「俺っち本気で普賢さんのところに弟子入りすればよかったさ」
夕食をとりながら天化がそんなことを呟く。
「どうして?ボクのところにきたら一日書庫に閉じ込められるかもしれないよ」
届かないものは小皿に取り分けて天化の前に並べる。
「だって、コーチの飯は食い物ってモンじゃなかったさ」
「悪かったな。料理は苦手なんだよ」
箸で取り合いながら睨み合い。
元々不精なところがある道徳真君の生活は普賢真人の介入で一変した。
管理された食事と清潔な邸宅。
文句を言いながら彼女は時間を見ては家事一般に当たるものをこなしていく。
「それにコーチは掃除とかもしないさ」
「ボクね、部屋が汚いのってダメなの。望ちゃんもそうだと思うけど」
「確かに師叔も綺麗好きさ」
「まるで俺が汚れ物みたいな言い方だな。お前ら……」
「天化、こぼしてる」
「あ、うん」
ぼんやりと光景を見ながら「まるで家庭のようだ」と思う。
小さな子供と妻。仙界入りするまでは当たり前のように待っていたはずの未来だった。
(いいよな……こーゆーのも。子供が天化なのを除けば……)
何もかもが人間の世情とは違う世界で生きてきた。
季節を愛でることも、風の匂いも、日の光の暖かさも。
風化したかのように感覚というものに対して愚鈍になっていたような気がする。
「どうしたの?具合でも悪いの?」
「いや、ちょっと考え事してた」
「コーチのことだからまたどーせまたスケベなことでも考えてたさ」
「お前師匠に向かってなんつーことを……」
「否定出来ないんだよね……道徳の場合」
「普賢、お前まで……」
明け行く空と、沈み行く月を見て「綺麗」と呟いた。
そんなことすらも忘れていた自分に彼女がゆっくりと侵食していく。
色の無い風景が極彩色を混ぜたように変化していくその感覚。
「さてと、天化をお風呂に入れなくちゃ」
「普賢さんと一緒なら入るさ」
「ちょっとまて!!外見は子供でも中身は立派に天化だぞ!!!」
にやりと師匠の方を向いて笑う。
「でも子供だよ」
「俺が入れる」
「俺っち普賢さんとじゃなきゃ入らないさ」
「それに望ちゃんに聞いたけど、天化はお風呂が嫌いなんだよ。自分から入るって言ってるんだし」
ふつふつと怒りが込み上げて来る。
「大人気ないこと言わないの」
天化の手を引いて、浴室へと消えていく。
(あのガキ……俺だって滅多に一緒になんか……元に戻ったら徹底的に扱いてやるからな)
苛々としてみても、二人は既に浴室の中。
あれこれと想像しては、胃の辺りがきりきりと傷んでくる。
(進歩しろ……毎度毎度なんで嫉妬するんだ……俺……)
はぁとため息をこぼし、目に付いたのは天化の愛煙。
何気に取り出し、口にする。
消えていく煙ぼんやりと見上げて。
「コ……コーチっ!!」
真っ赤に茹で上がりながら天化が姿を現す。
「おー、どーした。そんなにいいもの見せてもらったか?まぁ、俺にとってはいいものでも、
俺とお前じゃ趣味違うからな……その辺は……」
「違うさ!ふ、普賢さんにっ!!」
「なんだ?」
「全身洗われたさっ!!あの人……手加減ってものしらないさっ!!」
茹で上がっただけではなく、どうやら全身くまなく擦られたらしい。
ひりひりとする肌が夜風で冷える。
「よかったじゃないか、俺なんか覗いただけでも核融合だぞ」
「あちこち痛いさ……」
半泣きの目で天化は剣呑としている師匠を見上げた。心ここに在らず。そんな表情だ。
そしておもむろに道徳の手を引き、浴室の扉を開く。
師匠を見上げて、にやりと笑った。
「コーチも洗ってもらったらいいさ」
「ちょ、ちょっと待て!!」
「普賢さ〜ん、一人追加さ!!」
「え……」
勢い良く押し込んで、扉を閉め、外側に壺やら箪笥やらで壁を作る。
大仙二人にすればほんの子供だましだが、天化もそれは知っての狼藉。
確信犯の悪戯だ。
「え、あ、あ……」
湯気の中、全身泡だらけで普賢真人の動きが止まる。
房事の時に見るのはまた違った裸体の美しさ。
「やだーーーーっっっ!!!!」
「待て!!そこまで露骨に避けなくてもっ!!!」
いつものように対極府印を使おうにも、宝貝は道衣と一緒に籠の中にしまってある。
よしんばあったとしてもこの至近距離で使えば自分も巻き込まれるのは確実だ。
八方に逃げ道無し。
「あ……その……これは天化が……」
「うん……もういい……入れば?」
諦めたような視線を投げられても。
「じゃあ……そうしよっかな……」
今更といわれても、ダメなものはダメで、見せたくないものは見せたくは無い。
照れとはまた別の時点の問題である。
肩が触れるたびに普賢は身体を離す。
「なんで逃げんだよ」
「これだけ広いのになんでこっちにくるのかな?」
逃げ腰で後ずさりされれば、追うのが性というもの。
手首を取って、その指を一本口にする。舌先でぺろりと舐めると頬が染まるのが分かった。
「やだ」
「駄目?」
「当然。何考えてるの?」
ふい、と在らぬほうを向く顔。染まった肩口を抱き寄せると観念したのか身体を預けてきた。
うなじの線が綺麗で、そっと口付けると身体が震えるのが分かる。
後ろから軽く抱いて、そっと手を下げていく。
「やだ……やめて」
その手を取って、指を絡める。こうすれば動きはある程度は封じられるからだ。
「そんなに過剰に避けなくたっていいだろ」
「だったら触らないで」
「それ無理。触りたいってのはどうしようもないよ」
ちゅっ…と肩口に唇を落として、にやりと笑う。
「手は封じても、これはどうすることもできないだろ?」
少しむっとした表情で普賢真人は道徳真君を見た。
「!」
軽く唇を合わせて、静かに離す。
(時々こいつってとんでもない事するよな……)
指を解いて、そっと乳房を包む。
「やっ……」
「この状況で逃げられるかは頭のいい普賢なら分かるよな」
「……取引しない?道徳」
弄る手の上に自分の手を重ねた。
「天化が元に戻るまでしない。その代わり戻ったら道徳の言うこと何でもきくから。それじゃダメ?」
それは魅惑的な取引。乗らない手は無いが、期間が不定すぎる。
「乗った。今言ったこと忘れんなよ」
「そっちもね。天化があの状態なんだってこと、ちゃんと憶えておいてね」
「これも禁止事項に入るのか?」
顎を取って、深く口付ける。
「これまで禁止されるとちょっと辛いかも」
「いいよ。ボクも……ちょっと寂しい」
手を伸ばして抱きついて来る身体。唇を重ねる。
「契約成立でいい?」
「ああ、数日の辛抱ってところだろ?」
時間は穏やかに流れて、何事もなく日々は過ぎ行く。
「普賢さん、これって何さ?」
修行の合間に普賢はあれこれと天化に兵法やら戦法を紐解いていた。
剣士は力だけではなく、頭脳も要する。
師弟揃って書物を避ける傾向は強いが、いずれ必要になるのならば時間のある今が吸収するにはいい時期だ。
「俺っちでもこーゆーの読んだ方がいいさ?」
「そうだね。無駄にはならないと思うよ。頭も使わないと退化するし」
天化が子供になってから早七日。
苛立ちながら宝剣で目の前の巨岩を道徳真君は粉砕する。
「コーチ、いつもよりか気合が入ってるさね」
「そうだね」
後姿を目で追って普賢はため息をついた。
(困ったなあ……道徳も大人気ないよ……一応お互い十二仙だって分かってるのかなあ……)
八日目の朝は憮然とした顔で、九日目の夜は別室を言い渡されて落ち込む姿。
当の普賢は天化を胸に抱いて夢の中。
眠る姿は二人とも穏やかで。ただ一人眠れずに悶々とするのは道徳真君。
(なんで天化は良くて俺はダメなんだよ)
寝付けずに酒を飲んでみても同じこと。ただくらくらとする感覚が支配するだけ。
思い出すのは肌の感触と首の香り。
(寝れない……どーすりゃいいんだよ……)
寝不足の朝も慣れてきた。
余程念入りに作ったのか天化は一向に元に戻る気配は無い。
半月、空に掛かる月も一巡りする。
(もう、いいだろ……ここまで俺は良く我慢した。本当に我慢した。もう限界、契約は破棄させてもらう!)
天化を寝かしつけて、普賢はぺたぺたと回廊を歩いていた。
夜風にそよぐ髪。夜着姿で足音を忍ばせて台所でなにやら探し物。
(あった……)
杯に注いで口をつける。
(ちっちゃい子といるとやっぱし少しは疲れるよね)
進む酒。普賢真人は元々酒好きな一面を持つ。
(白鶴洞(うち)だともっとあるんだけどな……しょうがないよね)
暗い中、明かりも灯さずにのんびりと思いながらほんのりと甘い吟醸を飲み干す。
少しで止めるつもりがついつい進んで、一瓶を空けてしまう。
もう少し……と手を掛けたところにふいに声がかかった。
「普賢、何やってんだ?」
「……寝酒をちょっと」
「そりゃ気が合うな。俺もだよ」
真向かいに座って道徳真君は普賢をじっと見た。
「いつになったら天化は元に戻るんだよ……」
「ボクに言われても」
目線を少し落とすと膨らんだ胸の線と形が夜着越しに読み取れる。
手を伸ばして、頬に触れて引き寄せれば少し熱い唇。
「……っ……ぅ……」
離れようとしてもまるで戒めるようにそれを許さないと強く唇を吸われた。
絡んだ舌は房事の時のように甘く誘ってくる。
「ダメ、天化が……」
「俺にも限度ってもんがある」
「目先の欲に囚われちゃいけないって習わなかった?」
少し冷ややか視線は無視を決め込んだ。
「目先の欲を取らせてくれ。普賢」
酔いの回った身体はいつもよりも敏感で、触れられるだけで震えてしまう。
背中に感じるひんやりとした感覚に竦む身体を抱かれて。
剥がれた夜着を手繰り寄せようとする手を押さえつけられる。
「やだ。背中が痛い」
「じゃあ、これならいいか?」
背中を抱かれて対面座位に変えられる。乳房にちゅっ…と唇が触れて、舌先が舐め上げた。
「ダメ!約束したでしょ」
少しばかり強く言われてチクリと心が痛む。
「ちょっとだけでも駄目か?」
「そのちょっとの基準が分からないからね。道徳の場合は」
投げ出された夜着に手を伸ばして引き寄せる。
「そんなにしたい?」
チラッと見上げてくる瞳。
「あー……うん……」
「どうしても?」
伸びた脚。駄目だと言われれば言われるほどに触れたくなる。
腕の中、裸の恋人は困ったような顔をした。
名残惜しそうに乳房を掴む手。
「天化は俺たちのこと知ってるぞ。別に今更……」
「でも、やだ……」
手を振り解いて、普賢は自分の胸を腕で隠す。
見せたくないわけではない。見れられたくないわけでもない。
「ね、もうちょっとで天化も元に戻ると思うから」
「明日、雲中子に直接掛け合ってくる。俺のほうが先に参りそうだよ……」
「なんだか、身体だけが目当てっていわれてるような気がしてきた」
「誤解だっ!そんなつもりは無い!」
「ウソツキ」
きゅっと鼻先を摘んで夜着を纏う。
「明日、天化連れて白鶴洞(うち)に帰るから」
「誤解だ!なんでそう考えるんだよ……確かに身体も好きだよ。顔も好きだ。けどさ、それは付属だろ?
なんでこんなことで喧嘩しなきゃならないんだ、普賢」
肩を掴んで、訴える。
「ごめん、俺も男だからさ……どーしても……」
「…………」
「でも、それだけが目当てって思われるのは腑に落ちないし、なんていったらいいんだよ……」
言葉が見つからないから、抱きしめた。
「喧嘩したいわけじゃないんだ……」
「ごめん。ボクも試すようなことを言った」
「もし……お前と暫く離れることがあったら俺……どーなるんだろ……」
ぎゅっと抱きしめてくる腕。心音が胸越しに伝わってくる。
「やっぱりそっちが目当てか……」
「だからなんでそう受け取るんだよ」
指先できゅっと鼻先を摘む。
「だったら天化が戻るまで我慢して見せて。そしてら嘘じゃないって信じるよ」
頬に手を当てて掠めるように唇が触れた。
「天化が元に戻るまではここにいるよ。道徳がどうなるかちゃんと見ておく義務があるだろうし」
くすくすと笑う唇。
愛しさと僅かばかりの憎さが混同して。
(こいつ……絶対楽しんでる……)
名残惜しいとばかりに彼は普賢をぎゅっと抱いた。
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