「Two for the Rord 後編」



 すぐ傍で一部始終を目撃していた鈴と祥瓊は、笑いを噛み殺すのに必死だった。麒麟が――しかも麒が――実家に帰る……普通なら大変な事態だが、この状況では笑いが出ない方がおかしい。
 王と麒麟は真剣なのだろうが、はたから見れば単なる痴話喧嘩以外の何物でもない。
 さすがに笑ってはいられないのは陽子である。
 麒麟に実家に帰られた王……よく考えたら、それは何だかとんでもなく……恥ずかしい。
 顔を真っ赤にして笑いを堪えている二人を横目で見遣り、陽子は一つ溜息をついた。
「……仕方ないだろ。私のせいじゃないぞ、こんな恥ずかしい事態は!」
 こんな事が他の官吏達に……いや、それよりも民に知れたら恥ずかしすぎる。甚だ不本意ではあったが、ひとまず景麒の後を追う事にした。

 景麒の自室へと足早に向かうと、どうやら本気で失踪……なら外聞もまだいいのだが、どこだか知らないが実家に帰るつもりらしい景麒が荷物をまとめている所だった。
 これじゃあ下手な昼メロじゃないか、と陽子は頭を抱える。
 このまま黙って見ている訳にもいかない。仕方ないので軽く咳払いしてから陽子は声をかける。
「なあ、景麒……」
 しかし景麒は呼びかけにも答えず、そのまま黙々と荷造りをしている。
「いい加減そんな馬鹿な真似はよせ。今日はおかしぞ、お前」
 それでも何も言わない景麒に、陽子は苛々しながら続ける。
「いい加減にしろ。返事位したらどうなんだ」
「……それは主命ですか?」
「何だ、その主命って。そんなもの関係ないだろう。返事位するのは当たり前だろ」
 しばらく俯いていた景麒だったが、やがて消え入るような声でようやく言葉を発する。
「……主上は」
「何だ」
「主上は、私の事などどうでもいいのですね」
 陽子は軽く目を見開く。
「何でそうなるんだ。いきなりどうしたんだ、お前は」
「いきなりではありません。主上はいつも私の言葉に耳を傾けては下さらないではありませんか。昨日も私に何の断りも無く下界に降りて深夜まで連絡一つない。私がどれだけ心配したとお思いですか」
「そ、それはお前があんまり小言ばっかり言うから……」
 珍しく感情を露わにして肩を震わせている景麒に陽子が恐る恐る近づくと、唐突に突拍子もない事を言い出した。
「――私の事など、愛して下さらないのですね」
 陽子はその場にへたり込みそうになるのを何とか気力を振り絞って堪え、壁に右手をついて身体を支える。
「な、何を言い出すんだいきなり……あ、愛だとかそういう問題じゃないだろ」
「いいえ、そういう問題です!」
「そんな無茶苦茶な……」
 ここまで来て、さすがの陽子も景麒の様子があまりにもおかし過ぎる事に気づいた。いくら喧嘩していて、そしてそれがいつになく白熱していたとはいえ、よく考えれば実家に帰るだとか、愛してないのかだとか、景麒がそんな事を言うはずがない。
「……景麒?」
 黙ったまま棒立ちになっている景麒の肩に触れて顔を覗きこみ、陽子は微かに顔をしかめる。
「やっぱり。熱があるぞ、お前。深夜まで禁門で薄着して立ってるからだぞ。今度から嫌味を言いたかったら私の部屋で待ってろ」
 熱を帯びて潤んだ瞳と火傷しそうなくらい熱い頬に、陽子は呆れたように言う。そしてさっきまでの勢いはどこへやら、ぼうっと突っ立ったままの景麒をとりあえず長椅子に座らせる。

 一度こうした静かな間が空くと、さすがに先ほどまで展開していた喧嘩は再開出来ない。しばらくお互い押し黙っていたが、先に口を開いたのは景麒だった。
「……駄目です」
「何がだ?」
「先ほど主上が仰った事です」
「だから、何だよ」
 やはり熱のせいかいつもの五割り増しで要領を得ない景麒の言葉に、陽子は苛々して聞き返す。
「主上のお部屋で待たせて頂くというお話です」
「いや、それは冗談というか言葉のあやというか――」
「これからは一切私に無断で下界に降りるような事が無い様お願い致します。それなら待たせて頂く必要も御座いません。よろしいですね?」
「それはちょっと約束出来ない……かなあ」
 熱を出した途端強気になるなんておかしな奴だと思いながら、陽子はいつも通りに返すが、やはり今日の景麒は一味違っていた。
「分かりました。やはり実家に帰らせていただきま……」
「ちょ、ちょっと待て!分かった、分かったってば!」
「本当ですね?」
「もういい加減機嫌直せよ。今度グッチのバッグ買ってやるから」
「そんなものでは誤魔化されませんよ」
「蓬莱のブランド分かるのか、お前……」
 これ以上追求すると何だか恐いので陽子は話題を変える。
「そ、そうだ、じゃあ今度旅行に連れてってやるよ。海外とか……」
 もはや自分でも何を言っているのかいまいち分からなくなって来た陽子は、そうもごもごと続ける。
 完全に妻の機嫌を取り結ぼうとする夫状態だが、幸か不幸か周りにはこの無益な争いを止め、なおかつ本筋から外れまくった軌道を修正出来る人物はいなかった。
 熱のせいか言動が予測出来ない景麒のお陰で調子が狂いっぱなしの陽子だったが、一方で生来の負けず嫌いな性格から、このまま引き下がる訳にはいかない、と訳の分からない闘志を燃やし始めていた。
「景麒。私はちゃんと金波宮を出る時は事前にお前に言う。(十回に一回位は)遅くなるときは連絡もする。(忘れてなければ多分)それならいいだろう」
 陽子の心の声までは当然聞けない景麒は、その言葉にようやく納得したのか頷く。
「その代わり、私の条件も飲んでもらう」
 負けっぱなしで引き下がれない。そんな陽子の思いが、ややこしい事態を更にややこしくさせていった。
「……条件、ですか」
「条件と言っても別に難しい事じゃない。お前が私にたまにはグッチのバックの一つ位買ってプレゼントしろとか旅行に連れて行けとか家族サービスしろとかたまには家事の手伝いをしろとか言うなら、それはそれでいい。ちゃんとやる」
 そんな事は言っていない。それ以前に意味が分からない……恐らく蓬莱の、主の言う「お約束のしゅちゅえーしょん」とかそういう類なのだろうが……と思いながらも景麒は主の言葉を聞く。
「ただ、私は日本人だ。本当はこちらの世界の者なんだろうけど、やっぱり生まれ育った環境からくる習慣は中々変えられるものじゃない。そこで問題になるのが、味噌汁だ」
「みそしる……ですか」
「そうだ。作り方は後で教えてやる。だから、これからはお前が私に毎朝味噌汁を作ってくれ。蓬莱ではそれが自然なんだ。という事で、それが条件だ」
「やってはみますが、私には蓬莱の料理は……」

 こうして景麒は、何が何でもやられっ放し、言われっぱなしでは気が済まない陽子の性格のお陰で厄介な仕事を命じられる事となった。
「別に明日からすぐじゃなくていい。お前少し熱があるしな。完全に直ったら教えるから、ちゃんと作れよ。やっぱり朝は味噌汁を飲まないとな」
 勢いに押されるまま頷く景麒に上着をかけてやりながら陽子は続ける。
「人によっては味噌汁に七味――香辛料をかけたり、その他色々かけたりするらしいが、私は大人だから何もかけないでブラックで飲むんだ」
「そう……なのですか」
 一先ず得意の「訳の分からない事を捲くし立てて混乱している間に自分に有利な状況のまま話をまとめる」作戦が無事成功した事に満足したらしい陽子は、大きく頷くと優しく景麒の鬣をすいてやった。

 その後景麒は律儀に命令どおり毎朝味噌汁を作ったが、自分よりも遥かに上手い景麒の料理に陽子の心境は複雑だった。


前編へ  戻る               03/07/02


後編です。
根本的な問題はいつものように解決していませんが、
無事夫婦喧嘩は収まりました……

04/07/09 只今NOVEL集2を片っ端から修正中。文字サイズを大きくしたり色々。

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