1.
鬱蒼と繁る森の中,猟犬の群を連れた若い貴族が一騎,獲物を見下ろしていた.
鉄蹄が踏みにじった枯葉の上に,粗末な麻服をまとった童児が独り,挑むような眼をして立っている.年の頃はまだ,十度の冬を越したかどうかと言った所.馬上の狩人は口元に好色な笑みを浮かべると,短い裾から剥き出しになった白い太腿へ,ねっとりとした視線を這わせた.
「小僧よ,命乞いはせぬのか」
「何故聞くっ,面白半分に領民を狩りの獲物にするような悪党が!」
「腰を振って誘えば,情を掛けたくなるような身体をしている故な」
「貴族に媚びる位なら犬の相手の方がましだ!」
既に着衣のあちらこちらを牙と爪に破られた子供は,しかし果敢な叫びと共に,隠し持っていた短刀を抜いて,腰を低く落とす.あくまで闘うつもりらしい.貴族はやれやれと溜息を吐き,不意に鋭く乗馬鞭を振り上げた.
「良く解った…ヴォーダン!片付けろ」
潅木の茂みがさっと揺れ,大きさが仔馬程もあろうかという灰色の猟犬が飛び出す.少年は一瞬意表を突かれたが,すぐにそちらへ向き直ると,反身の刃を逆手に構えて迎え撃った.
旋風のような勢いで人と獣とが組み打つ.暫くして急に,四足の捕食者の方が,絶叫を放って離れる.片目に深い切傷が走って,鮮血が噴出していた.痛恨の一撃を受けたらしい.薄笑いを浮かべていた貴族の顔が,怒りに強張る.
「よくも私のヴォーダンを!」
「はっ,こいつが人肉で育てたという自慢の種か!?大した駄犬だな…次はどんなのが相手だ…どいつが来たって,お前達に殺された姉や兄の分は血を流させてやる…」
幼い容貌が,追い詰められた狼のように歯を剥き出し,周囲をねめつけた.
だが小さな獲物の意外な獰猛さを目の当たりにして気勢を削がれたのか,どの狗も,威嚇の唸りを上げこそすれ,挑戦に応じようとはしない.すっかり面目の潰れた主人は,ギラギラと両目を光らせると,鞭を槍のように真直ぐ突きつけた.
「獲物の分際を弁えなかったのを悔いるがいい.猟犬共,一斉に掛かれ!さぁ!」
いくら嗾けられても,猟獣は揃って頭を低く伏せたままで,狼狽の色を隠さない.その隙に少年は,じりじりと騎馬の方へ間合いを詰める.刹那,小さな反逆者にも,勝利の希望が訪れたかと思われた.
後一歩で鞍上の敵へ飛びかかれるという所で,背後に蹲っていた手負いの灰色犬が,恐ろしい咆哮を放つ.戦意を失ったかに思われた群の長の,突然の雄叫びを聞いて,脅えを見せていた他の仲間はたちどころに勇しさを取り戻し,獲物を目掛け怒涛の如く押寄せた.