「あそこが本当に日野 エツ子の自宅なの?」
僕の頭の“上”で、龍田川さんが少し疑心気味に首を傾ける。
「一応、僕が招待された所はそこですが……」
羽疎市の外れ――平凡なマンションの二階の一室が、僕が以前日野さんに招待された自宅だと思われる場所だ。しかし、ここは単なる隠れ家の1つかもしれないし、すでに引き払ってる可能性もある。龍田川さんの疑念の声も、それを踏まえたものだろう。
「私が偵察に行きましょうカ?」
僕の頭の“下”で“しょごす”さんが控え目に提案する。でも、
「あの場に日野 エツ子がいたらその時点でアウトよ。リスクが高すぎるわね」
ぴしゃりと言い捨てる龍田川さん。
「しかし、こうして見ていても――」
「――何も進展しないわよ」
“だごん”さんと“はいどら”さんの完璧にハモった発言には、正直、僕も賛同したい。
今の僕達は、下から“てぃんだろす”、“いたくぁ”さん、“しょごす”さん、僕、龍田川さん、“だごん”さん、“はいどら”さん、“ぞす=おむもぐ”さん、“おとぅーむ”さんという順番で、電柱に隠れながらトーテムポールみたいに顔を突き出して、日野さんのマンションを見張っているという状態だからだ。はっきりいってこれは目立ち過ぎるよ。ああ、通りすがりのオバさん達が、露骨に僕達を指差してヒソヒソ話するのがとっても悲しい。
「来たわよ!!」
短く、小さく、そして鋭い龍田川さんの呼びかけに、僕ははっとなった。マンションの2階から階段を降りて行くのは、ぐるぐるメガネがトレードマークの、一件善良で無害そうな女子短大生――日野 エツ子さんに間違いない。
「今ノウチニ攻撃デキナイカ?」
物騒な“おとぅーむ”さんの発言だけど、確かに今の彼女は無防備に見える。でも――
「……やめた方が……よござんす……」
「そうですわね。“くとぅぐあ”神と“とぅーるすちゃ”神の気配が感じられますわ」
さすが旧支配者さん達、不思議パワーによる感知能力もバッチリだ。僕には何故わかるのかもさっぱりだけど。
日野さんは幸いにも僕達とは正反対の方角に進んでいった。もし、僕の方に向かってきたら、この面子では一発で見つかっていただろう……あの方角は僕の家や龍田川さんのレストランとも方角が違う。買い物にでも出かけたのかな。
そんな推測をしている内に、彼女の姿は町並みの中に消えてしまった。
しかし、そうなると今、あの部屋に残されているのは――
「“らーん=てごす”神と、“ひぷのす”神か……外なる神々がいるのは厄介ね」
顎に片手を当てて思案する龍田川さん。あの仕草はどうやら癖らしい。
「まぁ、その御二人がいるとは限りませんから、一応覗いて見ましょう。空き家荒らしでも日野さんにダメージを与えられると思いますし」
「……貴方、性格変わってない?」
「そう思いますか、ははは……」
僕があえて楽観論を口にしたのは、早く日野さん陣営にダメージを与えようと皆を促すためだった。実は“てぃんだろす”や“しょごす”さんは、あまり今回の作戦に好意的ではないみたいなんだ。口には出さないけど、表情や仕草で何となく分かる気がする。そんな意味もあり、僕は少し焦っていた。玉露数杯で買収できた“いたくぁ”さんは別として。
「大丈夫大丈夫、もっと気楽に行きましょう」
……今にして思えば、日野さんの挑発に乗った僕は、恐怖や焦りで自分を見失っていたのだろう。結論から言えば、僕は今回の作戦を心の底から後悔する事になった。そして、僕は愚かにも、全てが手遅れになるまで、その事に気付かなかったんだ。
「――お邪魔しまーす」
自分の耳にも聞こえないくらいの小声で呟いて、僕達は日野さんの部屋に無断侵入した。
中の様子は、以前来た時とほとんど変わりがない。物音1つしない廊下を抜けて、招待されたあの部屋の前に辿り着く。木製の扉の向こうには、人の気配は何も感じられなかった……
……いや、僕にそんなスキルは無いから勝手な想像だけど。
意を決してドアを開ける。がちゃり、という音が妙に大きく聞こえた。
そして、部屋の中には――幸いな事に、人間は誰もいなかった。
ただし、『邪神』さんは1人いたんだけどね。ギャー。
『……うふふ、くすくす』
魔性の美貌の半分を銀色の仮面で隠した、虹色のフード付きマントの怪人――“ひぷのす”さんだ。
「……ええと、その、あの、その、ええと……」
今のうちに日野さんの『接触神』を倒してしまおう!!……なんて意気込んでいたけど、実際に『邪神』を目の前にしたら、そんな分不相応な思いは消し飛んでしまった。そういえば、具体的にどうやって倒せば良いのかとか考えてなかったじゃないか。ああ、僕の馬鹿。
『あははっ、うふふふふっ』
そんな僕の内心なんていざ知らず、“ひぷのす”さんは妖艶に笑いながら、僕の目の前でばっと虹色マントを広げた。その中身は――文字通り、夢の中でしか遭遇できないような、素晴らしい美女の裸身があったんだ。豊満で形の良い乳房、無駄な脂肪の無いくびれた腰、ムチムチとはちきれそうなお尻、すらりとした美味しそうな太もも、細くて折れそうな足首、etc……その美しい柔肌全てに光沢のあるオイルが塗布されていて、角度によって微妙に色彩を変える艶かしい肢体を浮き上がらせていた。
そのあまりの美しさ、魔性の色香に茫然自失となっている僕を、“ひぷのす”さんは虹色のマントで包むように強引に抱き寄せた。
『くすくすくす……』
柔らかいくせに張りのある、極上の肢体が直接僕の身体に混ざり合った。淫靡に蠢く指先がうなじや背筋をくすぐって、潰れた乳房が僕の胸をマッサージするように擦り、勃起したペニスを素股の要領で股間に挟み、2度と離さないように太ももが僕の足に絡み付き、熱い舌先が唇をチロチロと舐める……いつのまにか僕も一糸纏わぬ全裸姿になっていたけど、もはやそんな事を気にする余裕はない。あの『人外の情欲』に支配された僕は、快楽を貪る事しか考えられなかった。
むしゃぶるように“ひぷのす”さんの唇を咥えて、舌を絡め合いながらたっぷりと唾液を交換する。その間にも股間でゴシゴシ擦り付ける素股が、直接的な快感を与えてくれる。我慢が出来なくなった僕は、彼女の腰を持ち上げて正面から一気に挿入した。
『あはははは、ふふふふふ』
何の愛撫もしていなかったけど、“ひぷのす”さんのアソコは僕のペニスをすんなり受け入れてくれた。柔らかく濡れた肉の感触が肉棒全体を包む。彼女の足が僕の腰を挟んだのを確認した僕は、駅弁の体位でガンガン腰を叩きつけた。目の前で妖しく嘲笑う銀の半面が踊り、艶やかな巨乳がブルンブルンと揺れる。
『くくくくく、うふふふふ』
その時、僕の首を背後から誰かが両手で挟んだ。その手の動きに合わせて、僕の頭が背後を振り向くと――妖艶な銀仮面の美女“ひぷのす”さんが!?
驚愕する僕の頭を掴んだまま、彼女の身体が後ろに下がると――なんと、僕の身体が『分裂』して、2人目の“ひぷのす”さんに抱き寄せられたんだ。慌てて後ろを振り向くと、同じように後ろを向いたまま最初の“ひぷのす”さんを犯す僕自身の姿があった。それと全く同時に、駅弁で彼女を犯す僕自身の視点で、分裂した僕も認識できる……
……そう、僕は1つの意識で2つの身体を持つ存在と化しているんだ。この異常な事態に驚く間もなく、2人目の僕のペニスを、2人目の“ひぷのす”さんがシャフトの根元からカリまでを、口全体を使ってねっとりと舌を這わせた。快楽のあまり、思わず腰が砕けそうになる。彼女は右手で陰嚢を軽く揉み、左手でシャフトをゴシゴシ痛いくらいしごきながら、亀頭だけを口に含んで、唾液を混ぜながら舌でクチュクチュ音を立てて舐め回すんだ。脳味噌が蕩けるような快感に耐えられず射精しかける度に、根元をぎゅっと握り締めるのだからたまらない。永遠に続くような快楽地獄――
『あははははっ、あはははははは』
そして、新たな“ひぷのす”さんが僕の手を掴んで、3人目の僕を『分裂』させた。思わずよろけそうになった僕の目の前で、四つん這いになり、いわゆる雌豹のポーズを取った“ひぷのす”さんが、オイルが艶やかなボリューム満点のお尻を左右に揺らしている。僕は無我夢中でお尻にかぶりついた。プリプリの尻肉にたっぷり歯形を残し、ラビアを舐め回して、アナルを音を立てて吸った。唾液でビショビショになったお尻の穴はパクパク口を開いていて、揺れるお尻と一緒に僕を誘っている。それに答えなければならない僕は、何の躊躇いもなくそこに挿入した。精液ばかりかオシッコまで吸い取るようにアヌスが蠢き、僕のペニス全体を痛いぐらいに絞めてくれる――
『くすくすくすくすくす』
背後から僕の胸に手を絡めた4人目の“ひぷのす”さんが、新たに『分裂』させた僕を床に押し倒した。そのまま僕に秘所を見せつけるように跨って、上からその豊満な巨乳で僕のペニスをムニュっと挟んだ。ペニスがドロドロに溶けそうなパイズリが頭の中を真っ白にさせる中、愛液でしっとりと濡れた秘所が僕の顔面に押し付けられる。子宮口まで見えそうなくらい開いたヴァギナを鼻先でくすぐりながら、真珠のように輝く真っ赤なクリトリスを唇で挟み、舌先でコチョコチョくすぐる――
『うふふふふふふふふふ』
更に、新たな“ひぷのす”さんが僕を『分裂』させて、続けて新たな“ひぷのす”さんが僕に跨り、それを新たな“ひぷのす”さんが『分裂』させて、また新たな“ひぷのす”さんが――
駅弁で“ひぷのす”さんとセックスする僕――
69の体勢で互いの性器を舐め合う僕――
バックから“ひぷのす”さんのアナルを犯す僕――
“ひぷのす”さんにフェラチオされる僕――
騎乗位で“ひぷのす”さんを跳ね上げる僕――
ひたすら乳首をしゃぶり、乳房を揉みまくる僕――
座位で――クンニして――足コキされ――スパンキングして――正上位で――
今や何十人にも分裂した僕は、同数の“ひぷのす”さんと絡み合い、全ての快楽を同時に体験して――!!!
「――はっ!?」
如何なる前兆も前振りも伏線もなく、僕は唐突に跳ね起きた。
「ふぅん、思ったより早いお目覚めね」
頭上からの冷徹そのものの、そして2度と忘れられない声。
ゆっくりと頭を上げた僕の目の前には……世界の全てを小馬鹿にするような不敵な眼差しがあった。
日野 エツ子さんが――なぜ、ここに?
「顔がにやけっぱなしだったわよ。いい夢見ていたみたいね」
言葉通り、見下すように僕を見下ろす彼女の隣には、銀色の仮面で顔半分を隠した虹色マントの美女がいる。
これは一体……どういう事だ? 何が起こったのだろう?
「あんたは私の部屋に入ったと同時に、“ひぷのす”神の力で眠らされたのよ。まんまと引っかかってくれたわね」
……そういう事ですか。僕はどうやら完全に彼女の罠にかかったらしい。
無意識のうちに唇を噛む僕――の背後から、
「んはぁああ!! や、やめ…んくぅ!!」
絹を裂くような悲鳴が響き、慌てて振り向いた僕の目の前には――恐るべき光景が広がっていた。
あの時と何も変わらない日野さんの部屋の中では、あちこちに“いたくぁ”さん、“てぃんだろす”、“しょごす”さん、“おとしご”ちゃん、そして“だごん”さんに“はいどら”さん、“おとぅーむ”さん、“ぞす=おむもぐ”さんまでが、力無く床に伏しているじゃないか!!
見た目には外傷は無いし、寝息も聞こえるから無事らしいけど、どうやら“ひぷのす”さんに眠らされるなりして無力化されているようだ。
そして、何より僕の目を引いたのは――
「なんやなんや、そげな声だしてでら感じとんやんか?」
「そ、そんなわけが……んはぁ!」
肱掛椅子の肘掛に足を乗せるようにM字開脚の姿勢で拘束されて、“らーん=てごす”さんに身体中を愛撫される半裸の龍田川さんの艶姿だった。
「けっこう胸が大きいっぺね〜」
藍色のスーツを剥ぎ取られて、白いブラの上から念入りに乳房を揉みほぐされる度に、龍田川さんの大きな胸は食い込む指に合わせて形を変える。
「痛っ……んんっ! やめてぇ……はあぁ!!」
屈辱と怒りに震える龍田川さんの声には、しかし明らかに快楽の喘ぎが混じっていた。
「んふぅ!! だ、ダメっ!!」
ブラと同じく白いショーツに、“らーん=てごす”さんの指が容赦なく這い踊った。シュッシュッと音を立てて上下する指先に合わせて下着が食い込み、ラビアやクリトリスの形までしっかりと浮き上がらせる。
「やぁああ……あはぁ!…はぁううう……んんんっ!!」
今や純白のショーツは愛液でじっとりと濡れて、ピンク色の秘所もしっかりと透け見えていた。龍田川さんの声も、完璧な喘ぎ声と化している。やはり、彼女も『人外の快楽』に支配されてしまって――
「……これだから男って嫌よね」
日野さんの軽蔑しきった声に、僕は慌てて龍田川さんから視線を反らした。いけないいけない、僕が彼女に見惚れてどうする。
僕は改めて日野さんを睨んだのだけど……
「今更そんな顔してもだめよ」
やっぱりそうかぁ……
「さて、向こうはお楽しみ中だけど、そろそろ本題に入るわね」
鬱陶しそうにぐるぐる眼鏡を外す日野さん。あの美しくも冷酷な瞳が露となる。情けない話だけど、あの絶対零度の視線を見た瞬間、僕の敵愾心はあっという間に雲散霧消してしまった。とほほ……
しかし、それを再び奮い立たせたのは、次の一言だった。
「このままあんた達を抹殺すれば全てが終わるんだけどね、それじゃ面白くないわね……ねぇ、あんた達の『邪神』、私にくれない」
『ちょっとお醤油貸して下さい』……そんな感じの軽い口調だったので、思わず僕は『はい、いいですよ』と答えそうになって――憤慨した。
「そんな事できるわけがないじゃないですか!!」
「そ、そんな事が……ああうっ! 許されると……んくぅ! 思ってるのぉッ!!」
龍田川さんも喘ぎつつ異議を唱える。
「『接触者』が自分の『接触神』を失うのが惜しいというのは理解できるけど、自分の命よりも大事なわけ?」
「いや、そういう問題じゃなくて……あの御方達は神様ですよ? そんなモノみたいに……」
「そんな罰当たりな……きゃふう!!」
日野さんは軽蔑しきった仕草で肩をすくめた。
「これだから宗教関係者って輩は度し難いわね……あんた達、『邪神』ってそんなに偉い存在だと思ってるの?」
「なっ……」
「『神』だなんて大層な異名を持ってるけど、『邪神』ってのは宇宙的スケールの超常生命体、ただそれだけなのよ。人間の想像を絶する力を持ってるから、神様みたいに扱われているけどね」
「いや、それは……」
「なによ、『邪神』が本当に全知全能で、人間を虫ケラみたいに思える究極存在ならば、こうして私達に従う筈もないでしょう? でも、現にこうして私は『邪神』達を従えて、手足のように扱う事ができる……それが事実よ。あんただってそうでしょう?」
「違う! 少なくとも僕はそんな事考えていない!!」
「本当にそうかしらねぇ……それなら、なぜあんたはこうして“いたくぁ”神を初めとした『邪神』達を手駒にして、私の家を襲撃したわけ?」
ぐっ……息が詰まるような絶句が、僕を襲った。
「『邪神』を撃退する方法がわかったから、攻めに行こう。みんな手伝え。ねぇ……まるで私や龍田川、それに雲井みたいなやり方よね。いい? 所詮あんたも私と同類なのよ」
勝ち誇る日野さんに対して、僕は何も言い返せなかった。確かに僕は思い上がっていた。彼女の罠にかかったのかもしれなけど、今までの僕ならば、それでものんべんだらりとマイペースを貫いて、自分から他者を傷付けようとなんて考えもしなかった筈なのに……
僕は心の底から反省した。ただ、それももう遅過ぎたかもしれない。彼女の言う通り、僕は傲慢な人間に過ぎないのかもしれない。
「……日野さん」
僕の声は小さかった。自分の耳にもはっきり届かない。
……でも、それでも……
「……貴方は間違っています。日野さん」
それでも、僕はその言葉を口に出せた。
具体的に何がどうとは言えない。ただ、彼女の考えは何か非常に根本的な部分で間違っている――僕にはそう思えた。
「何が間違っているのかしら? こうして負け犬になってるあんたが言っても説得力はないわよ」
僕の呟きは聞こえたらしいけど、それでも日野さんは勝ち誇っている。
「この世界に本当の意味で『神様』なんて存在しない。『神』は人間が考えた概念に過ぎないのよ。人間が考えたものを人間が利用できないわけがないでしょう? 所詮『神』は人間に勝てないのよ――」
『お前は間違っている。日野 エツ子』
その時――この場の誰でもない声が響いた。朗々と、高々と、まるで『神様』の声みたいに。
「だ、誰!?」
ここで初めて、日野さんの美貌に動揺が走った。いや、びっくりしているのは僕や龍田川さんも同じだけど。
『神は全能であり、神に不可能はない。神の言葉は常に正しく、神の意志は真理である。それが矛盾した不可解なものとうつるのは、矮小な人間という生命体如きには、偉大な神の御心を理解できないからだ』
この口調……そして響き……どこかで聞いた覚えがある!?
『なぜなら、それが可能な存在こそ、神が神と呼ばれる唯一にして絶対の条件だからだ。神が究極の存在なのではない。究極の存在を神と呼ぶのだ。そして、我々が遭遇している『邪神』には、そう呼ばれるだけの偉大な力がある』
これは……まさか!?
「ゲルダさん!!」
「退魔組織の者か!?」
「御名答!!」
驚愕した次の瞬間、僕の“影”がむくりと起き上がり、モーフィング映像みたいにみるみる輪郭を変えて膨らみ色が付いて……シスター衣装の妖艶な美女、ゲルダさんの姿となったんだ!!
「ちょっとちょっと、アタシもいるわよン♪」
がしゃあああん!!
盛大な破砕音とガラスの破片を撒き散らして、でっぷり太った陽気そうな髭モジャオヤジ、アルタン・ボブロフ氏も登場する。足場もないのにどうやって2階の窓に飛び込めたんだろう? 例の怪しい空中格闘技なのかな。
「ゲルダさん!! ボブロフさんも!!」
「あまり我々に手間をかけさせないでくれたまえ」
「ここはアタシ達にお任せよ♪」
ゲルダさんが短く傾き、ボブロフ氏が濃厚なウインクを送る。
「人間如きがぁぁぁ!!!」
日野さんが人が変わったみたいに吼えた。右手を素早く振り下ろすと、今まで龍田川さんを責めていた“らーん=てごす”さんの姿が消えて、次の瞬間、僕達の目の前に踊り出た。
カニのはさみを連想させる、外骨格状の鉤爪が振り下ろされる!!
バチィ!!
しかし、それがゲルダさん達に触れる直前、目に見えない壁にぶつかったみたいに跳ね返って、なんと“らーん=てごす”さんがよろめいたんだ。
「馬鹿な!?」
日野さんが驚愕の声を漏らす。
「我々を舐めるなよ『接触者』――今の我々は『地球本来の神々』の力を借り受けている。『邪神』としては、また別の名前があるらしいがな」
「力を借りるには手続きやら何やらで時間と手間が恐ろしくかかるしィ、ほんっっっっっっっのちょっぴりしか力を借りられないけどネ」
「……それを言うな」
何だかよくわからないけど、どうやらゲルダさん達は『邪神』を相手にしても、ほんのちょっぴりだけ戦える力を得ているみたいだ。
そして日野さんは、心の底から悔しそうに歯軋りして、美しい顔を憎悪で歪めている。どうやら他人を弄ぶのは得意でも、他人に弄ばれるのは慣れてないらしい。
「『擬似資格者』というわけね……しかし、所詮は人間。“ひぷのす”神と“らーん=てごす”神が本気を出せば――」
「もちろん、ひとたまりもなくやられちゃうけどォ」
「その相手は、彼女達に任せよう」
ゲルダさんの嘲笑に、愕然と日野さんが振り向くと――
「――よくもやってくれたわね……100兆倍に利子付けて返してあげるわ」
“だごん”さんにロープを解かれて自由を取り戻した龍田川さんが、思わず逃げ出したくなるくらい迫力を込めて仁王立ちして、その周りには元気な“だごん”さんに“はいどら”さん、“おとぅーむ”さんに“ぞす=おむもぐ”さんを侍らせているじゃないか。
そして――
「わん、わんあぉん!!」
「御無事ですカ、御主人様」
「……玉露1000杯追加……」
“いたくぁ”さんに“てぃんだろす”、“しょごす”さんに“おとしご”ちゃんまでが、元気な姿を見せてくれたんだ。今はまさに一触即発な状況なので、駆け寄って抱擁するというわけにはいかないけど。
「遊びが過ぎたな日野 エツ子。後で味方にするため“ひぷのす”神の眠りを浅くしたのが間違いだ。密かに覚醒させるのは容易だったぞ」
「おのれぇぇ!!」
怒りに燃える日野さんは、今にも全身から炎を噴出しそうだった……って、あれ? 物理的に彼女が燃えている!?
「“ひぷのす”神!“らーん=てごす”神! 彼奴等を皆殺しにして!!」
実に物騒な捨て台詞を残して、日野さんの姿は炎に包まれたかと思うと、跡形もなく消えてしまった……
……焼死したわけじゃないよね?
……って、そんな事を気にする余裕はなさそうだ。言われた通りに“ひぷのす”さんと“らーん=てごす”さんが、僕達の方にゆらりと近付いて来る。
「非戦闘員は退避したまえ」
「アナタと龍田川ちゃんの事よン」
言われなくても、僕は皆を連れて脱兎の如く逃げようとしたけど――
「……ここに来る直前、君の家に“とぅーるすちゃ”神と“くとぅぐあ”神、そしてもう1柱謎の『邪神』の存在を感知した」
「!!」
驚愕する僕に、ゲルダさんが言葉を続ける。
「おそらく、狙いはン・カイだろう……早く行きたまえ。日野 エツ子もおそらくそこにいる」
「ここはお任せ下さイ、我々が引き受けまス」
「わん、わわん!!」
「……私は……逃げたいけど……」
“しょごす”さん達も(1人を除いて)僕を促してくれている。それで僕の腹は決まった。
「ほらン、龍田川ちゃんも逃げて――」
「あたしは残るわ。ダゴン秘密教団・ニコニコ組の巫女として、“くとぅるふ”様の『接触者』として、“だごん”様達の戦いを見届ける義務がある」
そして、龍田川さんは、初めて僕に素直な笑顔を見せてくれた。不敵で、男勝りの――優しそうな笑みだった。
「グズグズしてないで、早く行きなさい!! 赤松 英!!」
その声と皆の視線に押されるように、僕はマンションから飛び出した。
「皆さん、ありがとうございます!!!」
「――“つぁとぅぐあ”さん!?」
十数分後――数億円単位のチップをタクシー運転手に渡し、あらゆる交通規定を無視して帰宅した僕は、死に物狂いで階段を駆け登り、押入れの中に飛び込んだ。
無論、神々の戦いに単なる人間に過ぎない僕が乱入しても、何も変わらない事はわかっている。それどころか足手まといになるのが関の山だろう。しかし、それでも僕は彼女の元に足を進めずにはいられなかった。もう、これは理屈じゃないんだ。
無限に続く一瞬、闇の中を落ちる感覚の後、僕が目撃した光景とは――!!
……暗黒世界ン・カイは、しかし今は暗黒の世界ではなくなっていた。
闇の世界が3種類の光に満たされている。
翠緑の炎――真紅の炎――そして、蒼い輝き――
「…………」
空中に浮かび緑の炎を全身から吹き上げる、中華風の着物を纏った美貌の仙女“とぅーるすちゃ”さんの前には、“あぶほーす”さんがいる。普段から灰色の泉みたいに地面に広げていたフレアスカートは、今は闇の地平線の彼方にまで広がって、まるで巨大な灰色の海のようだ。そして、灰色の海面のあちこちから、巨大な灰色の触手が生えて、“とぅーるすちゃ”さんを牽制するようにうねくっている。
「流石に一筋縄ではいかないわね……」
巨大な竿状武器を翻し、全身を紅の炎で隠した中華風女武者“くとぅぐあ”さんと対峙しているのは、我等が“あとらっく=なちゃ”さんだ。ただし、黒いセーラー服のスカートの下が、全長数百メートルもの巨大な漆黒の蜘蛛に変化した。
そして――
「つ、“つぁとぅぐあ”さん!?」
「……まさか、ここに来るほど馬鹿だとは思わなかったわ」
力尽きたように岩肌に寄りかかりながら、ぐったりと動かない“つぁとぅぐあ”さんと、彼女を見下ろす日野 エツ子――その傍らに浮かぶ巨大な機械の邪神――
――金属製の触手を蠢かせる、全長数十メートルものスズメバチ型戦闘機動兵器――
そして、機械のスズメバチの頭部キャノピーの中に浮かぶ、全裸姿の可憐な蒼髪の少女は――!!
「……“ばいあくへー”さん……」