人が集まる広場の隅にあるベンチに腰掛け、少年は行き交う雑踏を眺めていた。手には固いパンの最後の一切れ。それをゆっくりと噛み締めてごくりと飲み込んだ。
 この季節はいつもよりも街がざわざわとしていて、彼はその雰囲気は嫌いでは無かった。けれども彼には一緒にその雰囲気を楽しむ人は誰もいない。彼がこの季節を嫌いではないのは雰囲気と言うよりも、街行く人がいつもより心なしか自分たちのような人にも親切にしてくれるようになるからという方が強かったかもしれない。
 もちろん、こんな季節だからといって不親切にされない訳も無い。昨日までの寝所だった丁度良い軒下を持つ家の主人は彼を追い出しながら、明日は大切な客人を迎えてパーティをするんだ、お前のような奴がいたらみっともないじゃないかと文句を言っていた。みっともなくて悪かったな、とは言わずに彼は黙ってその暖かな家の傍を後にした。
 それから運良くごみ箱から固くなったパンを見付けた。この季節は何故か人は気前良くものを消費していくから、普段に比べるとそれほど腹を空かせずにすむのも嬉しかった。
 大きな木のある広場の中には色とりどりの人々が行き交っている。重たげに電飾を巻き付けられた木の周りを通り過ぎるのはやはり厚いコートに身を包む人だったり、ひたりと寄り添った男女だったり、大きな荷物を抱えた親子連れだったりしていた。小さな両手にめいっぱいの袋を抱えて幸せそうに歩いている自分と同じくらいのその子供を見ながら、少年はほんの少しパンの味が残っている指を舐めた。
 と、その子供が持っていた荷物を落とした。やけに大きな荷物を抱えていると思っていたが、どうやら無理をしていたらしい。広場の中を荷物が…果物が転がっていく。
 「…りんご?」
 熟した赤い実がごろごろと転がっていく。見ていると子供の親だと思っていた影は眉をひそめてその場を立ち去っていった。それを見て少年はようやくあの子供が自分と同じような格好をしていることに気が付いた。
 「ばかだな、あいつ」
 こんなところであんな荷物をぶちまけたら、結果は決まっている。すぐに彼が考えた通り路地の隙間から浸みだすように数人の子供たちが現われた。果物を拾い持っていた袋に戻そうとしている子供を尻目に、彼らは手に持てる分だけ拾うと現われたときと同じように素早く走り去っていった。その本来の持ち主はそれに気付かずに一個一個袋に詰めている。見るからに人の良さそうな雰囲気を持った子供だった。
 彼はベンチから腰を上げると、たん、と地を蹴って駆け寄った。子供たちが消えた後でもまだいくつか広場には赤い実が転がっていた。通り過ぎる人々が邪魔そうにそれを見ている中を構わずに手に取る。熟れた赤い実はほんのり冷たく、かじかんだ手には少し辛かった。それでもこれが自分の腹を満たしてくれるものには変わりはない。ふわりと漂う香は瑞々しくて、ああこれが神様のおぼしめしとやらなんだろうか、と本当の意味など知らないことばを考えてみた。
 とりあえず一つ、そしてもうひとつ。端が破けている服を広げて更にもう一つを放りこむ。そうして目に入ったもう一つを拾おうと駆け寄って、手をのばした時に同じように伸びる手を彼は目にした。
 「あ…」
 思わずその手の持ち主を見ると、それは始めにその荷物を抱えていた子供だった。構わずに少年は林檎を手に取り、違う方向に転がったもう一つを拾おうと腰を上げる。そのとき目の前の子供は彼を見上げてこう言った。
 「ありがとう」
 「……は?」
 「ごめんね、手伝ってもらっちゃって…」
 そう言いながら手に持っていた紙袋を差し出し、微笑む。
 「はい、これ」
 「……」
 こいつ本当にばかだ。と思いながら少年は無言で立ち上がり、目的のもう一つの赤い実の元へと駆け寄る。道行く人々に蹴飛ばされて少し傷はついていたけれど、それくらいどうということも無かった。満足気にそれも服に入れて彼は立ち上がり、足早に広場から離れようとする。しかしその途中で急ぐように走る人にぶつかり彼は固い石畳を転がった。それでも抱えた赤い実は一つも落とすことは無かったが。
 打ち付けた痛みにうずくまっていると、肩に手が置かれる。
 「大丈夫?ごめんね、手伝ってもらっちゃったから……」
 心配そうに覗き込んでくるのは、どこまでも間抜けな子供だった。






 手伝ってくれたお礼に、と渡された林檎を齧りながら彼はまたベンチに座っていた。隣には両手で林檎を包み込むようにして幸せそうに食べている子供。その横に置かれた紙袋には少年とその子供が集めた林檎が詰まっていた。しゃく、と実に歯を立てながら少年は不機嫌そうに道行く人を眺めていた。
 「まだ痛いの?」
 「いーや」
 「りんご、おいしくない?」
 「…おいしい」
 「良かった……これね、果物屋さん手伝ったらくれたんだ」
 かぷ、と赤い実に噛み付いて子供は笑った。大人用の帽子を深く被り笑顔を浮かべて広場を見ている。通り過ぎる人々は白い息を吐きながらもその子供と同じような笑みを浮かべているように見えた。
 「いいこと、あったのかな」
 「…さあね」
 知るか、と毒づきながら少年は芯に歯を立てる。途端に一際の酸味が口の中に広がって彼は顔をしかめた。種が見えていたけれどまだ食べられる場所は残っている。本当はもう二三個食べられたのかもと思うが仕方がない…一つでも食べられたと思えば十分運が良かったのだろう。
 と、とんとんと肩を叩かれ隣を見ると、目の前に赤い実が差し出されていた。
 「食べる?」
 「……うん」
 小さな手からぽん、と渡された実を受け取ると、子供は帽子の奥から笑顔を見せた。
 「…お前は?」
 「まだあるよ?」
 ほら、とかぷりと赤い実に噛み付く子供を見ながら少年はため息をつく。
 「……怒んないのか」
 「何が?」
 「…りんご、盗られたんだぞ」
 自分もそうしようとしていたことは言わずに、少年は新しい林檎に歯を立てた。程よい酸味が心地よく口の中に広がっていく。
 子供はごくんと口の中のものを飲み込んで、口を開いた。
 「でも…どうせ一人じゃ食べきれなかったし」
 「…りんごなら何日も保つじゃないか」
 「でもー…」
 かぷ、と赤い実に噛み付く。そうしてもごもごと口を動かしながら子供は言った。
 「…みんなも、お腹減ってたと思うから」
 「……」
 それはそうだ、と思う。こんな生活をしていて腹一杯になることだなんてほとんどない。少年自身、記憶にある中ではそんなこと数える程しか無かった。今こうして林檎を二個も食べられることもそれに追加されるだろう。しゃくり、と赤い実を頬張ってため息をついた。
 「……だからって人にあげてたら、きりが無い」
 「持っている分しかあげられないよ?」
 「………」
 少年は無言で林檎を咀嚼した。その隣で子供はやはり嬉しそうに両手で赤い実を抱えて噛み付く。そろそろ日も沈みそうな街の中を行く人は決して減らず、広場にはますます多くの人が集まってきていた。
 「そろそろ、かなぁ」
 「……ああ」
 見れば集まっている人は視線を真ん中の木に集中させている。そういえば電飾に明かりが点される時間は確かもうそろそろだったはずだ。普段ならその場を足早に行き過ぎる人々が立ち止まり一方向を見上げているその様はどこか不思議な気がした。ただいつもある木にコードが巻き付けられただけだというのに。
 「きれいだよね……いつも楽しみなんだ」
 子供も周りの人と同じようにその木を見上げていた。帽子の奥から見える口元はやはり微笑んでいて、本当に幸せそうだった。
 「…明るいだけじゃん」
 「でもきれいだよ」
 「金、かかってるんだぞ」
 そういうのに金をかけるよりも他に使い道は無いのかと少年は思う。木に重そうな電飾を巻き付けるだけが金のある大人の仕事ではないはずだ。
 「でも、きれいだよ」
 「………」
 「それに…お金と違って、誰でも受け取れるし」
 子供は丁寧に林檎の最後の一口を噛み締めていた。見ると綺麗に芯だけ残っていて、種が芯の奥から透けて見えていた。その芯がきらりと光るのが見えた瞬間、子供は瞳を輝かせた。
 「ほら……きれい…」
 わあ、と周りからも歓声が上がる。光源の木はまばゆい光を放ち、辺りを暖かく染め上げている。木を見上げる人々も、そしてただその場を通り過ぎようとしていた人も一瞬表情を緩め嬉しそうに微笑むのが見えた。重そうなコードは明かりの影になって目立たなくなり、無数の星が木になったような錯覚を受ける光景が目の前にあった。
 「…うん」
 そしてそれは本当に綺麗だと思ったから、少年は素直に首肯く。動きを止めていた人々がゆっくりと動きだす中で、彼らはずっとその木を見上げていた。






 日も暮れて辺りは段々人気が無くなっていく。少年と子供はまだベンチに腰掛け木を見上げていた。それでも広場には少ないなりに人はいて、思い思いに彼らのときを過ごしているのが目に入る。ただ木を見上げて立ち去る人もいれば、他に置かれているベンチに腰掛けひたりと寄り添い離れる様子も見られない男女もいた。
 「いいよねー」
 「…何が」
 満足気にお腹を擦りながら微笑む子供に少年は聞き返す。目に入る景色には何も変化が無く、ただ明るい木とその周りの人々が見えているだけだった。
 「んっと……みんな」
 「…みんな?」
 「うん」
 ますます怪訝そうになる少年の視線をものともせずに、子供は小さな両手を組合せた。寒さに白くなる息を吹き付けながら、かじかんだ指をほぐすように動かしている。
 「木も、人も、街も…何か、嬉しそう」
 「……浮ついてるだけだろ」
 「うーん…嬉しそう、だよ?」
 ほら、と子供は木を指差した。電飾が巻き付けられて暖かな光を放ち続ける茶褐色の木。
 「……苦しそう、だろ」
 「うん……でもきれいだよ」
 「………」
 平行線を辿る会話を打ち切るように、少年はため息をついた。確かに夜空に浮かび上がる電飾は綺麗だったけれど、それを苦しそうだと一度思ってしまったら止められない。葉の代わりに巻き付けられた無機質なコードが何だか痛々しいとまで見えてしまうのだから。
 「でも、きれいなんだもん」

 繰り返し首肯いて木を見上げる子供はやはり微笑んでいた。多少意地悪い気持ちになって少年は子供に向き直る。
 「…なあ」
 「?」
 「……おれも、嬉しそうに見えるか?」
 子供は迷わず笑って首肯いた。
 「うん」
 「……どこが」
 「んっとね……全部」
 暖かな光に半分照らされながらそう言った子供は、嘘をついているようには見えなかった。憮然としながらも少年はまた木を見上げてその枝の先々までも見る。電飾が巻かれているのは木の一部だけで、全ての枝に電飾がついている訳ではない。暗がりに潜むように目立たないその枝は確かに身軽だったけれども、どこか淋しく見えた。
 何となく子供が言っていることが分かったような気がして、少年は苦笑した。
 「…変なやつ」
 「誰が?」
 きょとん、と不思議そうに言う子供を見て少年は軽くその頭を小突いた。






 ふ、と一気に辺りが暗くなる。
 「おつかれさまでした」
 ぽつ、と子供が木を見上げて呟く。明かりは街灯のみとなり、隣の子供の表情もよく見えない。同じように木を見上げても、夜空に黒い影が伸びているのを見ただけだった。
 「…どこで寝てる?」
 少年は今までの寝所は追い出されてしまったから、新しい寝所を探さなくてはいけない。もっと早くに探すつもりだったのだが、何となく今まで子供と一緒に居てしまった。今日はとりあえずこの子供の寝所に邪魔させても<らえないだろうかと思い声をかけると、子供はきょとん、と目を丸くした。
 「今日はまだ寝ないでしょ」
 「…は?」
 「行かないの?」
 「……どこに」
 「ミサ」
 嬉しそうに笑う子供の声を聞きながら、少年は顔をしかめた。暗いからその表情は見られていないと思ったが、子供は困ったような声になる。
 「……ミサ、行けないの?」
 「……おれたちじゃ、入れてくれないだろ」
 日も変わろうかという夜更けに、家族が揃って教会へと足を運ぶのを毎年見掛ける。ささやかな笑い声や子供の声が聞こえる中で、少年はいつも軒下で丸くなりその声が行きすぎるのを待っていた。街中に響き渡る鐘の音を聞きかすかに流れてくる歌に耳を済ませるが、その意味も何も彼は知らない。たくさんの蝋燭の光が流れていくその後を追ったこともあるけれど、一際明るい光を放つ教会に吸い込まれていくその列に加わる勇気は無かった。
 「大丈夫だよ………良かったら、行こ?」
 冷たい小さな両手が手を包み、少年をベンチから立ち上がらせた。






 暖かな笑い声や美味しそうな匂いが漂う街の中を、彼らは手を繋いで歩いていた。浮ついたような空気は静まり返り、寒くとも穏やかな空気が流れているように感じる。
 「…何で、こんな日があるんだろう」
 「嫌い?」
 「…嫌いっていうか………変だなって」
 子供の手は繋いでいるうちに暖かくなり、少年の手にその暖かさがじわりと染みいる。
 「美味しいもの食べて、派手な飾り付けて…贈り物もらって、さ」
 全部自分には縁遠いものであるからこそ、昔から全てが不思議に見えた。何がそんなに楽しいのか、嬉しいのか。どうしてこの日なのか。
 「……詳しいこと分からないけど……神様の誕生日だっけ?」
 子供に問い掛けるとその子もまた考えるように口を開く。
 「んと……神様の、子供の誕生日」
 「……いいよなあ」
 「?」
 少年が漏らした呟きに子供は首を傾げた。
 「だってさ、こんなに大勢に誕生日祝ってもらえるんだろう?」
 自分の誕生日も知らない少年は、そう言って口を尖らせる。そんな彼を見て子供は楽しげに微笑んだように見えた。街灯の明かりも届かない暗い路地を歩いていて見えるのは、通りに面している家から漏れ出る光とその中の暖かな風景だった。
 「あのね……言っていい?」
 くすくすと笑いながら子供は繋いだ手に力を込める。何、と思って少年が子供を見ると、丁度窓からの明かりに照らされて子供の顔が良く見えた。本当に楽しそうに微笑むその表情に少年は目を瞬かせる。そうして口を開いた子供が言ったのは、さっき少年が言ったことばと同じだった。
 「…変なやつ」
 「…悪かったな」






 暖かい光が漏れ出でるその場所は、この街を知り尽くしていたと思っていた少年ですらも知らない場所にあった。細い路地を幾つも抜けていった先にあった小綺麗な教会。まだ人が集まってくる時間帯では無いためか、周囲に人影は見えなかった。
 小さな両手で正面のドアを押し開けようとする子供に力を貸して重い扉を開ける。途端に流れてくる暖かい空気に、寒さに緊張していた身体が一気に弛んだ。隙間から除くとそれほど広くもない空間に人影が一つ見えた。
 「こんばんは、神父さま」
 「おー……いらっしゃい」
 子供が嬉しそうにその人影に声をかけるのを見ながら、少年は重い扉を閉めた。
 「おや、お友達ですか?」
 「んっとね……りんご拾うの手伝ってくれたの」
 大きな帽子を揺らしながら神父に駆け寄る子供を見ながら、少年は気が付いた。子供の横に置かれていた紙袋。
 「おい…りんご!」
 「……あ」
 あと数個を残すのみだったけれども、確かにそこにはきちんと林檎が入っていて。
 「おれ、持ってくる」
 確実な食料をみすみす放っておく訳にはいかないと少年が広場に戻ろうとすると、やわらかな声が背に掛けられた。
 「まあまあ……いいじゃないですか」
 「いいって……」
 「きっと、誰かを満たしてくれているでしょう」
 「…………」
 こいつも変なやつだ、と思いながら少年はため息をついた。
 改めてその部屋を見ると、初めて見る教会は思っていたより居心地は良かった。もっと煌びやかで落ち着かないような雰囲気にさせられるかと思っていたのだが、そんなことは無かった。ただベンチが向けられている方向に小さいながらも木の飾りが見え、その奥には古ぼけた大きな木の箱があった。
 「……ここ、本当に教会か?」
 「まあ…確かに変わっていますから」
 神父はのんびりと答えて、ストーブに近いベンチに少年を手招きした。






 少年と子供は繋いでいなかった方の手をあぶり、擦っていた。程よくそれが動くようになると神父が暖かなミルクを彼らに差し出す。
 「……いいの?」
 「どうぞ」
 少年は目を瞬かせながら暖かいコップを受け取る。暖かいものを口に入れることが出来るだなんて、まるで夢みたいだと思いながら両手でコップを包み込んだ。
 「………いつまで、居ていい?」
 「居たいだけ」
 「……だって、ミサ始まるだろう?」
 たくさんの人が来る中に自分は居てはいけないと、そう思って少年が聞くと神父も子供も不思議そうに目を瞬かせた。
 「どうして?」
 「どうしてって……」
 「そんなことないよね、神父さま」
 「もちろん」
 ゆったりと微笑まれて、少年はとりあえず暖かなミルクを口に寄せた。冷え込んでいた身体が芯からじわりと暖まり、ほう、と息を吐く。
 「…居ていいの?」
 「はい」
 同じようにミルクを口に付けながら、神父は嬉しそうに微笑んだ。
 「ここは、ちょっと変わっていますから」
 「……ふうん」
 こくん、と飲み込んだミルクは甘く暖かく喉を通っていった。
 しばらくすると遠くから歌声が響いてくる。少年が彼らを見ると、子供と神父はゆったりと微笑んでいた。この歌声を聞くのは初めてでは無かったけれど、暖かな光に囲まれて聞いている今の自分が少年には本当に不思議だった。
 ゆっくりと、鐘の音が鳴り響き始めた。この教会からも鐘は響いているが、遠くからも他の教会の鐘の音が重なるようにゆっくりと響いてくる。そしてその音が導くように少しづつ人が集まってきた。寒さに白い息を吐いていた人が中に来ると途端に弛んだ表情を浮かべるのを見ながら少年と子供は神父の手伝いをする。普段使わないベンチを奥の部屋から運びだし、並べる。言われるままに身体を動かしているうちに段々と身体が熱くなってくる。室内を暖めるのは小さな薪ストーブが数個なのだけれども、飲んだミルクが身体の中に程よく行き渡っているようだった。
 「小さな神父さまね」
 「あら、またいらしていたの」
 狭い室内を忙しく動く彼らを見ながら、集まってきた人々も楽しげに微笑んでいた。本当に色々な人々が集まってきていて、少年は首を傾げた。自分のようにみすぼらしい服装をしている人もいれば、裕福そうな服に身を包みながらも子供の帽子がずれているのを直してあげている人もいる。
 「……変なの」
 そう少年が呟いていると、子供が奥へと連れていかれるのを見る。まだやる仕事があるのかと思って後についていこうとすると、その手前で神父に優しく止められた。
 「君は、こっち」
 言われるままに一番前のベンチに連れていかれて、彼は素直に腰を下ろした。だんだんと入ってくる人が増え、狭い部屋の中が埋まっていく。やはり集まる人は様々だったけれども、嬉しそうな談笑と暖かい空気は変わらなかった。
 ゆっくりと鐘の音が消えていく中、神父は微笑み辺りを見回した。
 「よろしいですか、皆さん…?よろしければ、灯りを消しますよ」
 答えの代わりに静まり返る人々。暖かい空気は変わり無かったけれども、何か違うものを少年は感じた。
 「ああ……どうか、楽にしていていいですから」
 そう神父に笑い掛けられて、少年はいつのまにか緊張していた身体から力を抜いた。
 ゆっくりと、室内の灯りが消されていく。狭い部屋は瞬く間に暗闇で埋め尽くされた。
 完全な沈黙と闇の中、それを包むように静かな歌声が響き始める。少年が今まで幾度と無く聞いていたその旋律が次第に大きくなり、部屋の隅々まで行き渡っていく。
 一つの灯りが点され、少年はそれを見た。小さな飾りに点されたのは本当に小さな灯りだったけれども、ゆっくりと部屋を照らしていく。そして天辺にある星が輝くと、楽器の音がゆっくりと先程の歌と同じ曲を弾き始めた。
 ようやく慣れてきた目で蝋燭の静かな灯りに照らしだされる影を見て、彼は目を擦った。一つは先程見えていた木の箱で曲を弾いている神父。そして壁際で静かに歌っているのは一人の少女だった。長い金の髪が蝋燭に照らされて輝いているのを少年はぽかんと見つめた。集まっていた人の中にはそんな少女は居なかったから、彼は不思議そうにその少女を見つめる。彼女が歌う声は変わり無く静かに響いていたが、その曲は彼が今まで聞いたことが無いものに変わっていた。それでもそれは確かに綺麗だと思えたし、蝋燭の灯りが照らしだす彼女の全てが輝いていた。彼女の動きに釣られて動く髪、まだ幼い表情、静かに組み合わされた両の手。
 あ、と彼が小さく声をあげた瞬間、神父が立ち上がり人々の方を向き直り高らかに何かを告げる。そのことばの意味も何もやはり彼には分からなかったが、蝋燭に照らされた彼は今まで少年が見ていた彼と同じ人には見えなかった。
 神父の声が消えると、次々と部屋の中に灯りがともされていく。すっかり明るくなった室内で、人々は穏やかに蝋燭を手に取り周りに置かれていた香炉から何かを振り撒いていた。少年がやはり知らなかったその香は、暖かな空気を更に暖めてくれるような感じがした。
 ざわざわと人々が語らうその中で、彼は先程の少女へと近付いた。明るい中で見るその少女はやはり見たことは無いように思えたが、その幼い両手には見覚えがあった。
 「……歌、上手だな」
 「ありがと」
 嬉しそうに微笑むその表情を見て、少年は苦笑した。
 「ミサ…いやだった?」
 「いいや………凄かった」
 「でしょ」
 良かったあ、と少女は笑った。人々が少しづつ帰っていくその中から神父が彼ら二人の下へと近寄る。
 「……ど?」
 「良かったって」
 「そう……良かった」
 神父もまた嬉しそうに微笑んだ。
 「ね……最後、何て言ったの?」
 少年は神父に問い掛ける。あの蝋燭に照らしだされた人影とは別人に思えるようなその人だったが、同一人物には違いはないはずだ。
 「んー…簡単に言うと……『神様ありがとう。しあわせをありがとう』…ってことかな」
 「………しあわせ?」
 「そう」
 神父は楽しそうに微笑みながら言った。
 「ようは、生きていて良かったなあ、と思える日にすればいいんだよ」
 「……神様の子供のお誕生日会じゃないの?」
 少年がそう言うと、神父と少女は顔を見合わせて笑った。
 「それは確かにそうだけど……それもつまり、同じことですよ」
 「………分かんないよ」
 少年が憮然としているのを、彼らは本当に楽しそうに見て微笑んでいた。






 少年が目を覚ますと、明るい光が窓から差し込んでいた。外から入ってくる寒さに身を縮めていると、毛布の端がめくられる。
 「お早よう」
 ちょこん、と覗き込んでくる人影に驚いて、少年は起き上がった。見ると見覚えの無い部屋で、ただ毛布を何枚も巻き込んだその上に少年は寝転んでいた。
 「あの……」
 不思議そうに人影に声をかけると、その人はのんびりとした声で答えた。
 「ああ…朝のミサまで起きているって言っていたんだけど、途中で寝ちゃったから…」
 昨日と変わらない格好の神父を見ながら、少年は彼に問い掛ける。
 「あの、あいつは…」
 「ああ」
 ふ、と神父が部屋の隅に置かれている帽子に目をやった。
 「あの子なら、歌を歌いに」
 「歌…」
 そういえば鐘が鳴り響いた翌日は、朝早くから歌声が聞こえていたような気がする。冷たい空気を縫うように聞こえる明るい暖かい歌声。
 「……夢だと、思いました?」
 ぽん、と帽子を手にとって神父は楽しそうに笑う。
 「……ちょこっと」
 少年が素直に答えると、そうでしょう、と彼は微笑んだ。
 「でもね、現実ですから……それを乗り切るためにも、必要な日なんですよ」
 「………」
 「まあ、難しいことはゆっくりと覚えていくにして…お腹、減りませんか?」
 え、と少年が神父を見上げると、彼は楽しげに微笑んだ。
 「丁度あの子も……」
 そう言い掛けた瞬間に、ぱたぱたと足早に近付いてくる足音が聞こえてくる。
 ぱたん、と部屋の扉が開き、冷気と共に子供が入ってきた。
 「ね、起きた?」
 「……ああ」
 「だったら……」











fin.








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