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ありふれた日常に至る五つの方法
 待ち合わせのカフェに芦原が足を踏み入れた時には、すでにの姿はそこに在った。ちらりと腕時計に目を落とすと、約束の時間を少々−−五分ばかり過ぎている。芦原は困ったように首筋を人指し指で二三度掻くと、綺麗に背筋が伸びたの後ろ姿に近付いた。
「−−ちゃん、お待たせしました」
 振り向いた彼女の顔は笑っていて、芦原は力を得たように笑い返した。
「五分の遅刻」
「うん。ごめん」
 殊勝に謝りながら、芦原は彼女の隣りの席に腰を掛ける。彼女の目の前には紅茶のカップが置かれていて、芦原は何を飲もうかと頭を巡らせた。
「昨日、光二くんがね『芦原さんは絶対に遅れるから、暇潰しのものを持って行った方が良い』って、電話で言ってた」
「……そんなに遅れてないよね?」
 アイスコーヒーに胸の内で決めると、芦原はに心配そうに訊いた。
「五分は誤差の範囲でしょ。光二くんには遅れなかったって言っておくから」
「有難う、ちゃん。これで遅れたなんて知られたら、もうちゃん、貸して貰えなくなっちゃう」
 情けなさそうに芦原は天井を見上げて、溜息を吐いた。
「冴木くん、けちだから」
「あははは、それは否定も肯定も出来ないわ」
ちゃん、何とかしてよ」
「何とかねぇ」
 は肩を竦めると、無理ねとあっさり言い放った。
「何とかできるなら、今の私は居ません」
「そうだよねぇ……」
 冴木のに対する我が儘ぶりは両の指では足りないほどだ。困ったものだと大袈裟に顰める芦原の目は笑っている。共犯者のように二人で笑みを分けると、は話を本題に振った。
「今は光二くんのことより、弘幸くんのことでしょ。大体は決まってるの?」
「うーん……。その前にアイスコーヒー買って来て良い?」
「いってらっしゃい」
 がひらりと手を振るのに笑って、芦原はカウンターへと向かった。

 今日、芦原が冴木抜きに冴木の彼女であるとデートをしているのには訳がある。芦原が目下の所、さり気なくアプローチをしている彼女へのプレゼントを、に見立てて貰う為だ。当初、冴木も一緒で構わないと芦原は思ったのだが、によりそれは却下された。曰く『光二くんが居たら五月蠅くて選べない』とのことで、記憶の中から三人で出掛けた時の小煩く口を出している冴木の姿が浮かんだ。
 他の人には無関心と一重の優しさで、スマートに人付き合いをする冴木の、そんな姿が芦原は好きだった。大事なものが分かっている人間は、見ていて潔いと思う。そういう人間は囲碁界には囲碁莫迦という名前で沢山生息していて、かく言う芦原の師匠もその筆頭だが、その中でも冴木の姿は何処か異質に見える。碁とが並び立っている所為かとも思うが、それだけでは説明の付かない、淡々とした冷静さがある。そんな冴木の、院生時代そのままの子供っぽい姿が見られるのはそれはそれで楽しいのだが、現在の至上命題の前では二の次、三の次だった。
 斯くして、冴木に仕事が入って、来たくても来られない日程を選んだ芦原とだった。

「−−それでどんなものをあげたいの?」
 アイスコーヒーを買ってきた芦原が一息吐くのを待って、が問い掛けてくる。
「うん。この間の傘とハンカチといつものお礼って形で、受け取って貰えて、喜んで貰えて、オレからだって印象づけられるようなものってない?」
「無理難題、言うわよね。その子は厚生課の子で、実際、講習会には出てないんでしょう?」
 芦原の意中の相手は企業からの依頼で、囲碁を教えに行っている会社の子なのだ。リクリエーションの一環で開かれている囲碁講習会は興味のある人しか集まらず、日によって人数は上下するけれど、一応は好評であるらしい。前の企画よりも出席者は多いと、週に一度の芦原にとっては至極大切な逢瀬で、彼女が嬉しそうに語ったのは先週のことだった。講習会はもう半分は終わっていて、あと数回でお役ご免となってしまう。その前に何とかしようと彼女の笑顔を見ながら芦原は決意したのだ。
「受講生の中には入ってないけど、いつも一番後ろで聞いてるよ」
「じゃあ、かなり脈ありそうじゃない」
「だと良いんだけど……」
 運命だと思っても、決意をしても、弱気にもなるのが芦原の良いところで、それを知っているは、下向きになった芦原の気持ちを切り替えるように質問を始める。
「段取りとかしてくれているのが、その子なのよね」
「そう!お茶入れてくれたりとか、足りないもの用意してくれたりとかしてくれるんだよー」
「気が利いて、しっかりしてて、派手じゃないけどついつい目がいっちゃう可愛い子なんでしょ?」
 楽しそうに続けるに芦原は驚いて、彼女の顔を見詰めた。
「……よく知ってるね」
「あれだけ聞かされれば覚えます」
「……」
 思い当たること頻りで、芦原は頬を掻いた。
「それに七不思議で彼氏が居ないらしいことまで知っています」
「えーと……」
 自分でも上手く聞き出せたと上機嫌で、冴木とに電話を続けざま掛けたのは、ついこの間のことで、思わず芦原はそっぽを向いてしまった。
「普段使えるちょっとしたものが良いわよね。何色が好きそう?」
 そんな芦原の顔を、はひょいと前から覗き込んで、笑みを湛えながら真面目な声で、尋ねてきた。こういうところがは上手いと思う。長く冴木と付き合ってる所為だろうかと芦原は心の片隅で考えながら答えた。
「……聞いたことない」
「いつもどんな色の服を着ているか覚えてる?」
「えーと、綺麗な色」
「原色系、パステル系、アース系?」
「んー、パステルのような、アースのような」
 僅かに困ったような表情を浮かべて、は次の質問をする。
「小物は何色だか判る?」
「小物って?」
「ポーチとか、ハンカチとか、髪留めとか、筆入れとかボールペンとか」
「……見たことない」
「……」
 正直に言うと『見たかも知れないけれど、覚えていない』だ。芦原は黙ってしまったの顔を、難しい顔をしているのではと恐る恐る伺うと想像と異なり、彼女は済まなそうに柔らかい笑みを浮かべていた。
「……無難なところで手を打ってもいい?」
「ごめん」
 申し訳なくなって、芦原は頭を下げる。の問い掛ける全てにあやふやな答えしか返せず、芦原は自分の観察力の無さに情けなさを覚えずにいられない。あれだけ毎週、彼女を見てるのに、本当にただ見ていただけだったらしい。肩を落とした芦原の頭をぽんぽんとが叩いた。
「こんな細かいこと、男の人は覚えていないものなんだから、気を落とさない」
「そうなの?」
「普通は見ていないでしょう。あ、光二くんは普通じゃないから、一緒にしちゃ駄目よ」
「あー、冴木くんね。マメだよねぇ」
 芦原はと逢う度に、どこかしら褒めている冴木の姿を思い浮かべた。一週間と空けず逢っていて、もう何年にもなるのに、よくぞまあ言葉が尽きないものだと感心する。
「うん、マメ。でも、ここだけの話、嬉しいものなのよ」
 そう言って、ちょっと照れたように笑うが幸せそうで、芦原は嬉しくなって一緒に笑った。
「あー、ご馳走様だ」
「あ、そんなつもりじゃなくてね。光二くんのようにマメじゃなくてもね、何か思ったことがあったら、三回に一回は伝えてあげてって話。勿論、毎回でも良いけどね」
 そう言いつつも、の頬はほんのりと朱く染まっている。こんな風に自分の居ないところでも相手が嬉しそうにしてくれるなら、確かにその効果は大きいだろう。
「判った。心掛ける」
 芦原は有り難くの言葉を頂戴した。

 結局、グラデーションの綺麗なハンカチと洒落た髪ゴムになった。
 綺麗に包装された包みはコンパクトで、渡す時に人目を惹かずに助かると、今更ながらに思った。
「−−弘幸くん。今週、渡すでしょう?そしたら、次の時、彼女がそれで髪を結わえていたら、誘うようにね」
 買い物の後、約束の夕食を奢るのにのお気に入りの和食屋に向かった。日曜日の所為かいつもより疎らな席の埋まり具合で、そこで一刻もしない内に芦原は微酔い加減でお猪口を傾けていた。毎度のことで二人の時にはアルコールに手を出さないだが、芦原にはあれを飲め、これが美味しいと勧めるので、ついつい杯を重ねてしまう。
「してなかったら?」
「……望みは薄いけど、ハンカチを持っているか確かめて。持ってたら、当たって砕けろで誘ってみる」
「うん。でも、どうやって確かめたら良いんだろ……」
「手を洗ったあとにでも、ハンカチ忘れたから貸してって言ったら?」
 あまりにがあっけらかんと言う為、こういうことは冴木に訊いた方が良いだろうかと、芦原は悩む。
「わざとらしくない?」
「わざとらしくても良いの。弘幸くんが笑って言えば、大丈夫だから」
 プレゼントした時点で芦原が彼女に好意を持っていることは九割方、相手も分かっているのだから、彼女がO.K.のサインを出していれば、あとは行動するだけだと言う。
「そうかなぁ」
「そういうものです。髪留めをしていると良いわね」
 の言うことはよく解るのだが、もっと何かスマートな方法はないかと芦原は頭を捻るが、良い感じに酔いの回った頭では何も考えつかない。その場のノリで何とかしようと考えるのを放棄して、彼女の笑顔を思い浮かべる。
「……ああ、なんか今からドキドキしてきちゃった」
「私も」
 と顔を見合わせて笑いながら芦原は、冴木がを好きになって良かったなぁとつくづく思った。本当に冴木は目が高くて、良い趣味をしている。友人と言うより仲の良い姉のようなが傍にいるのは、全て冴木の一目惚れと頑張りと独占欲のお陰なのだ。
 そんなことを考えていたら、の携帯が震えた。多分、冴木だろうと芦原は見当を付ける。小声で出たの顔が何処か嬉しそうに見えるから間違いない。きっと迎えに来るんだろうと思いながら、芦原は冴木が来たらどうやって感謝を表そうか考え、良い言葉を思い付いたと満足気な笑みを浮かべた。

『素晴らしい日々を有難う』

 完全に酔いが回った芦原のその言葉に、冴木が苦虫を噛み潰した表情をする未来はそう遠くない。





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ヒロインとお出掛けの芦原さん。個人的に第三者から見た話というのが好きだったりします。という私の好みは置いておいて、大事なこと。
冴木さん、出てなくて御免なさい…。次はちゃんと出します。  20040723

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