9.
「ええと…ゾウキ?お母さんの借金…飛機…乗れない,日本の子供,使う…難しい…でも,もう質問なし.話聞いて.僕とお巡りさん別々に逃げる.魔鬼,片方だけ追う.解る?」
「解る…が,どっちに来るか解るのか」
「僕,捕まえやすい」
「しかしそれじゃ時間稼ぎにならん…」
「…外道没有!捕まる.二人とも死ぬ,意味無い.あいつ殺すのに時間掛ける.解る?」
興奮して喋ると意味は良く解らなかった.しかし,試すほかに道は無さそうだった.飯綱は同意の印に首を折ると,言われた通り忍び足で廊下へ進み,非常階段へ向う.それを確認した阿明は,窓から身を乗り出し,ふわっと猫のように飛び降りた.
扉の把手を廻しながら,理性が囁きかける.あのチビはこっちを囮にして逃げるに決まっているじゃないか.自分が殺されるための作戦など有得ない.何のために彼を助けたかなど….
「阿明!悪い子だ.逃げるとお腹の子が早く孵るぞ!」
化け物の声が静寂を劈き,飯綱は急いで階段へと転び出た.真相がどちらにせよ,化け物は三国人の方に気を取られたのだ.この機会に逃げ延びるよりほか無い.好都合にも,少年は愚かしく甲高い挑戦の叫びを上げている.
「魔鬼!お前は終り!幇の兄弟達,大陸から道士連れてきた.油と火に焼かれて死ね!」
「奴等が,半々の臓器にそこまでする訳ないねぇ.ほら,一匹目の子が孵るぞ.狂う程の快楽を呉れてやろうわぇ…」
「うぐぅう…あいぁああ!…」
逃げろ.今の内だ.放っておけ.時が時ならお前があの子供を殴り,収容所に放り込む仕事をしていたんだ.いや,もっと酷い事さえしたかもしれない.
初めからあいつ等に係りさえしなければ,清水巡査部長も自分も今まで通り生きて行けたんだ.それにただ逃げる訳じゃない.応援を呼んで化け物を始末するためだ.
彼の足が止まる.
いや違う.奴は,捕囚が逃げたと気付けば,すぐ此処を離れる筈だ.そして,二度と警察の前に姿をあらわすまい.少なくとも公然とは.だが,それで助かるのか?姿を見た自分を,奴は決して忘れないだろう.巡回中,休暇中,あらゆる時に,狙い続けるだろう.
今だけだ.彼方より此方が優位に立てるのは.応援を呼ぶ暇など無い.どんな子供にだってそれは明らかだ.あのチビは解っていて逃げる提案をしたというのか.
「畜生!俺は警官だぞ!」
武器を探せ.
およそ警官らしくない行動だった.治安組織の構成員が不必要な危険を冒すのは,全体の損害に繋がる.もし死ねば,清水巡査部長や自分の失踪について,真相は闇に埋れるのだ.