彼はいつも空を見ていた。 仰向けに寝転がり手を頭の下で組んで空を見上げる。 茂った木々の隙間から覗く空はいつも変化し続けていて、彼はそれを眺めるのが好きだった。 雲一つない澄み切った蒼。 真っ白な雲と碧。 くすんだ灰色の雲。 朝焼け、夕焼け。 星空。 どれ一つとして彼を厭きさせるものは無く、彼はそれだけで満足だった。 空が好きな彼だったが、吹く風に揺れる枝葉や、それが色付いて落ちてまた若葉を付けていく様も嫌いでは無かった。 とにかく変化あるものが素直に楽しく感じられた……何しろ彼の生活自体に変化というものがなかったから。 気がついたら彼は一人で森の中にいた。 過去の記憶が全くないという訳ではない……家族、仲間と過ごした思い出と呼べるようなものは確かにある。 だが彼の部族は基本的に個人で行動し、生活する。 複数で行動する理由はなく、またあったとしてもそれは極たまにしか訪れない。 それなら…と、普段は一人でいるものの方が多かった。 そして彼もその例外ではなかった。 することはほとんど無かったから、いつも空を見ていた。 でもたまに空以外で楽しいこともあった。 例えば森に住む動物は彼を見ると一目散に逃げていく。 それまではのんびりと木の実を食んでいたのに、自分を見た瞬間飛び上がるように走り去るのが面白くて追い掛けると甲高い鳴き声を上げる。 あっさりと追い付いて捕まえるとじたばたと暴れるのがまた楽しい。 逃げようとするのを抑えこんで軽く力をこめると、すぐに動かなくなる。 今まで動いていたものが動かなくなるという変化。 空を見るほどではないにしろ、この変化を見るのも彼は好きだった。 動物たちだけではなく、極たまに出くわす人もまた彼は好きだった。 何しろ人の方が表情の変化が大きい。 同族ならば軽く眉をひそめて通り過ぎるだけだが、この森の近くに住む他部族の人が彼を見た瞬間の顔の変化。 目は大きく見開き口は引きつり……次の瞬間大きな叫び声と共に逃げ去る。 動物と違ってあっさりと捕まる彼らは、だが動物たちよりもずっと抵抗の仕方も上げる声も面白い。 そのために彼らの同族はよく彼らの住む地まで出掛けるらしいが……彼は出くわした人を追い掛けるのだけで十分だった。 稀になかなか捕まえることが出来ない人と出くわすときもある。 そういうときは彼の部族特有の能力を使うと簡単に捕まえることが出来た。 自然の動植物の力を真似することによって身につけたその能力で、自らの形を変えて追い掛けて捕まえる。 そして暴れる身体を押さえ付けてくるくる変化する表情を眺める。 大抵は意味の無い叫び声だが…でもやはり動物たちが上げる鳴き声よりずっと面白い。 まあ、動物たちと同じようにに軽く力を入れるだけで動かなくなるのだけれど。 だからいかに長くその声を聞くのかを工夫するのも彼は楽しんでいた。 動物や人を動かなくした後は、汚れた身体を近くの川で清めて、普段暮らしている洞穴に戻る。 ちょうどその前はぽっかりと木々が開けていて、そこに寝転んで空を見上げるのだ。 揺れる葉も逃げる動物たちも人の上げる叫び声も好きだが、だがやはり彼は空を見るのが一番好きだった。 next→ novels top |