ロイ子ケコーン
>151氏



イースト・シティからジャガランタまでは数時間の旅になる。ファルマンに見送られ、走り出した列車の車窓はいつの間にか田園風景にかわっていた。規則正しい揺れがロイ子を眠りに誘う。到着は夜になるため、ここで眠ればまた夜眠れない。ロイ子は必死に誘惑に耐えた。
何か別の事で気をそらそうと考えた途端、思い出さなくても良い事が甦る。
額に手をあてると邪魔そうに髪をかきあげた。
「あいつには絶対言えない……」
ブラッドレイが寄越した車両にロイ子は忘れられない思い出があった。
あれは、イシュバール殲滅戦の最中の事だったか。

視察に現れたブラッドレイの前でロイ子は倒れた。連日の不眠と極度の緊張が限界に達したのだろう。大総統は付き従った部下にロイ子を幕舎で休ませておくよう命令を下すとそのまま前線へ出て行ってしまった。

カチャカチャと陶器の触れ合う音で目を覚ました。煎ったコーヒー豆の香ばしい匂いがロイ子の鼻腔をくすぐる。ガリガリとミルで挽く音がしている。辺りをうかがうようにロイ子は身を起こした。
「気がついたかね?マスタング少佐」
ロイ子に背を向けたままその人物は声をかける。
「申し訳ありません、閣下」
「ああ、そのままでかまわん。少々狭いが寝心地はそんなに悪くない。そう思わんかね?」
「はい」
あわててベッドから離れようとしたロイ子をブラッドレイは制して、シュンシュンと湯気をあげているケトルを火から外すと挽いたばかりのコーヒー豆にゆっくりと注ぎ込む。
「少々味は落ちるだろうが戦場ゆえ仕方ないと思ってくれるかな?」
ペーパーフィルターを外すと淹れたばかりのコーヒーをロイ子に手渡した。
「これでもコーヒーを淹れるのは上手いのだが」
「ありがとうございます」
磁器を通して伝わる温かさにロイ子はほっとした。戦場に陶器の食器など存在しなかったから。
ブラッドレイは自分の手にもカップを持つとベッドの縁に腰掛けた。
「グラン准将などは戦場に女がいるのは士気にかかわるなどと言っているが、君はどう思うかね?」
「私ですか、閣下」
ブラッドレイは口の端をあげて笑みを浮かべるとあいた手をふった。
「いや、いい。聞いても仕方ない事だった。男女の性差による能力に違いはあるだろうが、少佐。
焔の錬金術師の能力には関係のないことだった。それより、飲まないのかね?冷めてしまう」
そう言うとブラッドレイは自分の持ったカップに口をつけた。ほっとした表情でロイ子も口をつける。
「おいしい……」
思わず口にした言葉を飲み込むようにロイ子は、申し訳ありませんと呟いた。その様子にブラッドレイが満面の笑みを浮かべ、そして、おかしそうに声を出して笑う。
「マスタング少佐、私が知っている君の噂と君にはどうやらだいぶ隔たりがあるらしい。それとも戦場にいる君と違うと言うことかね?」
「そうありたいとは思っています。戦場にいる自分とは別ものでありたい。そう思うのは間違っているでしょうか、閣下」
「さて、難しい質問だ。何故そう思うか聞いても良いかな?」
「この両手は炎を生み出します。私は国家錬金術師として忠誠を軍と閣下に誓いました。人間兵器として戦場にある私は閣下が噂に聞かれた通りでしょう。ふたつ名に焔を持つ私の事をイシュバールの民たちはルシファーと呼びます。焔を運ぶ悪魔だそうです」
「ルシファーの使魔は夢魔だったか……。君の所にも悪夢を運んでくるのかな?」
ロイ子の頬を涙が伝わった。
「閣下、どうか情を……」
「眠りたいのかね?」
ブラッドレイの言葉にロイ子は頷いた。ブラッドレイの指がロイ子の涙を拭いとると顎を掴み上向かせる。
あわさった唇は氷のように冷たい感じがした。戯れにヒューズと交すキスとは違う感触にロイ子の背をぞくりと恐怖が這い上がった。強張るロイ子の体をブラッドレイはゆっくりとベッドへ押し倒した。ロイ子のすすり泣く声とベッドの軋む音がしばらく続いた。静けさが訪れた時には、幕舎にはロイ子の規則正しい寝息だけが人の気配を残していた。

夜の明けきらないなかロイ子はそっと体を起こすとベッドを抜け出す。ブラッドレイの姿はなく、昨夜剥ぎ取るように脱がされた軍服は丁寧に壁にかけられていた。
鈍い痛みがじわじわと体の内側に広がっていたが、ここしばらくなかった深い眠りにロイ子は感謝した。ベッドのシーツに残る赤い染に指を這わせる。女になった感慨よりも、ほんの少しの後悔がロイ子を苛んだ。処女と引き換えに手にいれた安眠と心の平安。
昨夜、ブラッドレイはベッドの中で繰り返しロイ子に囁いた。君のせいではない。
君は軍の命令に従っただけだ。君は忠実に職務をこなしただけだ。
「人はそれを卑怯と言うかね、マスタング少佐」
いつの間にか現れたブラッドレイにロイ子は驚いて振り向く。壁にかかったロイ子の軍服を手にとると背から着せ掛けた。
「良く眠れたようだな」
「ありがとうございました」
「君が初めてだとは思わなかった。知っていたら手加減したのだが」
「いえ、閣下」
「少佐。人はしょせん自分以外にはなれないものだ。戦場にあっても、ベッドの中で泣いていても君は君だ。君も軍人であるのなら、もう少し感情をコントロールする術を身につけたまえ。悪夢程度で寝不足から倒れられたら困る」
「申し訳ありません」
自分の方に向かせるとブラッドレイは手ずからロイ子の軍服を調えた。
「おめでとう。今日からマスタング中佐だ」
肩章を中佐の使うものに取りかえる。
「君の活躍はすばらしいものだった。これからも私と軍に忠誠を誓いたまえ」
「あ、りがとうございます……」
ロイ子はそれだけ言うのが精一杯だった。ブラッドレイはこれ以上話すことはないと言うように手をあげる。意図を察したロイ子は敬礼をすると幕舎を後にする。
ロイ子は出口で振り返りもう一度頭を下げた。
「マスタング中佐、もう悪夢を見ることはないな?」
「決して」
幕舎の外は濃い霧に包まれていた。
「決してありません。閣下」
ロイ子はぎりりと歯を噛み締めた。
「夢か……」
覚め切らない瞳にうつる赤い絨毯が眩しかった。うつらうつらと列車の揺れに身をまかせるロイ子はふたたび夢に囚われた。

どこか遠くで人の声がする。

「大佐。おきてください。どこで寝てるんですか?」

うっすらとひらいた瞳に黄金色の稲穂が飛び込んできた。
「……?」
無意識のうちに手をのばし掴みとろうとする。
「いッ、痛いな。寝ぼけてます?」
空のように青い瞳が目の前で笑っていた。
「ハボック?どうしてここに?驚いた……」
「迎えにきたんですよ。ファルマンが電話くれました。まったく無防備すぎます。それに床ですよ。」
屈託ない笑みを浮かべたまま、ロイ子の体を抱き起こす。
「さすが、大総統閣下がお使いになる車両ですね。床なのにこんな心地良い」
床にしかれた絨毯が膝をついたハボックの脚を優しくつつんでいた。
「良く眠れましたか?」
「ああ」
「早く帰りましょう。今日はゆっくりさせろとヒューズ中佐たちから厳命を受けているんです」
棚の上においたロイ子の荷物をおろしたハボックに促される。駅長が敬礼をしてロイ子を迎えてくれた。軍服を着ていない自分がそんな扱いをうけることに、とまどいを受けた。
「申し訳ないんですが、この車両は中央へ回送をお願いします」
ロイ子に続いて降りたハボックが駅長へ頼んだ。どうして?と首を傾げるロイ子の肩を抱きよせる。
「二人で並んで窓の外を見ながら帰りたいんです。そんな普通の事、大佐とできるなんてめったにないでしょう?」
ロイ子は嬉しそうに頷いた
ジャガランタにロイ子の生家はすでになかった。式に参列するヒューズ達は市内の宿にハボックはロイ子が錬金術の教えを受けた司祭のもとへ泊まっていた。
石畳の敷かれた路地をハボックとロイ子は手をつないで歩く。低い位置の月に照らされた二人の影が寄添い後に続いていた。

司祭館の窓にオレンジ色の明かりが揺れていた。ロイ子がハボックの手を振り解いて駆けていく。息を切らせて呼び鈴に手をかけた時、内側からドアが開かれた。
「司祭さま」
飛び跳ねるようにロイ子がその人物に抱きついた。その様子を少々羨ましそうにハボックが見つめる。いつまでもそのままのロイ子をハボックが司祭から抱き取った。明日はよろしくお願いします。と、二人そろって
頭を下げると司祭館の二階に用意された部屋に向かった。
翌日は花曇だった。ホークアイ中尉とグレイシアがロイ子の準備に朝早くから現れ、ハボックは追い立てられるように部屋から追い出された。

「よお。ハボック少尉」
「おはようございます」
勝手知った自宅のようにヒューズはくつろいだ様子で司祭とコーヒーを飲んでいた。
二人の座るテーブルにハボックも加わった。
「花嫁の準備は時間がかかるからな。まあ、ゆっくりしろや。少尉」
その言葉にハボックはがっくりと肩を落とす。
「中佐〜」
「ああん?」
「やっぱ、式は制服ですかね?」
「あたりまえだ。ハボック。軍人が結婚式に制服を着用せずにどうするんだ。知ってるか?
グレイシアが言ってたんだが、制服を着てると二割ましハンサムに見えるらしいんだ。
で、帽子をかぶるとだな八割ましハンサムに見えるらしい。」
真顔で言うヒューズにハボックはため息をつく。
「ロイ子も言ってたな。制服着てる少尉はまあ見られる、っと。おーい、ハボック少尉?」
「そうすっか……。そうですよね。どうせ俺なんか……」
「おじちゃん、どうしたの?」
ぱたぱたと走りよってきたエリシアをヒューズは抱き上げた。
「ママがね、ロイ子お姉ちゃんの準備できたからパパ呼んできて。って」
「おっしゃ。じゃあ、エリシアちゃんもパパと一緒にロイ子んトコ行こうな。」
「パパ、お髭いたーい」
「おお、悪い、悪い」
頬を摺り寄せたヒューズにエリシアがかわいくイヤイヤをする。
「ハボック少尉、男の価値は星の数じゃない。しかし、だ。ロイ子もこんな青二才のどこが良かったのか未だに理解に苦しむ。ま、仕方ない。ロイ子がこいつが良いって言うんだからな」
「中佐、それフォローになってない…す」
「では、司祭殿。よろしくお願いします」
エリシアを抱き上げたままヒューズは司祭へ敬礼する。それに頷き返すと、まだ落ち込んだままのハボックを促して礼拝堂へと向かった。礼拝堂のパイプオルガンの椅子にホークアイが腰掛けていた。ぱらぱらと楽譜をめくりながら音をあわせている。司祭の姿に気がついたホークアイは立ち上がると深々と礼をする。司祭は鷹揚に頷くと祭壇の両隣に飾られた蝋燭台に火を点し始めた。

「ハボック少尉、しっかりなさい。泣きそうな顔してるわ」
ホークアイが手の甲でハボックの胸を軽く叩く。
「大丈夫だから。しゃんと背をのばして」

「リザお姉ちゃーん。ロイ子お姉ちゃん、準備できたって」
グレイシアに手を引かれたエリシアがホークアイに子どもらしい甲高い声で叫んでいた。
ケミカルレースの小花が幾重にも重なった上身ごろはオフショルダーでぎりぎり肩が隠れる程だった。マーメイドラインのスカートにAラインのシフォン生地がかぶさったドレスはロイ子のノーブルな雰囲気をいっそう際立たせた。ベールで覆われたロイ子の表情は窺い知ることはできないが、鏡の前に座るロイ子の背からヒューズが満足そうに見つめる。

「ロイ子、本当に嫁にいっちまうのか?今なら、まだ間に合うぞ」
「何言ってるんだ、ばか」
「だってなあ……」
「もっと喜んでくれると思ったんだが、ヒューズ?」
「嬉しいさ。嬉しいけど複雑な気持ちってやつよ。わかるだろ?」
「さあな、それより行くぞ。ハボックが待ってる」
しぶしぶと言う風にヒューズはロイ子に腕を差し出した。肘まで隠す手袋をしたロイ子の手を恭しくとると、貴婦人にするようにヒューズはその手に触れることなくキスを落とした。








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