Green House Effect Vol.3

"The Finch knocked on Heavens Door"

 匂う。動物園で嗅いだ獣臭。これに比べたら公園の浮浪者テントで夏場漂う悪臭さえ、爽やかな花の香のように思えた。首に食い込む指は、乾いて熱く、巌のように固い。

 「なんかぁ、すっごいケガしてんじゃん、痛くないの?コブタちゃん」

 少女は飛び跳ねながら、歌うような節をつけて尋ねる。茶髪がゆすれ、硝子天蓋から差し込む陽射しを受けると、柔らかな光を帯びてふわっと広がった。陰影の狭間で踊る四肢は信じられない程細く、肩や脇のあたりで、シャツの布地がたっぷり余っている。作った所の無い、あけっぴろげな笑い。1つか2つ低い学年の子だろうか。丈は亮平とほとんど変わらないが、雰囲気が幼かった。

 「…は…はな」

 喉にひっかかって、言葉が出ない。けらけらという笑いがあってから、いきなり小さな指が少年の鼻の頭を押した。

 「ぶきー!あはは!ほんとブタそっくり。ねぇねぇビビってんの?ビビッてんの?」

 「ふがふが…やめろ…っ!」

 思わず叫んでから、かたえに顔を逸らすと、少女はむっとした様子で後退り、両手を頭の後ろで組んで、値踏みするように彼を眺め回す。

 「むかつくぅ…超イジメられてたクセに、なに調子にのってんの」

 宙吊りにされたまま丸い肩が竦み、ふっくらした頬が細かく震えた。巧く相手の急所を突いたと見て取るや、幼い屋敷の主は畳み掛けるように言い募る。

 「ビビって、1回もやり返さなかったでしょ。弱すぎ。泣きまくってさー、つーか人の家の塀でやるのやめてよ、キモいから。しかも勝手に忍び込むし。すんごいキモい」

 「ちが…」

 見られていたと知った途端、少年の頭の中で恐慌が嵐のように渦を巻き、目の前が真暗になった。背後から吹き付ける熱い吐息や、包み込むような動物の匂い、首の痛み、猛烈な湿気、あらゆる要素が渾然となってぐるぐると回り始める。

 「しかも折角人が心配してあげてんのにさぁあ?まじブタさいてー。ねぇ黒丸。こいつでまじでいいの?」

 雷のような咆哮が真後ろで轟き、激しい耳鳴りがして気が遠くなる。黒丸とはいったい何者なのだろうか。振向きたくても、今の態勢では無理な相談だった。

 少女は何か納得したように頷くと、忍び笑いを漏らし、秘密めかした瞬きの後で、くるっと爪先だって旋回する。まるで身体が羽根で出来てでもいるかのようで、少しも重さを感じさせない。

 日に焼けた手首が捻られ、指先が見えない何かなぞるように虚空を泳ぐ。汚れたスニーカーを履いた両足が温室の白い石畳を打って、音の無い拍子をとった。踊り、だろうか。短く忙しい韻律。亮平は、まじないにかけられでもしたように、怯えを忘れて息を詰めた。

 「じゃぁ、ケガなおさないとねー♪大助ー大助ー」

 あどけない唇から新しい名前が零れると、温室中央に植わったのっぽのヤシが作る樹陰の縁から、大きな毛むくじゃらの生き物が姿を現し、信じられないような速さで走って来た。

 「っ!!!」

 大猿。いやゴリラ。オランウータン。チンパンジー。とにかくレイチョウルイの仲間。理科の時間に見せられた、人類の進化についての教育ビデオを思い出す。巨躯が駆けるにつれ、短く剛い毛皮の下で、ロープを幾本も縒り合わせたかのような太い筋肉の束が蠢き、小山の如く盛り上った両肩の間で、顎と額の発達したごつい頭が前後に振られる。テレビで見た外人のプロレスラーと比べても一回りは、かさがありそうだった。

 あれだけの量のある物体が、生きて、動いているだけでも驚異だった。まさか背後に居る黒丸というのも同じような奴なのか。少年は鳥肌が立つのを感じ、温室内のうだるような暑さにも関わらず、背筋を走る急な寒気に震えた。

 「ほら、約束の奴、ちゃーんと捕まえたよ。ちょっとケガしてるっぽいから治したげて」

 大助と呼ばれた大猿は、命令されるとすぐ立ち止まり、少年に一瞥をくれてから腰に巻いたポシェット・バッグのジッパーを開け、慣れた所作で中味を取り出した。アロエの葉っぱ、大きな植木バサミ、変てこな果実、草の根と、どれも用途の解らない品ばかり。

 左手でハサミを持つと、右掌を御椀のように窪んで残りを載せ、口まで運ぶ。忽ち黄ばんだ太い歯列と、紅い歯茎が剥き出しになり、掌の上に置かれた全てをまとめて噛み砕くと、頬を膨らせて、ぐちゃぐちゃと捏ね始める。

 亮平は嫌な予感に襲われて隣へ視線を移したが、少女は意地悪く微笑み返しただけで、くるっととそっぽを向いてしまった。

 「やめろ…やめて…」

 真青になって呻く彼を、黒丸がひしと取り押さえ、低い唸りを漏らして威すように揺すぶる。その間に大助は、口腔内で妖しげな薬の調合を終え、のそりと歩み寄るや、はみ出たシャツの裾を摘んで伸ばし、ハサミを入れた。

 「やめろよぉ!!」

 「…あんまうるさいとさーぁ?黒丸、うざくなってコブタちゃん殺しちゃうかもよ」

 軽くたしなめるかのような台詞に、少年は再び声を失う。死。警告を裏付けるように、首に入る指の力が強まり、次の瞬間にも骨の折れる音が聞こえそうだった。

 鋼鉄製の厚刃が、勢い良く合繊を切り裂いていく。生白く、たっぷり皮下脂肪を帯びた腹や胸が露にされると、乱暴をされる怖さよりも、みっともない裸をさらす恥かしさが勝り、頬がかっと火照った。口の中の傷の痛みが疼く。

 「あはっ、あはははは!すごーい。男なのにちょっとだけ、おっぱいみたいのがある。おなかも、なんか盛り上ってない?まじやばーい。大助、揉んで見て」

 残酷なからかいが木々に谺し、不意に少年の内側で張り詰めていた糸が切れた。

 「ふざけんな!サル回しオンナ。じ、自分だけじゃ怖ぇからって、サルのオトモダチに頼ってんじゃねーよ。ふざけんなよ!」

 歯を食い縛りながら怒りの言葉を迸らせ、ぎゅっと両瞼を閉じる。

 ハサミが止まり、静寂が訪れた。

 終わった。殺される。やけくそじみた罵りが口を突いて出てしまうのは、いつも勇敢さからではなく逃避だった。恐怖や屈辱と向き合うストレスに耐え切れなくなると、緊張から遁れようとするあまり、わざと相手の怒りを誘ってしまう。

 だから、逆ギレの結果はいつも、振るわれる暴力を加速させるだけだった。亮平は無意識の内、大猿達といじめっ子の体格差を元に、どの位の攻撃を受けるかを予測し、確実に死ぬだろうと判断を下した。

 「…ぷっ…超こわー」

 だが続いて沸き起こったのは、意外にも素っ頓狂な高笑いだった。目を開けると小さな拷問者は、長い葉を放射状に生やした南洋の樹に肩を預け、余裕綽々といった様子で獲物をうかがっていた。視線がぶつかると、妖精のような肢体が、バネ人形のように幹の側を離れる。2、3歩飛ぶようにスキップをして、ハサミを手にしたまま動かないで居る大助の横に並ぶと、いきなり脅すように握り拳を振り上げた。

 亮平は弾かれたように両腕を擡げて頭を庇う。大袈裟な防御りがおかしくてたまらないのか、少女は、にやつきながら掌を開くと、また人差し指を彼の鼻に押し付けた。

 「あはは、コブタちゃんてさー昔っからイジメられてた?すっごいビビリだもんね」

 「う、う、うっせ…ぇふっ…」

 「あのねぇ、すんごい小さいころからイジメられてると、大きくなってからさ、なぐられるのとかが怖くてぇ。いじめっ子にゼッタイさからえないんだよ。脳がね、ボクはイジメられっ子デスっておぼえんの」

 鼻をぐりぐりと指が弄る。跳ね除けたい。だが隣ではハサミを持った毛むくじゃらの怪物、後ろにもそいつと同じような仲間が見張っている。

 「口でなんか言えても、からだが動けなくてぇ。精神外傷ってゆーの。なちゃったらもう一生イジメられるしかないっぽい」

 亮平は蛇に睨まれた蛙宜しく、年下の拷問者の前で凍り付いていた。

 「だからさー、楽勝でいうこときかせられるっしょ?」

 解ったようで、てんで的外れの、こまっしゃくれたお喋り。本当である訳がない。脳が覚えるだなんて、ありえない。殴られたり、脅されると動けなくなるのが、頭の中の問題だというのか。

 違う。原因はいつだって、いじめる側にある。教師が「お前にも責任はある」と言うもっともらしいお説教だって実際は惟、暴力を止められないから、被害者の口を封じて、面倒に蓋をしようとしているだけなんだ。

 でも確かに最近は、叩きのめされても、小学校の頃と比べてあまりやり返せなくなった。抵抗して負けた時に何倍返しかになる痛みを想像してしまうせいだ。脳の芯が痺れたようになって、つい、されるがままのでくのぼうのようになってしまう。

 嫌だ、やっぱり嘘だ。認めてたまるか。いじめられっ子だけが、ずっとセイシンガイショウなんてのにかかって、みじめなサンドバッグでい続けなくちゃならないなんて。おかしい。

 いじめっ子はちっとも罰を受けなくて、大人になってから、あの頃はやんちゃだったよな、なんて笑いながら、昔のトモダチと酒を飲んだりするのに。あまりに不公平すぎる。人間は、人間の仕組みには、もっと正しさがあるべきじゃないのか。

 「…だって人間て、ほかとおんなじサルだもん…ってゆーか、じゃー試してみよっか?」

 いきなり植木バサミの刃が退くと、代って毛むくじゃらの腕が伸び、亮平の衣服の切れ端を引き千切る。次いで、鼻下の盛り上った醜い貌がいっぱいに広がると、濃く大口を開け、ねとつく液体を溢しながら、おぞましさに皺を寄せる少年の額へと塗りつけた。

 熱い舌が、ふくよかな頬を這いずり回り、喉を伝い胸元、腹に降ると、唾液や果汁、草の繊維の混ざりものを塗り広げる。他方で太い指が、ハーフパンツの腰ヒモを解いて擦り下げ、腫上がった腿や、すりむいた膝を剥き出して、べとべとにした。

 痣に気味の悪い薬を塗りこまれるたび傷が沁みる。亮平は太い胴を仰け反らせ、短い手足をばたつかせたが、黒丸にきつく羽交い絞めをかけられ、肩口に歯を立てられると、悲鳴を漏らして抵抗を止めるしかなかった。

 「ほらねー…黒丸、大助。銀太がまだだけど、遊んでいいよ。壊れたらまた新しいの捕まえればいいし」

 どこかで金管楽器のような鳥の鳴き声がする。割れた硝子から熱風が吹き込んで、鋭く尖った潅木の葉をぶつけあわせ、硬い響きを立てさせる。少女が微笑む中、2匹の大猿は、歓喜の咆哮を迸らせ、白く柔らかい肉にむしゃぶりついた。

 「ひだいっ!!ひだっ、痛い、やめて、やめてくださいぃっ、お願いしまっ、いだぁっ!?」

 ぽっちゃりした丸顔が、涙を流しながら空気を求めて喘ぎ、懇願する。だが20本の太指は些かの容赦も加えようとせず、少年の瑞々しい肌を深く窪ませ、絶え間ない苦痛と刺激を送り続けた。

 大助と黒丸は車座になって、与えられた玩具を囲み、紫に鬱血した痣の上を押したり、肥満徴候に膨らんだ胸を揉んだりしながら、小さなコブタが喚きもがく様を面白がっている。

 少年の頭を抑えた黒丸は、名の通り漆黒の毛皮を汗に湿らせ、獰猛そうな面前を紅潮させながら、ふっくらした頬を引っ張り、髪の毛を引っこ抜き、鼻の穴に指を突っ込んで、どれを1番嫌がるか試すという、新しいゲームに夢中になっていた。

 「うぎぃぃいっ!!!!」

 どちらが動物だか判らないような叫びをあげて、玩具が暴れ出す。力任せに左胸の贅肉を捏ねられたのに耐えかねたのか、丸っこい指が温室の培地を掻き毟り、土塊を散らした。ハムのような両足も、脂汗を振り撒きながらあたり構わず蹴りまくる。盲滅法に繰り出した爪先が、屈みこんだ黒丸の眉をかすめると、苛立ちの唸りと共に、岩石のような拳が亮平を殴り飛ばし、鼻血を噴かせた。

 擦れた嗚咽と共にあがきが鎮まる。

 仕置きを済ませた大猿は、恐怖に双眸をかっと見開いた幼い顔を、慰めるように舐め回し、唇を割って粗野な接吻をくれた。

 雄ザルにディープキスを強要され、独特の臭気で肺を満杯にした少年は、生理的嫌悪の極みに達し、えづく間もなく嘔吐する。だが唇を塞がれたままで、吐瀉物は外へ出られず、口腔に溜まったまま黒丸の舌使いにあわせて攪拌された。やがて大半がご馳走のように啜り飲まれ、残滓は無理矢理胃に押し戻される。亮平がまた吐くと、更に同じ行為を数度、繰り返す羽目になった。

 大助の方は、相棒の執拗な口淫の所為で、玩具の反応が鈍り始めたのを察すると、智慧を巡らせるように小首を傾げてから、股間に生えたちっぽけな性器へと狙いを定め、ちょいと皮を被った先端をつまみあげた。

 「!!!ぐぅうっっ!!!ぶっぐっ!!?」

 傷つけられれば生命に関わる急所を、雑な手付きで弄られ、ずんぐりした矮躯はしばし瘧にでもかかったかの如く震えたが、絶えず胃液と未消化の飯が循環しつづける悪夢に、段々意識を削られていき、終には弱々しくむせぶだけになる。

 なめし革のように乾いた指はしばらく、柔らかいままの幼茎をくるくる回して遊んでいたが、いきなり酷い真似をしては、家畜が可哀相だというつもりはなのか、それこそ小さな砂糖細工を扱う菓子職人のような繊細さで愛撫し始めた。

 「んほぐ…ぶぇっぐ…!!んっ…んっ…」

 異常な状況に置かれながら、秘具は快感に正直で、突付かれるほどに勃起し、蕾の中で露を浮ばせる。大助は胸を波打たせて嘲り笑いを迸らせると、硝子の天井へ向かって反り返った未熟な性器を、中指と親指で挟み込み、ゆっくりと剥き始めた。

 「んぼぉっ!!!」

 生皮を剥れていく感覚に、昨日まで自慰も碌に知らなかった中学生の肢体は、俎板の魚宜しく腰を捩って跳ねた。黄昏が2頭と1人を金に染め、汗と涙を煌かせる。真夏のへばりつくような暑気は、淫靡な戯れを続ける彼等の周囲で、仄かに宵の涼を忍び込ませていた。

 黒丸は、触り心地の良い亮平の両胸を鷲掴んで、絞るように揉みしだく。人間と似た憐憫や情緒など欠片も持っていない癖に、少年が注意を逸らすのだけは癇に障るのか、反吐を貪りながら、更なる責めを加えるのに、いささかもためらわない。

 禁忌の行為も重なれば、それぞれのいとわしさは散漫になり、ただ痛みだけが苛烈になってゆく。無理矢理曝された亀頭は出血し、息を吹きかけられる度ひりついた。大助は、ポシェットバッグからまた木の実や草の根を取り出すと、しっかり咀嚼し、混ぜ合わせてから、可愛らしい患部をぱくりと咥え込んだ。

 「んひぐっ!!?」

 幼茎を天然の軟膏にくるまれた途端、ぞっとするような快感が脊髄を伝う。うすらでかい猿の化物に包皮を剥かれ、フェラされながら、別の猿に唇を奪われ、吐瀉物を食わさてれ、エロビデオの女優のように胸を揉まれる。

 獣の体熱と温室の湿気に朦朧と意識を霞ませながら、少年は精通を迎え、失神した。










 水音がする。

 冷たい雫が頭のつむじに当たって、爽やかだった。股から下には、ひんやりした感触がある。

 瞼を開けた亮平は、腰まで小さな池に浸かって、ぼんやり立っている自分に気付いた。周囲には蓮に似た熱帯の浮草が、大きな円い葉を、波のない水面に広げている。首から汗が滴る。涼しいのに、背中だけ、固く熱をもったゴム板を押し付けられているようだ。

 「グルル…」

 ぎくっと頭上を仰ぐと、黒い毛並をした大猿が、つぶらな瞳で彼を覗き込んでいた。逃げようとして、相手に秘具を掴まれているのを悟り、また硬直する。

 「はな、離せ、離してください」

 荒れた喉からなんとか声を搾り出す。答として返されたのは、節くれだった指に性器を上下に扱かれるという屈辱だった。

 「ひっ…ひっ、うっ…」

 恐ろしさで縮んでしまっても良い筈なのに、浅ましくも固くなって、欲しくも無ない官能の痺れが走る。不思議と痛みはなかった。水鏡には、痣の癒えた肌が映っていた。あの奇怪な治療は、では効果があったのだ。

 複雑な心境で、少年が唇を噛んだまま耐えていると、高みで枝がざわめいて、幾つもの赤い華が落ちてきた。

 「んっ…なっ?…ぅっ…」

 初めて見る、銀の毛並の大猿。腕にいっぱいの赤い華と奇妙な機械を抱えている姿が、池の面に投げ掛けられている。と、軽やかな少女の笑いが、困惑を断ち切るように響き渡った。

 「やっぱ、なんにもしなかったでしょ、コブタちゃん?」

 屋敷の主が、小鳥のように歌いかけながら、木々の幹を蹴って、やってくる。ペットボトル入りのミネラルウォーターを持って。サーカスの軽業師もたじろぐようなバランスの保ち方だ。

 「お、おまぇ!」

 「おまえとか呼ばれると腹立つんですけど。広、岡、ま、ど、かー、だから。コブタちゃんは、けいぶ?りょうへい?塾のIDカードに書いてあったけど、読み方分んない、ねぇなんて読むの」

 二股になった樹に停まると、足を広げて支えにする。ペットは飼い主に似るというが、飼い主も猿に似ているようだ。という嫌味を口にするだけの余裕は亮平にはなかった。

 「おま…ひぅっ…はっ…くっ」

 涙ぐんだ眼で、いつまでも悪戯を止めようとせぬ大猿を睨み、すぐ項垂れる。喧嘩を売ってると取られたら、殺されてしまうかもしれない。この黒いのは同類の間でも、抜きん出て凶暴そうだった。

 「あはは、黒丸に気に入られたんだー。よそーがいのテンカイじゃん」

 幼茎を玩んでいない方の掌が水へひたされ、華を掬って、少年の髪へ載せた。

 「…?!!…」

 「うっそ、コブタちゃんをお嫁さんにしたいってさぁ!っきゃー!!プロポーズされてんのー!」

 鳥肌が立った。また吐気が込上げ、慌てて右手で口元を覆ったが、溢れたのは薄い胃酸だけだった。黒丸が手首を掴み、消化液に汚れた指を舐めしゃぶる。

 「ひっ…ぁ゛っ…ぁ゛っ」

 仲間を応援するように、銀の毛並の大猿は、枝垂れにぶらさがり、池に波紋を作りながら、喜々と吼えた。

 「へーそうなんだ…あのねぇ、黒丸達の間だとね。たべものをお腹でこなれさせてね。口うつしでね。交換するのね。結婚した同士のね。さいっこーの愛情表現なんだって。原始の婚姻儀礼だよ!?キスって同族捕食の名残とかさ、俗説あるけど。本当はー、給餌行動とかにさ、由来してんのかもよ…ロマンチックー♪」

 急に難しい専門用語が並べられたが、哀れな花嫁はとても聞いていられなかった。黒丸が、今度は自らの指を咥えて、湿してから、彼の口腔へと突っ込んだのだ。一瞬嘔吐させようとしているのかと疑ったが、どうも唾液を舐めさせたいらしい。

 「うっわラブラブー!!コブタちゃんえらいよー。さからわずにペロペロペロペロ…ぷっ、あははっ、あっはっは、あははは!!だ、だだめっ…ぷふっ…あはっ…あふっ…」

 まどかは睫の端に涙を溜めながら、ざらついた樹皮を叩くと、笑いすぎて真赤になった顔を伏せた。年上の男子の滑稽な変り様が相当ツボに入ってしまったのか、痩せた肩が小刻みに震えて中々止まらない。

 悔しさを堪える為に顎を閉じることさえ出来ない少年は、幼い観客とは別の理由で丸々した頬を濡らしながらも、揶揄された通り、舌を使ってたどたどしく猿の手先を舐めるしかなかった。

 やがて黒丸は、ちゅぽんっと音をさせて指を唇から引き抜くと、獲物の身体を反転させて、ボリュームのある尻を掴んだ。濡れた人差し指を、厚みのある双臀の谷間へ滑らせると、奥に隠された小さな窄まりにあて、有無を言わさず押し込んでしまう。

 「やぁっ!!あっくぅっ…いぐっ、うぶっ…」

 哭き声が大きくなるより前に、唇は塞がれた。きつい匂いに、亮平はわなないたが、ファーストキスに比べればもう、さほどもがかきはしない。脈ありとばかり、雄獣は舌の舐りを前より激しくし、喉奥まで突き入れて、唾液を啜った。

 「んっ…んっ…んっ!?…んっ…」

 石に等しい固さを持った爪で、未開発の直腸を掻き回しながら、腸液が染み出すのを待って、指を2本に増やす。また柔らかな肉玩具が痙攣し、弾性に富んだ胸と腹が大猿の胴を圧した。

 「すごー…あそこって、指入んだ…じゃ、あたし、勉強やんなきいけないから部屋に戻る。また様子見に来るよ。黒丸、銀太、がんばってねー」

 身を翻して、少女はまた木々を渡っていく。後には、しばらく粘膜の擦れと、甲高く途切れ途切れの喘ぎだけが水面を騒がせていた。ややあって、枝にぶらさがっているのに飽きた銀太が、水に跳び込んで勢い良く飛沫をはねかす。

 「ふひゃぁっ!?」

 肩やうなじを濡らされた驚きに、少年は接吻を解いて悲鳴を漏らした。新参の大猿は膝の周りに泡を蹴立てながら、抱き合う1頭と1人の元へ辿り着くと、ひょうきんな仕草で顎を掻いてから、片手で池の面を叩いて、白く脂肪の乗った背へ小波をぶつけ始めた。

 「ひゃっ、ひゃひゃひゃっ、あひゃっ、ひゃめっ、冷たっ、冷たっ、はぶっ」

 とうとう撥ねが鼻に入って亮平が苦しげにせきこむと、黒丸が面白くなさそうなおらびを上げ、水遊びを制した。銀太は人間そっくりに舌を出すと、また距離を詰め、円筒形をした小さな機械を彼等の獲物に向かって差し出した。蠕動音が鼓膜を震わせると、ふっくらした頬がまた不吉な予感に強張る。

 「なん、だよぉ…っぐっ…ぅ!?」

 指と入れ替わりに、バイブレーターが生き物のように菊門を抉じ開け、排泄孔深くへと潜り込んだ。内臓を揺すられる未知の感覚に、溜息と共にだらしない声が流れ出て、止めようとしても止まらない。

 闇色の毛皮の大猿は、抱き締めていた腕をほどいて、厚い胸板からふくよかな子供の身体を押し退けた。独り立たされた少年は、膝が笑い、腰が砕けそうになって、太腿の付根を波に洗いながら、支えを求めて指を伸ばす。だが、2頭の獣はいずれも遠ざかって行き、空を掴むしかなかった。

 「あっ…ひぃっ…ぁっ…だっ…これ取っ…ふぐぅっ!!」

 僅かな白濁が池に飛び散る。虚脱した肢体が、倒れこみそうになると、黒丸がさっと両手を伸ばして、指と指を絡め、引き寄せて支える。亮平は思わず安堵の息を漏らしてから、また唇を奪われて赤面した。

 「んーっ!!んーっ!んっ…んっ…んぅっ!」

 むっちりした肉が、水滴を弾いて揺れるのに誘われてか、銀太が背中に噛み付く。甘肉を千切らんばかりの勢いで腋や下脇腹を齧り、特に旨そうに見えたのか、両の臀部には歯形に歯形を重ねるようにしながら、しつこく喰らいつた。

 少年は必死で差し込まれる舌に舌を絡め、すがりつくようにしながら、半ば本能のままに媚びを使って、助けを求める。気を良くした黒丸は先ほどと同じように、やんちゃ好きの友を、彼の花嫁から遠ざけてやり、報酬として存分に口付けを楽しんだ。

 括約筋を蝕む振幅に、涙に濡れた瞳孔は開き、蹂躙された口腔には涎が沸いて、ぐったりと雄獣に凭れかかるだけになった。やがて、唇と唇が糸を引いて離れると、舌はまだ物欲しげに動いていた。腸液に濡れた機械が抜かれ、拡張された後孔がひくつき、また指を受け容れる。

 鳥が鳴く。

 終わりのない戯れが再び始まる。

 溶かした石英で懸けられた偽物の空は、夜の訪れに青黒く塗り潰され、上方遥かで、真の天球は早、自動車の吐き出すガスや彼方の家々の明りにも負けぬ星辰に彩られて、夏の大三角形が銀針の切先の如く炯々と、猛暑と情熱の季節を告げていた。










 太陽がすっかり沈んで、いつもなら晩御飯の支度をする時刻がやって来る。けれど、柔らかな病人用ベッドに横たわった花子は、大好きな植物図鑑を読み耽ったまま、腰を上げようとはしなかった。

 屋敷の空気は温室とは打って変り、乾いて少し埃臭く、死んだような静けさに覆われている。

 雌猿は、そっと膨らんだ御腹を撫で、中で眠るもう1つの命を慈しむように低く喉をならした。傍らでは、優しい主人のまどかが、果物ナイフで熟れたマンゴーを切っている。もちろん自分で食べるためだ。

 花子には丈夫な歯がある。でも今は要らない。空腹は充たされている。善き家政婦たれと、慎しみを美徳として育てられた彼女は、源三翁が亡くなってからも、度を過ぎた贅沢をしようとしなかった。代りに仕草や唸りで仲間や、温室の按配を訊ねる。

 「…うん、だいじょーぶだよ。あしたまた行こうね。夜はあぶないからこっちでね。赤ちゃんうまれるまでガマンだよ。きっと銀太とおなじ色の毛並じゃない?あ、さいしょは生えてないか」

 ちょっとお姉さんぶった声音で、少女があやすように語らう。花子は瞼を閉じて、眠たげに下顎だけを蠢かせた。

 「うん?黒丸も大助も、ぜんぜん平気。花子の代わりに、あたしが、ちゃんとめんどう見てるって。ケンカ?してないしてない。シンパイしすぎ。あたしの作戦でうまくいってるの!」

 わざと怒ったふりをしてから、すぐ相好を崩すと、幼い指でそっとなだめるように、妊婦の肩の毛を梳く。

 「もうちょっとだから…もうちょっとで、あたしたちさ。あっちに帰れるから。うん。ちゃんとねてるよ。あした、なに食べたい?ふふ、わかった…パイナップル、おっきいの持ってくるよ」

 睡みに落ちる雌猿を置いて、まどかは寝台の側を離れ、戸口を抜けて、廊下へと滑り出て行った。もうどこを歩いても、センサーは働かず、LEDライトは灯らない。でも構わなかった。彼女は若々しく、健康で、僅かな光でも闇を見通せたし、恐れるべき者などいなかったから。

 封印された扉の列が、前にも後ろにも続く。祖父がみまかって、館の使われなくなった箇所は殆ど整理を終え、電気屋の銀太によって適切な処理が施されていた。

 もう照明が点くのは、コンピュータの置いてあるまどかの寝室と、花子が寝泊りしている部屋だけ。出発の準備は着々と進んでいた。

 「…っと、歯みがいたら、コブタちゃんの様子も見にいこーっと」

 軽く踵を打ち合わせ、スキップしながら洗面所へ向かう。鼻歌を歌いながら、足音を立てず。鎧戸を落とした窓の側を通ると、屋敷の外で宵っ張りの蝉がまだ鳴いているのが聴こえた。

 しかし、足を留め、耳を澄ませても、後は遠くの方で、はぐれた雨蛙の淋しげな独唱があるばかり。ふーっと肩を落として、少女はまた歩き出す。

 淋しい晩だった。











 「楽しかった?」

 放射状の葉を持つバナナ(だという)の樹の根元で、パジャマ姿の少女が欠伸をしながら尋ねる。声を掛けられた少年は、素肌をさらしたまま首に縄を繋がれ、俯き黙りこくって、手の届く所にある草をでたらめにむしっていた。

 「帰らせて…」

 「それはむり」

 裸の囚人は、内股になって恥部を隠しつつ、ちらっと頭を擡げ、底意地の悪い年下の看守を窺った。

 「なんでだよ?…」

 「………ぷっ…あーもしかして、ママが恋しくなったんだー?」

 「…っ…なんでこんなことすんだよ…」

 「きゃははっ!まじで聞いてんの?…んー。でもキミにはわかんないよ。頭悪そうだし。もうあきめなよ。逃がすつもりないから」

 「警察が…」

 「ああ、それはだいじょうぶ。警察が来る前にはあたし達、あっち行っちゃうもん」

 「あ…っち?」

 はぐらかされて、少年はつい少女の方へといざったが、縄がぴんと張って、それ以上前へ行けなくなる。えづきながら、何か言おうとした矢先、急に大きく腹が鳴った。

 爆笑が温室に谺する。

 「あはははははっ、コブタちゃんてマジ笑えるよぉっ!!な…なに…あははははっ、すんごい笑える…ちょっ…おなかへったの?」

 「ぐぅっ…」

 「じゃー、黒丸か大助か、ヒマな方に言っとくね…あははっ…ほんとおかし…」

 食欲がある位なら体調に問題はないだろうと踏んだのか、まどかはあっさり踵を返すした。

 「待って!待てよぉっ…ぅっ…」

 亮平は声を上げかけたが、胸を反らせた途端、胃が収縮して酸が喉に上がる気持悪さに、また蹲った。確かに空腹だった。こんな時に、なにか口に入れたくて仕方ない。

 母親の顔が目に浮ぶ。蛍光灯に照らされた狭いリビングと、テーブルの上の晩御飯。たぶんレトルトのシチューか、弁当屋のおそうざい。もしかしたら、兄の下宿に掃除に行っていて、冷蔵庫の中に入っているかも知れないけど。

 涙が込上げて、視界が歪む。

 帰りたい。狂気じみた出来事のせいで、神経をぼろぼろにされ、精も根も尽き果てた少年は、ただ家へ帰りたくてしかたなかった。巣に戻りたい。どうしてこんな所に、何も着ないで、馬鹿みたいに腹ペコで、座り込んでいるんだろう。

 「…ふぅっ…ふぅっ…」

 腹が波打つ。だめだ。食べ物に関しては、彼はまるっきり忍耐がなかった。頭の中を昼に食べたチーズバーガーとアップルパイの味が思い起こされたが、次いでおぞましい嘔吐の記憶が甦ったので、慌てて打ち消す。

 「…ぅっ…」

 考えれば考えるほど、おいしい料理や冷たいのみもののイメージから逃れられなくなる。恥かしさもどこかへ押しやられ、ただ空腹だけが脳の中心を占めて、ほかは何も思いつけない。映画や漫画だと、ここで主人公が機転を利かせて脱出を図るはずなのだが。

 「グルル…」

 耳に届いたのは、また腹の音、ではなく大猿の唸りだった。頭を巡らすと、黒丸が、バナナやグァバ、パパイヤといった色取り取りの果実を抱えて立っている。

 「あっ…」

 衝動に突き動かされるまま、両腕を差し出して、恵を乞う。だが相手は、渡そうとする素振りもなく、あろうことかバナナの皮を剥いて、自分の口に放り込んでしまった。

 「なっ…」

 失望に少年の顔が曇る。黒丸は一向構いつけず、次から次へとフルーツを頬張って、呑み込むと、皮を脇に放り捨て、膨らんだ口を近づけて来た。

 「い゛っ…!!?」

 またアレをやるつもりなのか。でも我慢しなければ食べ物はもらえない。観念して親鳥から餌を貰う雛のように頤を広げる。甘い汁の匂いが薫り、舌と胃を痛めつけた忌わしい感覚がフラッシュバックする。

 「うわぁっ!!!」

 気付くと亮平はあらん限りの勢いで、むくつけき給仕役を突き飛ばしていた。

 「はぁっ…はぁっ…はぁっ…」

 黒丸はのそりと起きると、双眸を怒りに燃え立たせながら、果実の皮を掻き集め、バナナの樹に躍りかかると、幹の天辺まで登り、ちらと振り返ってから、反対側に駆け降りて見えなくなった。

 まただ。またやってしまった。でも嫌だ。猿なんかと2度とあんなことをしたくない。例え食べ物をもらえなくても。嫌だ。

 そうはいっても、空腹は収まらないまま、増していくばかりで、やがて小太りの少年は赤ん坊のように丸くなって親指を咥えるような姿勢になった。

 どの位経ったろうか、硝子ドームの円周に沿って取り付けられた太陽灯の電気が落ち、温室は急に鼻をつままれても解らないような闇に包まれる。

 本当にもう食べ物を持って来ないつもりだろうか。だとしたらどうすれば良い。死んでしまうかもしれない。小太りの少年は、初めて直面した飢餓の恐怖に震え、唾を何度も嚥下した。

 往生際の悪い鳥が1羽、明りを戻せと要求するように鳴いている。だが、活気を失った温室には、いつまで待てど、光も食物も、もたらされなかった。










 あまり眠れぬまま朝を迎えても、状況は変わらず、大猿は皆、温室内を縦横に伸びた路を忙しく往きかいながら、まるで亮平など居ないかのように振舞い、いくら頼んでも水1滴、果実の1欠片さえ呉れ様としなかった。

 たまに見回りに来る、まどかも「いい機会だからダイエットしたら?」と笑って取り合おうとしなかった。空腹が飢えに変わるのは、児童の方が早い。ただ寝転がっているだけで大人の何倍もカロリーを消費する成長途中の身体は、水分を補給できない辛さも手伝って、昼頃には朦朧とし始めた。

 やがて時折、おかしな幻影が霞んだ瞳を掠めるようになった。太陽の高さからして、正午ごろだったろうか。椰子の梢で閃光が走り、眩い輝きに続いて黒雲のような羽虫の群が溢れたのだ。小さな侵入者の軍団は、温室中を飛び交い、ドームの硝子や木々にぶちあたって、凄まじい騒ぎを起こした。

 しばらくの間、虫取り網を背負った黒丸、大助、まどかが慌てふためきながら走り回っていたが、ドームの空調窓が全て開くと、ごうごうという気圧の変化によって、羽虫の群は外へ吸い出されていった。

 或いは、現実だったのだろうか。少年は草を歯でしごいて僅かな水分を採ろうとしながら、ぶつぶつと独り言を呟き、呻いた。人間の身体がほんの10時間ばかり栄養を摂取できないだけで、かくも弱るなどとは想像もつかなかった。学校で習った気もするが、実感として、理解したのは、皮肉にもどうしようもない所まで追い詰められてからだった。

 「おねがい…はんせい…してるから…」

 暴力が最悪の苦しみだと思っていた。でも本当は、下には下があったのだった。生殺与奪の権を握っている存在を怒らせてはいけなかった。生きるためにプライドを捨てるというのは、ただ逆らうのをやめるだけでは足りなかったのだ。

 唇がかさつき、筋肉にはまるっきり力が入らない。何か手の届く範囲のものを掻き寄せて口に入れては吐き出すという行為だけが、命を繋ぐために唯一残された手段だった。

 監禁されているということも、家のことも両親のことも、学校のこともいじめっ子のことも、つい昨日まで大猿の玩具にされたことさえ、もうどうでもよかった。食べ物。まず食べ物。何かを食べないと、死んでしまう。

 「おねがい…」

 そうだ100発殴られても良い。100発蹴られても良い。笑われて、こづきまわされて、それで普通の暮らしに戻れるなら別に良い。シチューや弁当屋のおそうざいが味わえるなら。黒丸に謝りたかった。そうだ。口移しで餌を渡すのは最高のアイジョウヒョウゲンだ。今なら解る。

 脱水症状になりかけて、うわごとをままやく捕虜のもとへ、ようやく黒丸が現れたのは、午後2時を回ってからだった。塩をかけられたなめくじ宜しく、ぐったりのびた白い裸身の鼻先へ、いきなり色取り取りの果物が山と積まれる。亮平の過敏になった嗅覚は芳しい馨に刺激され、譫妄の汚泥に沈んでいた理性の片鱗を、ゆっくりと覚醒させた。

 身体が、最後のチャンスのために蓄えていたスタミナを燃焼させ始める。

 「っ…くろまる…た、たべ、たべても…」

 汗が乾いて塩のこびり付いた頭を擡げ、舌をもつれさせながら、恐る恐る許しを願う。大猿は目を細めたがすぐには応える素振りをせず、代って黒い茂みになった股間から、直径が亮平の手首ほどある巨根を掴み出して、果実の山に向けて扱き出した。

 救い主が何をしているのか良く認識できないまま、少年が見守っていると、こってりと量のある精液が、瑞々しいグァバやパッションフルーツの外皮にかかる。

 「ぁっ…」

 試されているのだ。こいつを雄として認めるかどうかを。亮平にはもう、ほんの1秒だろうと、踏み止まって考える余裕はなかった。迷わず近くのグァバにむしゃぶりつくと、腥い汁を舐めとり、歯茎に絡むねっとりした蛋白質を舌でこそいで嚥下する。

 美味しい。栄養。食べ物。夢中になる。手当たり次第に果実を掴んで、ご馳走を舐める。マンゴーへ口をつけようとすると、取上げられ、2つに割ったパッションフルーツを差し出された。

 癖のある甘い汁が喉を通ると、飢えたコブタは恍惚として喘ぎ、種も構わず果肉に鼻面を埋めた。食べ終わると今度は、剥かれたバナナが差し出される。すぐに先端から咥えこみ、柔らかな風味に蕩けそうになりながら、根元で長い身を齧り取る。

 「あぅっ…ねぇっ…それも…もっと…」

 滋養に富んだソースが、最初に飢えを癒してくれたマナが欲しい。コブタは脳に刷り込まれた味を求め、ひときわ獣臭の濃厚な股間へ這い進むと、震える指で肉棒を握り、凶悪にエラの張った亀頭へ唇を被せ、先走りを吸い上げる。くさい、くさくておいしい。黒丸の味。命の味。

 生きてゆける。温室ここではこうすれば生きてゆける。なぜ解らなかったんだろう。外よりずっと単純じゃないか。

 我を忘れて獣の精を啜る亮平の頭を、黒丸は両の掌で押さえつけ、腰を揺すると一気に奥まで貫いた。喉を突かれた苦悶の喘ぎは、すぐに歓喜の調べと化して、食道粘膜を擦る抽送の音に掻き消されていく。

 温室に大猿の雄叫びが迸り、鉄骨から滴を散らせると、熱帯の樹間に谺し、長く尾を引いて広がっていった。










 「それでー、今日で夏休み1週間めー。脳もちぢんだりしてないし、思ったより適応力あるねー♪やっぱ、いじめられっ子えらんで、せーかーい。あっちでもやってけそー」

 まどかは笑いながら、細いステンレス・チタンの鎖を引いた。鼻に嵌った大きなリングが捻れる度、四つん這いになったコブタは媚びを含んだ声で鳴く。裸の手足が石畳の上を歩くと、ぽってりと量のある尻の間で、尾を模したバイブレーターが揺れた。

 「ちょっとやせてきた?ダイエット効果あり?でも胸はやせないね。もまれてるから?あはは。ねぇ、もっかいないてみせて」

 「ぶ…ブキ♪」

 「おお、うまいじゃん!…じゃ、行こっか。おサンポしながら今日のご飯。ペコペコでしょ?」

 「ぁ、うん、お腹減っ…っ…ブゥーッ」

 「そーそ、エラーイ ♥ブタはブタ語しか喋っちゃだめだよ?」

 従順な家畜を連れ、少女はのんびりと温室の木陰をそぞろ歩く。

 葉を縮れさせた南果の大きな幹には、コバルトの羽根をしたフィンチが停まり、奇妙な1人と1匹を横目で眺めながら、樹皮から芋虫を突付き出していた。

 幼いまなびしにきゅっと皺が寄り、おおげさな溜息が漏れる。

 「あーあ、ケッキョクだめだったっぽい」

 「はっ?…ぅっ…ブキっ」

 「お、今のはマイナス10点だぞ…まいっか。ほらムシムシ、あのときの羽虫。大助と黒丸とあたしでガンバって駆除したんだけどなー。もうナンカはだめでしょ。バンジロウにもバンラにもつくかなー、どれがやるのかわかんないもん。あっちっの生き物て」

 「あっ…ち?って…」

 ぐいと鎖を引っ張られ、亮平は甲高い苦痛の叫びと共に少女の膝元にはいつくばった。

 「今のマイナス20点…あっちはあっちだよ…ヤシの木のむこうがわ…」

 鼻輪を手繰り寄せられ、少年は無理矢理頭を上げさせられる。

 「見えるでしょ。ヤシのてっぺん。あそこが出入り口…もうちょっと広げるけどね。銀太がちゃんとやってんだ」

 「ぶ…ブキュゥ?」

 「ん、今のかわいかったから、プラス5点…オバカなコブタちゃんに問題です。黒丸たちはなーんだ」

 「ぇっ…ぁっ」

 「あーまたしゃべったぁ、マイナス30点ー、おシリ100タタキけってーね。キャハハ…あのさ」

 まどかは秘密めかして片方の瞼を瞑ってから、にっと白い歯を見せた。

 「おじいちゃんのしりあいも、わかんなかったんだよ。えっらーい学者の先生たち。当たり前だけど。バカばっかだもん。コブタちゃんとおんなじ」

 「ブゥ…」

 「おじいちゃんは遺伝子工学とぉ、生物学とぉ、動物行動学の専門家だったの。なんでもや。イミわかる?だとしたら黒丸たちはなんでしょう」

 間抜け扱いされたことに対する反抗心からか、少年の瞳に負けん気と理性の光が戻る。

 「ぅっ…遺伝子工学で…作った?」

 「マイナス15点ー。ばつゲーム、人間ポンプもついかしちゃう?ちゃんとブーとかブキッ、でこたえましょう」

 「だって、さっきからそっちが問題だし…ぅっ…ブーッブーッ」

 鼻輪を高く吊られて、慌てて豚の鳴きまねを始める亮平。まどかはふんと息をしてから、鎖を離し、家畜の裸身が床へ叩きつけられるに任せた。爪先でバイブレーターの先端を踏み、ぽっちゃりした双臀の奥へ押し込みながら、憐れむような、蔑むような眼差しを投げる。

 「ふぎゅぃぃいっ!!」

 「ひっかかるのがバカなんじゃん。しかも、こたえもはずれ。作れるとおもう?遺伝子操作で?ゴリラとか、オランウータンに仮胎して?いっぱい作ってオトシヨリのカイゴしたり、ブキもたせてセンソウしたり、臓器移植の研究につかったり?おじいちゃんにオカネ出したザイダンの人はそう思ってたみたいだけどね」

 「ふぅっ…ぐぅっ…ひぅっ…っ?…」

 「ほーら分んないじゃん。ばかでちゅねー。おじいちゃんはラッキーだっただけだよ。ここに出入り口がみつかったから。温室を作っただけなんだよ。ナンジュウ年もムカシってさー、こっちってもっとサムくて。あっちの生き物が来るとすぐ死んじゃうから」

 「あ…あっちとか…こっちって…なんだよ」

 「知らなーい。こっちはこっち。あたしのいるがわでしょ。あっちは、オオムカシの、えーと、新生代の地球とかぁ、べつのほしとか、べつの次元かもよ」

 祖父以外は大猿としか会話せず暮らしてきた少女は、調教済みの少年という、絶好の聞き手を得て、得意げに長広舌を振るう内、陶酔状態になってきたようだった。亮平がまた普通の喋り方に戻っているのも失念して、うっとりと語句を接ぐ。

 「あと温室はさ。あっちの生き物が、外に出ないようにとじこめられるじゃん?だから、おじいちゃんが、入ってきたものを、ほかのひとにしられないで、ぜんぶひとりじめできるんだよ。でもそいうことさ、おじいちゃん、あたしにもずーっとホントのこと言わなかったんだよ。サイテー」

 まどかは、ふと思いついたように石畳の縁から土塊を摘み上げ、芋虫を嘴に捕らえたフィンチへと投げ付けた。慌てた羽搏きがあって、青い翼が円を描いて舞い、まっすぐヤシの木の天辺に行くと白い光を放って消える。

 少年は息を呑んだ。説明の半分も理解できなくても、今の出来事が、1週間前に見た羽虫の幻影と関連があるのは合点がいった。

 「あのフィンチ頭いーよ。あっちとこっちつかいわけてるし。あたしが出入り口にきづいたのも、あれなの。それからさー、ダーウィンがガラパゴス諸島探検するやつ読んだ?ほら、フィンチって環境に適応して形態進化するから。図鑑にのってないようなゼンゼン新種がいたら、ゼンゼン知らない環境でくらしてるからでしょ。つまり、あっちがわ、がちゃんとあるってショウコなの」

 どんどん難しくなる内容に、亮平は必死で食いついていこうとした。年下の女の子に比べて知能で劣るなんて、幾ら貶められても、認められなかった。だが子供っぽい口調で述べられる、酷くこんぐらがった話の内容は、平凡な中学1年生の頭では、どうしても呑込めない。

 「ごめんごめん。ムズすぎだよねー。ほら、行こ。にがてなこと考えないでいいよ。ブタは、いちばんしたいこと、すればいいんだからさ」

 まどかがアーミーパンツのポケットに腕を突っ込んで何かを押すと、みっちりと肉に咥え込まれた尻尾型のバイブから蠕動音がして、ぽっちゃりした身体はぐらりとよろめいた。

 「くうううっ…!!」

 「はい、ガンバってねー。もうすぐごはんだよ」

 微笑んだ少女は、機械の震えにあわせてだらしなく涎を零す家畜を打ち従えて、パイナップルの群生を抜ける。緑の葉叢の向こう、浮草に覆われた池の側には、3頭の大猿が車座に屈んで、早くも大皿に盛った果物を頬張っていた。

 「はいとーちゃくー」

 「は…ぅ…ぁっ… ♥」

 獣臭を嗅いだ途端、亮平の心臓が高鳴り、人としての自我は、あっというまにずり落ちる。

 黒丸が立ち上がり、鎖を受け取って彼を引き寄せ、キスを交す。大猿の喉が膨らんで、半ば消化された吐瀉物を注ぎ込むと、少年は喜悦の涙と共にそれを飲干し、すぐ嘔吐して、狂った循環を始めた。

 背後から大助が、ボリュームのある臀肉を掴んで広げ、菊座にはまった栓を抜いた。腸液を滴らせながら、いそぎんちゃくのように開閉する襞穴に、規格外の剛直があてがわれ、括約筋を軋ませつつ深々と減り込ませていく。亮平はショックで痙攣しながらも、無意識に腰を揺すって、陵辱者を楽しませようとした。

 もっと華奢な骨格をしていれば、粉々になってしまいそうな激しい打ちつけを、弾力に富んだ姿態はしっかりと受け止め、壊してしまう恐れなしに、犯し尽くす喜びを約束する。

 「…ブヒィッ!ブゥッ♪ブゥッ♪ブゥッ♪…ブキュウ、キャウンッ、はぁっ!もっとぉ」

 唇が解き放たれると、コブタは後ろから犯されながら、薄汚い台詞で好物の精を求めた。すぐに銀太の肉棒を受け取ってアイスキャンデーのように舐めしゃぶると、足りずに、黒丸の逸物をも掴んで、交互に満喫する。

 大助が果てれば黒丸を尻で誘い、ほかの2本の巨根に舌と指で奉仕し奮立たせる。

 闇色の毛皮の大猿は胡座を組んだ上に少年の腰を降ろさせ、大股開きの姿勢のまま自分で動くよう命じた。両掌でお気に入りの胸肉を揉みながら、首をねじって接吻し、また延々と反吐を貪る。

 全身を黒丸に占有されながらも、亮平は未練たらしく銀太と大助に手扱きを続け、もっともっとと官能を求めた。淫猥な技巧を揮うのに、ぎこちなさはみられない。親や教師に成績の低さを叱られたいたことなど、嘘のようなもの覚えの良さだった。

 関係無いのだ。温室では。逆らいさえしなければ。進んで性欲の捌け口になれば、傷つけられず、飢えさせられたりもせず、生かして置いてもらえる。一生懸命奉仕を覚えれば、いつだって雄達から誉めてもらえ、頭を撫でてもらえ、おいしい餌が与えられて報われる。

 飼われていれば、もう戦ったり逃げたりしなくていい。駆引きはいらない。テレビもゲームも、ケータイもゲーセンもMTBもないとしても、理不尽に傷を負わされ、命を奪われる心配はない。

 だから考えるのをやめてしまえば良かった。なにもかも。いじめも、塾も、夏期講習も、2学期も、将来も、人生も、セイシンガイショウも、あっち、と、こっちという少女の不思議な言葉の意味も。そもそも、いったいコブタに何の意味があるというのか。

 猿の群に犯される少年の表情は、学校や家庭に居る時、1度として浮んだことのない、安らいだものだった。

 「めでたしめでたし?」

 饗宴を眺めていた少女はそう呟くと、閉ざされた空間をよぎるフィンチを仰いで、目を細める。鳥の動きを追うように、はしゃいだ鳴き声がして、振り返ると、花子が胸に仔猿を抱え、ゆっくり池の側に近付いて来る所だった。母の乳房を枕にしていた産まれたばかりのちびは、空を翔ける生き物が珍しくてしょうがないのか、ちいさな掌で翼の影を掴もうとでもいうように、握ったり開いたりしていた。

 「ん。たぶんね」

 まどかが微笑むと、ヤシの木の梢で光が溢れ、虹色にゆらめく花弁が吹き出して、雨の如く温室に降り注いだ。










 資産家として有名な広岡源三の住所で爆発があったのは、8月前半のある土曜日だった。緊急出動した消防士と警察官が、緑に覆われた広壮な敷地で最初に見出したのは、驚く程の火の周りの速さで灰燼に帰した邸宅と、ほぼ無傷の温室。殆ど遺留品がなく、夜逃げでもしたかのような有様で、肝心の家族の亡骸が中々発見できず、ローカル紙やCATV局がしばらく騒いだほかは、たいして世間の興味を引かなかった。

 やがて鑑識の地道な努力の末、老人と若い女とおぼしき2つの焼死体が発見され、DNA鑑定によって男は広岡源三だと確認された。この発表も小規模なニュースにはなったが、推定死亡時期が屋敷の出火と一致しないなど奇妙な情報の錯綜もあり、県警側の報道対応も煮え切らないものだったせいか、お茶の間の話題を攫うにはパンチの足りない曖昧さに包まれたまま、驚く程早く忘れられていった。

 事件に先立つ7月末には、息子を心配する余りノイローゼになった刑部夫人が捜索願を提出していたが、警察はまさか家出中学生を、広岡邸の爆発事件と結びつけようとはしなかった。

 ほとぼりが冷めると、アメリカのバイオメジャーを母体とするエデン財団が、故人の息子と交したという入組んだ契約関係を楯に件の屋敷の所有権を取得した。契約内容が如何なるものであったか、調べてみようとする捜査員もないではなかったが、相手は合衆国の上下院に強力なロビー議員をあまた擁するコングロマリットの一角であり、その意向は日本政府にとって宗主国の意向も同然であったから、禿鷹が鉤爪をかけた獲物から、捜査本部としては早々に退散するよりほかなかった。

 転機が訪れたのは、10何年も後、刑部夫妻が、次男の生存を完全に諦めてからだった。

 エデン財団はかつて、第3世界の紛争地域にあった国連ドナーキャンプの幾つかに、息の掛かったNGOを送り込み、難民に対し遺伝子操作実験を行っていた。だがその際、管理の甘さから、兵器開発に転用可能なジェネティック関連技術が、国際テロリスト・グループに流出したという事実が時を経て、アメリカ本国で発覚したのだ。財団幹部が連邦捜査局による取調べを受ける過程で、より重大な非合法営利行為が幾つも明らかになると、最終的に組織は解体に追い込まれた。

 日本政府が宗主国の黙認を得、地方検察局の特捜部が、件の温室に踏み込めるようになるには、更に1年あまりを要した。気が遠くなるほど待たされた後で、やっと立入を許可された彼等が、現場で見出したのはしかし、数限りないコバルトの羽根をした小鳥が、管理されないまま荒れ果てた硝子ドームを所狭しと飛び交う、奇妙な光景だった。

 温室が、どうやら広岡源三が研究に使っていたらしい、フィンチの飼育施設に過ぎず、相続した財団にとってさえ、もはや単なるお荷物でしかなくなっているのが判明すると、検察はあっさり捜査の打ち切りを決めた。

 結局最後まで少女以外は誰も、フィンチの翼が"あっち"と"こっち"を出入りするのを見なかったし、尖った嘴が天国の扉を叩くのを、聞きはしなかった。

 果たして"あっち"は本当にあったのだろうか。

<<戻る [小説目次へ]  
[トップへ]