9.
浄福寺の境内を,しのつく雨が濡らしていた.
まだ蕾も固い八重桜が,苔むした石段の両脇に重く葉を垂れ,じっと陽射しを待つ風情だ.水煙を被った本堂の周りには人気が絶え,ぽつんと,傘を手にした孤影が,静けさに溶け込むように立ち尽している.
「竹島右近と見受けるが…」
下方,茅葺の山門より,問いが発せられる.影は声の方へと視線を転じ,瞬きして答えた.
「また仇討ちの御用かな?」
「また,とは恐れ入る.何,私は貴公を恨む筋合の者ではない…」
同じく傘を差した,しかし第一の影よりは随分と長身の姿が,ゆっくりと上ってくる.それと共に冷たい殺気を孕んだ風が,ざぁっと雨粒を斜めにし,石畳へ叩きつけた.
沈黙の内に,影と影とは向き合った.
竹島右近,と呼ばれたのは,また禿髪の童女と見えた.緋縮緬に金糸の鶯を縫い取った長襦袢を嫌味なく着こなしている.およそ仇討ちとかいう言葉を口にする身分とも思われぬ.,布地の上からでも,若柳の枝の如き手足の形が窺えるし,半襟から覗く首筋は,雛人形と紛う細さである.
他方,先に声をかけた長身の影は,黒無地の着流しの前を乱し,雑に巻いたさらしから,たわわな乳房を零れさせるという,異様な風体である.年の頃は二十歳ばかり.女人にしてはやけに上背と肩幅があるとはいえ,氷のような美貌は疑いようもない.頬に挿れた黒龍の刺青からして,やくざ者のようだが,馬の尾の如く結った髪は骨のように真白で,あるいは地獄の亡者か幽鬼の類とも知れない.
白髪の女は,肩に黒塗りの太刀を掛け,片目を眇めて童児の顔を見遣る.
「噂と違って,可憐な顔をしておられるな」
「それが?」
「美貌を痛みに歪ませるのは,悪くないものよ」
「ならば貴公の方がお似合いになろう.そちらのご尊名も伺おうか?」
「桐生左門」
「"白髪夜叉"の左門殿か.仕掛人だな………時に花はお好きか」
「活ける方を少々嗜むが…何故お尋ねになる」
「貴公の屍が花に埋れる時,その方が此方も気が楽…」
傘がひらりと天に舞う.童女の袖から黒い礫が離れ,螺旋を描いて女の胸へ吸い込まれていく.火花が散って,鞘に収まったままの脇差がくるくると回る鉄の独楽を受け止めた.
「手癖が悪いのう,右近殿」
「生来のことゆえ,ご容赦賜りたい」
「そうは行かぬ」
左門の太い腿が着流しから抜け,草鞋がだっと地を蹴る.銀光が鞘疾って,一閃,虚空を刃音が切り裂いた.右近は猿の如く飛び退り,立て続けに独楽を放ちながら,哄笑を上げた.