Samurai Fiction

 浄福寺の境内を、しのつく雨が濡らしていた。

 まだ蕾も固い八重桜が、苔むした石段の両脇に重く葉を垂れ、じっと陽射しを待つ風情だ。水煙を被った本堂の周りには人気が絶え、ぽつんと、傘を手にした孤影が、静けさに溶け込むように立ち尽している。

「竹島右近と見受けるが…」

 下方、茅葺の山門より、問いが発せられる。影は声の方へと視線を転じ、瞬きして答えた。

「また仇討ちの御用かな?」

「また、とは恐れ入る。何、私は貴公を恨む筋合の者ではない…」

 同じく傘を差した、しかし第一の影よりは随分と長身の姿が、ゆっくりと上ってくる。それと共に冷たい殺気を孕んだ風が、ざぁっと雨粒を斜めにし、石畳へ叩きつけた。

 沈黙の内に、影と影とは向き合った。

 竹島右近、と呼ばれたのは、また禿髪の童女と見えた。緋縮緬に金糸の鶯を縫い取った長襦袢を嫌味なく着こなしている。およそ仇討ちとかいう言葉を口にする身分とも思われぬ。、布地の上からでも、若柳の枝の如き手足の形が窺えるし、半襟から覗く首筋は、雛人形と紛う細さである。

 他方、先に声をかけた長身の影は、黒無地の着流しの前を乱し、雑に巻いたさらしから、たわわな乳房を零れさせるという、異様な風体である。年の頃は二十歳ばかり。女人にしてはやけに上背と肩幅があるとはいえ、氷のような美貌は疑いようもない。頬に挿れた黒龍の刺青からして、やくざ者のようだが、馬の尾の如く結った髪は骨のように真白で、あるいは地獄の亡者か幽鬼の類とも知れない。

 白髪の女は、肩に黒塗りの太刀を掛け、片目を眇めて童児の顔を見遣る。

「噂と違って、可憐な顔をしておられるな」

「それが?」

「美貌を痛みに歪ませるのは、悪くないものよ」

「ならば貴公の方がお似合いになろう。そちらのご尊名も伺おうか?」

「桐生左門」

「"白髪夜叉"の左門殿か。仕掛人だな………時に花はお好きか」

「活ける方を少々嗜むが…何故お尋ねになる」

「貴公の屍が花に埋れる時、その方が此方も気が楽…」

 傘がひらりと天に舞う。童女の袖から黒い礫が離れ、螺旋を描いて女の胸へ吸い込まれていく。火花が散って、鞘に収まったままの脇差がくるくると回る鉄の独楽を受け止めた。

「手癖が悪いのう、右近殿」

「生来のことゆえ、ご容赦賜りたい」

「そうは行かぬ」

 左門の太い腿が着流しから抜け、草鞋がだっと地を蹴る。銀光が鞘疾って、一閃、虚空を刃音が切り裂いた。右近は猿の如く飛び退り、立て続けに独楽を放ちながら、哄笑を上げた。

「色狂いの男女と聞いたが、然り然り、腰振り剣法で拙者が斬れるとお思いか」

「如何にも!まずはその悪さをする腕を頂こう」

 残月、左門の剣風はあくまで鋭く、尾を引く刀光はさながら無数の月を浮かばせたかのよう。次々迫り来る小さな兇器を払い落とし、かつ着実に敵の退路を断ち、刃圏を閉じる攻防一体の動き。

 片や飛鳥の如く舞う童形の暗器使い、片や精妙極まりない歩法で得物を振う魔剣士。戦いは鍔迫りも打ち合いも無く、ただ空振の連続であった。だが両者の一撃一撃には死神が宿り、幼い方は次第に年嵩の方に押され、じりじりと狭い本堂のほうへ追い込まれていく。

「どうした右近殿、息が上がっておるぞ。お主のはたかが独楽遊びではないか」

「貴公…はっ…さらしが…ずれて…なんとも…ははっ」

 練達の武芸者同士とて、必ず力の差があり、長引けば均衡は破れる。その瞬間を、白髪の剣客は見逃さなかった。無理に嘲り笑う相手の肩筋めがけ、気合と共に切先を掬い上げる。

 がつん、と骨と肉の纏めて断たれる音。緋縮緬の袖に包まれた腕が、くるくると宙を舞う。

「ぎぁあああっ!!!」

「もう一本!」

 返す刀を逆の腕へ降ろす。だが、手負いとなった童児は身を捻って脇へ逃れ、無事な方の手で大動脈を抑えながら、足を蹴り上げて下駄を飛ばしてきた。

 左門はひらりと躱すと、にたりと笑って己が手になる刀身に舌を這わせた。

「足癖も悪いな。それも頂こう」

「がはぁっ…がっ…図に乗るな…次は貴様が目鼻を失う番だ…」

 言葉と共に残った下駄が敵の顔へと飛び、また、易々と避けられる。

 だがその刹那、右近は隻腕を振るって別の独楽を飛ばしていた。傷を受けながら、恐るべき軽業である。左門は反射的に太刀の平で弾こうとしたが、先ほどより重い手応えについ指が痺れた。

 しかも見よ。永らく殺戮の巷を共にしてきた鋼の牙は、今や真中から二つに折れているのだ。

「…鉛入りの独楽の味はどうだ…貴様の顔に当てられなんだのが無念…」

 ぼたぼたと切株から鮮血を滴らせながら、童児は凄絶な笑みを浮かべる。剣士はしばし表情を失ったが、身動ぎするや、小刀を抜様に迅雷の斬撃を放った。

 もう一本の腕が宙を舞う。

「次」

 悲鳴を上げる暇も与えず、右脚の膝から下を、裾ごと斬り飛ばす。

「ぐぎぃっぎああっ!!」

「やかましい」

 再び弧を描く銀光。躄となった少年は四つの傷から血を噴出して雨の石畳を転げ回った。

「調子づきおって。雑魚が」

 帯を締めた脇腹へめがけて爪先を蹴り入れ、泥の撥ねた禿髪を踏みつける。

「越後屋、居るのだろうが!薬を持って来い」

 左近の召喚に応じ、桜の陰から猫目の男が姿を現す。

「お見通しでしたか。しかし見事な手際でございました…」

「無駄口を叩かず血止めをしろ。少しでも遅れれば彼奴は助からん」

 有無を言わさぬ調子に、越後屋は小さな瓢箪を取り出すと、急いで栓を開けて中身を血溜まりの中の右近に注ぎかけた。どろりとした液体が傷口を覆い、見る見るうちに血を塞き止める。

「身体にも入れろ。このままでは血が足りん」

 命ぜられるがまま、越後屋はどこに隠し持っていたのか、極細の錐で肩口に穴を空け、葦の茎のような細い管で瓢箪の口と繋ぐと、粘薬で周りを固めた。左門は施療の光景に尖った視線を投げ掛けながら、噛んで含めるような調子で瀕死の敵へ話し掛ける。

「良く聞け竹島右近。人は手足を斬り飛ばされると衝撃で死ぬ。もしくは痛みで死ぬ。でなければ血の巡りが狂って死ぬ。次に血が足りなくて死ぬ。舌を噛んで死ぬも良い…どれで死ぬかゆっくり見ていてやる…」

「死ぬのは…貴様だ…」

 その時右近の口が戦慄いて、含み針を吹き付けた。剣士は指で摘み取ると、最後の抵抗に対して嘆かわしげに論評した。

「まるでなっていない。だが良く動いた。身体は化物だな。私と同じだ」

 もう耳に入っているのかどうか、達磨になった童児の呼吸は浅く、瞳孔は開き始めていた。

「桐生様、血に粘りは持たせましたが…後は蘭方医でもないと…」

「よし、駕籠まで運べ。裏小路の医者なら何とかするだろう」

「仕掛の相手を生かしてどうなさるつもりで…」

「越後屋、言われた通りにしろ。」

 猫目の男は僅かに怒気を煌かせたが、すぐ右近の軽い身体を抱え上げて石段を下っていった。見届けた左門は散らばった手足を見回し、けらけらと笑った。

「これを送れば、息子を片輪にされた城中のお偉方も溜飲を下げるであろうよ…目鼻で手足を買えるなら、安い物ではないか」

















 結局、竹島右近は死んだ。

 仕掛人桐生左門に討たれたのだ。少なくとも世間では皆そうと言っていたし、裏渡世の連中も異議は差し挟まなかった。密かに仕掛を頼んだ武士達の元へは、特大の化粧箱に入った子供の手足が届いた。蘭学の手法で防腐処理を施されたそれらは、美しいとさえ言えたが、慌てふためいた彼等は上役の目を引く前に焼き捨てた。

 それから。若侍達は以前にも増して尊皇だの尚武だのを怒鳴り、刀を振り回し、酒席で威張り散らしたし、屡刃傷沙汰も起き続けた。

 町人達は、体面を傷つけられた御上の容赦ない復讐に身震いしたが、相変らず陰に回っては、武士達を罵り嘲った。

 敢えて何かが変ったといえば、遊郭や色町の事情だった。日頃左門に脅えていた遣手婆達は、めっきり訪れなくなった色情狂の消息を訝りながらも、ほっと安堵に胸を撫でおろしていた。

 仕掛の仲介をする越後屋にとっても、郭から郭へと探し回る手間を省けて済むので悪い話ではなかった。最近は、何時桐生の屋敷を訪れても主に面会できるのだ。

 左門は毎日のように、茶の間で花を活けていた。淑やかな手付きで、季節の芍薬や牡丹を差し替えながら、いつも合わせにたっぷりと時間を掛ける。まるで憑物が落ちたように安らいだ表情には、何処か悟りを開いたような所があった。

「桐生様。今朝、新しいお花を届けさせましたが…」

「越後屋か、良く来たな。丁度新しい合せ方を試していた所だ。どうだ」

「芍薬の色が映えて宜しいかと、ただ、瓶口が狭くて入りきらぬのでは」

「そうか?昨夜は随分広げたつもりだったが」

 左門は意外そうに呟いて、「花瓶」の腹辺りを小突いた。びくっと表面が波打って、くぐもった嗚咽が零れる。

 手足の無い少年が、逆さにされて、後孔に花を植えられている。これが、あの怪童竹島右近のなれの果てだった。反り返った小振りの陰茎は、紅紐で縛られ、手足の切株には襞のついた錦の巾着が被せられている。肌には、唐物の花瓶から写した牡丹の花がびっしりと刺青されて、血の巡りに応じて様々に色合いを変えていた。

「約束通りの花瓶に仕上がった。礼を言うぞ越後屋」

「あたくしはほんのお手伝いだけでございます。職人共も、医師も、滅多に若くて活きの良い素材に恵まれませんので、此の度は随分腕を振ったのでしょう」

「そうか…」

 芍薬を引き抜きながら、牡丹の花弁に指の腹をつけて辿る。それだけで童児の体は痙攣し、狂ったように苦悶した。口に嵌められた猿轡は、彼から一切の言葉を奪っている。

「逝きたいか?悪いが当分はそのままだ」

「この花瓶も、あの時舌を噛んで死ななんだ己を恨んでいるでしょうな」

「ふ、ならば舌を切り取るまでだ。金と手間を掛けた逸品をそう易々とは失えぬ」

 それに、色町にしてみれば虎を野に放たれるような心地でしょう。心の中で越後屋は付け加えた。仕掛の相手を生かしておくのは流儀に反するが、狷介な仕掛人の機嫌を取り、素行を抑えられる妙薬とあっては致し方ない。

「阿片も使ったが、感じ易さはどうだ…おまけに幾ら抱いても壊れん…これは良い物だ」

 花を全て取り去ると、ぽっかり開いた後孔に口をつける。香木と洋酒の香が馥郁と昇って、白子の鼻を擽った。甕のように酒を仕込まれ、また啜り呑まれる。これを繰り返されては如何に強固な人格でも、次第に狂気に侵されていくだろう。

 ごろごろと膨らんだ腹を鳴らしながら、少年は股間の肉芽を固く尖らせ、胴を切なげに捩る。だが開ききった瞳孔の奥で、凍った火のような殺意だけは、危うくも鋭い光を放っていた。

 傍で見守る越後屋はそれに気付き、警告を口にしようとして、白髪の剣士の瞳にも同じ冷たさが宿っているのを認めた。知っているのだ。折れぬ殺意を知って、尚それを楽しんでいる。

 彼は身震いして立ち上がると、二人を残したまま座敷を後にした。数十年の間、裏渡世を生きてきた男は、初めて侍というものに、ぞっとするような嫌悪と、恐懼を覚えていた。

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