【 In paradisum 】
>60氏

【注意】アル死にネタ有



「……なるほどね。大体の事情はわかったよ」
老女は煙管をくゆらせながら、男の長い話を聞いた。
目の前のコーヒーは、手をつけられることなく、すでに冷めてしまっている。
話を聞く前から、大体の事情は分かっていた。だから今更驚くことも哀しむこともない。
「だが、あの子が弟を殺したなんてことは、嘘なんだろう?」
確認のために、男に尋ねる。
それに男は深くうなずいて答えた。
「ええ。そんなことはありえません。
 彼女は、弟を本当に大切に想っていました。
 彼女が本当は弟をいらないと思っていたなんてありえません。
 あれは、人造人間の、彼女を傷付けるための嘘だったのでしょう。
 それ以前に、たとえ彼女が本当に弟をいらないと思っていたとしても、彼女のせいで弟が『死ぬ』なんてことはありえません」
そこまで言って、男は一度、言葉を途切れさせた。
ほんの一瞬、その先の真実を告げることを、ためらうように。

「なぜなら──あの鎧に、もともと弟の魂などなかったのですから」

老女はただ静かな心でそれを聞いていた。
昇ってゆく煙管の煙をゆっくりと目で追う。
煙は揺れながら、空へ昇ってやがて消えてしまう。
「あなたも気付いていたのではないのですか?
 アレが──あの鎧が、アルフォンス君ではないと」
「……ああ、知っていたよ」
溜息をつくように、老女はゆっくりと煙管の煙を吐いた。
「いつ、気付いたのですか?」
「最初からだよ」
老女は昔を思い出すように、遠い目をする。
本当の孫のように可愛がっていた姉弟が、変わり果てた姿でここへ駆け込んできた日が昨日のことのように思い出された。
「見た瞬間すぐ分かったわけじゃないが……
 アルが鎧姿になったあと、しばらく一緒に暮らしてて、あたしはなんとなく違和感を感じたんだ。
 どこがどうおかしかったというわけじゃない。でも、なんとなく、おかしかったんだ。
 だから聞いてみたんだよ、森の奥のクヌギのウロのことをね。
 そこはアルの、宝物の秘密の隠し場所だったんだ。姉にさえ秘密の、ね。
 だがあの鎧の子は、それを知らなかった」
たとえ魂だけになっても、それがアルフォンス本人なら知っているはずだった。
だが知らないということは──それは彼ではないということだった。
他にもいくつかの質問をしてみて、老女は確信したのだ。
アレは、彼ではないと。
姉である少女が作り上げた、『アルフォンス』なのだと。
あのとき──母親の人体錬成をしたあのときに、本当のアルフォンス・エルリックは死んでしまった。
少女は錬金術により弟の魂を錬成しようとしたけれど、結局それは叶わなかったのだ。
その代わりに、無意識のうちにかそれとも偶然にか、弟の錬成に失敗した少女は、まるでそこに弟の魂があってしゃべって動いているかのような『動く鎧』を作り上げた。
その仕組みがどんなものなのか、錬金術師でもない老女には分からない。
だが、『動く鎧』は少女が『弟』として作り上げたものだったから、少女が知らないことは、鎧も知らなかったのだろう。
本物のアルフォンス・エルリックはすでにこの世界にいない。
あの鎧は、中身のない、ただの人形だ。
それでも少女はそれを本物の弟だと信じていた。
「でも、あたしはそれでいいと思った。それであの子が救われるなら、それでいいと」
孫のように可愛がっていた少年が、本当はもうこの世界にいないという事実は哀しいが、事実は事実でしかない。
だったら、生き残った少女のしあわせを考えた。
無意識のうちに偽の弟を作り出し、そこに弟がいると思うことで、それが彼女の生きる希望になるなら、黙っていようと思った。
少女が国家錬金術師となって、弟の体を取り戻す旅に出ると言ったときも、それが無駄だと分かっていながらとめなかった。
生きるには目標が必要だからだ。
弟の体を取り戻すという目標は、生きる意味になる。
それがある間は、少女は死のうなんて思わない。何をしてでも生きようとするだろう。
生きていてほしかった。孫のような少女を失いたくなかった。
もうこれ以上、大切な人を失うことも哀しむ姿を見るのも嫌だった。
軍の狗として生きることは、つらいこともあるだろう。
けれど、生きていてよかったと思うことだってたくさんあるはずだ。
死んだら終わりなのだ。
老女はただ、少女に生きていてほしかったのだ。
「──私も、同じです」
目の前に座る、黒髪の男がつぶやいた。
「私は他の器に魂を定着させるというその存在に興味を持ち、その仕組みを知りたくて内密に研究しました。
 そして、あれが魂の定着ではなく、ただの『動く鎧』だと知りました。
 でも彼女には言えませんでした」
少女にとって弟がどれほどの存在か、男にもよく分かっていただろう。
男も、老女と同じ気持ちだったのだ。だから少女に真実を告げることはできなかった。
「鎧の血印に傷がついたのは、やっぱり事故だったのかね?」
老女はひとつ疑問に思っていたことを男に尋ねた。
鎧に魂はなかったものの、鎧を動かすための錬成陣はあの血印だった。
血印が壊れれば、鎧も動かなくなるはずだった。
やはり猫か何かが傷をつけてしまったのだろうか。
「いえ、傷は、動かなくなったあとでついたものでしょう。
 おそらく血印に関係なく──ネジが切れたのではないかと推測しています」
「ネジ?」
男の言葉に、老女は首をかしげた。
「ネジというのは例えですが……。
 あの鎧に、常に動力源が供給されていたとは考えられません。
 動力源ははじめに与えられたのみだったのではないでしょうか。
 すなわち、錬成時に彼女の片腕を代価に、それがあの鎧の動力となっていた。
 でも、片腕一本で一生分の動力が得られるとは思いません。
 それが、切れてしまったのではないかと思うのです」
あの鎧は、ネジ巻き人形と同じだったのだ。
はじめにネジを巻かれた人形。そしていつしかネジは切れる。
ネジが切れる『そのとき』が、来てしまったのだ。
「あんたは最初からそう考えていて、いつかネジが切れると思っていた。
 だから──『そのとき』に備えてすべての準備をしていたんだね」
「ええ」
老女は納得する。
錬金術師ではない老女はそんなことを考え付けなかったが、彼女と同じく国家錬金術師の称号を持つ男は、そう考え、さらにその先まで見越していたのだろう。
ネジが切れ、この世界から『アルフォンス』がいなくなったとき、どれほど少女が哀しむか──少女がどうなるか、容易に予想はついた。
だから、この男は彼女のために、用意をしていたのだ。
「……私を責めないのですか」
「何を責めるって言うんだい?」
「彼女の記憶について、です」
老女はもう一度、大きく溜息をついた。
「あんたを責めるつもりなんてないよ。
 忘れられちまったことは寂しいが、それでも、今あの子は笑っているんだろう?」
大切なのは、あの少女が生きていてくれること。できるなら、笑っていてくれること。
それが叶うのなら、記憶など些細なことだ。
この男のもとで、きっと少女はしあわせなのだろう。
何が正しいしあわせかなんて誰にも分からない。
どこかで歯車がずれて、それでも、壊れてなくなってしまうよりはずれて軋んだままでも回り続ける方がいい。
老女はゆっくりと椅子から立ち上がると、窓辺に寄った。外はいい天気だ。
昔この庭で、孫娘と姉弟が、いつも一緒に遊んでいた。その幻が、浮かんでくる。
「────でもね」
窓の外の幻を見つめたまま、老女はつぶやいた。
「おまえさんたち錬金術師には笑われるかもしれないけどね。
 あの鎧が、アルフォンスではなかったとちゃんと分かっているが、それでもあれはアルだったんじゃないかと思うんだよ。
 魂がどうとかそんなことはどうでも良くて、あたしらにとって、それでもあれは『アルフォンス』だったんだよ」
老女の目に映る3人の幼い子供の幻は、やがて違う姿へと代わる。
すこし成長した孫娘と、片手足が機械鎧になった少女と、大きな鎧。
それでも、姿はそれぞれ変わっても、変わらずにこの庭で戯れていた。
「老婆の耄碌だと笑うかい?」
「──いいえ」
男の答えに、老女は小さく笑った。
老人のたわごとだと笑い飛ばしてくれてよかったのだ。
いや、そうして欲しかったのかもしれない。愚かな感傷だと。
そっと窓を開ける。心地よい風が入ってくる。
いつのまにか幻は消え、ただ、誰もいない緑の芝の庭だけが残される。
窓辺に立つ老女の傍らに、黒犬が来て体を摺り寄せる。
その頭を撫でてやりながら、老女はずっと外を見つめていた。
煙管から、ゆっくりと煙が昇ってゆく。
景色が歪んで見えるのは、多分、老眼のせいと、煙が目に染みるからなのだ。
男が少女の故郷を発ったのはすでに夕刻に近い時間で、中央にある我が家へと帰ってきたのは、ずいぶんと遅くなってからだった。
「おかえりなさい!」
帰ってきた音を聞きつけて、笑いながら、少女が駆けてくる。
飛びつくように出迎える、妻である少女を抱きしめる。
「こら! 走ってはいけないと、あんなに言っただろう!」
「平気だよ」
わずかに膨らみはじめた少女の胎の中には、新しい命がある。
もうすぐ母になるというのに少女の快活さは以前のままで、そんなところも愛しいのだが、男は時折肝を冷やされる。
少女の記憶は相変わらず戻らないままだが、最近は不安げな顔をすることが少なくなった。
子供が出来たことも重なって、記憶がないことへのふんぎりがついてきたのだろう。
(ずっとこのまま、思い出さなければいい)
本当は、ショックで記憶が混乱しているのではない。
男が錬金術で、彼女の記憶を消したのだ。
極秘にこの研究を進めてきた。一人では完成させることができずに軍の力も使った。
『捕虜や囚人の記憶を操作することにより、軍に有利になる』などともっともらしいことを言って、研究の協力を得た。
だが、本当の目的は、彼女に使うことだった。
いつか弟を失うその日が来たとき、彼女が壊れてしまうだろうということは分かっていた。
人造人間の出現は予定外だったが、あの鎧が弟でなかったと知ったときも、彼女の精神は耐えられなかっただろう。
だから、そのとき、彼女の記憶を消してしまうために、ずっとその準備を進めていたのだ。
そして今、記憶の一部を消され、書き換えられ、彼女はここにいる。
記憶というものはすべてが関連付いて成り立っているから、都合のよく一部だけを選んで消すことはできなかった。
母親や弟の記憶を消すために、結果的に男と恋人同士であった頃の記憶も消えることになってしまったが、それは仕方のないことだ。
それに、記憶がなくなっても、彼女はこうして今ここにいる。それで十分だ。
彼女のためなどではない。これはただの男のエゴだ。
玄関から暖かいリビングに移動して、柔らかなソファに並んで座ると、少女は男に腹に触れるよう促した。
「お腹の子、少しだけど動くんだ」
「そうなのか」
そっと腹部に手のひらを押し当てる。
少女は動くと言っても、まだ男には何も感じられない。
それでも確かに、ここに新しい命がいるのだ。
「すごく元気いいんだ。きっと男の子だよ!」
(老婆の耄碌だと笑うかい?)
不意に、老女の言葉を思い出した。
自分の中にちらりと浮かんだ考えに苦笑する。
もしかしたら彼の生まれ変わりかもしれないなどと。
男には、天国や輪廻があるのかどうかなど分かりはしない。
どちらでもいいのだ。それがあったとしても、なかったとしても。
ただ、神様でもない男にできることは、ここで、この世界で彼女をしあわせにすることだけだ。
少女を膝の上に抱き上げて、抱きしめる。
「ロイ?」
「──なんでもないよ。ただ、とてもしあわせだと、噛み締めているんだ」
「俺も、しあわせだよ。すごく、しあわせだ」
少女が微笑む。とてもとても、しあわせそうに。
その笑顔に、男も微笑んだ。



【終】





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