ちていた。

奇妙な雫は、小きざみに震えつつ、うずくまるようにして動きを止める。

童児はしばし呼吸を忘れて魅入ってから、我に返った。眼差しをそらさぬまま、あとずさりをして遠ざかる。ある程度、距離があいたところで、きらめく塊はかなしばりが解けたかのごとくおどりあがって、来た方とは別のくさむらにもぐりこんだ。

ほっと胸にたまった息を吐きかけた少年は、また急に身をすくめ、あわてて頭巾をかぶりなおした。

今度はさっきよりも大きく潅木がきしみ、枝の折れる音とともに、人の姿があらわれる。背の高い壮年の男で、革の鎧の上からも分かるたくましい肩の後ろに、剣の柄がのぞいている。鋼の双眸は猛禽を思わせ、唇は巌のごとく固く結んでいる。

「こんにちわ」

さきんじて茸採りが挨拶すると、戦士はかすかに目をすがめてから無言でうなずぎ、低く尋ねた。

「お前、魔物を見なかったか。大きな水の雫のようなかたちをした」

深くうなだれながら、少年はあっさりと答える。

「見ました。あっち行きました」

だが示したのは、あさっての方角だった。男は細い指の差す先を一瞥してから、おもむろに頭巾の上に凝視を注ぎ、あらためて話しかけた。

「お前、何か…」

だが言い差したところで、やかましくしげみが鳴り、さらに数人の男が転げ出てくる。いずれも童児と同じく野良着をまとい、布で顔の下半分をおおった、地元のいでたちだ。

「旦那。見つかりましたか」

「もうすぐ雨になりますぜ」

口々にわめいていたが、ふとずんぐり太った一人が、ほかに誰かいるのに気づき、たちまちいきりたった。

「合の子か。こんなところで何してる。魔物とかかわりでもあるのか」

少年は足元を見つめながら返事をしなかった。戦士は表情を動かさず、連れを眺めわたして訊いた。

「合の子とはなんだ」

「このがきでさ。おい。そいつをとって耳を見せろ」

とげとげしい命令に、子供はみじろぎをしてから、頭巾をはね、褐色の肌とふせがちにした三角の耳を見せる。でぶは舌打ちをして言い募った。

「村外れの茸採りが、よそものとつるんでできた子でさ。親父は魔物だってうわさもある。おい、あの魔物とかかわりがあるんじゃないのかお前」

「知りません」

短い返事をして、童児はだまりこくった。戦士はしげしげと観察してから、振り返って告げる。

「ひとまず戻ろう。奴は人の体液や屍に惹かれる。神殿裏の墓地あたりに罠を張るとしよう」

「そうしましょう」

「雨を避けるのに早すぎるってことはない」

村のものは次々に同意したが、小太りの男だけはおさまらぬようすで食い下がった。

「このがきはどうします。合いの子ふぜいがずいぶん生意気な態度だ」

「放っておけ」

剣を帯びた壮年は吐き捨てて、風のような早さで元の道を戻っていく。ほかの連中もあわてて従ったが、しんがりに残ったでぶだけは、わざと仲間に遅れると、行きがけにいきなり少年の頬を張った。勢いで口元をおおう紙がはがれ落ち、あどけなさの残る容貌があらわになった。

倒れ伏す異貌の子供に、小太りの男は唾をはきかけてから、いまいましげに罵る。

「覚えておけよ。あとで茸酒屋きのこさかや来たらきっちり仕置きをしてやるからな」

相手は足音も荒く男が立ち去ったあと、幼い茸採りはしばらくじっと動かなかったが、ややあって大人達の気配が完全になくなったところで、とがった耳をうごめかし、半身を起こした。せきこむと、唇の端には血が滲み、まつげのはしには涙がたまっていたが、整った面立ちは平然とした様相を保っていた。

不意にくさむらが揺れ、またあの水玉が頭を出した。

最前とは打って変わった大胆さで、すくむ少年のそばへ近づくと、溶けた飴のように体のかたちを変え、透き通った触手を一本生やし、するすると伸ばす。きらめく先端が、傷ついた唇に触れると、うずくまっていたきゃしゃな四肢はわずかにおののいて、こわばり、やがてまた力を抜いた。

「血…なめてる…」

冷たく濡れた感触がうずく部分をまさぐり、血をぬぐいとるのを、童児はあらがいもせず受け入れた。しばらくして生きた雫は触手を引っ込めると、ほんのり朱の混じった艶やかな体を伸縮させ、さざめくような音をさせる。

幼い茸採りは、痛みが失せているのに気づき、思わず指で触れて、痕さえなくなっているのを知った。

「治った…」

透明な塊を見下ろし、小首をかしげると、とつとつとつぶやく。

「ありが、とう?」

とたん、水玉は意味が分かったかのように跳ね上がってみせた。少年はあわく相好をくずしてから、立ち上がって草の葉や土をはらいおとすと、樹皮紙を口元に巻き直し、かごを揺すりあげる。

「さようなら」

ていねいに挨拶をして歩き始めた。すると水玉はすぐに弾みながら付いて来る。

「だめ」

かえりみた童児は、鋭く制してから、足を急がせる。だが生きた雫は変わらず追いかける。

「もぉ!だめっ!」

叫んで駆け出し、ついにじぐざぐに走って振り切るようにしながら、いとけない口元からはあえぎがこぼれ、短いせきのあとで、さらに爆ぜるように笑いがあふれた。

ほがらかなこだまが緑の丘に響き、延々と長く尾を引いて、ゆっくりと消えてゆく。次いで最初の雨の滴が、大地を叩き始めた。


とっぷりと日が暮れてから、少年は家に戻った。ただいまと挨拶もそこそこ、半乾きの野良着を干して、あわただしく家事を始めるのへ、奥からせきとともに、弱々しい声がおかえりと応じた。

「エラン。遅かったね」

「雨やむの待ってた」

「そう。茸酒屋さんのところで?」

「うん」

エランと呼ばれた子供は言葉すくなに答えながら、ねやの窓辺にある丈の低いろうそくの灯を入れる。

薄闇がしりぞき、ほのあかりの中に、どくろのように痩せ、青白い肌をした、髪もまばらな女が浮かび上がった。粗い寝巻きをつけたなりは、いかにも貧しげだが、あばらの浮いた胸元には、夜がこごったような濡羽玉ぬばたまを水晶の円筒に閉じ込めた、変わった首飾りがさがっていた。

「暗かった?ごめん」

少年のおとなびたいたわりに、女はかすれた、やさしげな返事をする。

「へいき。お母さん夜が好きだから」

「そっか」

あどけない頬がゆるみ、大粒の瞳があかるく灯を反射した。

「ねえ山羊の乳買った。おかゆに入れる。好きでしょ」

「贅沢」

母は、撫でてやろうとするように木の枝のような腕をあげようと試み、力なく落とす。幼い息子はすぐに手を伸ばして、そっと骸骨じみた指をにぎる。

「お薬も飲みやすいよ」

「お乳はあなたが飲みなさい」

「飲むよ。でもおかゆにも入れる」

うけあいながらも、台所に戻ったエランは、錫めっきの缶に入った中身のほとんどを、鍋で煮える雀麦すずめむぎに注ぎ入れる。木炭の火の香りと、質素な食事の匂いがただようと、女親は横たわったまま首飾りにつらなる円筒をいじり、眉根にしわを寄せてから、せきばらいをし、はなれたところから話しかける。

「エラン。ごはん作りながらでいいから聞いてちょうだい」

とがり耳の子供は、木さじでかゆを慎重にかきまわしつつ、聞き返す。

「なに?」

「お父さんのこと。今のうちに話しておきたいの」

「きこえなーい」

わざとらしいほど大声をはりあげて、童児は鍋を横へうつし、木の碗によそっていく。ちょっと考えてから、袋から砕いた黄色の甘胡桃あまぐるみをすくって散らす。

ろうそくが四、五回またたくあいだ、母は唇をつぐんだが、厚での樹皮紙をはった窓に視線を遊ばせ、重たげに舌を動かす。

「エラン」

「きこえないったら」

「そうじゃなくて、そとにおともだちが来ているみたいだけど」

「え?」

少年はとっさに台所に掛かった野菜切りをつかみとると、足音をしのばせて木戸に近づき、かんぬきを外して、そっとあける。はじめははっきりしなかったが、注意をこらすと、窓のところに透明な塊がはりついているのが分かる。奇妙な輪郭には覚えがあった。

「どうして」

ぽかんとした面持ちで扉をひらき、歩み寄ると、水玉もあっさり身をひきはがし、地面に落ちて、跳ねながら間合いを詰めてくる。

くすっとしそうになったエランは、ふと家の中を見やってから、固い口調になって告げる。

「うちに、屍なんかない。誰も、死んでない」

生きた雫は、樹皮紙の窓からこぼれるろうそくの光を吸って、冥々とかがやき、しばらく伸び縮みしてから小きざみに震え、やおら、さざめくような音をさせた。高さの異なる無数の響きが同時に波のように広がり、重なると、和して、一つの旋律を織り成す。

「エラン」

はっきりと言葉になっていた。少年が目を丸くすると、透明な塊はおどりあがりながら、何度も振動し、同じささやきを繰り返す。

「エラン、エラン、エラン」

「こら、だめ」

だまらせようと両腕をさしのべたところで、野菜切りをもったままなのに気づく。せきこみ、よく研いだ刃をにらんでから、指先に近づけ、茸採りと家事とに荒れた肌膚を裂き、血の滴が盛り上がるのにまかせて、水玉に差し出した。

「血をあげるから、帰って」

生きた雫は連呼を中断すると、昼に林で会った時と同じく、透き通った触手を伸ばして傷をなめとり、またたくうちに癒していく。

「帰って」

「エラン」

また名前が響いたので、童児はせまい肩をそびやかし、耳の先を立てたが、窓の向こうから母が話しかけたのだと知り、小さな鼻から息を吐いた。

「なに」

「おともだちに上がっていってもらいなさい。よければご飯もいっしょに」

「おそいから、もう帰るって」

奇妙な客を、手ぶりで追い払うようにしながら、少年は戸口へさがる。

うながしのままに、水玉は弾んであとすさり、あかりの外へ逃れはしたが、しかし家のすぐそばに生えた古い洞樫うつほがしのそばまでしりぞくと、気根のすきまにわだかまって、屋内から伝わる物音や会話にじっと聞き入るようだった。

そのまま一刻ばかりが過ぎたろうか。灯が消え、しじまが濃くなっても、生きた雫はもはやどこへも行こうとしなかった。

森々とした夜空に大鎌の星座が昇って、どこかで四角梟よつかどふくろうが鳴き、深更に咲く麝香草じゃこうそうが燐の花粉とともに獣じみた薫を放つ頃、漆だまりのような影に漬かった透明な塊は、誰の眠りも醒まさぬよう、そっとまた呟いた。

「エラン」


払暁とともに、少年は母がみまかったのを知った。冷たくなったむくろのそばに、沢山の血がこぼれていた。胸から吐いたのだろうと分かった。最期はずいぶん騒がしかったはずなのに、疲れすぎていてまるで目が覚めなかった。

生きていたころから、むくろのようだった指が、首飾りの円筒をつかんでいた。水晶の中に黒い珠が収まって、まるで誰かの瞳のように見える。

エランは、しばらく歪んだ死に顔を眺め入って、せきをしそうになり、母にかからないようにかたえを向くと、ちっぽけな背を丸めて二、三度痙攣させた。落ち着くと、とがり耳を垂らしたまま、はたらき始める。

屍の筋が硬くなるまえに四肢をのばし、まぶたを閉ざした。汲みおきの水を桶にうつし、清潔な布をとると、服を脱がせ、肌をすみずみまで洗いきよめ、わずかな頭髪をくしけずる。命を失った親の身は驚くほど軽くなっていた。日ごろ沐浴の世話をしていた経験も助けてくれた。

油を塗るよう教わっていたが、切らしていた。経帷子もなく、母が大事にしていた春着をまとわせた。首飾りは胸に載せておく。

朝から昼にかけ、あれこれしくじりながら支度をし、ぐったりした童児は、しばらく屍のそばでうつらうつらしてから、眼をあけて立ち上がった。

「ちょっと行ってくるね」

野良着をつけ、窓を板で塞ぎ、戸をきちんと閉めてから、頭巾をまぶかにかぶって集落の中心へ通じる踏み分け道をたどる。昨日の雨が嘘のように晴れて、蒼穹には雲ひとつなかった。どこかでまた紛雲雀が楽しげにさえずっている。

焼け野跡の端を過ぎて、うねる畑のあいだを抜け、しばらくすると、神殿の石造りの建物が低い丘の上にあらわれる。

裏口に回ろうとして、墓地の方に人が多いのを見て取る。しかし葬儀のようではなく、剣を持った男があれこれと村のものに指図をしているらしかった。少年はあえて正面に回り、扉の両脇を守る像に目礼をしてから、頭巾をはねて中へ入った。

初老の祭司は、日課をするのでもなく、聖壇の前を行き来していたが、エランを認めると渋面を作った。

「何かな」

問いかけにこもる苦々しさを、小さな茸採りは敬虔にうなだれてやりすごし、おもむろに述べた。

「母が死んだのでお墓に入れたいです」

神殿の主は大きく目をひらいてから、幾分おだやかな話ぶりになって応じた。

「そうか。しかし何度も言ったが、茸採りは墓地には入れられん。別の埋葬所があったはずだぞ」

「知りません」

せきをしつつ、エランはおだやかに言う。稚いのどからもれる乾いた音を耳にしたとたん、老人はひきつった面持ちになって、まくしたてた。

「お前に伝えなかった母が悪い。とにかく、神殿では何もしてやれんぞ」

少年は拳をにぎりかためてから、ひらき、一歩前へ進んだ。

「あの。それなら、くるまと、つるはしを貸してください」

「いや…」

ためらう祭司にむかって、わざとらしくせきこみながら、にじり寄ってたたみかける。

「きれいにしてかえします。火であぶって。きれいな水であらって」

老人は両手を挙げて降参するようなしぐさをした。

「分かった。分かった。墓守は今、いそがしいようだから、勝手に持ってゆけ。しばらく神殿を訪なうな。特に霊園の方はな」

うべなったエランは、すばやくきびすをかえし、きちょうめんに目礼して建物の外に出た。頭巾をおろすと、墓地のはずれの物置に歩いて行く。鍵はかかっておらず、必要な道具は無造作に並べてあった。

重いつるはしと円匙えんしを引きずるようにして運んでから、台車につんでひっぱると、びくともしなかった。息を整え、顎を噛み合わせ、耳をまっすぐ立て、体の重みをすべて前に倒すと、ようやくきしみながら車輪が動きだす。

犬歯を剥いて、うなりながら、進んでいく。少年の矮躯は遠目には映りにくく、墓地ではたらいていた男等のいくたりかは、台車がひとりでに道をくだっていくかのごとき見える光景に、あんぐりと口をあけた。

けれども、幼い茸採りは振りかえるゆとりはなかった。帰宅するまで一度も休まずのろのろと歩き続け、日が傾く前に戸の前に台車をつける。

屋内に入って、碗に水をすくって呑むと、また母のむくろのもとで、わずかに睡んでから、泥のような疲れをふるいおとし、立ち上がると、ひどく軽いむくろを掛け布でしっかりとくるんで、抱き上げ、よろけながらおもてに向かった。黒い木板にそっと横たえると、頭巾もおろさず、口元に樹皮紙を巻きもせず、さっきよりわずかに重くなった台車をひいて、焼け野跡へ向かう。

家からあまり遠くないところに、紫羅欄花あらせいとうが群れ咲いている一角があった。あたりには茸もあまりない。少年はつるはしをひきずりおろして、目的の場所まで持ってゆくと、ふりあげようとして、力が足りないのを悟った。肩で息をしながら放り出し、取って返すと、円匙をおろして来る。苦労して地面に突き刺してから、上に両足を乗せて沈めると、うめくように呟く。

「お母さん」

とがった耳を立て、犬歯を剥くと、きゃしゃな四肢に不釣合いなほどの膂力を発揮し、土をえぐっていく。

幾度も、幾度も。

とうとう、大人が横たわれるほどの窪みが掘れる。浅さからして、とうてい山犬や針猫はりねこが荒らすのを防げそうもないが、エランはひとり合点のようにうなずいてから、耳を伏せ、台車から掛け布に巻いたむくろを抱えおろし、運んで、うやうやしくに穴の中に置く。

ひざまずいてしばらく祈ると、土を埋め戻し、平らになったところで、上に小石を載せていく。

もう日は沈みかけ、焼野跡の向こうの菌の森にはうっすら霧がかかっているようだったが、少年はわきめをふらず礫を拾い集めては、塚に積む。あまり高くならないうちに、黄昏がすべてを金色に染め、ついで宵闇が藍色に塗り直すと、最後に漆黒がすべるように木々や草花や大地を飲み込み始めた。

エランは手足がうまく動かないのを感じて、せきをひとつし、できかけのままの親の墓を、這うようにして離れた。台車もつるはしも円匙も捨て置いたまま、もうろうとしながら来た道を引き返す。ちっぽけな姿態が、あたりにあつくたれこめる夜の幕布に紛れて消えると、ただ時折のせきをする音だけが、徐々に塚から遠ざかっていった。

人の気配が消えて、ほどなくし、するどい毛並みの針猫が一頭、からまりあった解柳ほつれやなぎのあいだから姿をあらわした。乱れ咲く花を踏みしだき、鼻をひくつかせて、音もなく石積みに近づき、らんぼうに礫を押しのけて掘り返そうとする。

「エラン」

だしぬけに、どこからともなく声がした。針猫は全身のとげを逆立てると、甲高く吠えて周囲をうかがった。

「エラン」

何かがまた同じ名を呼ぶ。おびえた屍肉漁りはとげを伏せると、一目散に逃げて行った。

代わってあらわれたのは、水玉だった。星と月の光を受けてきらめきながら、崩れた石積みに跳ねていき、先程の針猫をまねるがごとく、匂いを嗅ぐような仕草をしてから、おもむろに礫をかきわけ、土の奥へもぐりこんでいった。


エランがよろめきつつ戸口をくぐると、家の中はすでに明りが点っていて、かまどの火が起こしてあり、とてもあたたかかった。普段けちりながら使っている木炭がまとめてくべてあるようだった。

食卓には、しまっておいたはずの甘胡桃の袋が投げ出してあり、そばに見慣れぬ革袋も置いてある。椅子には小太りの男がこしかけて、少年を目に留めるや、すっかり酩酊したようすでわめいた。

「遅かったじゃねえか。墓ひとつにずいぶんかかったな」

「茸酒屋…なんで…」

ぼうぜんとする少年に、茸酒屋は立ち上がって千鳥足で距離を縮める。

「神殿で祭司様から話があってな。あの女、死んだそうじゃねえか。娘っこの頃は縹緻きりょうを鼻にかけて村の男をそでにして、あげくよそものなんぞとつるんで、罰があたったな」

熟柿くさい息を吐きかけながら、毛むくじゃらの手で野良着をつかみ、未熟な体をあっさり持ち上げると、やおら床になげうった。かそけき悲鳴をあげて這いつくばった子供を、容赦なく靴で踏み付けて、嘲る。

「うすぎたねぇ合の子が。とむらいに来てやったのも分からねえのか」

エランはぎくりと身を竦めて、にぎった拳をにらむ。

「やめて…今日は…」

「ああん?どうせ埋葬地でもない場所に掘ったんだろうが。俺がひとこと言えば屍は掘り返して菌の森に放り込んで、死人茸しびとたけの苗床にでもするしかねえんだぞ」

震えながら、童児は床にむかってささやく。

「なんで…ひどい…なんで」

でぶはせせら笑い、革袋をとって中身をあおった。かびくさい茸酒の匂いが室内に満ちる。

「親が死んだら、もう俺達の相手をせずに済むと思ったのか。お前はなあ、これからずっとあの女の償いをするんだよ」

「いやだ…今日はいやだ…」

なおも拒もうとする少年を、小太りの男は爪先で蹴りつける。

「ぎゃぅっ…!?」

仔犬めいた叫びとともに転がる矮躯に、さらに罵りが追いすがる。

「これから、あの女の死体をほじくり返しにいくか?ん?その方が村のおきてとしちゃ正しいなおい」

「…やめ…」

「脱げ」

エランはすすり泣きながら起き上がると、疲れきりもたつく指で厚ぼったい服を脱ぎ捨てていく。

栄養不良の雛鳥のようにやせた、性別もはっきりしない褐色の裸身があらわになる。あちこちに真新しい歯型や打撲、面白半分に煙管の火を押しつけた跡があった。

とがった耳を伏せた童児は、涙に濡れた大粒の瞳を伏せ目がちにして、鼻をぐずつかせながら、手を後ろで組んで、すんなりした脚を左右にひらいて立つ。

茸酒屋は舌なめずりをしながら命じる。

「尻をこっちに向けて、拡げてみせろ」

少年はまぶたを閉じて、反転すると、両手で双臀を割りひらき、ひくつく菊座をさらした。

「今日はきれいにしてくるのに間に合わなかったろ。俺が消毒してやる」

小太りの男は、革袋の吸い口にべっとり唾を塗り付けてから、やおら稚い肛孔にねじこんだ。異物を受け入れるのは初めてではないのか、排泄の穴はさほど苦労もなく咥えこんでしまう。

でぶは、野太い指に力をこめ、革袋をしぼるようにしながら、酒を直腸に流し込んでいく。

「ひっ…やだぁ…これやだぁ…」

「ほざけ。お前の好物だろうが」

「あぐ、ぅ」

小太りの男は、気に入った家畜でも扱うように、我が物顔で子供の尻を叩きながら、腸に発泡する汁を、とがった耳に粘つく台詞を注いでいく。

「なじんできたなあ。親が死んだばっかりだってのに簡単にさかりやがって。とんだがきだ」

「ちが、ちがぁ…」

「薬代のためだ食い物代のためだとかごまかしてもよお、お前は男をくわえこむのが好きなんだよ。よそものとつるんだあの女の血だなあ」

「お母しゃ…わりゅく…いうにゃ…んむっ」

革袋をすべて流し入れた茸酒屋は指を離し、猿臂を伸ばして幼い茸採りの細顎をつかむと、力任せに引き起こして、もう片方の手で小さな舌をつまんでひっぱりだした。

「ちがわねえさ。すっかり雌の面だぜえ。合の子」

接吻。男の口腔にこびりついた茸酒のにおいを吸い込むはめになり、エランはえづきそうになりながらも、ほとんど意識せずに舌をからめ、唾液を交換して、従順の印を示す。

でぶは、ほっそりした獲物の乳首を遠慮なくねじり、尻肉をつねりあげ、あるいはぴしゃぴしゃと平手で打ちつつ唇を通じて伝わる苦悶を愉しんだ。ようやく口付けが解けると、二人の唇のあいだを銀の糸が結ぶ。

「とろけた顔しやがって。あの女に見せてやりてえな」

こらえきれず、まつげの端から珠のような滴を幾粒も落としながら、エランはうなだれた。もはや反駁しようともしない。茸酒屋は機嫌よく語句を継ぐ。

「ほーら。ずいぶんしおらしくなった」

勝ち誇るように、わななく子供の胸から脇腹、背をねぶっていく。日々の山仕事や家事、荒淫を経てもなお、みずみずしく滑らかな舌ざわりを残していた。

「ひ…ぁっ」

「ひひ。おい、合の子。いつものやれ」

小太りの男は、毎日のように仕込んできた幼い敵娼を抱きすくめ、まるで舞台に上がらせるかのごとく食卓に載せると、一、二歩離れて腕組みする。

エランはくもった瞳で、昨日まで母と二人で暮らしていた家の中を見回し、おぼつかない指で、菊座から革袋を引き抜くと、とろとろと茸酒をしたたらせつつ、指で薄桃の粘膜を掻きわけ、めくれあがらせ、舌足らずに口上を暗誦する。

「だんなしゃま…いやしい、あいのこの、あなっぽこに、おなしゃけをおめぐみくだしゃ…ぃ」

でぶはやにさがり、もったいぶって少年のうなじのあたりに手をあてて、醜い顔を寄せる。

「楽しいとむらいになりそうだなぁ。合の子?」


夜半の月が悲しげに地を照らす頃。

焼け野跡の花畑では、子供が作ったつたない石積みが崩れ、下から奇怪な茸を思わせる塊が生え出していた。青褪めた光をはねかえしておぼろにうごめくのは、透き通った、あるいは蛇とも百足ともつかぬかたちをしたが、やがてしなやかな腕となって伸びた。

あとから土と礫とを押しのけて、硝子細工のような容貌が続き、さらには水鳥のような首、たわわな乳房、ほっそりした胴、円かな腰、若い雌の鬣鹿たてがみじかのような長い肢が、次々とあらわれる。透明な胸の奥には、濡羽玉を閉じ込めた水晶の円筒が、あたかも水槽に泳ぐ魚のように、浮かんでたゆたっている。

天高くに満ちてかかる太陰の、寒々としたかがやきのもと、女は澄みきった肌をきらめかせ、小きざみに震えては、ささめきに似た音をさせた。

「エラン」

針猫よりも忍びやかに、魔物は闇を切って歩き始める。色のない双眸はまっすぐ前を向き、亡霊めいてねじくれた木立のかなた、漆黒のとばりを貫いて、求める相手を見据えているようだった。

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