5.
扇が階段を降りると,エプロン姿の母親が大皿に麻婆茄子を盛り付けている所だった.
「マーボーナスだね!」
「そうよ,久し振りに帰ってきたんだもん.一人で淋しくなかった?」
「平気だよ,ずっとゲームしてたから」
「勉強は?」
「ちゃんとやってるよー」
成績の良い息子を余り心配していない彼女は笑顔で頷くと,椅子を引いて扇に席へ就くよう促した.茶碗と味噌汁椀を数えた息子は,ちょっとへの字顔を作る.
「パパは?」
「遅くなるって」
「折角ママの仕事が早く終ったのに」
「タイミングが合わないのは仕方ないでしょう,さ,冷めない家に食べちゃって」
箸を掴んでもぐもぐと好物を頬張り始める姿には,あの凶暴な人喰鬼の面影は無い.母は料理に舌鼓を打つ子供の様子に目を細め,それからちょっと表情を暗くした.
「ねぇオーギちゃん」
「ムグ?」
「もしかしたら,オーギちゃんまたしばらく田舎のお祖父ちゃん家に行って貰うかも」
「えー,お父さんの会社が潰れそうだから?」
「どうして知ってるの?」
声を高める相手を上目遣いに窺って,扇は味噌汁を啜った.
「会社のIR情報と東証で見た」
「インターネット?ませた子ね.見ても解らないでしょう」
「でも調子悪そうだったから…」
眉間に皺を寄せていた彼女は,肩を竦めて苦笑した.
「オーギちゃんになら,私達が両方失業しても養って貰えそうね」
「えー,無理だよ.僕お金なんて持ってないよ.でもお祖父ちゃんの家に行くのはいいよ」
「ふふ,ありがと,ほっとしたわ.さ,食べちゃって」
夕餉の後,親子は並んで洗い物をし,お風呂を済ませた.息子は湯冷めしないように半纏を着て2階へ上がり,母はビールを片手にテレビをつけ,亭主の帰りを待つ体勢を整える.
扇はいつも寝る前にメールボックスをチェックする.仮想世界の運営会社から,パッチ製作に協力してくれだの,新しいNPC Creatureの行動モデルを設計してくれだの,無茶な頼みが来ていた場合,悪の英雄たるOogie Boogieとしては,即刻協力せざる得ないからだ.
だが,運営会社のメールは一通もなく,代りにthunder@wuk.orgというアドレスから1件だけ届いていた.
"Be careful, they'll catch you."