18.

『大丈夫だ.私を呼んだ事は新聞社にとっても綱渡りなのだ.警察や,情報局,軍部には伝えて居まい』

『しかし』

『ハシーム.お前にはこれを預けておく』

 聖職者は一枚の金属板を差し出すと,長身の若者が恭しく受け取る.

『"主なるマーの名において,七つ目の門を開け".万が一私が捕らえられ,お前だけがシンガポールのサイードに会ったらこの板と今の言葉を伝えよ』

『七つ目の門とは?』

『ファトワだ.占領軍に加わる日本の兵士を,他国の兵士と区別せず殺せというものだ.連中には何も期待できないと解ったからな』

 平然と述べられた言葉に,髯の青年は顔を顰めた.

『今の記者達の態度から決心されたのですか?』

『いやもっと前,幾夜か,この町へ出てみた間にだ.日本人の大半は侵略戦争への参加を喜んでいる.言葉にはしないが,暮し向きが悪いから,鬱憤を晴らす相手が出来たという所らしい』

『信じられない,この前のカスピ戦では核が使われたのに…ヒロシマやナガサキは…』

『死んだのは原理主義者だから,当然の報いだそうだ.今度また日本兵が女子供を撃ったら,ターランとダマスを守備する義勇兵に彼等全員への復讐を許すつもりだ』

『いつ発ちます?』

『明日の安息日が終ったら,福岡経由で船を使う』

『先に行って準備をしておきましょうか』

『頼む』

 ハシムと呼ばれた青年は,インシュマーに信徒同士の礼を交わすと,部屋を後にした.使命感に硬くなった若々しい背を見送ると,聖職者はまた窓へ向き直った.

 ぽつんと,豪奢なホテルの室内に立ち尽くす.戦場にいない時は,殆ど護衛を侍らせないのが習慣だった.どんなに英雄風を吹かせ,獅子とか虎とか呼ばれる男でも,大抵は武装した腹心を側に控えさせるのだが,彼は違った.

 無論独りでいれば常に暗殺の危険がある.インシュマーは合衆国や,社会主義連邦,人民共和国で一級のお尋ね者だったし,味方である筈のチェアラム教国に在ってさえ,王侯や聖職者会議から,蛇の様に嫌われていた.反政府主義者の黒幕とされていたし,チェアラムの二大宗派である正統派と規範派のどちらにも与しなかったからだ.

 しかし死はたいした障害にはならない.朱儒はそう考えていた.むしろ恐ろしいのは不名誉や悪い噂だ.精神的指導者は,実際には面識のない人達の敬愛に支えられているからだ.

 合衆国が今期の生贄をダマスに定め,世界的な緊迫が高まっている状態で,降って沸いたかのような日本行きの話.政敵の罠だとすれば,暗殺よりもむしろ,スキャンダルによって彼の権威を失墜させ,開戦時の抵抗運動の勢いを挫く方が在りそうだった.

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