愛の向こう側3

 

 

 

 うつむきかげんで浩平の後をついていく茜。結局、放課後になっても下着を返してもらえず、それどこか汚された部分を拭くことも許されず、暗澹とした気分で教室にいた。帰宅する浩平に懇願する視線を向けたが、「一緒に帰ろうぜ」としか言われず、ただ諦めきった息を吐き出すばかりであった。

 鞄で前を押さえてそろりそろりと歩く。そして浩平に離されている自分に気づいて、仕方なく小走りになる、その繰り返しだった。

 幸い風がスカートをはためかすことはなく、日が傾いて気温の下がってきた外は、多少身を屈めていても周りからおかしく思われないですむ。

 悔しいことに茜は、これから何が起こるか痛いほど分かりながら、それでも浩平の家に早く辿り着きたいと思っていた。

「あっかねー」

 不意に声がかかり茜はぎくりとして立ち止まった。にぎやかな声が後ろから追いかけてくる。振り向かなくてもそれが親友のものであることは分かった。

「なんの用だよ」

 浩平も仕方なくといった感じで足を止める。柚木詩子は茜のところまで一気に駆け寄ると、おおげさに息をついた。

「ひっどいよー、あたしのこと待ってくれてもいいじゃない」

「お前は違う学校だろうが」

「折原君にはなにも言ってないよ」

 いつもの無邪気な笑み、その目とまともに合わせることを茜はひどく恐れた。さらに背中の浩平が非常に気になって仕方がない。なにをするのか予想のできないところがあるこの人物に、常識は通用しない。

こんなところでばらされたら……目の前がしだいにぐるぐると回っていく。

「ねえ、これからどっかに行くの?」

 その質問に正直に答えられるはずがない。詩子をうまくごまかせるような言葉も思いつかず、茜は身を強張らせる。

「ふふん、柚木もついてくるか」

 かばんを握り締める指が真っ白になった。

「えーっ、あたしは茜に聞いてるんだってば」

「だめです」

「へ?」

 自分でも硬くなりすぎた、そう自覚した。しかし声に出してしまったものはもう戻らない。

「今日はだめ」

「あ、あの?」

 怪訝な面持ちで詩子に押し被せるように拒絶の言葉を吐く。

 受け答えをしながらも、いつ浩平がおかしな行動をとるのか気が気でない。そんなおかしな空気は詩子にも伝わったようだった。

「なんか今日の茜は変だよ? どうかしたの?」

「変じゃありません」

 心配そうに声をかけてくる詩子に強情に首を振り続ける、頑なな茜に詩子は困り果てた様子で浩平に視線を向けた。

「まあ、いいじゃないか。たまには茜だってそっとして欲しい時だってあるだろ」

「うーっ、分かったよ」

 明らかに納得はいかない様子で首を振ると、それでも詩子は一転して笑顔を浮かべた。 

「じゃあ、まったねー」

 同じように元来た道を駆けていく詩子に小さく手を振り返しながら、茜は少しだけ胸を撫で下ろした。ただ、考えているような浩平の表情に漠然とした不安を感じてしまう。どうしてこの状況でそんな表情なのか、目的の場所に着くまで茜はひたすら考えていた。

 

 

 

 わざとゆっくりと帰ろうとする浩平に振り回されながら、なんとか目的地までたどり着く。

 家には誰の気配も感じられなかった。てっきり瑞佳が待ち構えているのだろうと、思っていた茜は正直拍子抜けする。いないのが普通なはずだが、瑞佳のことを考えると、この場にいてもおかしくはなかった。

幼なじみ、浮かんだ言葉にずきんと茜の心が痛み出す。

「まあ、あがってくれよ」

 玄関を開ける浩平の声で、不思議とその痛みは治まっていた。そのことに戸惑いを感じながら、

「嫌だと言ったらどうするんですか?」

 無駄な抵抗を試みる。

「茜にこんなところでする趣味があったなんて知らなかったな」

「そんなわけ……ないでしょう」

 嫌悪の表情を見せながら、それでも几帳面に靴を揃えて、浩平の後を着いていく。きしむ階段に重い足を乗せながらゆっくりと浩平の部屋に続いて入った。

 カーテンを開け放った窓から赤い光が部屋中に差し込んでいて、茜は何か嫌なものを感じた。何も言われないうちにベッドに腰をおろして、その光から背を向ける。

 浩平は乱暴にネクタイをはずして一息つくと、手元に引き寄せた椅子に腰掛けた。

「やけに素直だな」

「長森さんのことはどう考えているんですか?」

 ずっと心の中で思っていた言葉が口から出ていた。

「どうって、いい幼なじみだぜ、俺の言ったことはなんでも聞いてくれるしな」

「そうではなくて」

「うるさいっ! お前は俺の言うことを聞いていればいいんだよ!」

 激しい口調で茜の言葉を遮る。

「そうでしたね」

 もとより答えを期待していたわけではない、茜はかぶりを振ると、自分から服を脱ぎ捨てていく。それにはさすがの浩平も面食らったようだった。

「まだ何も言ってないぜ」

「どうせ目的は私を犯すことなんでしょう」

 言いながら手早くスカートを下ろして、ブラジャーをはずす。下着を足から引き抜いて一糸まとわぬ姿になると、茜はベッドに横たわって目をつぶった。

「好きにしてください」

「面白くないな……」

 ぎしっと音がして浩平が近づいてくる。捨て鉢な覚悟を決めたとはいえ、指が触れる一瞬にびくりと体が震えてしまうのはどうしようもない。

「窓、閉めてください」

「嫌だ、みんなに見せ付けてやろうぜ」

「そんなの嫌で……」

 拒絶しようとした口を塞がれる。

「うるさいお前にはお仕置きだ」

 そして手を後ろで回されて、ネクタイで縛られる。茜は黙って長い息を吐いた。

「どうせこんなことをしなくても無駄でしょうに」

「ふん」

 浩平はいったん体を離すと、今度は茜の足首を掴む。そして一気に顔のほうに押し付けた。

「なにをっ」

 息苦しさと羞恥で喘ぐ茜の秘部がはっきりとさらけ出される。これにはさすがに動揺を隠せずに茜は首を左右に振った。

「こんな格好……」

 ちらりと目を開いて、またすぐに目をつぶってしまう。わずかに見えた光景に頬に朱が走った。

「丸見えだぞ」

「そうですか」

 恥ずかしさを表に出さないように、ことさらに平坦に答える。しだいに下敷きになった手が痺れてきて茜は身をよじった。それでも浩平は何もしようとせずに、ただそれを眺めている。

「なあ、茜……」

 そしてなぜか問いかけるような口調。

「俺のことが嫌いか?」

「なっ、こんなことをされて、あなたはそれでも好きでいろというのですかっ!」

 思わず目を見開いていた。夕焼けに赤く染まる浩平がいぶかしげに首を傾げる。

「いや、別に」

 やがてふっと息を吐くと浩平は身を乗り出して、茜の秘部に口づけた。

「そんな、いきなりっ」

 反論を許さないかのように激しく吸い付き、嘗め回し、そして這う。視線の端に開いている窓が映って、必死に声をこらえようとする茜の喉をこじ開けようとするように、浩平は舌を秘裂の中に突き入れた。

「ひうっ……」

 顔の下半分をべとべとにしながら、それでもいつ息をついているか分からないほどの激しさで官能を押し上げていく、優しさのかけらもない愛撫。

「ああっ……あっ」

 それでも高まる快楽が茜の気持ちを裏切っていく。

「いじわる……いじわるっ……いじわるっ」

 いつしか茜の目から涙がこぼれていた。

「ちっ」

 舌打ちに茜が目を開けると、浩平は明らかに不機嫌な表情で体を離していた。

「もう来るな」

 ネクタイをはずすと、下着を投げつけて顔を背ける。

「え……?」

 浩平は呆然と見上げる茜の顔を見ようとはしなかった。

 

 

 

 次の日、浩平が学校に来ることはなかった。

 誰も気にも留めない空いた席にだけ、意識が集中する。授業を進める教師の声など耳に入らないでいた。それは茜だけでなく瑞佳も同じようで、それでいて時おり茜の方に鋭い視線を向け、そのたびに茜は背中に緊張感を走らせる。

里村さん、わたしあなたのことが嫌い」

「なにを……」

 休み時間、教室を出たようとした瞬間にかけられる声。茜は虚をつかれたように立ち止まる。笑顔を向けた表情には似つかわしくない言葉。

「初めて、あなたを憎らしいと思ったよ」

「なんのことですか……」

 ここまであからさまな敵意を向けられても答えようがない。

「そう言いたいのはわたしの方だよ。わたしを除け者にして一人で分かっちゃって」

「分かるって……」 

里村さんは浩平の言うとおり、家に行っちゃだめだからね」

 低い声で念押しする瑞佳の暗い表情に、言い知れぬ不安がよぎっていた。

 

 

 

 だからこそ茜の足は自然に浩平の家へと向かっていく。瑞佳が何も言わなければおそらく茜はまっすぐ帰っていただろう、気を回しすぎた瑞佳の失敗だった。

「あっかねー、今日こそ一緒に帰ろうねー」

「詩子?」

 門の前で待ち構えていたらしく、茜の姿を認めるとすぐに駆け寄ってくる。さすがに邪険にするわけにもいかず、はやる気持ちを抑えて茜は立ち止まった。

「うん、昨日は茜の用事があったみたいだったから遠慮したけど……ってあれ? どんな用事だったか聞くの忘れちゃったなー」

 けらけらと笑う詩子の姿に違和感を覚える。

「詩子、ひとつだけお聞きしますが……昨日の私は一人でしたか?」

「あはは、なに言ってるの? あたしは友達と帰る茜の邪魔をするなんて、野暮なことはしないよ?」

「そ、んなっ」

 目の前にすっと黒い幕が下りてくる。それは茜からすべてを押し隠してしまうかのように急激に広がっていった。そこから逃れるかのように本能的に足が動く。

「あっ、ちょっと待ってよ! 茜っ!」

 慌てた詩子の声は茜の耳には入らなかった。

 

 

 

 乱暴にノブを捻ると玄関の鍵はかかっていなかった。彼女としてはぞんざいに靴を脱ぎ捨てて階段を駆け上がる。

 部屋のドアを開けて部屋に入ると、浩平はベッドの上で目を閉じていた。

「もう来るなと言ったはずだぞ……」

 それは茜に初めて声をかけた時のような穏やかさ、あの出会いを思い出してしまい、茜は胸に迫ってくるものを感じた。

「私に黙っていたんですね」

「何のことだ?」

 静かに言葉を返す浩平

「詩子が忘れていました」

「そうかよ」

「あの時のようにっ、詩子は忘れていたんですっ」

 高ぶった感情を持て余して肩で息をつく。

「あなたもいなくなってしまうんですね」

「ああ、そうだな」

 浩平の目は窓の方を向いていた。

「好き勝手やらせてもらったよ」

「浩平……本当にそれであんなことをしたんですか……? かわいそうな人……」

「人を哀れむような目で見るなよっ!」

 浩平ががばっと起き上がって茜に掴みかかる。

「お前だって心当たりがあるだろうがっ!! 俺はな、消えるなんてごめんなんだ! 覚えてもいない約束なんか今更持ち出されたって困るんだよっ!! だけどどうしようもねえんだ、ははは……」

 がすぐに自嘲的に笑うと、力尽きたようにまたベッドの上に仰向けになった。茜はただ、痛ましげに見つめることしかできなかった。

 沈黙が流れる。

「浩平?」

 様子を伺うかのような瑞佳の声。浩平のことが心配なのは茜一人だけではない。浩平は唇の端をかすかに吊り上げた。

「長森さん……」

 呆けた目が茜を捕らえる。ここで初めて気がついたようだった。茜の姿を認めたとたんに、心配げな表情に敵意が混じる。

「ねえ、浩平に言われたんだよね、もう来るなって」

「え」

「どうしてかなあ?」

 瑞佳が一歩足を踏み出すと、茜もまた迫力に押されるように一歩下がった。

「あ、の」

「わたし、ずっと浩平のこと見てきたんだよ。それこそ里村さんが知らないようなことだって知ってる」

 まるで自分に言い聞かせるような瑞佳の声。その調子には危ういものを含んでいた。

「なのに、どうして今は里村さんが分かってるの? 消えるって何なの? ねえ、答えてよ……なんで浩平のことなのにわたしが分からないのかな、それっておかしいよね」

 眉をはの字に寄せて、それでも笑顔を作り出そうとしている。痛々しい笑みに茜の心が締め付けられる。なんとなく昔のあの幼馴染が消えた時の茜を見る詩子のようだった。

「ねえ、里村さんもそう思うでしょ? そうだと言ってよ!」

「やめておけ」

「「浩平?」」

 ふたりの声が重なる。

「もういいんだ」

 瑞佳は胸元で手を組んだ。その指先がかすかに震えている。

「ずるいよ、浩平にこんな顔をされたらわたし何も言えなくなっちゃうじゃない」

「そうか……」

 浩平の目はすでにどこか遠くを見ていた。その口元がかすかに動く。

「みさお……」 

「え、なに?」

 もっとよく声を聞こうと瑞佳が顔を近づけると、何かに触れようと浩平の手が持ち上げられる。

 そして、かき消すように消えた。

「浩平っ?!」

 瑞佳が叫び、茜がさっと目を背ける。あまりにもあっけない終わり方に、ありえない手品を見せられたように、頭が認められずにいた。

「そんな、嘘だよね。またわたしを驚かそうとしてるだけなんだよね」

「長森さん」

 うつろな笑みを浮かべあちこちに視線をさまよわせる瑞佳。

「嘘だよ……あははっ、またベッドに下に隠れているんだね。里村さんも探さないと」

「浩平は消えたんです」

 本当に膝をついてベッドの下を覗こうとする瑞佳の腕を取る。

「うそだよ」

 茜の右手が翻った。小気味のよい音が響き、瑞佳が叩かれた頬を呆然と押さえる。

「消えたんです」

 そして力尽きたように崩れ落ちる茜。痛みとともに、瑞佳の目にしだいに理解の色が表れていく。

「そう……」

 瑞佳ははかなげな笑みを浮かべた。

 

 

 

里村さん、もっと乱暴にしてほしいよ。浩平はこんな風に優しくはなかったよ」

「はい……」

 主のいなくなったベッドの上、移ろう季節にもかかわらず、ふたりはこうして身体を重ねあう。家主である由起子との関係はそのまま残されていたから、ふたりは怪しまれることなく中に入り、行為に浸ることができた。

 浩平が消えたことを理解した瞬間、糸が切れるように瑞佳は意識を失った。そしてゆるやかに現実を拒否しようとしたあと、浩平に向けていた愛をなぜか茜に求めようとした。それは互いの身体に残る浩平の記憶を呼び覚まそうとするためなのか。今となってはどうでもいいことだと、茜は思った。

「うん、その調子。あっ、そこっ」

 ただ一度だけ、この部屋に不審を抱いた由起子が片付けようとした時がある。涙を流しながら懇願する瑞佳を由起子はどこか別世界のものを見るような目で見た。そして由起子は逃げるように部屋を立ち去り、それきり部屋のことはうやむやになっていた。

「ふふ、たぶん里村さんがいなかったら、気が狂っていたと思うよ」

 ふとした時に瑞佳が言った言葉。本当はとっくに気が狂ってしまっているのかもしれない、ぼんやりと考える時がある。

「そうですか」

 気だるげに答える茜の瞳からも輝きが薄れてきている。代わりに紙に燃え広がる火のように快楽の色が現れてきた。

「ねえ、浩平が帰ってくるまで一緒にいようね」

「いいですよ」

 叶うはずもない願い事にすがりつきながら、ふたりは慰めるように唇を合わせる。

 緩やかに登っていく快感を逃がさないように茜は身体を押し付けた。甘い香りが鼻先をくすぐって、お互い指と指とを絡ませる。

里村さんの甘い……」

 瑞佳がこくんと喉を鳴らして、茜から分け与えられた液体を飲んだ。ぴちゃぴちゃと舌を絡ませる音が二人の耳にはっきりと聞こえ、さらに興奮の度合いを増していく。

 やがて名残惜しげに口を離し、瑞佳はうっとりと囁いた。

「そろそろ、気持ちよくなろうね」

「そうですね」

 ふたりはわずかに微笑むと、いっそう身体を強く押し付けあった。

 

 

 

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