毎日の単調な修行に嫌気がさしてそっと抜け出した。
翼を持つ仲間は仙桃三個で誘いに乗ってくれた。
「師叔、もう帰りましょう。殷の国中を飛び回ってへとへとですよ」
「仙桃三個で付き合うといったのはおぬしだぞ、白鶴」
少女は黒髪を靡かせて、仲間の翼で空を飛ぶ。
(あれは……姜族?)
辺境に散った同じ血を持つ一族の姿。
父も母も、皆今は土の中。頼れるものは誰も居ない。
「師叔?」
「白鶴、あの男は?」
「ああ、あの方は西伯候姫昌ですよ」
「姜族にも偏見を持たぬのだな……」
遠目に見た男の姿は凛々しくて、少女は笑みを浮かべた。
虐げられた一族を受け入れる器。
ほんの少しだけ、胸が熱くなる。
「白鶴、帰るぞ。もう十分だ」
瞑想しながら思うのはあの男の姿。
「昌という名だったな……」
頬杖をついて、ぼんやりと沈み行く夕日を見ていた。
あれから彼女も男のことを調べてみた。
非の打ち所の無い人間性。あえて言うならばほんの少し優柔不断なところがあるくらい。
「………」
「師叔、どうしたんですか?夜風は身体に障りますよ?」
「もうそんな時間なのか?」
白鶴童子に声をかけられてはっとする。あれから延々と考え続けてどっぷりと日は暮れてしまったらしい。
来る日も来る日も、少女は男のことが頭から離れなかった。
もやもやとした気持ちを晴らすために同期に仙界入りした友に思い切って打ち明ける。
友は言った。「それは恋」と。
いわれてみればそんな気もする。
「白鶴、頼みごとがあるのだが……」
「師叔、またですか?」
「駄目か?おぬしにしか頼めぬ……」
俯き、頬を染める少女に白鶴童子はことを察する。
「ちょっとだけですよ」
西岐上空を飛びながら、彼女は男の姿を探した。
(居た……)
その姿を見るだけで心が満たされるのが分かる。
仙道に恋心という感情は不要だ。
全ての欲求を立つことが修行でもある。
仙界入りして日の浅い彼女は未だ教えを悟れないまま。
それから少女は毎日少しだけ仙人界を抜け出すこととなる。
男は忙しく動く。その手腕は鮮やかで殷王にも引けを取らないだろう。
東西南北の諸侯を纏め上げ、西岐に幸をもたらすために彼は自分を捨てて職務に励んでいた。
疲れた身体の息抜きに、回廊に出て空を見上げる。
(……仙道?珍しいこともあるものだ……)
優雅に髪を靡かせて、空を舞う少女。
(中々によいものを見た。もう少し頑張れそうだ)
時折見上げる空に彼女の姿。いつしか瞳は彼女を追い求めるようになっていた。
触れることは決して出来ない相手。
永遠に時を止めたその姿。
雨の日には彼女の姿は無い。そんなことを思うとこの長雨が恨めしくなる。
「姫昌様、この懸案ですが……」
「ああ、今行く」
(あの子は何をしているのだろう?どこに……)
仙界では同じように雨を苦々しく思う少女。
(昌……何をしてるのだろうか……)
思いは同じ。重なることは無くとも。
やがて運命は二人を飲み込んでいく。
封神計画。それが少女に課せられた運命の名前。
「釣れますか?」
「これは……大物がかかったようだのう」
何もかも、変わってしまった。
それでも、思いだけは変わらなかった。
変わるものも、変わらないものも。
(秋は嫌いだ……思い出す……)
舞い散る葉を見ながら少女はため息をついた。
近くまで冬の気配。
逝ってしまった人の事を思いながら。
もうすぐ、この地にも雪が降る。
全て隠すように。