わざ
「俺の特技の中には、本当に色々なものがあるんです」
本格的な冬を迎えた、そんなときに…一条のマンションにいつものようにふいっと現われた雄介。
食事を済ませてくつろぎ、たわいのない話をするなかで…何時の間にか、彼の特技の話に話題が移っていた。
「2000個もあるんだから、それはそうだろう」
「ま、素直に言うならそうなりますけど…ピアノみたいに、弾ける曲一つ一つでカウントしていく場合もありますし」
ちょっとずるいですかね、と苦笑する。
「…そんなことは無いと思うが」
その曲それぞれで、喜ぶ人も場合も違うだろうし。
そんなことを考えながら一条が答えると、雄介はひどく嬉しそうに笑った。
「どもです。…で、それでも結構な数があるじゃないですか、我ながら」
「ああ」
2000の特技。
口に出して言うのは簡単だが…実を伴うとすると、かなり難しいことだと一条は思う。
いくつか、披露してもらったこともある…番号を言われなくても、これも特技なのだろうと分かる場合もあるし。
「でもね…2000の特技全部に共通していることって、分かります?」
面白そうに一条を覗き込む雄介。
大きな目をくる、と瞬かせて…こちらの表情をうかがっている。
苦笑して首肯くと、雄介も嬉しそうに微笑んだ。
「そです、皆を笑顔にすること!」
一条さん大正解!
何も言わなかったのに…それでも、一条が考えていたことが同じだったのが分かったのだろうか。
ぱちぱち、と口に出しながら拍手され、その嬉しそうな笑みに一条も笑みをこぼした。
「本当に、君らしいな」
「そですか?…も、こればっかりは間違う訳にはいきませんからね」
はっきりと言われたことはないが、確か特技を身につけようとしたきっかけは…
家族の笑顔が失われそうになったときだという彼のこと。
少しづつ増えていき、家族の笑顔が戻ったそのときでも…思うことは変わり無かったのではないだろうか。
「子供のときなんかですね、みのりに毎日のように『今日の特技はー?』なんて聞かれてて…
新しいの見せる度に笑ってくれるのがまた嬉しかったんですよ」
聞いているだけで微笑ましい情景に、思わず一条は笑みをこぼす。
「そうか…それはでも、大変だったんじゃないか?」
「まー…俺も楽しかったから、いいんですけどね」
今考えるとギャグは不評だったかな?と呟いて苦笑する。
「毎日色々考えて…テレビでやっているものとか真似してみたりしましたし」
なるほど、と納得して首肯く一条を見て、雄介は微笑む。
そして視線を前のテーブルに移して、わざとらしく肩を落とした。
「…ま、実はそのおかげで、ちょっと間違ってるかなーって特技も無い訳じゃないんです」
「間違ってる?」
「披露しても、皆が笑顔になってくれなさそうなもの、です」
テレビでやってて、真似したら簡単に出来たりしたんですよ。
そんなことを苦笑しながらあっさりと彼は言う。
「だから、そういうのはカウントしないようにしたんですけど…特技としては身についちゃったわけでして」
「つまり…2000の特技に入ってはいないが、君の特技ではあると」
「そゆことです」
まあ大概がしょーもないものばっかりなんですけど。
そう言って苦笑して、雄介は一条の方に向き直った。
「そだ…その一つを披露してみましょっか」
「ああ…」
別に構わないが、と一条が言うと、雄介は指を三つ立てて一条の顔の前に持ってくる。
「じゃ、おことばに甘えて…カウントダウン行きますね。よおく俺の顔見ててくださいよ」
「…?」
不思議に思いながら、一条は指の隙間から言われた通りに雄介の顔を見つめる。
視線が合ったと思ったそのときに、彼は指を減らしはじめた。
「…に、いち」
「………」
握り締められた拳が目の前から遠ざかる。
それがどこに行ったのかは分からない…膝の上にでも行ったのだろうか。
だがその手のひらの行方よりも、一条は雄介から目を離せなかった。
「…テレビで、何秒で出来るか…ってやってまして」
声だけは平然と、いつもと変わり無く紡がれている。
「で、試してみたら…意外とあっさり出来ちゃったんですよ」
あのときは困りましたねー、とそう言いながら苦笑する。
「みのりとか、俺見て困っちゃって」
それからあんまりやらないようにしてたんですけど。
「……五代……」
す、と一条が手を延ばそうとした途端に雄介はぱしりと目を瞬かせた。
その拍子に飛んだ水滴がほんの少し手に当たる。
彼は自分で目の辺りを無造作に拭って、変わり無く微笑んだ。
「はい、おしまいです」
止めるのも簡単に出来るんですよ。
そう笑顔で答えた雄介を、一条は無言で抱き寄せる。
されるがままに一条に抱きつき、雄介は胸元に顔を押しつける。
「ね?ちょっとこれはカウント出来ないですよね」
「…そうか?」
「え」
あっさりとした声に、雄介は一条を見上げた。
「…あれ?」
そして不思議そうに目を瞬かせる。
その頬に残っている筋を拭ってやりながら、一条は言った。
「…どうした?」
「…どして?」
「何が」
「どして…笑ってるんですか?」
おかしいな、と不思議そうにしている雄介を抱え直して、一条は微笑む。
「さあ」
「さあって言われても…」
あれえ、と考えるように彼は再び胸元に顔を押しつける。
ばらけた髪を梳きながら、一条は聞く。
「…もうちょっと、見せてくれないか?」
うう、と唸るような声がくぐもって聞こえる。
そして悔しそうに、雄介が答えた。
「駄目ですよー…この体勢じゃあちょっと無理です」
「どうして」
「ここじゃあ…ちょっと、止められないかも」
ううん、とわざとらしく唸りながら、雄介は一条から離れようと抱きついている手を緩める。
一条はそんな彼を引き寄せて、頭を抱えた。
「…むしろそっちの方が、嬉しいんだが」
「…うあ、わがままですねー…」
ぽす、と胸板を叩いて雄介が不満を言う。
それに苦笑しながら、一条は彼を抱え直す。
「どっちでもいいとは思うんだが…特技じゃない方が、俺は嬉しい」
「むー…」
困ったなあ、と唸り声を上げ続けながら、雄介はちらりと一条を見る。
体勢は変えずに、上目遣いで困ったように一条を見上げた。
「…一条さん限定の特技ってことでも、いいですか?」
「ああ…それも嬉しいな」
ぽす、ともう一度胸板を叩いて、雄介は自ら一条にしがみつく。
あーあ、とわざとらしくため息をついて…彼は声を上げた。
「じゃ…特技番外、一条さん特別バージョンということでいきましょうか!」
そう言うと、彼は一条にしがみついた手に力を込める。
きっかり三秒後、服越しに冷たい感触が広がっていくのを一条は感じた。
「…声、上げないのか?」
「……ま、特技ですから」
一条にしがみつく震える手を上から包み込むようにして握り、一条は見えにくい彼の顔を覗き込む。
ただひたすらに目から流れ続ける涙が、蛍光灯の明かりに反射していた。
「…特技、ですからね」
「…ああ、分かってる」
そう答えて、一条は静かに雄介の背に手を回した。
…特技ではない彼の涙が見られる日が、近付いているのだろうかと一条は思う。
その日が来ないことを祈りたいが、そうもいかない予感もする。
だが、特技だとしてもそうでなくても。
それでもどちらでも彼のものには違い無いから、それで十分嬉しいのだと…彼には分かってもらえているのだろうか?
特技ですー、と繰り返しながら次第にシャツが冷たくにじんでいくのを見つめつつ、一条は苦笑を重ねる。
いつでもこうして…例え離れていようとも、彼の涙を受けとめられる存在でいられたらと重ねて願った。
まだ、彼の特技は終わりそうに無い。
fin.
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