第二章「変な事」

それから、暫く俺達はお互いを避けていた。別に子供の頃よくやった「絶交」とかいうのではなく、
なんとなく気まずくてお互いに誘いに行かなかったというべきだろうか。それに、どういうわけかみんな缶蹴りもしなくなった。
両親もあんなに毎日べったりくっついて遊んでいた愛美ちゃんとさっぱり遊ばなくなったの
で、心配して何かあったのかと聞いてきたが、俺は何も言わなかった。というよりも、とてもじゃないけどいえなかった。
夏休みになって、俺は、親戚の家に2、3週間くらい遊びに行った。
毎年恒例の事でちょうど同い年と二つ上の従兄弟がいて、学校の友達よりも好きだったのでいつも楽しかった。
でもその年は、愛美ちゃんの事が気になって仕方なかった。早く家に帰りたいと思った。
彼女が言った「すごく変なこと」に思いが及ぶと、股間がムズムズした。

家に帰ると、さっそく愛美ちゃんの家に行ったが、彼女の家は留守だった。
そのあと、数日さらに悶々とする日々が続いた。夏休みも終わりに近づき、
宿題の黒雲が目の前に立ち込めていた頃だと思うが、愛美ちゃん一家が戻ってきた。俺が悩むまでもなく、
彼女の方から誘いに来た。彼女はもう恐い顔はしていなかった。 久しぶりに二人で隠れ家の空き家に行った。
俺は、夏の間じゅう何回も考えていた「変なこと」について言い出す勇気が無かった。
愛美ちゃんもわざとその話題を避けているようだった。俺達は、何も無かったように、
例によって服を替えたりして遊んだ。股間を見せ合あってからも、お互いの前で裸になるのはなんとなく恥ずかしく、
ダンボールの向こうとこっちというように隠れて服を脱いでいた。俺は、一人になってからも、
「変なこと」のことを考えて悶々とした。愛美ちゃんの「オチンチン」の穴に自分のオチンチンを入れる事を想像して、
一人でドキドキしていた。そして今度会ったら絶対その話をしようと決心した。

その次の日、愛美ちゃんにあうと、俺は勇気を振り絞っていった。「あの、前言ってたさあ」。
でもそこまで言ってそこから先が出てこない。愛美ちゃんも同じ事を考えていたに違いない。
彼女が助け船を出してくれた。「あの変なこと?」と彼女がいうと、俺は顔が真っ赤になった。
彼女は「もういいよ別に、気にしてないから」といった。俺はきゅうに力が出てきて、
「そうじゃなくて、やるって約束したじゃん。だからやろう」といった。
彼女は信じられないようなかおをして、嬉しそうに「うん、やろう」といった。

俺は、この時のことを大人になった今でも鮮明に覚えている。彼女はパンツを脱いでソファーに座って足を曲げて、
股を広げて、両手で割れ目を広げた。俺は、ドキドキしながらズボンとパンツを脱いで、彼女の前に立つと、
カチカチになって水平に突き出したオチンチンを彼女の股間に持っていった。
待ちに待った、待望の瞬間だった。夏の間何回も何回も頭に思い描いた瞬間だった。俺は息遣いが荒くなった。
俺は、彼女のピンク色の入り口にオチンチンの先を当てて、押してみた。一刻も早く中に入れたくて、
あせって、ぎゅうぎゅう押してみたけど、なかなか入らなかった。頭の中で何回もリハーサルをかさねた筈なのに、
うまくいかない。俺の心臓は、興奮のあまりはちきれそうで、バックン、バックンという鼓動が全身につたわるのがわかった。
愛美ちゃんも、緊張してるのか、「フゥーッ」と大きくため息をついた。そして、以前やったように、
両手の指先で俺のオチンチンの皮をぎゅうっと後ろに押して、亀頭を露出させてから、自分の入り口にあてがってくれた。
そこでもう一回ぎゅうっと押すと、今度は難なく中に入っていった。堪らなくムズムズし、
頭にカーッと血が上ってくらくらしそうだった。全部中に納まって、俺達の股間はぴったりくっついた。
愛美ちゃんは僕の方をみて、嬉しそうにニッコリ笑った。その瞬間、ムズムズ感が頂点に達し、
俺の中で何かがはじけるような気がした。俺は、オシッコか何かが漏れるんじゃないかと思って、
あわててオチンチンを引き抜いた。鋭い快感が股間からキューッと押し出され、
それが背筋をや両足を伝わって全身にひろがった。そして、お尻から股にかけての筋肉が
ギュッ、ギュッ、ギュッと痙攣し始め、そのたびに、なんともいえない快感が波のように広がった。
オチンチンもそれにあわせて、ぴくぴくと波打ったが、心配したようなものは何も出てこなかった。

これが俺の始めてのオーガズムだった。なにが起こったのかわからない彼女は、
心配そうに俺の顔を覗き込んで「どうしたの?」ときいた。おれは、「わかんないけど、何か漏れるかと思った。」といって、
ハアハアと肩で息をしながら快感の余韻にひたっていた。

それからというもの、俺たちの興味のもっぱらの対象は「変なこと」に移った。もう「服替えの練習」もしなくなった。
学校が終わってから毎日のように空き家に入ると、この禁断の遊びに夢中になった。
俺達は精神的にもまだ思春期を迎えてなかったし、その時点で恋愛感情と呼べるものはまだ無かっただろう。
それよりもむしろ、そのときに俺達を「変なこと」に熱中させたのは、単純に好奇心と快感だけだったと思う。
そのころ、他にそんなことをしていた子供がいただろうか?俺自信はどちらかというと何でも奥手の方で
(中学二年まで精通が無かったし、声変わりは高校2年)、この遊びにしても、
愛美ちゃんがいなければ思いつきもしなかったはずだし、じっさい大人の遊びをしているという意識すら全く無かった。
というか大人がそんな事をするものだ、ということすら知らなかった。俺はどちらかというと、
数々の悪い遊び(例えば創業停止した工場の窓に石を投げて割るなど)の一種のような感覚だったと思う。
唯一つの違いは、この遊びには肉体的な快感が伴っていたということだ。
でも今考えると、愛美ちゃんは相当なおませちゃんだったのかもしれない。

彼女はそれに悪知恵にも長けていた。俺は基本的に素直でいい子だったので、自分から悪いことはあまりしなかった。
そのころ、俺達は同じそろばん塾に行かされていたが、彼女にそそのかされて2,3回に一回はサボるようになった。
俺は罪悪感にさいなまれたが彼女はへっちゃらだった。「行ってきます」といって家をでてから、
途中の駄菓子屋さんまで行ってそこで、おやつを買って、そのままUターンすると、
見つからないようにこっそりと空き家にもどった。そして、時間を見計らって、何事もなかったように帰っていった。
これは、見つかる危険性はかなり高かったが、他にいい隠れ家がなかったからしょうがなかった。
それに 秋も深まって日が短くなってくると、もう帰る自分には真っ暗だったが、
電気をつけるわけにも行かず、真っ暗闇であそんでいた。

幼い俺達のエッチは、大人のそれとはずいぶん違ったものだった。
まず、前戯だの愛撫だのなんて面倒くさいものは一切無かった。当然キスもなかった。
キスは大人が、好きな人するものだと思っていた。だからいやらしいと思っていた。裸になることも無かった。
「変なこと」を始めてからも、相変わらずスッポンポンになるのは何となく恥かしくて、俺達はパンツだけを脱いで、
入れた。それから、セックスというものを知らない俺はピストン運動という概念が無かったので、
最初の頃はオチンチンを愛美ちゃんの中に入れるだけだった。でも、それだけでムズムズして気持ちよかった。
精神的にギンギンに興奮しきっていたうえ、愛美ちゃんがちょっとでも体を動かすだけでもオチンチンを十分刺激するので、
そうこうしているうちに、俺はたいていイってしまった。愛美ちゃんも、オチンチンを入れると気持ちはいいみたいだったが、
まだいったことはなかったみたいで、俺がいく時どうなるのか知りたがった。でも俺には説明のしようが無かった。
だから俺は行きそうになると、抜いて、オチンチンがピクピクなるのを見せてあげた。
すると、彼女は喜んで、「もう一回いれて」といった。こうやって、俺たちは、何回もオチンチンを入れて遊んだ。
その頃はまだ、射精が伴わなかったせいか、いった後も、オチンチンは堅いままだったと思う。
あるいは柔らかくなってもまたすぐ復活したのかもしれない。とにかく二人とも飽きるまで、何回でもやった。
それに、入れようとしたけどフニャチンで困ったという記憶も一度もない。

「変なこと」に関しては、愛美ちゃんが完全に主導権を握っていた。新しい体位を考えるのも彼女だった。
最初のうちは愛美ちゃんが座って俺が立って入れるだけだったが、そのうち、他の体位も試すようになった。
あるとき、俺がソファに座って、愛美ちゃんが俺の上にまたがるように向かい合って座って、入れていた。
最初、腰の位置をいろいろずらしたりしていた愛美ちゃんは、そうすると気持ちいいのを発見したのか、
自分の股間を俺の恥骨に押し付けて擦るような感じに前後にゆっくり動かし始じめた。
しばらくその動作を繰り返しているうちに、彼女の様子が変になったとおもったら、
「あー、なんか、ねーなんか、あー」とか言いながら、きゅうっと全身に力を入れて体をそらしたかと思うと、
そのあと俺の 体にしがみついてきた。彼女の穴が俺のチンチンをギュッ、ギュッ、ギュッと、
リズミカルに締め付けてるのを感じたので、俺には、彼女がオーガズムに達したのがすぐわかった。
俺にしがみついたままの愛美ちゃんに「愛美ちゃんも、なった じゃん」といったが、彼女は何も言わずに、
ただ肩でハアハアと息をしながらオマンコを、ビク、ビクと収縮させ続けていた。

それからコツを覚えたのか、愛美ちゃんも徐々にいくようになった。彼女は、いつも悩ましく腰を動かした。
そして、行くときには、大きな声を上げるようになった。行くときだけでなく、その行為の最中も、
気持ちよさそうな喘ぎ声を上げるようになった。それだけでなく、慣れてくると、
入れながら普通のおしゃべりもするようになった。向かい合ってやる時の愛美ちゃんの表情は独特だった。
気持ちが良くなってくると、彼女は体を動かしながら、切なそうな表情で俺の顔をじっと見た。
さらによくなってくると、俺の顔を見ている視点が中に浮いた。そして、目をつぶるようになると、もういくのが近かった。

大人になった今思うと、あの頃のエッチは自由で楽しかった。今みたいに、
相手を気持ちよくさせることを考える必要もなかったし、次はどこを刺激したらいいのか、
相手は感じているのか気にする必要もなあかった。イキそうになっても、相手のために持ちこたえさせようと、
必死で数学の公式や恐い先生の顔を思い浮かべて頑張る必要もなかった。性感帯という概念も無かったし、
当然クリトリス なんていうのも知らなかった。愛美ちゃんは胸はまだ平らだったからそっちに気を取られることもなかった。
とにかく俺達が知っていたのは、彼女の「オチンチン」の穴に俺のオチンチンを入れるという行為が気持ちいいものだ、
ということだけだった。だから、俺達のエッチはただ、オチンチンをオマンコにいれるというだけの単純きわまりないもので、
それ以上何も無かった。実際入れるだけで、十分気持ちよかったし、その行為自体がドキドキして、楽しかった。
「イク」ということも、たまたま起こるだけで、それ自体は目的じゃなかった。
大体考えてみれば俺はまだ精通もしてなかったから、たまったものを吐き出すという生理的な理由がなかったわけだ。

じっさい、慣れてしまうと、彼女にオチンチンを入れたまま、普通のおしゃべりをした。
学校のこと、友達のこと、家族のこと、テレビのこと、将来の夢など。
愛美ちゃんと話したことを今思い出そうとすると、俺の上にまたがって喋っていた彼女の姿が思い浮かんでしまう。
最初は、心臓がぶっ飛んでしまいそうだったエッチも、半年やそこら経つと、最初のような強烈な興奮は無くなって、
どちらかというと、仲良しな子が手をつないで歩くのと近い感覚になったような気がする。

冬になっても俺達の禁断の遊びは続いた。今考えると、毎日毎日よく飽きなかったものだと思う。
他になにをして遊んでいたのかあまり記憶が無い。でもそれはエッチの部分だけ、強烈な印象を持ってるから、
覚えていて、他のことは忘れてしまっているだけかもしれない。冬の空き家はストーブも何も無く、
自分の家と隣接してるとはいえ寒かった。でも、俺達にとって、そこが安心して「変なこと」ができる唯一の場所だった。
少し涼しくなった頃から、愛美ちゃんは、パンツの上にもう一枚ブルマーとか毛糸のパンツとか履いていたが、
寒い時は、それらを脱がずにつけたまま、股の部分をぎゅっと横にずらして入れることも覚えた。
愛美ちゃんがスカートの下にタイツを履いているときは、そういう技が使えないので、
仕方なくタイツをちょっとだけさげて、後ろから入れたりした。

春になって、俺達にとって都合の悪いことが起こった。空き家に人が入ってくることになったのだ。
それだけではなかった。うちは、別の場所にある社宅に移ることになった。そこまで行くのに、
子供の足であるいて45分、自転車を使っても20分はかかった。だからそれまでのように、簡単に会えなくなった。
雨の日は完全にアウトだった。それに、会っても以前のように、自分達の隠れ家がなかった。
俺達がいつも一緒に遊んでいたのを知っているので、親達も気の毒がって、
週末にお互いのうちに泊りに行くことを許してくれた。(大抵は愛美ちゃんが俺のうちに遊びに来た。)
これは俺達にとってすごく都合がよかった。

今度の社宅は前よりも広く子供部屋があった。その頃、弟はまだ母親と一緒に寝てたので、
俺と愛美ちゃん二人だけで布団を並べて寝ていた。最初の頃は、楽しくて明け方まで寝られなかった。
別にエッチをしてというわけではなく、一緒にいられるのがお互い嬉しかったのだ。
でも当然エッチも沢山したことはいうまでも無い。

あと、愛美ちゃんがうちに泊まりにきたときは一緒にお風呂に入った。
俺の両親は俺達が子供だからいいと思ったのだろう。俺の母親は、2歳の弟と愛美ちゃと俺を一緒にお風呂にいれてくれた。
(これは変に思う人もいるかもしれないが、俺の家では、そうでもないのだ。実を言うと、
 俺は高校2年くらいまで下の弟と母親と一緒にお風呂に入っていた。
 別に性的なことは何も無かったし自分の家族としては違和感なかったんだが)。
とにかく全裸の愛美ちゃんを見たそのときが初めてだ。母親は大抵、弟を連れて先に出してしまうので、
俺達二人だけが残さ れることがよくあった。そうなったら俺達がやることは、あれしかなかった。

その日、お風呂で二人っきりになった俺達は、お互い湯船の中で向かい合って座り、
愛美ちゃんが俺の腰に脚を回すような格好で入れていた。暖かいお湯の中だといつもと違うせいか、
二人とも気持ち良くてすぐいってしまった。あまり楽しかったので、ずっとやり続けていた。
でもちょっと調子に乗りすぎてしまった。しばらくして、いつまで経っても風呂から出てこないので、
心配して母親が様子を見に来た時は、二人とものぼせて、湯船の中でぐったりしていた。俺は、母親の叫ぶ声と、
父親に抱かれて運ばれているのをおぼろげながら今でも記憶している。後で聞いた話だと、母親が発見した時、
湯船のなかで、愛美ちゃんは俺の上に覆いかぶさるようになってたらしい。
子供達が二人で仲良く抱き合って気絶している姿を、微笑ましいとさえ思ったのだろうか、
母親はさんざん「あんた達は、本当に仲いいんだから」といって俺達をからかった。親達は、
子供たちが気絶するまで湯船の中でセックスをしていたなんて想像すらできなかったに違いない。

ある時などは、浴槽の中で、縁につかまってお尻を突き出した格好の愛美ちゃんにバックで入れていた。
普通ならば洗面所の戸が開く音で、人が来るのがわかるのだけど、その時は、洗面所の戸が開いていたのか、
なんの前触れもなしに、いきなり風呂場の戸がガラガラとあいて母親が顔を出した。
浴槽の向きから、愛美ちゃんも俺も、母親とほぼ向かい合った状態だった。俺は、心臓が止まる思いで、
オチンチンを彼女に入れたままの状態で身を堅くしていた。そうしたら、以外なことに、
母親は「あんた達、そろそろ出なさいよ。またのぼせちゃうわよ」というと、そのまま行ってしまった。「フュー」。
俺達は懲りずにその後もお風呂の中でのエッチを続けたけど、少なくともそれ以降のぼせて気絶することはなかった。

今考えると、よく一度たりとも見つからずにずっとエッチを続けることができたと思う。
特に、例の空き家が無くなってからは、もっぱら、うちでやっていたわけだし、それも、今考えると、
股間で縫い付けられてたんじゃないかと思うくらい、一緒にいるときは、結構のべつ幕なしやっていたのだから。
例えば、夕方、リビングで座椅子に座ってテレビを見てるときも、そこに他に誰もいないと、
愛美ちゃんは俺を座椅子代わりにするように、太腿の上に乗っかってきた。そして、申し合わせたように、
俺は半ズボンの裾を引っ張り上げ、チンチンを出して、彼女はパンツをずらしてそのまま入れていた。
あるいは、子供部屋で、二人で本を読んだりしてるときもそうだ。彼女は本が大好きで、
いろんな本を持ってきて俺の前で朗読してくれた。そのときも、俺がいすに座ると、
彼女は俺にお尻を向けて俺の太腿の上にまたがって座り、彼女はパンツをずらして、俺はチンチンを出して、
当たり前のようにしてはめた。そしてチンチンを入れたままの状態で、
ヘレンケラーの伝記などを読んだりしていたのだから、あの頃は殆ど癖のようになっていたと思う。

 

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