面白い、と彼は思った。 そういえば近ごろ輪人を追うことはしていなかった…しかも夜というのは初めてのことである。 暗い黒い森の中……それでも彼にとっては昼と大差無いが、その中を必死で駈けていく輪人。 さては輪人も夜目がきくのか、と思うが、それにしては足元が覚束ない。 ますます面白い、と彼は思った。 先に何があるか分からない夜の森の中を懸命に駈ける。 後から追い掛けてくる足音は付かず離れず……決して途切れることは無かった。 また木にぶつかりそうになり、避けてまた走る。 先程まで走り続けていたこともあり、いい加減足は限界を訴え始めていたがミコトはそれを無視して走り続けた。 捕まれば……逝かねばならないことをミコトは知っているから。 上がった息が喉にこみあげ、咳き込む。 苦しくて苦しくて涙が滲む。 手や顔の細かい裂傷からは血が流れ、生暖かい感触が頬を伝う。 衣服は裂け、そこから覗く肌にも傷が増えている。 それでもミコトは走り続けた。 枝葉を払って目の前に飛び出すと、冷たい月明かりがそこを照らしていた。 ミコトは愕然と立ち尽くす。 森を回っている内に、先程と同じ草原に辿り着いてしまったのだ。 後から近付く物音に、もはや成す術もないことを感じていた。 すぐに、後から強い力が加えられ……ミコトは地に押しつけられた。 輪人が逃げることを諦めてしまったようで、少し彼は残念だった。 最後までじたばたと暴れるのが面白いのに…と思うが、今まで追い掛けただけでもそれなりに楽しめたので譲歩した。 ぐ、と肩を掴んで、身体を引っ繰り返す。 その表情の変化を楽しむために、余分なものまで察知してしまう姿…輪人が異形の姿と呼ぶ…を止める。 どう楽しもうか、と考えながらその押さえ付けた輪人を見た。 ミコトは驚いた。 先程まで異形だった者が、また先程の青年の姿になっていたから。 ……しかし驚きはそれだけでは無かった。 無理遣りに返されて、手足を動かぬように固定されて……もはや自分の逝く先が分かってしまっていたとはいえ。 目の前にいるのが今まで輪人を殺してきた存在であるというのに。 恐怖、それしか彼らに与えてこなかった存在だというのに。 先程の骸を成した存在だというのに。 その目は、あまりにそれにふさわしくなかった。 まるで幼子が、目の前にある玩具でどう遊ぼうかと懸命に考えているのに似ていた。 妹が…ウエナが、遊び相手の子供たちを見付けたときの目の輝きと同じだった。 自然と、顔が綻んだ。 ふ、と身体に加えられていた力が弛むのを感じて、ミコトは閉じていた目を開いた。 上に跨がる人が、ゆっくりと彼の頬に手を滑らす。 「………?」 不思議に思ってミコトが目を瞬くと、またそれを彼は不思議そうに見ていた。 「………殺さないのか?」 ミコトが呟くと、それに答えるように彼は首を振った。 黒髪がぱさ、と揺れる。 望月は十分に彼らを照らしていた。 ミコトはゆっくりと起き上がる……彼はそれに抵抗せずに、素直に身体を退かした。 「………さっきの顔」 ぎこちなく、彼が……額に入れ墨のある、異形に変わる……が口を開いた。 ミコトにも分かることばで、静かに。 「また、見たい」 真摯な、透明な瞳がミコトの目に映った。 next→ novels top |