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嵐は唐突に、見知らぬ小柄でどこか高飛車な少年によってもたらされることになる。
「ちょっとそこの帽子のアナタ? 先ほどアナタの練習を見せてもらいました。んふふっ、いい素質を持っていますね」
黒羽、樹と三人で海岸をランニングしている途中だった。知らない学校の制服を着た少年が目の前に立ちはだかったと思うと、淳に向かって「もしよければ、聖ルドルフ学院で全国目指しませんか?」と堂々と他校への転入を勧めてきたのである。
淳は怪訝な様子を隠しもせずに、同年代の少年を見た。
「どちら様でしょう」
「紹介が遅れました。東京にある聖ルドルフ学院中テニス部で、特待生のスカウトを任されている観月はじめです」
名刺を出しかねない様子で、堂々と名乗る。
「きみが、特待生のスカウト?」
「これがパンフで、これが紹介状です。あなたから色良い返事を頂けるのであれば、次はきちんと学院の者が親御さんに挨拶に伺いますよ」
半ば無理矢理にパンフレットと封筒を押し付けられ、淳の困惑は増すばかりだ。
「なんで…オレなんですか。他にも良い選手はいますよ」
「僕は僕の目で見たものしか信用しません。ウチにはあなたが必要だと僕が判断しました」
凄い自身である。
身長も体格も同等なのに、観月と名乗った少年は背筋も正しく物怖じしない態度でまっすぐ淳を見つめてきた。そこでようやく淳は聖ルドルフ学院と、そのスカウトだと云う少年に興味を持った。
観月は手短に要領よく、ルドルフ学院へ編入する際の特典と概要を説明する。立て板に水とはまさにこのことだ、と思えるほどの話術に、両脇にいた黒羽と樹も口を挟むこともできずにただ呆然といた。
「決心がついた暁には、そちらに記載されている電話番号に連絡ください。話は僕から通しておきます。その前に質問があるならば、手書きであります携帯番号にかけて下さい。僕の番号ですから、なんでもお答えしますよ」
丹誠で小作りな顔に、キレイにつくった笑顔を浮べて、観月は「ここにいるよりも、ずっとアナタのためになると思います。一度学院にも見学にいらして下さい」と念押しをして去っていった。
現れたのも唐突なら、去り際もあっさりとしたものだ。
三人は思わず、観月の背中が小さくなるなで突っ立ったまま見送る。
「えーと…」
黒羽が頭を掻きながら躊躇いがちに淳を窺った。
「どうすんだ?」
「どうするも何もないのねー!」
鼻息も荒く、樹が珍しく激昂する。
「なんなのね、あのヒト。いきなり来て、転校しろなんて非常識にもほどがあるのね!」
「まあ、そうだな。つかパンフ見せてくれよ」
未だに思考が停止状態の淳は、無言でそれを手渡した。値踏みするように、パラパラと捲る。全てのページに目を通して、黒羽は長嘆した。
「新設校だってよ。最新設備を整えて、運動部に力注いでいるらしいな。ってか、こんなドラマに出てきそうなキレイな学校って本当にあんだなぁ〜。『博愛・奉仕・慈善の精神をもって心身ともに真の自由を謳歌する』……キリスト教の学校か」
そこでチラリと淳を見遣る。
「キリスト教…ぶっ!」
「そこで何で笑うかな」
「いや、悪ぃ。ちょっと十字架の前で祈り捧げているお前を想像しちまった」
淳の鋭い蹴りが脛に決まり、黒羽は文字通り飛び上がった。樹も眦を釣り上げる。
「冗談じゃないのね! そんなありえない想像しないでよ、バネ!」
「落ち着けよ、いっちゃん。これは淳の問題なんだから」
「淳の問題って…、だってそんなの考えるまでも――」
そこで樹は何も感想を口にしない淳を初めて訝しく思った。淳は心ここに非ずといった顔でパンレフットを凝視している。
「淳? 行かないよね」
「樹っ」
低い声で黒羽が叱咤した。樹の肩がびくり、と跳ね上がる。
剣呑な雰囲気になった二人の間に挟まれ、淳は慌ててパンフレットを折りたたんだ。
「ごめん、なんかランニング中断させちゃって。でも…なんでオレなんだろう? 正直オレなんかよりサエとかの方がよほどテニスの腕があると思うんだけど」
「聞いてみりゃいいんじゃないか。さっきのヤツに」
「バネ…っ」
樹は先ほどからの黒羽の態度に納得がいかない。淳を唆しているようにも取れるし、どんなことがあっても六角から出ていかないと自信を持っているようにも取れるが、樹にしてみれば今のメンバーがひとりでも欠けることなど想像したくもないので気が気でない。淳は黒羽をしばらく見つめると、首を傾げ樹に向かって頼み事をした。
「んー、あのさ。ちょっと今のことは誰にも云わないでおいてくれる?」
「いいけど…、淳どこにも行かないよね」
淳は曖昧な笑みを浮べて、明言を避けてしまう。黒羽は淡々とランニングを再開した。
―――なんかいきなりのことで、ごちゃごちゃしちゃって眠れなかったなぁ。
翌日の昼休み。やはり屋上でひとり、淳は牛乳のストローを咥えたままぼんやりと景色を眺めていた。
家で開く気になれず、学校に持ってきてしまったパンフレットが、隣で風にはためいている。
樹と黒羽は淳の頼みを完璧に聞き入れてくれ、この話を知る者は自分を含め三人しかない。樹は何か云いた気な素振りを、部活終了後もしていたが、結局何も云わずに下校して別れた。
自宅に着いてからも、親にも亮にも相談していない。
混乱していて、自分の考えが纏まらなかったからだ。
(晴天の霹靂もいいところだよ。いきなり転校、しかも東京か)
通学が面倒だな、と考えた時点で自分に待ったをかける。
(行く気があるのか、オレ? ここを離れて?)
確かに高校は亮と別の学校に行こうかなとは考えていたが、まさか中学の半ばで別れるなんて想像の範囲外も甚だしい。
(大体親が納得するとは思わないし。亮ちゃんは……)
どう思うだろうか。
長嘆すると、頭に手をやりゴムを抜き取る。髪が風に散らばるのを抑えつつ、頭を抱えた。
「なんでオレなんだろう。しかもちょっとタイミング良すぎじゃないか」
一段と強い海風が吹いた。軽いパンフレットがコンクリートの上を滑るようにして飛ばされる。
あっと、思った時には出入り口まで流されて、取りにいかなきゃと腰を上げると、ドアが開かれた。パンフレットが屋上に踏みこんだ生徒の足に張り付く。
「………」
生徒はそれを拾いあげると、屋上を見渡した。淳に気づき、軽く手を上げる。
「お前の?」
「――うん」
相馬剛だった。
ゆったりとした足取りで近づくと、「ほら」パンフレットを手渡される。まずい物を見られたと、微妙に後ろめたい気持ちになった。
「高校、そこに行くのか?」
案の定、痛い質問をされ返答に窮する。
「なんか聞いちゃ拙かったかな」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
何がそういうわけではないのか。
答えている自分が一番あやふやだ。
パンフレットを隠すようにして、クリアファイルに挟んでいると、剛は目の前で腰を降ろした。予想外の行動に、淳は目を丸くする。
「……オレになんか用だった?」
「うん。淳が双子という生き方について悩んでいるらしいと、さる筋から情報が入ってな」
「さる筋って…、どう考えても情報源はバネだと思うんだけど」
「あっさりバレるな。あいつは探偵に向かない」
「剛もね」
「いや、オレは刑事向きだから」
「―――ってか、何しに来たのさ」
「酷いなあ。バネが『お前だったらわかるかも』って云うから、急遽ピンチヒッターの相談員としてオレが来たんだよ」
芋づる式で現れる押しかけ相談員に、淳はこめかみを押さえた。だが自分の性格をよく知っているからこその対策だとわかっている。淳は他人に自分から相談を持ちかけることができない性質なのだ。
「どこまで聞いたの?」
「互いに補っているから、楽ができるってとこまで」
「そっか…。剛んとこはどう? やっぱ性別が違うと違うものなの?」
半ば自棄、半ば好奇心で問うてみる。剛とは同じクラスになったことがないので、こうして二人きりで会話をするのは初めてだった。
「同じとは云わないけど、でもやっぱそういうもんだと思ってる。オレんとこも、例に漏れず小さい頃は同じ服着せられてたから」
「男女なのに?」
「どこで植え付けられるのかわからないけど、やっぱ双子っていうと同じ服を着せたくなるもんらしいぞ。それに幼児の頃なんて、男女差なんて殆どないし。云い難いんだけど…ってかこれは内緒にしてて欲しいんだけど」
「うん」
「洋服ってやっぱり女モノのほうが種類多くて選べるだろう? 色だって多様だしさ。それに小さい頃はけっこう似てたんだ、オレ達。だから……」
「みなまで云わなくていいよ。わかったから」
しどろもどろになっていく喋り口調が哀れで、淳は遮った。剛は苦笑している。
「だから、やっぱり第一声は『双子?』だったよ。まあ、今は『似てないね、でも雰囲気とか目元が似てるかな』が多いけど。別に似ている所をわざわざ探さなくてもいいと思うんだけどなあ。女に似てるって云われて喜ぶ男っていないし。双子ってだけで似ているもんだと決め付けられるのはウンザリだ」
「そっちはそっちで特殊な苦労があるんだね」
「あと片方がケガしたら片方も同じ箇所が痛くなるの? とか」
「あーそれ困る。漫画とかアニメとか捏造しすぎだよね」
「性格って、産まれながらのものよりも、環境じゃないのか? まったく同じ環境で育ったオレ達の考えや行動が似てくるのは当たり前だと思うんだけど」
「だよねぇ」
「まあ…似てるっていっても、最初の話に戻るけど、補っちゃうし反発するからある面では両極端な行動を起こすものなんだけど。だから、お前が何を悩んでいるのか、全部わかるとは云わないけどわかると思う。男と女ってさ、どうしても女のほうが成長早いだろう? 喋るのも、感情面もさ。しかもあいつお喋りだから、オレの分も喋っちゃうんだよ。オレに質問されたことも、オレが喋ろうと思っていることも、全て先にペラペラと喋っちゃうから。小学校に上がって、クラスが離れるまでオレはすげー無口な子だったんだ。しかもそれが異常なことだってまったく気づかなかった」
今からじゃ想像つかないだろう? と、剛は笑ったが、淳にとっては他人事ではない。
「いや、オレもそうだよ。云いたいことは全部亮が云ってくれるからさ、しょっちゅう背中に隠れてた。おかげで小学校の時は喋らないほうが弟とか、見分ける方法に使われてたくらいだ」
「知ってるか、小学校のクラス分け。入学式前に学校から親に電話があってさ。双子を一緒のクラスにさせるか、別のクラスにさせるかって聞かれたらしいよ。ウチの親は『別にしてくれ』って答えたんだって」
「知らなかった。そっか、じゃあウチもそう答えたんだね」
「別のクラスで今は良かったと思うけど」
「うん」
「高校も別になると思う」
「―――……それは、どっちが先に云い出した?」
「静。デザインを学びたいからって、工業高校のデザイン科を目指してるだと」
「剛は?」
「絵なんてからっきしだよ。オレは多分六角高校じゃないかな。ってか、まだ進路のことなんか深く考えてない」
「そうだよね」
「なんかさ、スタートは同じなのに。どんどんアイツが先に行って、オレなんか必要ないほどに強くなっていくのを見ていると、正直焦る。オレよりも先に彼氏作ってひとりで青春を謳歌している未来図もリアルに浮かぶし」
溜息をついて、肩を落とす。淳も釣られて嘆息した。
「オレ達ってさ、欠けてるのかな」
「悲しいこと云うなよ〜。つか、自分では歩めなかった人生を歩んでいるもう一人の自分。ってのはどうだ?」
あっ、と思わず顔を上げる。思いもがけない所からガツンと殴られた気がした。
「そっか…そうだよね」
「そう。お前で云うなら右と左。オレで云うなら青と赤」
「青と赤?」
「お揃いのものは必ず、その色別だったんだ。だけど静、赤とかピンクが嫌いでさ。いっつも青や黄色、緑のモノを巡ってバトル」
「よ――っくわかる。そっか…そうだよね。うん。なんか、こうちょっと目の前のモヤが晴れた気がする」
「それは何よりです」
「やっぱ男女だからかな。決別が早いんだね」
「早いよ。互いに無いものばかりだから」
淳は勢いよく立ち上がる。地面に置いていたクリアファイルを拾って、汚れを払う。
「剛、ありがとう」
「お礼云われるようなことは何もしてないけど」
「ううん。凄い助かった」
「そっか」
照れたように、ぎこちなく笑んだ剛にもう一度ありがとう、と云った。
そして淳は確固たる決意を胸して、屋上をあとにした。
『僕は僕の目で見たものしか信用しません。ウチにはあなたが必要だと僕が判断しました』
おかしなことに、たった一度しか会ったことのない少年の台詞に後押しされながら。
これが六角中学校の屋上で過ごした最後の時間となった。
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