7.
左門は玄関で今帰った,とも言わず,草鞋を放り捨てるように脱ぐと,どかどかと茶の間まで上がって寝転がった.越後屋も,殆ど躊躇わずその横に座る.
「要件を話せ」
「桐生様は,竹島右近という名をご存知でしょうや」
「ああ,竹島無刀流とかいう」
「大層腕が立つとか」
「うむ,まだ生まれの干支も迎えて居らぬ年と聞くぞ…鬼か妖の類かも知れんな」
「桐生様と比べて,いかがでしょうか」
「何だ?竹島を斬れというのか.」
越後屋の頭が小さく一つ頷いた.
「お願いできますか」
「…例の桜堤の一件だな.ふふん.息子をかたわにされた城侍共が,内々に復讐と言う訳か」
「さて,あたくしは込入った事情までは…」
と商人らしい惚け方をする.左門はおかしくて仕方がないというように,幾度も寝返りを打ち,畳を転がって叫んだ.
「はっは,仮にも武士ともあろう者が,痛い目を見て親に泣き付き,親は親で仕掛人を頼む.太平の世よなぁ!越後屋,土産はあるのだろう?」
「此方に」
糊の利いた袖元から,油紙の包みが現れる.算盤胼胝のついた指が,丁寧に折目を開くと,中には血のこびりついた鉄の独楽が入っていた.
左門は興をそそられた様子で,差し出されたそれを摘み上げると,幾度か掌中で転がす.
「兜割りか,しかし可愛らしく作ってあるな.竹島右近の得物はこれか?」
「はっ,何でも礫のように放って変幻自在とか.子供の指の力とは思えぬ威力だそうです」
「くくく,こんなものがな…」
しゅっと独楽が手元を離れ,床の間に置かれた花瓶に当る.明末の白磁は,名陶の苦心も虚しく千もの欠片に飛び散った.
「折角お前に貰った名品が…勿体無いことをしたか…」
「お見事です.どこで身に付けられました」
「誰にでも出来る子供騙しよ.海の彼方の大清では,兵法家が良く用いるそうだが.飛蝗石とか,芙蓉銀針とか,まぁ俗に暗器とよばれる枝技だ.武芸の本流には程遠い」
語りながら,今になって連日の放蕩が祟ったのか,白子の瞳は眠気に淀みはじめる.
「しかし独楽の回転の使い方に,工夫の余地があるな.非力さを補うためか…ふふん,良かろう越後屋.引き受けるとしよう.だが,曲がりなりにも武芸者相手だ.高いぞ」
「お幾らになりましょう」
越後屋は涼しい顔だ.千両でも万両でも払ってやるといわんばかりである.左門はつまらなそうに天井の木目を指で辿って,やがて何事かを思いついたように笑みを浮かべた.