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月の光 |
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壁一面がガラス張りになっているホテルの最上階から見えるのは、眼下にそびえる高層ビルの群れと天上に輝く月のみだった。 月齢約十五日。 満月は、都会のネオンさえも凌ぐほどの明るさを保つ。 「竜崎、月って何だと思う?」 ガラスを隔てた外界を眺めていたライトが、ぽつりと呟くように問いかけてきた。 「地球の衛星ですね。赤道半径は一七三八キロ、質量は地球の約八十一分の一になります。恒星を基準とすると地球の周りを周期約二十七・三日で公転します。自転と公転の周期が等しいので、常に一定の半面だけを地球に向けています。太陽の光を受けて輝き、太陽と地球に対する位置によって見かけの形が変化し、新月・上弦・満月・下弦の現象を繰り返します。この周期が約二十九・五日です・・・」 ファイルと書類の山の間から、かろうじて顔だけを見せた竜崎が淡々と答える。 「・・・どこの辞書だよ」 呆れたように溜息をつき、さらに続けようとする竜崎をとめて、ライトがもう一度外を見た。 「月そのものの基本的な定義です」 窓の外には、眩しいくらいの満月が煌々と世界を照らしている。 いま、日本とその周辺の国だけに存在している白い月。 「それはそうだけどね。竜崎はリアリストだ」 「ライトくんはロマンチストですか?」 「少しくらい、夢をみるくらいは許されるだろう?」 月の光を背に振り返ったライトが鮮やかに微笑ったが、間接照明だけの薄暗い部屋の中にいた竜崎には、その表情まで、はっきりと読み取ることはできなかった。 「例えば?」 「・・・僕が三日月のようだと言ったのは、竜崎だよ」 あれは、いつのことだったのだろうかと、竜崎は記憶を辿る。 まだ、そんなに時が経ってはいないはずだったが、ずいぶん以前のことのように思えた。 「・・・そうでしたね」 「今日は残念ながら満月だけどね」 あの時もまた、今夜のような美しい満月だったことまで思い出す。 「ああ、本当ですね。眩しいくらいです。ライトくんは月が好きなのですか?」 資料の山から抜け出して、竜崎は月の隣りに並んだ。 「どうして?」 「気がつくといつも夜の空を見上げている気がします」 「自分の名前だからかな」 そう言いながら、ライトの視線の先は満月に向けられている。 「・・・」 青白い光に浮かび上がる陰影に竜崎は見とれた。 「そんなに特別視してるつもりは無かったけど、竜崎がそう言うならそうなのかもしれない」 「他人の意見を正しいとするのですか?」 「竜崎のことは、信用しているから。僕の判断は間違っていないと思うけど」 「私だって人間です。間違うことも迷うこともあります」 「・・・へぇ?」 興味深げな表情でライトが竜崎の方を向く。 「自信を持って言えることもあります」 そんなライトの視線を真正面から受け止めて、竜崎は少しだけ口元を緩めた。 「なんだろう?」 「ライトくんには月の青白い光がとても良く似合います」 「・・・ありがとう」 少し困ったように月が笑う。 「不満ですか?」 それを見て、竜崎も首を傾げた。 やはり間違っていたのだろうかとも、少しだけ思った。 「最高の賛辞だよ」 満月を見上げてライトが目を細める。 「月の名をもらった僕に似合うのが、月の光だとLに断言してもらえるなんて、きっと二度とないだろうね」 嫌味にも聞こえかねないその言葉に、竜崎もまた目を見開く。 月の光にライトが溶けてしまいそうで、竜崎はライトの腕を掴んだ。 「消えてしまいそうですね」 「まさか。かぐや姫じゃあるまいし」 驚いたように目を丸くしたライトが、苦笑いを浮かべた。 「繋ぎとめておくことはできますか?」 ライトの両の目を捕らえて、問いかけた。 それは、自分自身の願望だったのかもしれない。 「繋ぎとめたいのか?」 「できることならば」 このまま。 誰の目にも触れさせずにおけることこそ、本望だった。 「やってみる?」 「試してみましょうか?」 ライトを引き寄せて、口付けを交わす。 月の光は青白く。 けれど、まぶしく。 人の世で何が起きても変わらず、天上に在る。 終 |
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2006/06/01 |
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2周年です。 |
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