深い闇。
心が、はじけそうなほど痛かった。
怖かった。
自分が誰か。
自分が、何か。
わからないまま。
闇に迷う。
がむしゃらに手を伸ばしても、掴めるものは何もなくて。
やがて彼女は疲れ果て、膝を抱えて座り込んだ。
あるのはただ、疲労と、恐れと――
痛み。
強い虚脱感に心も体も支配され、もう何もかもがどうでも良かった。
いつからか暗闇の中に、淡い輝きがあることに気がついたけれど――
顔を上げるのも、意識を向けることすら億劫だった。
もう、いい。
疲れた。
怖い。
痛い。
もう、放っておいて。
目を閉じた。
闇に宿った淡い輝きさえ、彼女は無視した。
だが。
ほんのりとあたたかい感覚が、彼女を包んだ。
目を、開ける。
何も見えなかった。
だが、あたたかな感覚が自分を包んでいるのを――彼女は感じた。
その感覚は、無視するにはあまりにも――
優しくて。
この、あたたかさ。
私、――知ってる。
しみこんでくるようなあたたかさに力を与えられ、
彼女はようやく、淡い光に意識を向けた。
――この、感覚。
おとう、さん……?
私の証
ナルシェへと向かうブラックジャックの甲板で――
ティナは、探していた人物の背中を見つけ、声をかけた。
「……ロック」
小さな呼びかけだったが、彼にはちゃんと聞こえていたようだった。振り向いた彼は、にっこり
笑ってこちらを見た。
「ティナ。どうしたんだ?」
「ロックをね、探してたの」
風に遊ばれる髪を押さえながら、ティナはロックの側に立った。ロックはティナの顔をのぞき
込むようにしながら、
「休んでなくて大丈夫か?」
記憶を取り戻し、幻獣としての力を安定させることができるようになったティナだが、ほんの
三日前まで暴走していた力のために随分と衰弱していた。この二日、休養を取っていたのだが
――
心配そうなロックに、ティナはふわりと微笑んだ。
「もう大丈夫よ。……幻獣、だから」
「……ん。
無理、するなよ」
ぽん、と優しくロックは頭を撫でてくれた。そのあたたかい手が心地よくて、ティナはそっと
目を伏せた。
「……ありがとう」
「ん?」
怪訝そうに、ロックが問いかけてきた。不思議そうな彼を見上げ、ティナはもう一度繰り返した。
「ありがとう。
……ロック、ゾゾで。
私の手、握ってくれた……」
思い出す。
苦しくて、怖くて、もう何もかもがどうでも良くなっていたとき。
淡い輝き――父であるマディンの呼びかけにすら、応じなかったあの時に。
自分を包み込んでくれた、あのあたたかな――感覚。
目を開けると。
ロックが、手を握っていてくれたのだ。
導いてくれた――手。
「ロックの手は、わかるの……
あったかいのよ、すごく」
「そうか?
役に立ったなら、嬉しいな」
照れたように、彼が笑う。ティナも笑って、頷いた。
初めて会ったとき、ナルシェから自分を連れだしてくれた時に、握っていてくれた手。
リターナー本部で、迷っていた自分を励まし、涙を拭ってくれた手。
ナルシェで再会したときに、がんばったな、と頭を撫でてくれた手。
そして。
闇に――死に埋もれかけた自分を包んでくれた、――手。
いつも、この手に――あなたに。
私は、救われてきた。
「ありがとう」
だから。
この手があれば、――大丈夫。
「ねえ、――きいてくれる?」
「ん?」
優しい眼差しに、勇気づけられる。頭に乗せられたままだった手をそっと取り、ティナは自分
の手の中に包み込んだ。
「……あのね、
すごく……痛かったんだ」
あの、闇の中で。
「痛くて痛くて、もう……なんでも、良くなってた。
こころが……、痛かったんだと、思う」
ロックは黙って聞いていてくれる。その彼の手を握りしめながら、ティナはあの苦痛を思い返
した。
「……死にたく、なった。
でも……」
この、手が。
「ロックが……手を握ってくれたとき……
あったかくて、それで……
思い出したよ。
生きてる、こと」
痛み。
それは。
「私が世界にいたこと、思い出したよ。
だから……痛いんだって。
生きてるから、痛いんだって、ようやく、わかった」
あの痛みさえ。
いや――あの痛み、こそ。
自分がこの世界に在る、証。
「だから、たくさん――
たくさん――傷つこうと、思うの」
「ティナ……」
「ロックは前に、ね、私のありのままに生きていればいいんだって言ってくれた。
でも、私は生きていること、存在していること自体が許されることなのか、わからなくて……
一人で勝手に、苦しんでた……
ううん……違う。
苦しむことで、考えないようにしてた。
自分が、憎まれていること」
死にたいと口にすることは、とても楽だ。
死にたいと思うほど、自分が苦しんでいるのだと――そう思うことは、とても簡単だ。
楽に、簡単に、現実から逃れられる。
「本当に苦しめるはずなんてなかったの。
思い出せないことは本当に苦しかったと思う……
でも自分がしたこと、思い出せないのに……
人を殺したことを、悔やむこと、苦しむこと――
できるはず、なかった」
痛い。
痛い。
熱い滴が、頬を伝った。
「ほんとの痛みを、知らなかった……」
触れていないロックの手が、そっと涙を拭ってくれた。目を上げると、涙に歪んだ視界の中に、
ただ穏やかに自分を見つめてくれる――大地の瞳。
「痛みの意味も、知らなかった。
そして、お父さんとお母さんが私を愛してくれていたこと。
私を望んで、生んでくれたこと。
世界に在らせてくれたこと、ようやく、思い出して……」
ああ。
死ぬことは、とても簡単だけれど。
「……ロック。
私、生きるわ」
「……ティナ」
「死ぬことは、とても簡単で――もしかしたら唯一の償いなのかもしれないけど。
私を望んでくれた人たちへの、裏切りで、逃げだから」
もちろん、
「――私が生きることを望まない人たちは、きっとたくさん、いる――けど」
「ティナ」
「私にしかできないこと、きっと、あるから」
まっすぐに。
大地の瞳を――見据えて。
「私に憎しみを、持ってる人がね。
たくさん、いるよね。
その人たちには、ほんとうに――なんて言っていいか、わからないけど」
申し訳ない、とか。そんな言葉では――言い表せない。
「そのぶん――傷つくことで、生きていこうと思うの。
私のやるべき事をやりとげるまで、死なない。
そう、この手に――
誓わせて」
あたたかい手。
その手を頬に当て、ティナは目を閉じた。
あたたかい手。
いつも側にいてくれた、あなたの。
その強さが、欲しいから――
あなたに、誓わせて。
と。
急に、引き寄せられた。
抱きしめた手ごと、あたたかな彼の胸の中に閉じこめられる。
「……俺も、ティナが生きること。
望んでる」
「…………うん」
声も。手も。胸も。
「それから、……どんなに痛くても。
誓いを受けた以上、俺の手も、側に在るから」
……あたたかい。
「…………うん…………」
ありがとう。
「ありがとう……」
生きて。
生きて、いきます。
生きていく痛み。
私が選んだ、痛み。
その痛みが、私の全て。
そして。
あなたのその手が、私の、証。
BY 鬼灯 要様
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