苛々とした気持ちは晴れないまま、悪戯に時間だけが過ぎていく。
天化は一向に元に戻る気配も無い。事もあろうか雲中子は自分の洞府を空けて外出中だ。
最後の頼みとばかりに太乙に天化を診てもらうも結局は雲中子でなければどうすることも出来ないらしい。
乱れきった精神を安定させるために滝に打たれれば風邪を引く始末。
「……何がしたかったの?」
半ば厭きれた顔で普賢は道徳を見据えた。
林檎を器用に剥きながら食べやすいように小さく切って行く。
「寝れないんだよ……苛々する」
「色欲を立つのも仙人の昇格試験の時にあったはずだよ?」
「そんな昔のことなんか忘れた」
ふい、と顔をそむけるのを見て普賢は苦笑いを浮かべた。
「子供みたい」
「なんとでも言えよ……」
こつん、と額を当てて熱を測ってみる。
近づく顔に鼓動が早くなるのを感じた。けれども、言い渡されてるのは『禁欲令』である。
伏せた長い睫が、薄い唇が、何もかもが誘っているように見えて堪らない。
(今夜も寝れないな……)
ため息だけが、部屋を支配しているようでどうしたらいいか分らない手が毛布を掴む。
「一緒に寝てもいい?」
「はいっ!!??」
答える間もなく、隣に入り込んでくる。
おろおろとしている間に小さな寝息が聞こえてきた。
(生殺しですか……普賢……)
掛かる息だけでも、本能を酷く刺激する。行き場の無い手を伸ばしてそっと前髪を拾い上げたみた。
仙人昇格の際、自分にとって一番いい状態で身体の退行を押さえる薬を与えられる。
大半は二十代後半から三十代後半の間の肉体年齢を維持するのだが、彼女は違った。
十七で自分の時間を止めることを選んだのだ。
華、咲き乱れる乙女十七。
(この先、ゆっくりと俺たちも年をとっていくんだよな……)
気が遠くなるほどゆっくりと、身体は老いて行く。
先に仙界入りした者の宿命として確実に彼女を置いて逝く事は明白だ。
(俺が死んだら、お前泣いてくれるか?)
飾りに置いた時計の秒針の音だけが部屋に響く。
幾多の道士を育て上げてきたが、そんな未来(さき)のことなと考えたことも無かった。
(なぁ……本当はお前俺のことどう思ってんだよ……)
秤に掛けるわけではないが、どう足掻いても自分の方が相手に求める分量が多すぎる。
同じように求めるのはわがままだというのは十分承知だ。
だからこそ、性質の悪い恋だと思う。
いっそ鳥篭に閉じ込めて手元に置いてしまいたい。
「……どうしたの……?」
「いや、なんでもない。寝顔見ながら考え事してた」
「まだ、熱あるんだから……ちゃんと寝なきゃダメだよ……」
半分夢の中。まるで子供を寝かしつけるような言葉に苦笑する。
(触れるくらいなら……いいかな……)
少し開いた唇に自分のそれを重ねた。
軽く舐め上げて、今度は先刻よりも少し深く。
「!」
抵抗しようとする両手を片手一つで拘束して、再度深く接吻する。
「…っ……は……」
言葉は要らない。欲しいのはもっと別のもの。
「……病人は病人らしく大人しくしなよ」
「汗かくのが一番なんだよ」
夜着の帯を解いていけば、懐かしささえ憶える裸体があらわになった。
細い首筋に噛み付いて、自分の印をつけていく。
「や……っだ……」
両手で押し返そうとしても、力では勝てないことは嫌というほど分ってはいる。
「嫌か……?」
「……天化が寝てるから……」
細い月は赤く熟れていて、どことなく淫靡な色合い。
諦め半分、背中に回る手に彼は細く笑う。この勝負、自分の勝ちだと。
かり…と鎖骨を噛んで舌先を下げていく。
柔らかい乳房に口付けて、その先端を軽く吸い上げる。
「…あっ……」
ちゅっ…と音を立てて唇が離れた。乳房に沈む指はゆっくりと動いて執拗に攻め上げてくる。
「やっ……ん!……」
丸く、円を描くように揉み嬲られて息が上がっていく。
欲しかったのはお互い様で、肌が僅かに触れるだけでも感じる身体がそこにあった。
かりり、と乳首を噛まれてびくりと身体が跳ねる。
細い腰を軽く撫でるだけで、きゅっと目を瞑る仕草。
それすら久しく見ることが出来なかった。
指先を下げて、濡れた箇所に沈めていく。くちゅ…と粘液の絡まる音が鼓膜の奥に浸透する。
摩るように入り口の周辺を攻めて焦らしながら内部で動かす。
「っは……あ!……んんっ!」
片手で抱き寄せて、接吻すれば同じように絡めてくる舌先を吸い合う。
唇を噛みあって、絡まった身体はただの男と女。
無菌室のような仙界は穢れることを良しとしない。それ故に一切の欲を断つことを求められるのだ。
その際たるものが色欲。
「や……ダメ……」
「俺は、仙人失格だ。お前の言う通りに」
耳朶を噛んで、息をかける。彩る耳飾ごと含んで口中で嬲り上げていく。
「……じゃあ……ボクもだね……」
その手を取って口付ける。人差し指を付け根から舐め上げて唇を這わせて。
薄い唇を開かせて中指と二本銜えさせるとぴちゃりと音を立てて舐め上げてくる。
「どこで憶えたよ……そんなこと……」
唇を離せば銀糸が伝う。
「ここで憶えたよ。他にどこがあるの?」
まっさらな布地を染め上げるように、普賢を変えたのは自分だという自負。
小さな膝に口付けて、脹脛に舌を這わせる。
「やだっ!やめて!」
「あんまりでかい声上げると天化が起きるぞ」
指を舐められて、上がる声を必死に抑える姿。
(意外な所が弱いんだな……)
そのまま膝を割って、脚を開かせる。
「あんっ!!や……あっ…!…んぅ……!」
じゅる…と濡れた部分を吸い上げられて荒い息が室内を支配していく。
舌先と唇で少しばかり荒く責め上げれば、期待した以上の嬌声が上がりそれが更に本能を刺激するのだ。
『視姦』という言葉があるように、視覚による効果は計り知れない。
同じように『声』もまた征服欲を掻き立てるには必要不可欠。
昼と夜の二面性。
口元を覆う手を外させる。
ほんのりと赤く染まった身体。灰白の髪と対を成す。
ちゅるっと唇を離して指先で拭って接吻けて、頭を抱えるように押さえ込んだ。
形のいい額にも唇を降らせてるのは二人だけの合図。
決めていたわけではないが、いつの間にかそんな不文律が出来るような関係になっていた。
「ん……ああっ!!……」
入り込んでくる男の熱さに息が詰まる。
感覚も無くしそうなこの世界で感じることのできる熱さと激しさ。
じりじりとした痺れと、肌を吸われる甘さに上がる声を唇を噛んで消そうとする。
強く噛んで血の滲んだそこを舐められて体が竦んだ。
「血……出てるぞ……」
離れていればいるほど、喉が渇いて仕方ないから。乾涸びてしまうその前に。
「……なぁ……声、聞かせてくれよ……」
「や、やだ……」
腰を抱いて、ぴったりと身体をくっつけて。
「俺の名前……呼んでくれよ」
汗と、互いの匂い。
「っあ……は……っ……」
不安で仕方ない心はキミの体温で忘れさせて欲しいから。
「……普賢……」
半分蕩けそうな意識を逃がさないように強く抱き寄せる。
「…い……ああっ!!……」
揺さぶられるたびに胎の奥に痺れるような甘い感覚。押さえようとした声が勝手に上がる。
「……どうすれば……いいの……?」
少しだけ身体を折って、より奥に行けるようにさせる。
「…っひ……う……っ……!…」
浮いた汗と、殺しきれない声が耳を支配する。
敷布を掴む手を自分に回させて、胸と胸が重なるようにきつく抱き合った。
「……なんか……っ……ヘンになりそ……」
(可愛いこといってくれるなぁ……こいつ……)
肩口に噛み付いて何度か突き上げればその度に目尻に涙が溜まって行く。
「道徳……」
「ん?」
「何をどこまで信じたらいいか……ボクに教えてよ……」
やたらと甘い接吻はそれだけで何もかもを忘れることが出来るから。
このまま、君の中で全てを終わらせたい。
叶うならば、二人重なったまま槍にでも刺されてしまえれば……。
ぺたぺたと回廊を歩く小さな足。
渇いた喉を宥めるために天化は厨房に足音を潜めて向かっていた。
師匠である道徳真君に見つかれば咎められることは無い。
この場合注意するべきなのは寧ろ普賢真人だ。
うっかり飲酒の現場を押さえられれば対極府印で何をされるか予想は不能。
確実に痛い目に合うことは分る話だ。
(普賢さん、寝てますように……)
気配を消して師匠の部屋の前を通過しようとする。
(……?……)
僅かに聞こえる声に天化はほんの少しだけ気付かれないように扉をずらした。
狭い隙間。暗がりの室内を照らすのは小さな香炉だけ。
小さな光が断片的に見せるのは絡まった二人。
(うわわわわっ!!!まずいさ!ばれたら半殺しどころか封神台直行さ!!)
それでも目を離せないのが健全たる青少年の健康的な姿勢。
(普賢さんって……結構……綺麗さ……)
早くなる鼓動を押さえながら食い入るように見つめてしまう。
自分の師匠と仮にも同位とされる相手の濡れ場。
直後を襲撃したことは何度かあったが現場を押さえるのは初の体験だ。
(やばい……どうするさ……)
そっと足音を殺して自室へと戻る。
(寝れないさ……あんなの見ちゃったら……)
煙草に火を点け様としても上手くいかない。かちかちと小さな火花が上がるだけ。
ようやく着火させて、思い切り吸い込む。
(……師叔、誰と今居るさ?誰に抱かれてるさ?)
まだまだ朝の気配は遠い。
(逢いてぇさ……抱きてぇ……)
ため息ばかりが沈んでいく青い夜。
眠れない身体に重く響くのは時計の秒針ばかり。
まだ少し熱い身体を絡ませたまま額に唇を落とす。
「……ダメ……重いからどいて……」
「嫌だ。まだ足りないんだよね」
逃げようとする腰を抱き寄せて軽く打ちつける。
「…あ!や……あっん……」
「普賢の身体も足りないっていってるぞ?」
返す言葉も見つからなく、その背中に爪を立てる。ちりりとした痛みに道徳は少しだけ眉を寄せた。
「半月以上も餌を目の前にちらつかされて我慢してきたんだ」
「……餌?そんな風に見てたの?」
「違っ!今のは言葉の……その……」
うろたえる恋人の頬に手を当てる。そのまま引き寄せて鼻筋に口付けた。
「言いたい事はわかったから、どいて」
「それは嫌だ。まだ夜明けには時間はあるから」
頬をぱくりと噛まれて引き離そうとする指も同じように口中に。
「……あのね、一応ボクたちは仙人って立場だと思うんだけど……」
「ああ、知ってるよ」
「だったら……やっ!!……」
覆いかぶさる身体。互いの香りが移って甘いのはどっちなのかさえわからない。
「……苛々は……収まったの……?」
きゅっと絡めてくる脚。
「おかげさまで。だから今夜も眠れない。俺も普賢も」
時計の秒針の音が、耳の奥で心地よく響いた。
眠たげに欠伸を何度も噛み殺しながら三人分の朝食を作る姿。
椅子に座りながら天化はそれをじっと見つめていた。
結局あの後、気になって仕方なく明け方近くまで扉の近くに張り付いてこぼれて来る声に耳を欹てていたのだ。
(普賢さんも眠そうさ……俺っちも眠い……)
気だるそうに肩を軽く叩きながらも自分の仕事とばかりに次々に皿を並べていく。
いつもの肩口の開いた道衣ではなく、白の長衣。
(あっちこっちに付けられたからかな?)
無粋な詮索をしながら欠伸を噛み殺した。
「天化、ちょっと来なさい」
「コーチ、どうかしたさ?」
来い来いと手で呼ばれ、席を立って道徳のところにいく。廊下に連れ出して道徳は後ろ手で扉を閉めた。
「随分眠そうだな、天化」
「まぁねぇ……」
「見てたろ。お前」
「!!」
腕組みをして、道徳真君は天化を見据えた。
「気配でわかるっつーの。普賢は兎も角、俺に誤魔化しは通じないぞ」
「コ、コーチ……」
「まぁ、おかげさまで俺は燃えたけどね。だけど、次やったらどうなるか覚悟はしておけよ」
にやりと唇だけで笑う。
「二人とも何してるの?ご飯できたけど」
「ま、そういうことだ。余計なこと言うときっつ〜いお灸据えられるぞ」
引きつった笑いで天化は席に付いた。
(あんまり敵に回したくない二人さ……)
結局天化が元に戻ったのはそれから十日後のこと。
その間も眠れない夜が続いたのはまた別のお話。
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