| Travels ――旅の途中 男は女に振られてむしゃくしゃしていた。 自分は顔にそれなりの自信がある。位だって中忍だ。下忍が多数を占めるなか、中忍とは憧憬の的となる地位である筈だ。 (なのに、あの女…っ) あっさりと自分を断った女の顔を思い出し、大した女でもない癖に、と毒つく。 ふむ、と一考すると、男は近寄っていった。 「お姉さん、荷物重そうだしオレが持つよ」 振り向いた女性の顔を見て、男は息を呑んだ。それほどの美貌の持ち主であったのだ。 「お…お美しいですね…」 「…荷物持ってくれんの?」 このような美しい女性に頼まれて、断れる男がいるだろうか、いやいない。男は尻尾があったなら振る勢いで女の腕から大きな包みを奪い取った。 「…!」 途端、ずっしりとした重みが腕に伝わり、意外にも重い荷物を男は取り落としそうになる。 「いや〜米貰ったのはいいけど、オレこんな体じゃん?ちょっと困ってたんだ。ありがとう」 微笑まれて、鼻の下が伸びた男だが、女性に似つかわしくない「オレ」という一人称よりも、「こんな体」に引っかかった。 「…に…妊婦サンでしたか…」 男はとても情けない顔をした。 「ぶあっはっはっはっ――っ!バカじゃないその男―っ!妊婦ナンパしてどうっするっつーのっ!」 爆笑して涙まで流し始めたツムギを、カグラはげんなりと見た。 「いや、結構居るんだコレが。後ろから見たらわからないみたいでさ。でも荷物持ってくれたから助かったけど」 そう言って叩いた腹は、こちらも目立ち始めた程度だが膨らんでいる。 「そりゃ、お前は有名だもん。オレは妊娠してこの姿で固定されちゃうまでは外に出た事ないから、女で」 どうにも女としての自覚に欠けるカグラに、ツムギは呆れた。 「なんだよー。まあ、いいや茶でも淹れるか」 よいしょ、と腹に手を当てて椅子から立ち上がるカグラを、慌てて止める。 「私が淹れるからいいわよ!」 憤慨しているツムギだが、自然と幸せそうに顔が緩んでいる所を見ると本気ではないのだろう。 「でもさ〜、もういい加減出したいよ。動きが鈍くなって困る。イテっ、蹴られた…」 嘗て知ったるといった感じで台所に立つと、ツムギはポットとお茶道具一式をお盆に持ってやってきた。 「まあ、そろそろだろうとは医者にも言われてるけどさ。お前も知ってるだろうけど、産まれる準備を体が勝手に始めていて、骨盤が緩むだろ。そのせいで歩くとたまにスネの辺りがカックンときてさ〜。その度にアイツが青くなるんだよ」 丸みを帯びた腹に、手を置く。そこから鼓動が伝わってくるようだ。 「サンキュ」 同班だった少年を思い出す。彼は立派な青年になり、頭角を表したかと思うと、最年少で火影の座に就いてしまった。 「ねえ、でもアンタって本当はどっちなの?男が女になったの?女が男になってたの?」 そう言い胸を張るツムギの腹を、カグラは複雑な表情で見た。 前の奥方との間に一子を設けるも、その出産がうまくゆかず、他界してしまっていたので父子家庭であった。それからは浮いた話もなく、一族総でで息子を育ててきた、厳格な男である。 それがいきなり若い娘にひっかかったのだ。 「知ってるか?うちはの旦那が今なんて呼ばれてるか」 「ねえねえ、アンタの旦那は今どこにいるのよ?今日は非番じゃないの?」 サガノはカグラの班員で、ホマレがアラシの班員である。今は四代目の利き腕として活躍をしているのだが、これが強烈なアラシの信望者であった。 「オレが独り占めするほうが恨み買うさ」 こちらは思い出し笑いだ。 「ああ、でも久し振りにカグラが来てくれたんだ、アラシを呼ぶか」 おもむろに立ち上がると、カグラは窓を開けた。そこで、式神で鳩を作り空に飛ばす。 「―――お呼びですか」 思いっきり不機嫌な声を出す少年に、カグラは悪びれなく「うん」と答えた。 「あら、カカシ君久し振り〜」 ヒラヒラと手を振るツムギに、そこでカカシと呼ばれた少年は始めて気づき、もっと嫌な顔をする。 「ツムギ先生まで居たんですか…」 大人の女性の揶揄ほど困るものは無い。年端も行かぬ少年とあれば尚更だ。ヘタな事を言うのは命とりと、心得ているカカシは沈黙を賢明に保った。 「…で、呼び出した用件は?カグラ様」 にっこりと、美しい顔で有無を言わせぬ迫力の笑み。少年はぐっと詰まるしかない。いつもこの笑顔で押し切られるのだ。 ちなみに奥方がこれなら旦那も旦那で、やはり少年に私事の頼みをする時は笑顔で押し切ってくる。どうにもしようもない夫婦であった。 「今日は火曜日だから、きっとパチンコ屋にいるね。ちょっと連れてきて」 手を振られて、カカシは「まさか」という疑惑を持ちながらもその場から去った。 入れ違いに呼び鈴を鳴らされ、カグラがそのまま玄関に出る。 「はい?」 そこに立っていたのは、同年代の女性であった。あ、とカグラが思う間もなく、赤ん坊の泣き声が上がる。 「わ、ここまでは大丈夫だったのに〜!」 歓喜の声をこちらは上げた。モモと呼ばれた女性は、カグラの元班員だ。 まだ首が座っていない赤ん坊を、前抱きの抱っこ紐で止めている。その赤ん坊の顔をカグラは覗き込んだ。 「かわいー。えっとサクラちゃんだっけ?何ヶ月なんだ、出歩いていいのか?」 招き入れると、中で待っていたツムギも喜んで迎えた。 「お産ってさ〜目を開けてするもんなのよ」 特殊な事情を持つガクラの感心はもっぱらそこにあった。大体男はその痛みに耐え切れずに死んでしまうと言われるぐらいである。果たして男でもある自分に堪えられるのかどうかが心配であった。 「痛いわよ!しかもいきんじゃダメなのよ!この子小さいし楽かと思ったけど冗談じゃなかったわ。隣の分娩室から他の人たちの声が聞こえるんだけどさ〜。一人はしょっちゅう吐いてて、一人は「殺す気かああ―っ!」って叫んでたもん」 青くなるカグラは経産婦二人に、興味深々に尋ねた。 「産道が開かないうちに、無理矢理出そうとすると…この子の頭ちょっと触ってみて」 モモが抱かかえていた赤子の頭を、カグラの方に向けた。 「小さな産道を通るために、赤ん坊って頭蓋骨が繋がってないのよ。だから、無理矢理押し出したら頭が潰れちゃうんだって」 差し出されたまま、カグラはその赤ん坊を受け取った。壊れてしまうんじゃないかと思うぐらい小さいのに、どこもしっかりと人間で感心してしまう。人見知りもまだない赤ん坊は、むずがりもせずに腕に治まった。 「だから切るのよ」 ずばり、とモモが言う。 「き…切るの?やっぱ…」 伸びた頭の赤ん坊を想像して、カグラは思わず絶叫した。この話にはツムギも青くなったようだ。 「…で、長くなった頭を、それから徐々に丸めていって普通にするんだって、数ヶ月かけて。今の時代に生まれて良かったと思わせる話よね」 これには二人とも、まったくと頷いた。 「うう、しかし話には聞いていたけど切るのかあ〜」 「いや…ノープロブレムって…。はあ、でも不公平だよなあ。作る過程までは一緒なんだから、男が妊娠してもいいじゃねえか。こう、運の悪い方が当たるとかさ」 女同士の話に、男の合の手が入って、三人はピタリと口を閉じた。 「あら、お帰りなさいませ火影様」 「イジメ?それは新手のイジメなの?」 「おほほ、何を仰いますのやら」 ツムギが口に手を当てて笑った。カグラはそこで突っ立ってるアラシの手が掴んでる先を見て声をかける。 「カカシ、探してくれてどうもな」 呼ばれたカカシは、アラシに首根っこを掴まれていて、逃げようと必死でもがいていた。 「信じられないっ!ほっんとうに信じられないよ!この人!」 柔和な笑みを浮べるアラシに、少年は指をさして吼えた。 「フツー火影が女装してパチンコ屋にいるかあっ!信じられないっ」 騒いでじゃれあう師弟に、モモとツムギが冷たい視線を送った。 「何やってんの、アラシ君」 酷い!とショックを受けたアラシが、そのままカグラに泣きついた。 「それより、勝ったのか?」 夫婦二人でぐっ、と親指を立てあう。 見守っていた他の者達はごぞって『買えよ…火影ともあろう方が…』と、遠い目をする。 「これで赤ちゃんの記録撮るんだー!…て、カグラっ!いつの間に産んだの――っ!」 そこでやっとカグラが抱いている赤ん坊に気づき、アラシは愕然とした。 「うーん、ついさっきポロッと…って産めるかあっ!このボケ男!」 またもや夫婦は、お互いの健闘を称えあう。これが里の権力者夫婦かと思うと、皆は頭が痛かった。 特に痛いのはアラシだ。以前はこのようなノリの男ではなかった筈なのに、子供ができた途端になにやら始終ハイになっている。見ているほうが疲れるほどだった。 「……先生、オレ帰っていい?」 昔のクールな姿はどこにいったのか、現状を情けない気持で見ていたカカシは、泣きそうになりながら退室を申し出た。 「なんだよー、飯でも食ってきなよカカシ」 そんな男を旦那に持っているカグラはがっくりと肩を下ろす。 「アラシ君、ちょっとは落ち着きなさいよ」 見かねたモモが口を挟んだ。 「だってさ、嬉しいんだよ本当に!もうちょっとで子供に会えるかと思うとさ…。ホントはもっと早く欲しかったんだけど、砂といざこざあってそれどころじゃなかったから」 自嘲するアラシの言う通り、つい最近まで大きな戦が勃発していて木ノ葉は揺れに揺れていた。しかし、砂となんとか同盟条約をこぎつけて、やっと一息つけたのだ。 「そう考える男が多いのはわかっているわ。おかげで只今ベビーラッシュらしいわねえ」 モモが「そういえば」、と爆弾発言をした。 「揃いも揃って仕込み時期が一緒だもんねー。焦ったんじゃない?」 ここに居る女性全員が妊婦と出産直後な上、明け透けに生々しい事を言われ、カカシは思わず泣きそうになった。 「えへへー、でもおかげでアンタ達の子と同い年だわ。将来よろしくね」 ツムギは寝入る赤子に目やりながら、アラシとカグラに手を振った。 「アンタ達の子供頂だいね」 アラシは耳を疑う。 「だってカグラの子でしょ?性別なんてあってないようなものじゃない。この子次男になるしいいでしょ」 焦る夫を無視して、妻は興味を覚えたようだ。 「つーことはだ、次の火影をうちはから出したいのか?」 モモもそれには賛同した。赤子が「だあだあ」と笑う。 「嫌です!嫌!ウチの子は誰にもやりません!」 大人達の不毛な争いに、カカシは疲れ果てていた。 「あ…」 だがそんな嘆願は、悲しくもカグラが己の異変に気づいた事でまたもや無視されてしまった。 声を上げたカグラに、皆の視線が集まる。 「―――破水したっぽい」 「―――はあっ?」 全員が一斉に立ち上がった。 カカシはふらふらと壁に手をつく。気分はもう「助けてお母さ〜ん」状態だった。 「は…破水って。ザバっときたの?」 モモがさっさと我が子をカグラから受け取った。 「え?でも破水ってそんなに少量だっけ?」とはツムギだ。 女性陣は淡々と喋っているなか、アラシはようやっと事態を飲み込んで焦った。そんな夫を尻目に、カグラはどこまでも冷静である。 言うや否や、素晴らしい速さで取りに行く。 カカシは逃げるタイミングを逃した。 病院に着ついてから、破水しているかの検査を終え、正式に発覚したカグラは感染予防の処置として抗生物質を飲まされた。 「う〜ん。お腹が張ってる…」 取り敢えず、赤子を持つモモとツムギを帰して、カカシに荷物を持たせここまで来た。 現在ベッドに横たわる妻に寄り添う火影を、病院関係者は微笑ましく見守っている。 「あ、きた」 「陣痛…、腰さすってくれ〜痛い…」 ひーひーと息を漏らすので、痛みの具合がわからない男は心配するしかない。 「治まった…今何分間隔だろ」 何か話していないと気が紛れないらしい。そんな事を聞いてきた。 「いや、三代目に報告に行って貰ってる」 「えーと五分だね」 一生懸命腰の辺りを摩ってやる。 暫くして、また陣痛が止んだ時だ。部屋の外が騒がしくなった。 「ちょっと待って下さい!」「困ります!」とは看護婦の声だろ。 しかし制止の声も振り切って、ドアが開かれた。 「こんな時に申し訳ありません!四代目…っ!至急おいでください」 非礼をわびて、忍服姿の男が敬礼した。その姿に二人は目を瞠る。男は血をあちこちから流し、服はぼろぼろに近かった。 「何があった?」 ちらり、と男が奥方を見た。アラシはのっぴきならない状況を察すると立ち上がる。 「ごめん、行くね」 三代目の所に行き、そこで四代目の場所を聞かれたカカシはこの男を連れてやってきたらしい。ドアの外から顔を覗かせると、アラシは申し訳なさそうに「奥さんのこと見守っててくれる?」と言って出て行った。 「え?」 自分も一緒に戻ろうとしていたカカシは驚くも、目の前で病室のドアを閉められて唖然とする。 「オレに一体どうしろと…」 苦しげに名を呼ばれて、ビクリと振り返る。 「腰を摩ってくれ〜」 カカシは今度こそ泣いた。 男に連れられて火影詰め所に出向くと、中は恐ろしい緊迫感に包まれていた。 「四代目…っ!」 現れた里長を、皆が縋るように見た。 「どうした…っ」 先ほどまで奥方の出産に右往左往していた姿は、微塵もなく厳しい表情で部下の顔を見渡す。 「それが…里の外れで化け物が放たれたんです。どうやら殺生石を持ち込んだ輩がいたようで…っ」 青褪めた一人が、申し出る。 「化け物?」 肩を支えられ、部屋に入室してきた三代目にアラシは目を疑った。 「すまぬ…ワシさえこの様じゃ…不甲斐無い」 負傷して包帯を巻かれている体に、アラシは唇を噛んだ。 「死傷者ははかり知れん。ワシは最後まで残ろうと思ったのだが、お前に引継ぎをせねばと思って来た」 アラシは激高した。 自分は里の長である。そんな人物が、里の民が死闘を繰り広げている話を何故最後に聞かねばならぬのか。 「それは…サガノ様とホマレ様が…」 怒髪天をつきかねない様子のアラシを慮って、一人の上忍が口を挟んだ。 「―――奥さんの予定日も間近なのだから、呼ぶな…と」 「貴方はここに居て下さい。忍でない住人を護る人が必要だ。他の者も残れ、里人を護るんだ!」 「待て!アラシ…っ!死ぬならこの老いぼれからじゃっ」 蒼白になって三代目が声を上げる。 「いいえ、この場合確かな方が行きましょうよ。三代目は負傷なさってる。オレが行きます」 そこで、男の背中が不用意に揺れた。 「―――戻ってきます。オレはもう、あの時の…大蛇に太刀打ちできなかったオレじゃない。オレは…護るって約束したんです、この里を…カグラを…」 アラシは一度だけ振り返った。 その時の顔を、のちにその場に居た全員が忘れられない表情だった、と語っている。それほど清々しい笑顔だった。 そうして、アラシは部屋を飛び出した。
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