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細々と営んでいた事業は,子供が積木細工を崩すように粉々になってしまった.灌漑,植林,土壌の脱塩化,学校・病院・水道・道路の敷設.政府の承認を得,村々の長老を説得し,砂を噛むような思いで働いた数十年の成果は,わずか数日で灰に変わった.
おかしな話だ.あそこに見えるバベルの塔が破壊されても,二年とおかず甦ってしまうのに.
『主よ,どうか…彼等に答えて下さい.私の下で銃を持つ若者達が訊ねます.何時ジャヒリーヤは終るのかと.もうすぐだと,私は答えますが,預言者が忌んだ部族同士の血讐は日増しに多くなっていく.影で信徒内部の争いを操り煽る者が居て,中には恥知らずな似非信徒さえ含まれています.仲間は減りましたが,まだ戦えます,しかし…』
口篭もる.間違いだ.志半ばに倒れた先達は皆,弱音など吐かなかった.常に使命を果し,疲労と絶望を退け,喪失は従容と受け入れて来た.聖句を唱え,内側の濁りを追い出す.
『インシュ・マー(主の御心のままに)』
そうだ,希望はある.必ず有る.信徒が,家も土地も誇りも失おうとも,主の教えだけは取上げることは出来ない.自ら投棄てない限りは,決して.
聖地に向って額ずく朱儒を他所に,雪はいよいよ津々と降り始め,瀝青と煉瓦の景色に,薄い白化粧を施していった.
ひとしきり思索を終えてから,短い仮眠を取っていた聖職者は,幽かな金属質の響きを耳にして,現に返った.
床から身を起こすと,じっと戸口の方を見遣る.鍵穴の発条が針金で抑えられる音だ.息づかいが四つ,一つは良く訓練されている.二つはまだ不十分だ.最後の一つは子供のもの.
「誰だ」
問い掛ける.物盗りならば,此方が目覚めていると知れば引き上げるだろう.尤も,新聞社が殆ど軟禁用に確保したこのホテルは高級な部類で,保安設備もしっかりしているようだから,他の目的で来たと考える方が妥当だったが.
答えのないまま把手が回り,四組の足音が床を踏んで入ってくる.やはり独りは成人の女,二人は少年か少女,後一つは子供.暗殺者ではなさそうだ.
「何の用か」
「インシュマー師でいらっしゃいますね?」
甘ったるい作り声だった.若い女,二十歳前後,健康で,喋るのに慣れている.
「夜分にお邪魔してすみません.私達は,貴男を天国へ連れて行く,フーリー…そうお考え下さいな…異国の無聊をお慰めするよう,仰せつかりましたの…」