その街の大通りとそれに繋がる小店をほとんど見終えた一行は、少々早い夕食をとってから戻ることにした。 早め…とは言っても、そろそろ陽は暮れかかり、街が赤い色に染められいく頃である。 店先に灯された灯りと、その夕陽の色が幻想的な雰囲気を醸し出していた。 人通りは段々と途絶え始める……街の人は家路につき、周軍の兵士たちや旅人は手ごろな酒屋へと飲み込まれていく。 彼らはちょっと小綺麗な店へと入った……太公望などはもっと庶民的なところに入ることを望んだのだが、そこは彼らの顔をよく知っている兵士たちがいる可能性が高いという理由で却下された。
「ま、そんなに堅苦しくはないか」 店に入り、円卓へと通された太公望がそう呟く。 そこは確かに上品な雰囲気をもったところだが、必要以上の緊張は必要としなかった。 家庭的、という表現が一番しっくりとするだろうか。 なまぐさを使用しない料理全般を適当に注文し、皆で食べることにする。 全員で品書きを見ながら、店員に注文したのだが……
「……甘いものばっかりねー……」 注文を繰り返し、複雑な表情をして去っていった店員を見送りながら 玉は呟く。 「悪いか。…お!桃を使った冷や菓子もあるのか……すみませーん、追加注……痛っ!?」 声を聞き付けて彼らの方を向いた店員に、楊ゼンはにこやかに微笑んだ。 「あ、すみません何でもないです」 偶然振り向いたその男の店員は、その笑顔を見た途端赤面して顔をそらす。 「……何をするかこの……!」 「あ痛!ちょっとそんな強く蹴らないで下さい!!」 「やかましい!おぬしからやってきたのであろうが!」 「だって絶対そんな食べたらお腹壊しますよ!」 「何!?わしがそんなに弱い胃をしているとでも思っているのか!!」 卓の下で蹴り合い、小声で言い争っている二人を見ながら他の皆は頭を抱えた。 「……なあ、このままじゃ駄目か…?」 「なーんかもうどうでも良くなってきたさ……」 「ダメよ!!ここで逃げたらあのフケ顔になんて言われるか……!!」 「…でもよ、どうすりゃいいんだこんなの……」 「だから……こうなったら最後の手段よ……!」 ぐっと手を握り、決意を固める彼女の回りには、何か鬼気迫ったものが感じられる。 「……よろしく、頼むさ……」 そんな彼女から身を少々引きつつ、彼らは全てを任せることにした。 蝉玉はいそいそと土行孫……食事中ということで、錠をかけたまま隣の席に座らせていた……を引き寄せ、自らの膝の上に座らせる。 おもむろに微笑んで、いつものように土行孫を抱き締めた。 「ハニー……私のこと愛してる?…言わなきゃ一緒に死ぬわ」 「お、おう…もちろん……」 「本当!?嬉しい!」 「ぐええええええ……」 一連の会話を呆れたように一同は見て、ぽそぽそと会話を交わす。 「……何か、相応しくないことばが聞こえたのは気のせいか?」 「いーや、絶対気のせいじゃないさ……」 「……いつもより深く首に入ってますね。……止めないと、やばくありませんか?」 「…仕方がないのう……これ蝉玉。いい加減にせぬか!」 見兼ねて太公望がことばを掛ける。 すると、一瞬、蝉玉が不可解な笑みを浮かべた。 …それは一瞬で消えたために何だったのか解らないが。 「何よ!いいじゃない…好きな人と珍しくずっと一緒にいれて幸せなのよ」 「おぬしの場合はいつもであろう……よく飽きぬのう……」 ため息をつく太公望。 「……言うまいと思っておったが……いい加減兵士たちからも苦情がきておる。進軍中や宿営地などでおぬしらがじゃれ合う度に騒ぎとなるからな」 複雑な表情をする姫発と天化には気付かない様子で、彼はことばを続ける。 「まあそれと同様にナタクと楊ゼンとの修業だか何だかよく解らぬのもかなり届けられておるがのう。何せナタクを止められるものは……」 そこまで太公望が言ったところで、注文した料理が届けられた。 卓の上の回転する円状の板の上に料理が並べられ、好きなものを各自がとって食べる方式がとられる。 真っ先に板を動かしてアンマンを確保した太公望に呆れた視線が集中するが……彼は気にした風もなくことばを続けた。 「…ナタクを止められるものは天祥と武吉ぐらいのものだからな。わしらが言ってもどうにも」 「もう一件……苦情がたくさん寄せられているの、知ってる?」 生野菜の盛り合わせを皿にとり、蝉玉が微笑む。 ……いつも遠慮のない大笑いをする彼女が、土行孫以外に向けてそういう笑みを浮かべるのは、はっきり言って怖かった。 「……知らぬな。本当か、それは?」 太公望は静かに蝉玉を見る。 「本当よ」 その視線を受けとめる蝉玉。 「日を増すごとに増えているんですって。大変よねー」 「…そんなはずは無い。そういう苦情があればわしが気付かぬはずが……」 「……全てを解っているような言い方ね。あんたにも解んないことが世の中にはたくさんあるのよ?」 「それは認めよう。だが、こと周軍に関する限り、わしは全権を担っておるのだ」 ……いつのまにか、和やかな食事の場は険悪な雰囲気に包まれていた。 睨み合い…とまではいかないまでも、太公望と蝉玉は決して視線をずらそうとはしない。 「特に、民や兵士などの意見はどんなに忙しくとも必ず目を通す」 「もしその前で握り潰されていたら?」 「何?」 「例えば……」 そう言って蝉玉は楊ゼンの方を向いた。 今まで黙って会話の成り行きを見守っていた楊ゼンは、驚きに目を見開く。 だが、太公望はそんな彼をちらりと見ただけで、すぐに蝉玉へと向き直った。 「馬鹿なことを言うでない。あやつがそんなことをする訳がないだろう」 「……もしかしたらもしかするかもよ?」 「絶対にありえぬ」 きっぱりと言い切る太公望。 …店内の穏やかな空気も、彼らの間には届かなくなっていた。 しばらく無言で向き合った後……蝉玉は大きく手を上げる。 「ダメだわ……降参よ降参!」 「はあ!?」 「揉み消していたのはあのフケ顔!あんたたち二人にだけ知らされてなかったのよ!」 「何ぃ!?」 「何だって!?」 叫ぶ彼らを無視して、蝉玉は料理に箸をつけた。 「お腹減ったじゃないの……はーい、ハニー…あーんして」 土行孫の前に箸を差し出しながら幸せそうに微笑む。 「蝉玉……それは本当か……!?」 席から立ち上がり、詰め寄る太公望に蝉玉は平然とした顔で答えた。 「ウソついてどうすんのよ」 「くぬう、許せぬ……!」 そう呻くと、太公望はそのまま席を離れ店を飛び出そうとしたが……姫発に右腕を掴まれて阻まれる。 「離さぬか!おぬしの弟に言いたいことが……!」 「…まあ、落ち着けや。あいつも考えがあってしたことなんだよ」 「なぬ?おぬしも知っておるのか!?」 「……というか、スースと楊ゼンさん以外は全員知ってるさ」 「え……!?」 天化の台詞に驚愕の声を上げ、楊ゼンが目を見開いた。 「……何で、僕らだけが……?」 驚きを隠さずにいる楊ゼンに太公望を押しやり、姫発は頭を困ったように掻く。 天化を顔を見合わせ、二人で深いため息をついた。 「……まあ、順をおって話すとすっか?」 「…そんなに話すことも無いような気もするさ…」 ぶつぶつと小声で言い交し始める。 その間………楊ゼンに促され、再び席につき…落ち着きを取り戻した太公望が静かにアンマンに噛り付く。 その横では口いっぱいに料理を詰め込まれた土行孫が白目を向いていた。 太公望はもごもごとアンマンを飲み下し、茶をすすって息をつく。 それを確認して、楊ゼンが口を開き……
「……きちんと、教えて頂けるのでしょう?」 今だにぼそぼそと言い合っている二人を見て、丁寧に言った。 静かに微笑んではいるが、雰囲気が笑っていることを否定している。 そんな彼を見て怯えている姫発らを面白そうに眺めて、太公望は口の端を上げた。 「言いにくいことなのだろうが…はっきりと言ってしまった方が身のためだぞ?」 「……言いにくすぎんだよ」 「なぬ?」 「……おめぇらがかかっている病気の名前教えてやるよ!」 諦めたように姫発が大声を上げる。 その台詞を聞いた瞬間、太公望と楊ゼンは目を見開いた……が、すぐに普段の雰囲気に戻った。
「何だ……気付いておったのか」 「気付かない訳ないでしょう?元スパイを甘く見ないでよ!!」 土行孫に熱いお茶を差し出して顔にこぼし、更に苦しませている蝉玉が不満を顕にして言う。 「同じ病気にかかっているものとして、ひとこと……」 「でも、僕たちもう治ってますよ」 しん、とその場が静まり返った。 茶の熱さに苦しんでいた土行孫も、忙しく働いていたはずの店員までもが動きを止める。 夕刻とはいえ、通行人もまだまばらに通りを歩き、話をする声が聞こえていたのだが……それすらも途絶える。 短くも永遠を感じさせる静寂。 「…皆どうしたのだ?」 不思議そうに小首を傾げ、楊ゼンを見上げる太公望。 その瞬間に、二人以外のほぼ全員が大きな声を上げた。 「嘘つけ!!」 一行はもちろん…店の客、店員、果ては通行人に到るまで……。 ……彼らをよくよく見ると全てが周の兵士であった。 「な………!?」 「あーあ……バレちまったか…。おーい、皆もういいぜー」 驚きに目を丸くしている二人に構わずに、彼らは詰め寄り……卓の回りに大きな人だかりが出来上がる。 それを押し退けてやってくる大きな影に、更に二人は驚かされた。 「殿!!……本当にご苦労様でした……!!」 素裸の上半身に前掛け。 暑苦しいことこの上ないその男の手には、料理用の道具が握られている。 「……お前らもご苦労だったな」 ため息をつきながらも姫発が労うと、それぞれの格好をした兵士がぴし、と臣下の礼をとった。 「……南将軍まで……どうして……」 楊ゼンが茫然と彼がやってきた方向を見る……そしてそのまま頭を振った。 「楊ゼン?どうしたのだ………」 太公望も同じ方向を見ると、そこにはやけに見慣れた姿が立っている。 同じく臣下の礼をとりながら…にか、と悪戯が成功したような笑顔を彼は浮かべた。 「よ、太公望殿……杏仁豆腐は美味かったか?」 「………おお、美味かったわい……武成王……」 こて、と卓に伏せて太公望は呻く。 「……何なのだ一体……」 「……まあこうなったら仕方がねぇな…。とりあえず、これ食っちまおうぜ」 それに異論を挟むものは誰一人としていなかった。
next→
| |