2.
少年は歯噛みして逃げ道を探ったが,時既遅く,生きた毛皮の群はあっという間に痩躯を飲み込むと,素早く地面へ引き摺り倒し,尖った爪で剥き出しの皮膚を掻き毟って,幾つもの赤い筋をつけた.ほっそりした四肢は尚もあがき続け,鋼鉄の煌きと共に,血飛沫と犬の悲鳴が上がり,数頭が鼻面をぬらつかせて,争闘の場から飛び離れる.
隻眼となった猟犬の王は,数で優りながら依然劣勢な味方の有様を見るや,怪我も構わず再び激しい揉み合いに加ると,頑丈な顎で短刀の刃を挟み,猛然と頭を振ってもぎとった.
武器を失った少年は,抗う術のないまま,とうとう両手両足を牙にかけられ,身動きを封じられる.一部始終を見守っていた貴族は漸く安堵の吐息を漏らし,笑みを取り戻すと,押し殺した声音で命じた.
「ヴォーダン,たっぷり食え.かたわになったお前が口にする最後の狩の獲物だ」
灰色の大狗は,短刀を投げ捨てて吼える.他の猟犬共は其々の口に衣の切れ端を咥えると,頭を垂れて退き,彼に道を空けた.残された少年は,露にされた肌をべっとりと紅に濡らし,辛うじて致命傷だけを免れた態で,荒い息をついている.
ヴォーダンは,己に深傷を負わせた難敵へ近付くと,長い舌を伸ばして,こびりついた血を舐め取り始めた.唾液が怪我に沁みたのか,あどけない唇から堪えきれず声が漏れる.
「くっ…ぁっ…」
「ふ…ふははっは…そうか,そうだなヴォーダン.ただ食うのではお前の失った片目の仕返しにはならんな.よしよし」
貴族はひらりと馬から下りると,鞍袋からロープを取り出して,ヴォーダンの側へ歩み寄った.少年の瞳が剣呑に光ったが,細い喉首を牙に抑えられてはみじろぎひとつ出来ない.
腥い息をかけられた気色の悪さに粟を吹いた素肌を,濡れた舌が丹念に舐っていく.その傍らで,貴族はロープに輪を作り,少年の踝に巻きつけた.
「な,何をする!」
「おっと,喋るな…ヴォーダンは耳元で怒鳴られるのを嫌う.今,お前の命は奴の気分次第だ.あるいは自殺が好きなのか?なんなら舌を噛んで死んでもいいぞ」
「自殺だと…お前はそうやって,捕えた人間を脅し,神の教えに反する行いを強制してきたのか?汚らわしい奴…あぅっ」
男は舌足らずな罵りを意に介した様子もなく,ロープの一方を太い木の幹に結び付け,地面に落ちた少年の短刀を拾って端を切り落す.
「自殺は神の教えに反するか…それは重畳.てこずらせてくれた分は,私の猟犬をたっぷり楽しませてくれるという訳だ」
「生きながら食わせるつもりか…勿体ぶらずに…ひっ…」