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「だろうと思った」 時と場所は変わり、放課後のグラウンド。六角中学男子テニス部の面々は、それぞれ好き勝手に柔軟を始めている。佐伯は黒羽春風という、ガタイに似合わず可愛らしい名前の友人を誘って、その背を押しながら軽口を叩いていた。力を込めればベタリと、地に胸がつく相手に「見た目と違って柔らかいよねえ」と感心する。 「アイツ等のケンカって、今一よくわかんねーんだよな。いっつも三年の時とか、遠足前とかって中途半端で止まって終るじゃん。一体何があったんだっつーの」 今度は黒羽が佐伯の背を押すが、こちらは少し硬いため力いっぱい押されると小さくうめき声が漏れてしまう。 「でもよぉ、兄弟なんてそんなモンじゃねえ? オレだって弟がいつまで寝ションベンたれてたかくらい知ってるぜ」 二人の会話を遮るようにして叫び声が上がった。そのまま突進してきた声の主は、一年部員の天根ヒカルだ。一年生といえども既に身長は170センチを越えている上鋭い眼つきのため、じっと見つめられているだけで睨まれているかのような気分になる。だが長い付き合いである佐伯と黒羽は誤解しようもない。これは単にむくれている時の天根のクセだ。 しょんぼりと肩を落とすと、途端随分幼い印象に変貌する。佐伯は可愛い後輩に場所を譲った。 「いいよ、バネ。相手してあげればいいじゃん。オレもう終ったし」 「ったく。仕方ねえな。容赦しねえぞ? おら、まずは一人でやれるとこからヤレって」 あちこちにうねっている天根の髪を、佐伯が感慨深く撫でた。 反対からは黒羽がこづいた。天根は彫りの深い顔立ちを、ほんのりと染めて俯く。 「もう…しない」 「またやってるのね」 外周ランニングから戻ってきた樹希彦と亮は、いい加減テニス部名物となって久しい、黒羽と天根のどつき漫才を横目に通り過ぎる。自分のラケットを持つと、二人はコート端へと移動した。 気づいた佐伯が、遠のく前に慌てて声をかける。 「亮! 淳見ないんだけど、何処にいるか知ってる?」 「それはもうテニスじゃないのね」 「おいダビデ。お前もお笑い目指すなら、あれぐらいサエを笑わせてみろっての」 「ダビデはツボがわかったとしても、無理だと思うよ」 天根の隣にひょっこりと現れたのは話題の人物で、あまりに気配もなく立たれたことに仰天した。 「だって〜あっちゃんは、あっちゃんだもん」 黒羽にいいように遊ばれている天根を無視して、佐伯が何事もなかったように間に入って来る。 「あ、うん。今日もお願いします。それを云いに一度戻ってきたんだ」 一応他メンバーにもお伺いを立て、頷き返されるのを確認してから淳は「じゃあ、オジイにラケットの微調整任せてきちゃったから、ちょっと取りに行ってくる」と小走りで近隣にあるオジイの仕事小屋へと向かった。 テニス部の顧問で、子供達に「オジイ」と親しまれている老人は、地元民の淳でさえいつからこの学校でテニスを教えているのかわからないほど年齢不詳の人物である。過去、ウッドラケット作りの名人として名を馳せていたらしいことは、もはや伝説の域として囁かれているので皆の知る所だが、全盛期は明治元年で黒船に乗ってきた異人相手にテニスを教わりラケットを作り始めたとかなんとか、学園七不思議のひとつにまでなっているほど謎に満ち溢れた老人だ。学校の近くに広大な敷地を持っており、そこに自前で公園やアスレチックを造成して、近所の子供達に解放している。そこで遊ぶ子供達はいつの間にか、テニスに興味を持ち始め。やってみたいと希望する子に、オジイは惜しげもなくウッドラケットを拵えてやっていた。そうして六角小学校、中学、高校と、オジイの元でテニスを学んだ者達が、時々寄っては子供達の相手をする。上位者のプレイを目の当たりにし、育っていく子供達がまた中学に上がりと――こうして強豪と呼ばれる、六角中学テニス部が存在していた。 揃いも揃って小学校からの友人付き合いで構成されている六角中テニス部は、誰かが筆頭して纏めているわけではなく、自主性を重んじるといっては聞こえがいいが、それぞれが好き勝手にテニスを楽しんでいた。おかげで上下関係など皆無に等しく、敬語を使う者など稀だ。だが自由を、馴れ合いや妥協しあうといったこととは混同しない。互いを深く信頼し、純粋にテニスが好きな者達の集まりであることがわかっているからこそ、できあがっている部のスタイルなのだ。そして垣根ない仲間意識は、中学校内に留まらない。長年に渡り、オジイが作り上げた大きな輪が出来上がっている。 潮の匂いが強い風に嬲られながら、淳は手作り感溢れるログハウスのドアを開けた。 「オジイ、もうみんな集まってたよ」 ラケットを手にし、グリップを巻いていた老人がゆっくりと顔を上げる。風貌もそうなら、佇まいまで仙人のような老人は、淳を確認すると緩慢な動作で頷いた。そしてテープを丁寧に巻き上げると、淳に向かって差し出す。 「できたのね」 「ありがとう」 渡されたラケットを手に取り、絶妙に馴染むグリップを何度も握ってみて満足の息を吐いた。 「やっぱりオジイって凄いなあ」 しみじみ呟くと、オジイは仏像に彫られているような笑みを浮べ椅子から立ち上がり、テニスコートへと向かいだす。淳はそれに続いた。 「オレきっとオジイのラケット以外は使えないよ」 小さく、細く、後ろから見れば頼りない老人の背中。しかし決して哀愁などは漂っておらず、ただ泰然とある。そんなオジイの背中を見るのが、淳は昔から好きだった。その頃はまだ、オジイよりも小さかったけれど。 オジイはふっと、一瞬だけ立ち止まった。 「――道具は確かに大事。でも、一番大事なのことは他にある。大丈夫。淳は大丈夫よ」 淳は何を云われたのか理解できなかった。ただ少しだけ、突き放された気がして寂しい気持ちになってしまう。 「何が大丈夫なの?」 ラケットのことを云われていたのだと、ようやっと気づいた。が、それにしても意味深な言葉に、淳はドキリとした。
人はひとりで産まれて、ひとりで死んでいく。 何かの小説の中でその一文を見つけた時、淳の中で初めて嵐の種が植付けられた。 (――オレ達は違う。二人で産まれて、ひとりで死んでいく) 「なにこんな所で黄昏てんだ? つーかここ立ち入り禁止だぞ」 「バネ」 テトラポットのひとつに、学生服姿の黒羽が立っていた。器用な足取りで、自分の所まで飛んでくる。淳の横にどかりと座った。 あっさりと告げる黒羽に、淳は呆れる。 「可哀想に。あんだけ慕ってるんだから、もうちょっと優しくしてあげれば」 「―――で、バネは誰に頼まれてここに来たわけ」 茜色に染まる波の行方を目で追いながら問う。今度は黒羽が「ばれてたか」と首を竦めた。 「亮だよ。なんか様子がおかしかったからってな。そんな事がわかるなら、自分で様子見にくればいいのによ」 いや違うな、と自問自答した。わからなくなってきた、が正しいかもしれない。 「ふーん。まあ、でも兄弟ってそんなもんだよな」 傍らにいる幼馴染の眼差しが優しく弛む。外見と体格からがさつに見られがちの黒羽だが、実際は頼られたらとことんそれに答える、面倒見の良い男である。数いる友人の中から、黒羽をあえて選んで自分によこしたその人選に、亮の気遣いが見られておかしかった。気を遣うことにかけては天下一品の鈍さを持つ片割れなので純粋に珍しい。 薄暗くなっていく景色。薄い雲が散る空一面に、見事なまでのグラデーションが広がる。 逡巡したのちに、黒羽に話を聞いて貰う気になった。それは情景とタイミングが見事に重なり、柄にもなくセンチメンタルな気分になったからである。 「あのさ、バネ」 「そうだな。双子って実はけっこう多いはずなのに、それでもやっぱなんか驚いちまうもんだよな」 「……えーと『双子だ』かな」 正直に答えた黒羽に、淳は笑みを深くした。 「そうなんだ。オレ達の印象ってそれにつきるんだよね。きっと同級生の奴等だって、何年後かにもしオレを思い出そうとしたら絶対に『双子だったヤツ』って云うと思うよ。オレ達は容姿よりも、性格よりも『双子』っていうラベル貼られて一緒くたにされる」 ずばり、と聞かれて淳は首を振った。 「悩みって…ほどじゃないよ。大体今更出し。……そうじゃなくて…なんか、最近オレ個人だとどうなのかなぁって思ってみたりさ」 愚痴っぽくなるけど、と断りを一応入れると、黒羽は「いちいち気にしなくていいぜ」と頼りがいのある笑顔を向けてくれた。 「双子だから平等にって、回りが気を遣うものなんだよね。洋服も同じ、与えられるおもちゃも同じ、お兄ちゃんも弟も関係ないって。だけどさ、全部同じ形、同じ色だと見分けつかなくなるから、大概色違いで揃えられたりするんだ」 「そんなこと…ねぇだろう」 「双子の弟じゃなくて、木更津淳として、オレは他の人間とやっていけるのかな」 (またグリルって悪循環な考えになっちゃうな。亮ちゃんが、皆に近いから、オレは少しだけ離れておかなきゃいけなかった) 確信をついた質問に、淳の鼓動が跳ね上がる。まさしくそれを考えていた。自分だけを試してみたいと、新しい場所に憧れる自分がいるのだ。だが、それと同じく幼馴染達と一緒にいたいという願望もある。 (だから…オジイにああ云われた時。全部を見透かされた気がした) ドン、と力いっぱい背中を黒羽に叩かれた。 「まだ一年とあるんだ。答えを急ぐなよ。…ただ、どんな答えをお前が出したとしても、オレ達がずっと…その友達っていうのは変わりねぇだろう」 「変わらなねぇよ。オレにとって淳は淳で、亮は亮だ。テニス部でもどっちも必要な人間なんだから。来年こそ全国優勝するんだろう?」 「ま、オレがどうのこうの云うよりも、亮の意見が一番お前に効くんだし。亮にも相談してみろよ」 何気ない一言だった。黒羽は聞き返した自分を不思議そうに見ている。そこから他意がないことはわかった。だからこそ、そう思われていたことに驚き、そして――確かにそういう一面が自分にあることに初めて気づかされた。 |