Belial's Love Vol.1

悪魔だって恋をする。

ベリアルの恋はあの日、月の城が落ちた運命の日に始まった。

それは一見望みのない、あまりにも法外な恋だった。しかし彼は諦めようとしなかった。自らの命と引き換えにしても、愛する乙女を克ち得ようと、そう決めたのだ。


あれはどれくらい前のことだったろう。

記憶は繰り返し、繰り返し、過去から切り取った鮮烈な光景を脳裏に浮かび上がらせる。

燃え盛る炎がマントの端を焦がし、銀に煌めく鎖帷子は黒い煤を被ってくすむ。シドーの騎士は、赤い雫の滴たる三又戟を片手に、戦の跡生々しい回廊を歩いていた。

横たわる侍女や衛士の屍には、石壁を割って城内に潜り込んだヨロイムカデが這いずり、冷たくなった肉を大顎で引き千切っている。そこかしこ、返り血の飛んだ天井には、疲れを知らぬ物見、悪魔の目玉が張り付いて、触手をゆらめかせながら、まだ息のある守備の兵を捜し求めていた。

焦げた木材から樹脂が爆ぜる音を除けば、凪いだような静けさが、辺りを支配している。

不意に、回廊のつきあたり、最奥の塔へと続く銀の扉の前で、閃光が瞬いた。

ベリアルは足を急がせた。鉄兜の端から広がった長い青髪が、瘴気を含んだ風にたなびく。

先鋒を務めるオークの一団が見える。並の人間なら鎧ごと拉ぐ屈強の魔物共が、あるいは肩を抉られ、毛皮を焼かれ、牙を折られて、槍を杖に互いを支え、呻きながら後退してくる。

勝利を目前にしながら、かくも無惨な醜態を露すなど、あってはならなかった。ロンダルキアの将軍の瞳に、怒りの火花が散る。

「…たわけっ。敵が残るは僅かこの一角のみぞ!」

叱咤に答えて、手負いの一匹が頭をあげ、口の端から泡を吹きつつ喚いた。

「ベリアル様ぁ…あの小娘がぁ…」

びゅっ、と虚空を切る気配が、弱々しい釈明の言葉を途切らせる。

たちまち獣鬼の首は肉の切り株と化して、頭は床に転がり落ちた。剣に非ず、矢にも非ず、いかなる鋼や銅の武器よりも素早く疾る必殺の技。

「…呪文使いか…」

勇者の超常の力を最も濃く受け継ぐ、ムーンブルク王家の血統。そのただ独りの末裔が、たおやな肢体を白装束に包み、錫を真っ直ぐに構えたまま、大扉の前に凛然と立っていた。

まだ子供らしさの抜け切らぬ美貌は蒼褪め、紅の唇も固く閉ざされている。しかし水鳥のように華奢な両足だけは、こゆるぎもせず床を踏み締めていた。緋の頭巾に縫い取られたロトの紋章が眩く輝く度、攻め寄せるハーゴンの紋章は、あたかも崎巌にぶつかった波浪のように砕け散り、容易く押し戻される。

駆け寄る悪魔の整った縹緻に、荒々しい歓喜が迸った。

「ムーンブルクがマリア内親王と見えるぞ!確かにうぬらの手に余る!退け!シドーの守護騎士が一騎、ベリアルが討とうぞ」

云いざま矛先を斜めに繰り出し、可憐な獲物を貫かんとする。

「バギ!」

稲妻の如き刺突は、しかし魔法の刃と噛み合って弾かれた。

片手で呪印を結んだマリア姫の双眸に、挑戦の灯が煌めく。

ベリアルもまた具足を鳴らしながら、犬歯を剥き出して笑い返した。

「良き敵なり。姫御寮の命、それがしの過ぐる百戦のうち、至上の誉れとなろう」

「…わたくしは貴方の首を取って、黄泉路のみやげと致しますわ…」

鉄の大戟と、見えざる利刀とが打ち合い、余波を受けて塔の骨組みが軋む。

悪魔の堂々たる巨躯に対して、王女の細身はあまりにも頼りなく、今にも押し潰されてしまいそうに思われた。しかし、次々とかまいたちを紡ぐ指先は疲れを知らず、脚捌きは巧みで、烈火の如き連撃を受け止め、反って死角を狙い、騎士の急所を断たんとさえする。

決斗は互いに譲らぬまま数分も続いたが、ついに娘が呼吸を乱し始めた。機を窺った悪魔は半歩下がって得物を高く掲げると、竿を風車の如く回す。さらに勢いのついた矛先を振り下ろしざま、ひときわ凄まじい痛恨の一撃を見舞った。

優位故の傲りか、あるいは、王女の天運だったろうか。嵐と紛う破壊の猛威のただ中に、熟練のつわものでなければ悟れぬほど、わずかな隙が生じる。

「マヌーサッ!!」

甲高い叫びとともに、閃光がベリアルの視界を奪った。

マリアは呪文を誦えるが早いか杖を投げ捨てると、腰から短剣を引き抜いて高く跳躍する。スカートの裾が大輪の花の如く翻って広がり、しなやかな太腿を露にした。

「ベリアル覚悟!!」

名乗られたままに敵を呼ぶと、防具に覆われていない首筋へ短剣を突き立てる。雷鳴もかくやという凄まじい咆哮があって、シドーの騎士は仰向けに倒れた。

ムーンブルクの姫は喘ぎながら、護身の武器を引き抜く。鮮血が噴出して、腰下に組み敷いた敵の喉を汚した。

「やっ…た…」

興奮に頬を火照らせてそう呟くと、安堵の故か肩を落とし、張り詰めていた四肢の筋肉を弛緩させる。

遠巻きにしていたオークの間で、罵詈とも悲鳴ともつかぬ唸りが漏れる。王女は、萎縮しきった敵を見渡すと、疲れた表情で、短剣の切っ先を自らの肋の上に当てた。

「ジョゼフ…」

震える声で、そこにはいない誰かに語りかけ、手首へ力を込める。

途端、斃れた悪魔がかっと眼を見開き、己に股がる娘を薙ぎ払った。軽い身体は紙細工のように虚空を舞って、石壁へ叩き付けられる。したたか背をぶつけた痛みにえづきながら、姫が頭を上げると、仕留めたはずの騎士の亡骸が、ゆっくりと起きようとしているのが認められた。

巨躯が膨れ、分厚い胸板がさらに迫り出すと、表を覆う鉄環が軋み、伸び、ついには千切れ飛ぶ。通った鼻梁は広がり、額は歪み、皮膚を破って反った双角が生えた。がっしりした顎はさらに太くなり、雄牛に似た不気味な面相へと様変わりしていく。

両肩は小山の如く盛り上がり、脚は丸太のようになった。浅黒い肌はびっしりと黄金の鱗で覆われ、藍の鬣は縮れて角の間に収まる。蝙蝠そっくりの翼がマントの代わりに背を包むと、ベリアルは、身震いとともに瞬きした。禽獣の眼差しが、真っ直ぐに王女を射る。

「くっ…」

本性を現した悪魔は、もはや人の身で抗う意味さえ虚しくなるほど、圧倒的だった。だが、ロトの末裔は小さな短剣を構え直すと、怯えた素振りもなく相手を睨み返す。

妖魅の首魁は何を合点したのか軽く頷いてから、首筋に掌を当てると、一言短く囁いた。

"ベホマ"

真珠色の光が、黄金の鱗の上を流れ、みるみるうちに傷を塞いでいく。命を賭けた苦闘が無に帰していくのを見せ付けられたマリアは、絶望と恐懼に満ちた口調で、尋ねかけた。

「魔物が治癒の呪文を使うのですか…」

"左様…それがしが不死将軍とあざなされる所以…"

「一騎打ちなど、初めから児戯に等しかったのですね…」

"否、御身の腕に男の力があれば、頚を完全に落とせておれば、それがしの油断故の敗北となっていたであろう"

将軍の淡々とした解説に、ムーンブルクの姫君は何故か微笑を浮かべ、武器を棄てる。

「…わたくしの、負けです…」

ベリアルは床を転がる短剣を拾い上げた。柄に触れた部分から、掌がしゅっと煙を吹く。

"聖なるナイフか…。御身は、この刃にて父の元へ送り仕ろう"

マリアは、聖水で浄められた品をためらいもなく握り締める悪魔に、驚愕を隠せなかった。相手は構いつけず辺りを眺めまわし、にわかに背後を振り返って吠えた。

"タホ"

誰かの名前だろうか。オーク共が心得て道を開けると、廊下の向こうから微かな羽搏きが聞こえた。薄闇の彼方より、緑の翼を持つちっぽけな魔物が翔んでくる。時折ふらつくのは、足に重い手提げ籠を抱えているからだろうか。

”あ〜ん兄貴ったら早すぎるよぉ…あたい、追いつけなくて…って、うわ、オーク臭っ、もーなんでこんなにオークが居るのぉ”

少女が目を点にしていると、タホと呼ばれた魔物は、ベリアルに指図されるまま、籠を床へ置いた。次いで大きく、やけに愛嬌のある瞳で、値踏みするように娘の姿態をねめまわし、ふんと鼻息を吐いて引き下がる。

"化粧具だ"

「ぇっ…」

"内親王ともあろう御身、せめて死に際を飾るが宜かろう"

怖々籠へ指を伸ばし、留め金を外して蓋を開いてみれば、中には手鏡や紅、白粉、眉墨、刷毛、繻子の叩きといった品々が入っていた。元来男が使うらしく簡素だが、質は悪くない。

マリアは唾を嚥んで、紅を手に取った。

「なぜ…こんな慈悲を…」

"慈悲など一片たりと持ち合わせて居らぬ。敵将の首を美々しく装わせれば、獲ったそれがしの誉れというだけのこと…勘違いめされるな"

「…っ…」

いよいよ冥府の戸を間近に感じ、気丈な心も挫けたのか、白装束の肩が小刻みに震える。

悪魔は眉も動かさず、それを見守った。

"ご覚悟を…王家の者には避けられぬ運命…醜態を曝せばムーンブルクの恥ぞ"

「ぅっ…ぐっ…」

"ちぃっ、タホ。兵をもそっと退かせよ"

緑の翼が、承知、という印に丸く円を描いて舞うと、獣鬼の群をキィキィ声で怒鳴りつけた。

”おら、さがりなさがりな。ベリアル兄貴のご命令だよ!!”

軍靴の足音が遠ざかるのを確めてから、将軍は空いた手で三又戟を掴み、裂帛の気合に合わせて壁へ突き付ける。

"イオナズン"

雷光が閃いて、城全体がおののき、天地が逆になるような震動が回廊を駆け抜ける。濛々と粉塵が昇り、あおりを食らったオークは皆酷く咳き込む羽目になった。

殺されるとの想いに竦んでいた少女は、煙たさに涙を零しながら、まだ無事なのを悟ると、訝しげな面持ちで悪魔を窺がった。埃に汚れ、疲労の隈も濃い横顔に、どこからともなく青白い明りが投げ掛けられる。

"見よ、今宵は望月。死ぬには佳い晩だ"

ふと光差す方を振り向けば、回廊の壁から天井にかけて、いつのまにか大きな亀裂が走り、裂け目を通じて、朧に雲がかる夜空が覗いていた。ベリアルの言葉通り、真丸な月が中天に懸かり、皓々と下界を照らす風情は、寒々としてしかし麗しい。

マリアは項垂れると、沈黙のうちにゆっくりと迷いを断った。粛々と布巾を取り、化粧水を湿して顔を拭い、唇に一筋、紅を引く。

「ベリアル」

"何か"

「死ぬ前にお願いがあります」

頭をもたげ、掠れた喉で語句を紡ぐ娘の両瞳には、これまでにない激しい情念が渦巻いていた。将軍は僅かに気圧され、我へ返ると厳しく告げた。

"命乞いは受けぬ"

「いいえ…そうではありません。どうか側へ寄って、あなたにだけ聞かせます」

"何だと"

側に控えるタホが、激しく羽搏きながら喙を入れる。

”いけないよ兄貴!その小娘!何か企んでる。はやく始末しちゃいなよ!”

「企みなどありません。わたくしを戦士として遇するなら、偽りのないことも信じなさい」

"…宜かろう…"

黄金に煌めく巨躯はゆっくりと膝を折り、耳を傾けた。マリアは唇を舐め、口早に意を伝える。

「この扉の向こうに、大怪我をした兵士が居ます。立ち上がれさえしないのです。どうか見逃してください」

"愚かな…慈悲など持ち合わせぬと…"

ベリアルは威嚇するように牙を剥き出した。だが、ムーンブルクの姫君の強い光を帯びた双眸にぶつかって、金縛りにあったように動けなくなる。

「お願いです。無抵抗の者を殺しても騎士の誉れにはならないでしょう」

まるで十柄の剣に胸を貫かれたように、ロンダルキアの将軍は肩をわななかせ、背を反らせて後退った。少女の紅を引いた唇だけが、酸漿のように赭く、視界の中心に残る。

"…断る…なんと下らぬ…"

「お願いです。ベリアル」

"断る!それがしは、女子供にも情けをかけたことはない。まして…"

「お願いです。ムーンブルク王家の最後の一人として、ロトの戦士として乞い願います」

"たわけたことだ。断る!"

「お願いですっ」

"その燃える眼をそれがしに向けるな!苦しまぬよう、死なせてやろう…その兵卒もな"

ベリアルは、己が何か危険な呪文にかかったのを悟り、顎を軋らせながら、短剣を振り上げた。聖なる武器を握り締めていた所為で、掌の皮膚はただれ、焦げた匂いを放っている。その痛みさえ、惑乱の極みにある脳を正常に戻してくれなかった。

悲哀に塗り潰された容貌を見詰めているだけで、心臓が早鐘を打ち、血が熱く滾る。いかなる妖術なのか、どのような効果があるのか、全く想像もつかぬままに、悪魔は、雄牛に似た鼻を激しく嘶かせて、懸命に意識の靄を振り払おうとした。

「ベリアル」

"呼ぶな!御身の言葉は聞かぬ!それがしに何をした…このようなまやかしを仕掛けることが、死に様を選ばせてやった相手に対する返礼か!"

「何もしていませんっ。何もしていない。ベリアル、願いを諾して」

"断る!おのれ、そっ首今すぐ打ち落としてくれる!!"

マリアが諦めたようにうつむいて、首を差し伸べる。

将軍は瞼をきつく閉ざし、力任せに短剣を振り下ろした。


次の瞬間、ベリアルは再び凍りついた。

回廊の遥か後方から、闇の波動が走って、不気味な触手のようにうねると、ごつい手足へとからみつき、ずるずると引き摺り戻したのだ。

「いけませんねぇベリアル。ああ、残酷な…女子供に至るまで鏖…さらに貴きマリア殿下の命まで奪おうというのですか?嘆かわしいばかりです」

芝居がかった喋り方の主は、僧服を纏った男である。二頭のバブーンに両脇を守らせ、口の端に笑みを浮かべつつ、ゆったりとした足取りで、かしこまるオークの間を通り過ぎていく。

中肉中背で、筋骨逞しい魔物の兵に囲まれていると貧相に見えたが、長衣に孕む異様な凶気は、体格の差を補って余りあるほどの迫力を与えていた。

ベリアルは不自然な姿勢で宙に縫い止められたまま、無理に首を捻ってそちらを見遣る。

"ハーゴン猊下…"

「お前の強さは認めますが。こう命令無視をされてはねぇ…か弱い女性や子供は極力生け捕りにするよう、言いつけたはずですよ?」

"お言葉ながら、女子供と雖も武器を取り刃向かう者に容赦はせぬのが戦の常道…"

ロンダルキアの最高権力者は慇懃に微笑みながら、杖を打ち振った。途端、紫電が将軍の全身を這い回り、肉の焼ける臭いが立ち昇る。無体な真似よと、四方のオークは刹那、小柄な神官を睨みつけたが、護衛のバブーンが脅すように唸ると、すごすごと引っ込むよりなかった。

”兄貴!”

タホだけは収まらぬ様子で、悲鳴をあげながら、もがく悪魔の周りを飛び回る。

”ハーゴン様、ハーゴン様、兄貴を許してぇ…”

ハーゴンは杖をぽんぽんと掌にあてながら、謳うように台詞を続けた。

「その固い頭をほぐしてよーく考えなさいベリアル。女や子供に生きていてもらえれば、色々な形で教団に協力して頂き、平和で豊かな関係を築けるのです…それを一人残らず殺してしまうなんて…ひどいと想いませんか殿下?」

マリアはなんと答えてよいか分らぬまま、邪教に投じた神官を見詰める。堕落僧は困ったように唇を窄めると、杖を差し延べ、王女の顎の下に入れて、ぐいと上向かせた。

「貴女の民草の話ですよ?ベリアル直属のオーク軍団は、女子供、老人の別なく、ただ一撃で首を落とす。死の実感さえ味わえない。テパの首狩り族ともと同じだ。残酷極まりない」

しばし口を噤むと、雷撃に痙攣する将軍を身振りで示して、穏やかに頷く。

「そう、生命の実感とは、苦痛と快楽です。ベリアルは彼等の人生を奪い、虚無に放り込む。それを戦士の誉れという口当たりの良い言葉で飾り立てている」

王女は杖から遁れようと首を捻りながら、おぞましげに吐き捨てた。

「殺人鬼でも、礼儀は心得ていました…ハーゴン、あなたというひとは…ロンダルキアの大神官でありながら…なぜ…」

堕落僧の唇が三日月を描く。

「おお、勇ましいことだ…ベリアルのやり方にはもう一つ問題がありましてね。屈服という概念がないのですよ。おかげで彼と戦った敵は奇妙にも、みな最後まで、自分は勝ったと信じて死んでいく…これでは統治とは無縁だ…お分りになりますか?」

「穢らわしい!離せ!」

マリアの痛烈な叫びに、大神官は快さげに目を細めた。まるで、調理のし甲斐のある食材を前にした、熟練の料理人のように。傍に置かれた将軍は眉根に深い皺を刻み、自由にならぬ口を動かして、語句を形作ろうとする。

"…猊下…もはや勝負は…着いております…それがしに…内親王の首を…"

「まだそんなことを言っているのですか。野蛮ですね。丁度良い機会です。貴方に"慈悲"というものを教育して上げましょう。さぁ殿下…こちらをご覧下さい」

ハーゴンは猫撫で声を出しながら、忿怒に開かれた少女の双眸を覗き込んだ。すると、大神官の烟る眼差しの奥に何を見たのか、不意にソプラノの悲鳴が空気をつんざき、壁の亀裂を抜けて夜天へ響き渡る。

「殺して!ベリアル!今すぐわたくしを殺して!約束通り首を獲って!」

異様な妖気の蠢きを感じ、悪魔はまた、束縛から釈き放たれんと身動ぎした。

"ぐ…猊下…お止めを…猊下…それがしの戦いを愚弄なさるも同じ…"

ロンダルキアの大神官は哄笑しながら、杖を掲げた。

「いけませんね王女!死はすべての終わりです!貴女には生を享受して頂きたい…あまたの命を産み出す……雌犬としてね!!」

「いやぁああああああああっ!ジョゼフ!!!」

四肢に巻きつく稲妻をものともせず、ベリアルは両腕を伸ばすと、求めに応じて少女の首をへし折ろうとする。だが新たな霹靂が巨躯を容赦なく打ち据え、不様に床に這いつくばらせた。

ハーゴンは、黄金の鱗に覆われた背中に腰掛けると、にっこりして告げる。

「お前の戦いへのこだわりなど、限りなく無価値だベリアル。何ならお前もあの小娘と同じように犬に変えてやるぞ。どんな戦士も魔法使いも同じ。支配する力の前では、ただの道具に過ぎん。それを忘れるな…さてバブーンども、朝まで王女を犯し抜け。オーク部隊も加わらせよ」

二頭の狒々は涎を垂らして、獲物に挑みかかった。虚ろな眼をした王女はもはや逆らおうともせず、衣服を引き裂かれると、甘えた鼻声を漏らした。

バブーンの片割れは白い下着にむしゃぶりつき、布地を食い破ると、薄い紫の茂みを舌で探り、秘裂の外側を舐り回して嬌声を導き出す。もう一頭は柔らかな尻を揉み潰しながら、菊座に舌を押し当てて、括約筋を寛げ始めた。

野太い指が幾本も、緩んだ双穴を出入りするようになるまで、たいして時間は掛からなかった。理性を喪ったムーンブルクの姫君は、毛むくじゃらの狒々に前後から抱えられ、狂ったように髪を振り乱しながら、喜悦の喘ぎを放つ。

"おお…おおお…"

ベリアルは、信じられぬ想いで、全てを眺め続けていた。

「お前がてこずった相手も、私にかかればあんなものだ」

たいした前戯もなしに、魔獣の剛直が蜜壺へ突き込まれると、純潔が破れた印に、鮮やかな血が内股を瀝り落ちる。次いで排泄口にも逸物が挿入された。マリアは白眼を剥いて失神しかけたが、左右の乳首を千切れるほど捻られて、泡を吹きながら意識を引き戻される。

相手への気遣いなど欠片もない腰使いに、しかし牝犬と化した娘は次第に恍惚と宙を仰ぎ、バブーンの首にしがみついて、尻をくねらせ始める。膣と直腸を締めあげて、少しでも雄を楽しませようと努力しているようだ。

「はは、凄い凄い。いや、大した覚えの良さだ。いい牝犬になりそうだなベリアル?」

悪魔は何も答えられなかった。尤も神官は、答えなど必要としていなかったが。

背中を襲った陵辱者は、王女に肉の腐臭の混じる息を吐き掛け、細首を無理矢理横へ捩じ向けると、どこで覚えたのか人間そっくりに接吻を奪い、激しく口を吸う。正面に回った相棒は、餅のように柔らかな乳房へ噛りつき、歯型を刻んで、流れ出る血を啜った。

マリアは痛みと悍ましさに泣きじゃくり、犬の鳴声で手加減してくれるよう懇願する。だが、答え代わりに頬を叩かれ、髪を引っ張られ、尻を抓られ、あげくいっそう乱暴に咬みつかれると、めそつきながら機嫌を取るように鼻声を出し、震える指で覚束なげにバブーンの鬣を掻いた。

堕落僧が欠伸を漏らして見物する中、巨根の形に膨らんだマリアの腹部が震え、血まみれの双臀から、脂汗と、腸液と、愛液の混ざり物が糸を引いて溢れる。

「おお、バブーンの子種は濃い。いい子を産むんですよ殿下」

二頭の魔獣は、華奢な体躯をしっかりと捉えたまま、したたかに精を流し込んだ。虚脱したまま瞳孔の開ききった両目で天井を仰ぐ王女。僅かな休息の時が過ぎると、狒々はまた激しく腰を突き上げ始めた。

「あ゛ぉっ…あ゛ぉお゛っ!きゃいんっ、きゅうんっ、ひきゃううっ!」

辛うじて媚態を取りながら、牝犬は本能の命じるがままに哭いた。険のとれた面差しは、どこか幸せそうですらあった。


狂宴は終わりを迎えなかった。ボロ雑巾のようになったマリアを、ホイミスライムが取り囲み、身体の外側はもちろん胎内と臓腑へも触手を潜り込ませ、すばやく治癒を終えると、今度は発情した千匹ものオークへと投げ与えた。昼も夜もなく、ムーンブルクの姫君は性欲処理便所として使い回された。

略奪の限りを尽したロンダルキア軍が撤退が完了していく最中、王女には眠る暇もなく攻められ、嬌声を上げ、涎を垂らし、淫蕩に尻を振り立てて雄を楽しませた。新しい牝犬の尻穴と秘所は使い込むほどに具合が良く、駐屯部隊として選ばれた兵は、いつにない喜びの表情を見せた程だった。

ベリアルは指揮権を剥奪され、廃城に留め置かれた。身辺にはいつも悪魔の眼が張り付いて、彼を少女の側へ近づけさせなかった。

騎士はただ鬱勃と明け暮れを数えていた。監視を出し抜く術は心得ていたが、そうしたところで、果たして何をすればいいのか、皆目見当がつかなかったのだ。掌の火傷は癒えつつあったが、胸の奥に空いた穴はいつまで経っても埋まらなかった。

もはや人間を装ういわれもないのに、彼は青髪長身の若者の容姿を纏っていた。雄偉、獰猛な本性は、今の己には相応しくないように思われたのだ。

”兄貴ぃ…もうあれから三日だよ…いい加減元気出しなよ。ハーゴン様ももう怒ってないって”

勝手に妹分を任じる、タホドラキーのタホが、耳元でキィキィと叫ぶ。騎士は薄笑いを浮かべて、窓の向こうを眺めやった。

「…奴の目の前以外で…ハーゴン様、などと呼ばずともよい」

”ぇっ…”

「あれは人間だ…邪神の像さえ無ければそれがしとて何故足下に跪こう…」

”でも、でも兄貴。ハーゴンさ…ハーゴンは人間と魔物が共に暮らせる国を作るって”

「人間などと共に暮らしてどうする」

”え…”

「…人間は…弱い…卑しく、脆い生き物だ」

”ハ、ハーゴンも?”

戸惑いを含んだ問い掛けに、ベリアルは吐き捨てるように呟いた。

「弱いっ!」

”なんであたいに怒るんだよぉっ…”

タホは怯えの余り、翼で顔を隠す。騎士は黙り込むと、ややあって独りごちた。

「…誰より弱いのは、それがしよな…」

”ぇえっ!兄貴はめちゃくちゃ強いよ!バズズのあんぽんたんにだって、アトラスの抜け作だって敵うもんか!ハ、ハーゴンだって同じだいっ”

「…アトラスとバズズを左様に呼ぶな…ふっ。それがしとて、あの日、邪神の像の前に膝を就く日までは、そう思っておったわ。ロンダルキアがデーモン族の長として、肩を並べるのはデビル族のバズズか、一角獣族のアトラスか…だが…くそ、くだらぬお喋りよ」

”兄貴ぃ”

緑の蝙蝠が宥めるように頭上を飛び回るのを、ベリアルは頑なに見ようとしなかった。

「人間…」

突如、騎士は弾かれたように立ち上がると、早足で歩き出し、毀たれた回廊へ踏み出した。次々に角を折れて、いつかと同じように最奥の塔への経路を辿り始めるのを、慌てたタホドラキーが追い掛ける。

幾つかの悪魔の眼が天井を滑るように動いて続こうとしたが、すぐさま三又戟が一閃し、砕けた石榴のような塊へと変えた。

”どこ行くのさぁ”

「タホ。それがしはな…人間を知らねばならぬ」

”はぁ?”

「奴等の秘密を知らねばならぬのだ」

”秘密ってなんだよぉ、兄貴ったらぁ”

道はやがて、あの銀の大扉の前で尽きる。青髪の悪魔は鍵穴に掌を宛がうと、短く呪文を詠じた。

「アバカム」

魔法で施錠された扉が、重々しい響きを立てて開く。ベリアルの脚の運びは、益々急ぎ出した。タホはよろけながらも、ぴったりと背についていく。

”ねぇ兄貴。そっちには何もないよ。ハーゴン様だって気にしてなかったし”

「気付かなかったのだ。マリア内親王の狂態にあてられてな」

”えぇ?”

「無意識か…あるいは…分らぬ…」

銀の扉の向こうには、かつての牢獄と思しき空間が広がっていた。生き物の気配はなく、ただ破壊の跡だけが残っている。王女の話していた兵卒などどこにも見当らない。

荒涼とした塔の内装に注意深い視線を配りつつも、騎士は面差しに失望の色を刷いた。

「内親王は…狂って…いたのか?」

”…人間の言葉なんて信用するからだよぉ…って、ん?ねぇ兄貴。なんか、風があるよ”

タホの翼が、そよぎを受けてふわりと浮き上がった。廊下には明りはないが、独房のいずれかに窓でも開いているのだろうか。だがベリアルはすと眼を細めると、妹分に合図した。

「風の源はどこだ」

”多分あっち”

「案内してくれ」

緑の蝙蝠に導かれるまま、独房の一つに達すると、鍵の開いた鉄格子を抜けて、部屋の中へ入る。窓どころか壁の一角が崩れて、脱出口が開いていた。

「…なんと」

”王女がぶち抜いたのかな?だとしたら凄くない?”

「…シメオン王に違いない…イオナズンでなければこうはならぬ…なるほど、息女を逃す算段をしていたのか…しかし…」

壁の穴から歩み出ると、踵まで泥に沈む。むっと瘴気が立ち昇って、ベリアルとタホを包み込んだ。陽射しに照らされているのはどこまでも続く、汚濁の広がりだった。

「ハーゴンの祈祷師団が呼び寄せた毒の沼に退路を断たれた」

”キシシシ、これじゃー、外へ出ても死にに行くようなもんだね”

デーモン族の長は疑わしげに首を傾げる。

「ああ、しかし健康な者ならば、誰かを担いである程度まで進むことは出来る。ムーンペタまで行くのは叶わぬとても…城壁に沿って、別の棟まで行けるかもしれぬ…ムーンブルクの城は、奇妙な作りでな…中庭がない…いや、パピラスの偵察では確かにあったのだが、どこからも入れぬのだ…」

毒沼などものともしない魔物は、ざくざくと外壁に沿って歩き、やがて同じように壁に穴の穿たれた場所まで辿り付いた。こちらは呪文で無理矢理爆破されたのではなく、古い時代に鑿と槌で打ち抜かれたものだ。

「かつて猜疑心の強い王が、中庭へ通じる元の入り口を壁で塞ぎ、別の入り口を設けたのだろう。今は毒の沼に沈んでいるが、すぐ隣には濠があり、ムーンブルクが誇りとしていたアカシアの木立ちが衝立のように外部からの眼を隠していた筈だ。ここは、いざという際のために穿たれた秘密の通用門というところだな」

タホドラキーが陽気に宙を跳ね回る。

”さっすが兄貴!人間のこと分ってるじゃん!”

騎士は楽しくもなさそうに含み笑いして答えた。

「戦の手法はデーモン族とそう変わらぬ…戦はな…単純で…共通のものなのだ…行くぞ」

二体の魔物は再び暗い城内に入ると、曲がりくねった細い回廊を奥へ奥へと進んでいった。行き止まりと見えたのが右へ続き、十字路と見えたのが一方通行の鉤型路となる。まるで蛇の体内を歩いているようだった。

”うわー、なにこれ、人間てよくこんなもの作るね”

「…中庭へ至る道をこれしか残さぬために、不自然な形になっておるのだ…さぁ着くぞ」

扉の無い戸を潜ると、周囲にまた日光が満ち溢れる。

タホは思わず息を呑んだ。破壊された宮殿の深央には、手付かずの庭園が隠されていたのだ。丹精されたアカシアの樹や、名の知れぬ瀟洒な南国の潅木、色とりどりの絨毯のように藝え込まれた花畑など、全体が緑の芸術品を成していた。

”すっごい綺麗…”

中庭というのが、どんな城でも最も心を尽して手入れされる場所だと知らない蝙蝠は、ただただ感心している。他方、悪魔はといえば、ごく退屈そうな一瞥を呉れただけだった。

「軟弱なことだ…」

”う、うん…え?そうかなぁ…”

「どこぞに、王が潜み暮らすための秘密の小部屋があろう…内親王の言にあった兵卒とやらもそこに居るやもしれぬ」

”兄貴ったら…やけにあの小娘にこだわるじゃん?あたい良くないと思うな”

ベリアルはむっつりと連れを睨みつけ、手振りで探索を命じた。タホは、器用に翼を曲げて、やれやれ、といった仕草をしてから、芳しい華園の上を旋回し、怪しい所がないかを見回る。

”橋の向こうに変な建物があるよ”

「でかしたぞ」

住民の滅亡を知らず、清々とのどかに流れる人工のせせらぎを渡り、木陰にある小亭を目指す。三角屋根を備えた四阿の下には、螺旋を描いて地下へと降りる鉄組みの階段があった。デーモン族の長は柄にも無く緊張しながら、きはざしを一つ一つ踏み締めていった。

「ジョゼフといったな…いかなる臆病者か…主君を見捨て、このような場所に逃げ込むとは」

”…兄貴ぃ…変だよ…なんかひとりごとおおいし…どうしちゃったのぉ?”

「静かにしておれ…敵に気取られる」

”先にしゃべったのは兄貴なのに”

階段を降り切ると、そこは木樽や函が山と詰まれた倉庫のような一室だった。ベリアルが力任せに函の側板を引き剥がすと、中から塩が溢れ出す。

「兵糧か…く、はは…なんとまぁ…」

”兄貴、毒の沼の匂いがする”

「土を染み透ってきたのだ。じきにここも埋まるな。ムーンブルク王家の大計も無駄となる」

”バカだねー人間て…あんな綺麗なもの作る癖にさ!”

タホの台詞に、騎士はぎょっと足を止めた。一瞬脳裏に、紅を引いたマリアの相貌が過り、胃の底に訳の分らぬ泡立ちを覚えたのだ。

「…左様…さて…奴は何処か」

雑念を払うと、五感を研ぎ澄ませ、ぎっしりと四方に並ぶ兵糧の間に、生きた人間の気配を探る。右手奥、隅から、浅い呼吸の音が聞こえた。ベリアルは猫のような忍び足で、そちらへ向かうと、樽の間から標的の居ると思しき辺りを覗き込む。

壁際に幾らか広い空間が設けられ、若い男がうずくまっていた。槍を抛げ出し、鎧の紐を緩め、兜を脱ぎ、ミイラ男のように包帯だらけの四肢を、大の字に広げている。無精髭が生えてきてはいるが、彫りの深い顔立ちは、婦人ならばつい惹き付けられるような怜悧さがあった。

もう少し近づこうとしたところで、兵卒は捨て鉢な喚きを上げる。

「誰だか知らんが。俺にとどめを刺しに来たならとっととやって貰おうか」

シドーの騎士は、積み上げられた函の間から、滑るように進み出た。

「良い覚悟だ。最期くらいはもののふらしく迎えさせてやろう。武器を取れ」

敗残兵は、相手の姿がまるきり人間そっくりなのに驚いたようだったが、タホドラキーを連れているのを認めると、口元に皮肉な微笑を湛えて応えた。

「もののふらしくだ?冗談じゃねーよ。俺は出入りの理髪師だったんだぜ?それがお城の大事とかで武器を持たされて、怪我したらこんな所に押し込められて、ったくあんたら戦好きのお偉いさんに巻き込まれて迷惑もいい所だぜ」

ベリアルの双眸が禍々しく煌めいた。

「成程、ただの虫けらか。貴様がジョゼフではあるまいな。マリア内親王が、貴様のような屑を生かすために我が身を犠牲にしたのでは、筋の通らぬ話よ」

刺のある弁舌が、末尾に至るか至らぬうち、傷だらけの理髪師はがばと跳ね起き、隠し持っていた剃刀を相手の喉元へ押し当てる。あまりの早業にベリアルは毛筋ほども動けなかった。

「あの人がどうしたって?おう、サンピン」

「ほ…ぅ…」

”こいつぅう!!兄貴に何すんだぁ!!”

怒り狂ったタホが、包帯を巻いた腕を鉤爪で引っ掻くと、理髪師は低く呻いて離れ、壁に背を凭れかかって、頭上からの攻撃を防ごうとする。

ベリアルは咳払いして、忠義な妹分に呼びかけた。

「もうよいタホ。それがしは無事だ」

「くそ…中々たいした護衛を連れてるじゃねぇかサンピン…だが、あの人に何かしてみろ…そいつ共々フライにして食っちまうからな」

「やってみるか?内親王はすでにオークやオバケネズミどもの慰み物だぞ。裸に剥かれて、昼夜を問わず番わされておる」

ジョゼフが忿怒の叫びとともに襲い掛かる。騎士は、その横面を張り倒すと、抑揚を欠いた口調で続けた。

「…彼の君は、正気を失う直前に、貴様の助命を嘆願した。それがしは拒んだがな」

青年は床へ這いつくばり、唇から血を吹き零しつつ喚く。

「畜生、殺せ!殺せぇ!てめぇらロンダルキアのクソ共にできるのはそん位だろうが!」

「随分死に急ぐな…一国の王女が身を挺して救わんとした命を、そうも容易く投げ出すのか」

「あの人が…あの人がてめぇらに穢されて、俺だけ生きてられるか!やれよ!さぁやれ!」

ベリアルは忌々しげに顔を顰めると、拳で樽の一つを打ち砕いた。

「貴様、生きて、救い出そうとは思わぬのか!愛する婦人を見殺しにして、己だけ黄泉路へ向かおうとは、恥ずかしくないのか」

「兄貴…」

蝙蝠が不安そうに声を掛けるのを、騎士の肩がうるさげにいなす。理髪師は両目を血走らせて立ち上がると、悪魔の胸元へ詰め寄った。傷が開いたのか、包帯のところどころは赤く滲んでいた。

「てめぇどっちの味方だ!」

「それがしはロンダルキアがデーモン族の長。貴様等人間の敵に決まっておようが!だが、殺すにも、勇気の欠片もない虫けらでは、この腕が不満を云うのよ」

「虫けらで悪かったな。この殺人鬼め。てめぇらは戦わないもんを虫けら呼ばわりしてりゃ満足だろうが、俺達人間様の幸せってのはなぁ、切った貼ったとは別のところにあるんだ!それを頼みもしねぇのにずかずか土足で人ん家に上がりこんで来やがって、女子供爺さん婆さんまで残らず鏖かよ!虫けらはてめえらだ!いや、まじめに生きてる虫けらに失礼だぜ。この穀潰しどもが」

「口先だけは威勢がいいな、だがその啖呵でマリア内親王を守れるのか?それがしに傷一つ負わせられぬ役立たずめが、幾ら吠えても姫御寮の生き地獄は救えぬわ!」

「じゃーどうしろってんだ畜生!」

ジョゼフは滂沱の涙を流しながらベリアルに掴みかかり、また撲打を受けて、壁に叩きつけられた。間髪を入れずシドーの騎士の具足に包まれた爪先が、革の鎧で守られた胸板を蹴り付ける。

「ぐふっ…」

「それがしに訊くな、たわけめが…」

憎らしげに呟く将軍の前に、緑の翼が割り込んだ。

”兄貴もういいよ…もうやだよ…ハーゴンが、あのマリアとかいう小娘にやったみたいなこと…しなくてもいいじゃん…いつもみたいにさくっとやっつけちゃってよ…”

邪眼がかっと見開かれる。

「なに…」

「…殺せ…今すぐ殺せ…死なせてくれ…あの人の側で死ねなかったんだ…」

足元ではジョゼフがうわごとのように呻いていた。ベリアルは舌打ちして、ふいごのように上下する胸から爪先を退かした。

「黙れ虫けら。貴様には死すら生温い。生き恥をさらせ…ベホマ」

癒しの呪文が、理髪師の傷をあっという間に治していく。命を救われた悔しさに啜り泣く青年を独り置いて、青髪の悪魔はくるりと踵を返すと、部屋を後にした。蝙蝠だけが慕わしげにその隣に寄り添う。

長い廊下を歩むうち、先に口を開いたのは、騎士のほうだった。

「タホ…」

”なんだい兄貴”

「頼みがある」

”おう、なんでもいってくれよ。あたいにできることならさ!”

「…あの男の世話をしてやれ。他の魔物に気取られぬようにな。薬草と、毒消し草を運んでやってくれ」

忙しげな羽搏きがぴたりと静止し、すーっと下降を始める。地に堕ちる寸前で我に返ったタホは、慌てて翼を振って元の高度まで浮かび上がると、眼を白黒させながら尋ねた。

”本気じゃないよね?”

「それがしは本気だ」

”だだだって、あいつは人間だよ?ムーンブルクの人間だよ?”

「人間と魔物が共に暮らせる国が欲しかったのだろう…だったら試してみよ」

”だけど、だけど兄貴。あいつは、あいつはハーゴン様に知られたら…”

「様などつけるな。ハーゴンがこの中庭に気付く心配はない。あれはマリア内親王を嬲るのに夢中だろう…銀の扉の鍵を閉ざしておけば、祈祷師のような輩が入り込む恐れもあるまい。毒の沼では、他の魔物も鼻が利かぬ…となれば、ここを知るのはそれがし達だけ…」

”…でもぉ…”

「タホ。お前にしか頼めぬのだ」

タホドラキーの剽軽な顔に、ぱっと華やいだ笑みが開く。

”ほんとかい?”

「何がだ」

”ほんとにあたいにしか頼めないってかい?”

「他に信用できる者がおらぬ」

タホはひょこひょこと触角状の耳を動かすと、錐揉み回転しながらあちこちを飛び回った。

”そんなら…えへへぇ…しっかたないなぁ…めんどくさいけど、あの人間飼うのやってあげるよぉ…でも兄貴もちょくちょく来てよね?約束通りロンダルキアにも連れてってよぉ?あたいムーンブルクみたいな田舎にはうんざりしてるんだ”

「ロンダルキアはタホの故郷よりさらに辺鄙な地だぞ…まあ良い…では頼む」

”うん…兄貴はこれからどうすんの?”

ベリアルは、じっと秘密の花園を眺めながら、己の考えを確めるように言葉を紡ぐ。

「それがしが生きるのは戦場。ここでの戦は終わった。次の戦場へ向かうだけのこと」

”次の?”

「ムーンペタか、サマルトリアか。ハーゴンめの命じるどこかへだ」

”その後は?”

悪魔は大きく深呼吸をして答えた。

「その後は…タホ、お前をロンダルキアへ連れて行こうぞ。それがしの意志と、邪神の像の霊威を戦せるのも一興。ハーゴンが三又戟を前に何をほざくか、聞くのも面白かろう」

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