”御学友選びの儀” 雪国に住まう兄と弟の王子に、遊戯と勉強の仲間を連れて来る。誰が思いついたのか。二人が知ればさぞや迷惑がったろう。今日からこれとこれが友達だと押し付けられて、いい心地がするだろうか。おまけに大仰な面接に、父親が直に当たるとあればなおさらだ。ともあれ幸か不幸か段取りは本人たち抜きで進んでいた。 広間にずらりと人間と魔族の児童が並び、椅子に腰かけたままこちこちに固まっている。その前を新兵を監閲する鬼軍曹よろしく、ロンダルキアの若き君主が行き来していた。苦虫を噛み潰した表情。傲慢と孤高を以って知られる竜王が、いったいどうして、かかる茶番をするつもりになったのか、家族にも近しい侍従にもさっぱり分からなかった。ただ噂ばかりはかしましく広がっていた。 ”先日やっと戻られた母君に、挨拶もなく出ていかれたのが堪えたらしい…” ”ろくに友だちも作れず、極道に育ったのですっかり絶望されたとか…” ”おいたわしやヴィルタ様…” ”トンヌラ様のあの落ち込みよう…母娘で作るいちご料理百選を準備して帰ってみれば…” ”まことに…竜王様は罪な御方” ”御子お二人には同じ道を歩ませたくないと” ”おおあの方にも…親らしい心が…” ”うむ…しばらく天気は荒れるな…” 宮廷の耳から耳へと渡っていくひそひそ話を、聞いてか聞かずか、兎も角、三児の父たるズィータは不機嫌そうであった。向けるだけで巌を罅入らせると曰われる黄金の眼差しで、まだ年端もいかぬ臣下の子弟に順繰り薙ぎ払いながら、もう半刻ばかり一言もない。 やがて、末席のシルバーデビルが泡を噴いて倒れた。即座に竜王が注意を向ける。 「ちっ…体の調子の悪いがきはとっとと失せろ…」 件の仔猿は会場に入るまでいたって溌刺としていた。ゆくゆくはデビル族屈指の戦士に育とうという健児だったのだが、狩りの才に長け危険な肉食獣の気配に敏感なところがあり、凄まじい試験役の鬼気に、最も強烈に反応してしまったのだった。 隣に座っていたギガンテスの少年も、耐え切れぬように腰を上げる。 「どこいく?」 「ウ…ウガ…お…おでも…ぐ…ぐあいわるい…です…」 「あぁ?健康そうな緑色してんじゃねぇか?おい?逃げんのか?」 「ウガ…ガァ…」 いくら図体が大きいといっても、まだ一匹で獲物もとれないような男児に、ドラゴンの長が因縁をつけるのである。姿形に惑わされぬロンダルキアの民の眼には、明らかに虐待に映った。とはいえ侍従の誰かが窘められるはずもない。 「ウガアアアア!!ウガアアアアア!!」 幼い一角獣族はへたりこむと、単眼から一粒一粒がスライムほどもある涙をこぼして泣き出した。恐怖の余り失禁したのか、股間には水溜りが生じる。ズィータは頬をひくつかせて後退った。 「汚ねぇな…こいつも親のところに突き返せ」 召し使いに命じて、くるりと向き直ると、シドーの神官見習いの少女が二人、手を握り合ったまま、潤んだ眼差しで見上げていた。 「…ん?」 「へ…い…か…ぁ」 「ぁ…」 あどけない頬が上気し、唇は半開き。ゆるやかな法服の前掛けを細い脚のあいだに巻き込み、どちらももじもじと擦り合わせている。布地には沁みが出来ていたが、ギガンテスのそれとは違う意味合いのようだった。余りに兇暴な雄が近付き、遁走が叶わぬ際、一部の雌がする防御、発情による攻撃の回避を本能によって始めていたのだ。 竜王はしばし訝しげに観察していたが、ややあって溜息を吐く。 「フォルとシドーに風邪を感染されても困るんだよ。帰れ」 娘等は立ち上がろうとして果たせず、床に崩れ落ちると、師匠である祈祷師と先輩の妖術師に運ばれていった。 「ったくどいつもこいつも…」 うんざりしたズィータが周囲を眺め渡すと、もう辺りにほとんど息子の”御学友”候補は残っていなかった。あとは広間の隅にベビーサタンが一匹とバーサーカーの娘が一人座っているだけだ。 歩み寄ると、小悪魔の方がきらきら光る目で見つめた。 「おうさまこんにちわ」 「ん?お前は確か…あの時のがきか」 以前、妃が故郷の草木を育てている温室で会ったのを思い出し、竜王は軽く頷いた。 「名前を聞いてなかったな」 「ベリーっていうんだ。おおおじさんみたいにつよくなれるように」 「大叔父だ?…」 長寿故に兄弟が祖父と孫ほどにも年の離れる場合もあるデーモン族の、錯綜した家系図を思い浮かべて、やや眉をひそめてから、しばらく考え込むと、不意に面影に気付く。かつて、先の見えない大戦で失った将軍。ロンダルキアで唯一、挑戦に応じて鉾を向けてきた男。恐らくは弟以外でただ一人、己に手傷を負わせた騎士。 「ふぅん。デーモン族からはお前が来たのか」 「うん。ほんとは、せいせきがたりなかったんだけど。いとこのビータンがすっごくおなかのちょうしがわるいっていうから、ぼくがかわりにきたの」 「そうかよ」 人間も魔族も体の弱い子供が多いなと、竜王は胸のうちで独りごちる。極寒の地に住む民はそろって下界にはない剛健さが特徴だったが、最近は変わりつつある。食べ物が不足しなくなり、小さな村々まで神官たちの施療を受けられるようになって、かつては冬を越えられずに死んだはずの子供が生き延びるようになったためかもしれない。あと数世代のうちに精強を誇った魔族の軍団は、よそと変わらぬ弱卒の集まりに成り果てるのだろうか。 ほかの原因にはまったく思い至らないまま、青年はちびをじっと見つめた。相手はにこにこと嬉しそうだ。少なくとも泡を噴いたり、癲癇のような発作を起こす気配はない。 「で?フォルやシドーの友だちになりたいのか?」 「ううん。いちごを、たべられるかなって、おもったの。だってあつまったみんなに、おきさきさまが、おかしをふるまってくださるって」 「あいつ…食い物で釣ったのか…ったく…まあいい。他にいないから。とりあえずお前が友達の第一号だ」 「え?そう?わかった。じゃ、あそんできていい?ふたりとも、どこにいるの?」 「あー。その辺の侍従に聞け」 「わかった!あ、でも、そのまえに、いちごもらわなきゃ!」 ベビーサタンがぴょんぴょん跳ねながら走り去っていくと、ズィータは最後に残った蛮族の少女を省みた。先ほどの神官見習いと打って変わって、熱っぽいところはどこにもない。どころか主君の御前だというのに大あくびをしている。 竜王はにやっとしかけて、慌てて表情を引き締めた。息子にはまともな、ローレシアに負けないほど立派な学友を選ばなくてはならないのだ。 「おい。お前は?」 「ん?あ、おめが女神様の旦那だな。ひょろっちいなりだなぁ」 さすがに青年は愕然とした。生まれてこの方、かくも無礼な態度に接したのは初めてだ。身分を隠し、連れと二人で下界を旅していた頃も耳にした覚えはない。ひょろっちいなどと。娘は真紅の蓬髪をぼりぼりと掻くと、上から下まで値踏みするようにロンダルキアの支配者を見回して、ふんと鼻を鳴らした。 「まぁ女神様が選んだんだからしょうがね」 「…テパの首狩り族か。何しにきやがった。お前はフォルとシドーの友達にはしねえぞ」 「はぁ?あげな坊主どもに興味などね。おらはちい女神様にお仕えしにきたんだぁ」 「ち…?」 「おうよ」 バーサーカーはにかっと笑って八重歯を剥き出しにした。 「めんこいちい女神様だぁ。おらがお側に上がるちゅうたら、村の皆は大喜びでな。まあずこれは、こんだら山の中のど田舎はくそ寒くてやってらんねえけども、いっちょうこらえて行くべぇと思ってな?」 「田舎で悪かったな」 ズィータは腹立たしいを通り越して笑い出しそうになりながら、懸命に不機嫌そうな顔付きを繕って応じる。少女は立ち上がると、きょろきょろと四方を窺って尋ねた。 「んで?ちい女神様はどこさいるだ?」 「…ちい女神ってのはあれか。カリーンの事か」 「んだ!ほれ、さっさと案内しねか。親爺殿」 「おや…ふは…ふははははははは!!!!!」 とうとう我慢しきれなくなって、青年は腹を抱えると、ごろごろと床に転がった。何がそんなにおかしいのかと、バーサーカーはきょとんとしている。 「おま…お前…名前は?」 「バーサだべ?そっちは?」 何と主君の名前も知らないのか。竜王は、やっと笑いを収めると、目尻の涙を拭って、軽い声音で答えた。 「ズィータ」 「ふーん。名前だけは強そうだなぁ」 「バーサはカリーン付きの侍女になりにきたのか?」 「まっさかぁ。おらぁちい女神様を守る戦士だぁ。ちい女神様に悪さするやつを皆まさかりでぶった斬るだ」 「そうか…分かった。じゃあサルに話を通しておけ…その辺の侍従を捕まえてな。竜王がカリーンの護衛役として許したと伝えろ」 「んだか。んではな」 すたすたと歩いていく狂戦士の少女を、青年はまた吹き出しそうになるのを堪えて見送ってから、不意に天井の穹隆を仰いだ。古代の石組みは世紀の重みに耐えて、しっかりと上階を支えていた。 かつて氷雪の荒れ野に宮殿を築いた王家の祖は、竜の血があったとはいえ、どれほどの労苦に耐えたのだろう。傍らには、地位や身分を越えて、信頼しあえる同胞がいただろうか。胸襟を開いて話し合える仲間は。己にはどうだ。 居たはずだ。少ないながら。まだ進むべき道も分からぬ幼い頃にも。冠を戴いてからも。だがほんの短い間。心を通い合わせ得たかと思うと、先に死んでいった。ズィータの犠牲となって。 「ち…どいつもこいつも…」 縁台で凍てつく風に炙られながら、若き君主は城外を眺めていた。長虫の血は、冷気に抗して燃え盛り、並みの人間なら立ったまま意識を失うような気温にも平然と耐え抜ける。ロンダルキアに座すようになってから、古き種属の特徴は益々はっきりと顕れ、もはや魔族のあいだにさえ、力及び得る豪傑はいなかった。 故に竜王は孤独だった。 「ズィータ」 呼び捨てにする声など、殆ど聞かない。驚いて振り返ると、緑の法服をまとった金髪の若者が少し震えながら立っていた。 「何たそがれてるんだい君は」 「…何の冗談だそりゃ」 「何のって…友達の少ない君を慰めに来たんじゃないか」 「…馬鹿にしてんのか」 青年は押し込めるようにして細い肩を抱き締めた。ラーミアの生まれ変わりだろうと、柔らかく華奢な妃の体が、ロンダルキアの夜に厚い外套もなしで長く外にいられるはずがない。引きずるようにして室内へ戻る。石炭をつまんでいるフレイムの詰め所に向かうと、炎霊は気を利かせ、赤く熱したかじりかけのおやつを残して消えた。 「…ちょっとちょっと!友達を荷物扱いするなよ」 「誰が友達だ」 「ひどいな。サマルトリアのトンヌラ王子。君の相棒だろ」 「つまんねえ格好しやがって。いつものはどうした」 「し、下に着てるよ」 貞操帯その他の玩具の話だ。ズィータは鼻で笑ってから、連れをフレイムの持ち場だった小炉の近くに座らせる。 「弱っちいお前が俺と肩を並べようとしてどうする」 「…僕だって…ズィータさ…ズィータと同じ、怪物みたいなものだよ」 「どこがだ。風邪も引き易いし。月のものが重いと寝込むし。臥所でも大して保たないへたれだろうが」 「うっく…いいだろ!そんなの!兎に角、僕はズィータの友達なんだから」 「…はん…願い下げだな」 「な、何でさ!」 竜王はまた笑って、神鳥から接吻を奪う。いつもの嬲るようなそれでなく、軽い掠めるだけの触れ合い。絹糸のような山吹の髪を梳って、幽かに昇る女の香りを吸い込む。 「こういうのができねぇだろうが、トモダチだと」 「…だけど…だけど…いつも…そんな…ことばっかりじゃないだろ…だから…他の時は…僕はズィータ様の女だけど…男にだって成れる…だから…」 「ち…分かったよ。お前は友達だ」 ぱっと明るくなる伴侶の片頬を、青年は無造作につまんで抓り上げた。 「お前は俺の友達で、女で、男で、奴隷で肉便器だ。いいな」 「ふぃぃ…ふぁい…ズィータ…ズィータ様…」 顔を引っ張られながら、うっとりと応じるトンヌラ。ズィータは手を離すと、また唇を重ねた。今度はゆっくり、強く、貪るように。恋人がする口付けだった。 |
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