| Travels ――決断 「アンタ等とうとうデキたんだって?」 「う〜ん……」 唐突にもう何度目かもわからない質問をされて、カグラは力無くうめいた。 「ちょっとー、どうなのよ!水臭いじゃない!」 可愛らしい顔の割には気が短く、血気盛んな同期のくノ一を前に頬杖をつく。「まあ、座っておくれ」と目の前の椅子を指した。 「一体全体どーんな噂が流れてるわけ〜?オレここ数週間命狙われまくってるのですが〜…」 「アンタが動けないアラシに変わって動いてたと…」 バキッ。 机に亀裂が走った。勿論カグラが思い余って叩いたためである。 「―――黙ってるって事はそうなの?うわあ」 とうとう脱力して、亀裂の走った机に突っ伏したカグラを、アンコは憂慮した面持ちで口を開いた。 「それから…ちょっと雰囲気がおかしいの……」 言い難そうに躊躇しながら言葉を紡ぐアンコを訝しがる。 「なんだ?わざわざ人の家に押しかけてまで噂確かめに来たのかと思ったけど…違うのか?」 その名に、カグラの眉が跳ね上がった。 「大蛇丸がどうかしたのか?」 大蛇丸が冷酷無比なのは今に始まった事ではないのだが、どうにも盲目的に傾倒しているアンコ達にはわかっていないのだ。 「アイツは…血の臭いがする」 耳を塞ぎ、現実を拒絶するアンコにカグラは憐憫の眼差しを向けた。洗脳されている彼女をありありと感じて、悔恨の情に襲われる。 「アンコ…」 震える肩を優しく叩いてやると、アンコは嗚咽を漏らした。 ―――何をしようとしているんだ、大蛇丸…。 胸騒ぎを覚えたカグラは、そっと窓の外に目をやった。 薄暗く、じめじめとした地下道を疾走する。 隣を走る同僚もそうであろう。自分達に課せられた今回の任務はあまりに重い。 仕事復帰してすぐの任務が、特Aランクという事にアラシは少々泣きたくなってきた。 体が治りきっていないのは三代目も承知している。それでも「おぬしにも立ち会って貰いたい」と言われたのだから、色々と考慮したうえでの人選であろう。 小さな扉の前に辿りつく。 さっと、横に援護に入れるようつき、中を伺うと、三代目が眉を顰めて、中を指差した。 ――(行け)という合図である。 一気に扉を蹴破り、中へと突入した。 「―――っ!」 鼻につく異臭。あまりの臭いに嘔吐感に襲われたが必死で堪える。 中の温度は低い。ヒンヤリとした空気に、ぞくりと背を震わせた。いや、震えたのはそのためだけではない。 あまりに壮絶な光景に、アラシは息を飲み込んだ。 手術台の前に立ち、何かを切り刻む男が居た。クチャクチャと粘着質な音を立てている手元を、ふっと止めるとこちらにゆっくりと顔を巡らす。 「フフフ…ついに見つかってしまいましたね。残念です」 三代目は一瞬前まで当たってくれるな、と祈っていた現状を前にして震えた。失望と怒りのためであろう。 「あれだけの罠を仕掛けておいたのに…と、驚いたのですが、なるほど三代目方でしたか」 アラシはぐっと前に出た。 「近頃里の下忍から中忍、果ては暗部の者でさえ行方不明者が続出している…さらに最近アナタの様子がおかしいという情報がありましてね……」 信じられないと口を挟んだ同僚に、大蛇丸は酷薄な笑みを向ける。 「ククク…アナタも殺してあげましょうか?」 血に染まった手を、隠すでもなく広げて見せた。 「―――術の開発ですよ」 アラシは唇を噛む。 「大蛇丸…貴様、その為に人体実験を」 まるで悲しいことのように、大蛇丸は目を眇めて死体達を見た。 「けど、ありとあらゆる全ての術を…そして真理をこの手に入れる為には長い長い時間が必要でね。その長い年月をかけ全てを知り尽くした者こそ『究極の個体』と呼ぶに相応しい…。私にとって肉体の寿命は短すぎる、儚すぎる。例え火影と呼ばれようと死ねば全てはそこで終わりですから」 他二人は、上位の忍達の駆け引きめいた会話に一歩退き先を待った。 「――不老不死の術ですよ」 「この愚か者がああっ!」 それを皮切りに、死闘が始まった。
「通り雨か…」 アンコを宥めて帰したのち、すぐに雲行きが怪しくなっていった。厚い雲が空を覆う。 瞬間、空が光った。 「雷か…近づいてくるな」 また光る。 電灯をつけていない部屋に、黒い影と光りが交差した。 次いで、耳を劈く雷鳴。 それに魅入った時。 肩を背後から掴まれた。 「――――っ!」
「猿飛…お前……」 全てを見通したらしい、三代目の口寄せによって現れた猿魔が口惜しそうに呟く。 「――――……」 三代目は、そっと地に跪く。 「大蛇丸は里を出たのでしょうか…」 同僚が漏らした一言に、アラシははっとした。 「三代目…っ!」 問うと同時に、苦い顔をした三代目を見て、アラシは駆け出した。 「アラシっ!」 任務終了の合図も無いのに持ち場を離れたアラシに、同僚が慌てて声をかけるも届かない。 「―――猿魔。火影の襲名条件を覚えておるか?」 三代目は、遠くに思いを馳せる。 力の足りない時点でも、カグラがアラシを選んだことで、全ては決まっていたのであった。 盛大な音を立てて卓上に乗っていたコーヒーカップが床に落ち割れた。 顔すれすれに破片が飛んできて、カグラは反射的に目を瞑る。途端顔をもっと床に押し付けられた。右の頬を、男の大きな手で圧迫される。 「…うっ」 雷光が部屋を一瞬だけ照らし出す。目を細めて睨んだ先には、魔物のような目をした男の笑み。 「大蛇丸…っ」 憎々しげに名を呼ぶも、相手は痛くも痒くもないだろう。床に倒されたカグラの体に馬乗りになり、動きを封じ見下し、優越感をたたえた笑みばかりを見せてくる。 「――その昔、神が地を五つに分けた。そしてその地一つ一つに守護神を縛り、地を平定せしめた」 背筋に震えが走るような滑らかな口調だ。嫌悪感に眩暈がした。 「そこに住まう人々は、平定した大地に感謝し、神を奉った。その際、神の声を聞きその身に神を降ろせる女が全てを任される。その女、神通力に長け、人々に現人神と崇められ国の中枢へと自然押し上げられた。これが初代、太古の巫女である。巫女はその血を分けた娘を五大国全てに封じ、その土地で一番力のある男と交わり、それぞれの地で血を残した。しかし古代の血は薄れ、人々に力は失われるつつある中。突出した血族が集まり…異能集団が里を作る。この中で古代の血は濃く残されていった。それが、忍の里。――血継限界。それが名残…」 部屋に光りが差し込む。 外の雨音が激しくなった。 「―――影。それは巫女の、影であるがゆえに出た名称。巫女を護るという事は、すなわち国を護るという事…そうよね。火の巫女カグラ」 「―――アンタにしちゃ、よく喋るな……」 強がるも、押し付けられた床に体温が吸収されているような感覚に襲われる。 今大蛇丸が口にしたのは、五大国の各大臣クラス、里の各長とご意見番と呼ばれる長老会しか知られていない機密であった。 どこで調べたかは知らぬが、おいそれと只人が耳にできる内容ではない。巫女は五大国全てに君臨し、その力で地を治めている。国とは関わりが無いと言い張る忍の里が、決して国中枢の声を無視できぬのがこの為であった。 元々『隠れ里』とは、巫女を護るべき異能集団の集まりだったという。里は巫女を支え、巫女は国を支える。そうして大国は栄えていったのだ。 「霧隠れは今大変なようよ、現水の巫女が赤子を産んでお隠れあそばせられたのですって。水影は先の大戦で負傷し身動きが取れない…次の水影の座を狙って冷淡で知られる霧隠れはもめるでしょうねえ。幼き巫女を狙って…ふふふ」 「―――うっ」 大蛇丸はすらり、と短剣を抜いてカグラの首周りに押し当てた。 冷たい感触は、だがすぐに下に下りていく。耳障りの悪い音とともに服が真中から裂けた。真っ白い肌が腹のあたりまで露になる。 「巫女が男を選ぶというけれど、裏を返せば巫女とは強い男の言いなりになる女という事よね。力ずくで犯して子供を孕ませればそれが証しとなるのだから…巫女といえども、所詮は男の慰みものなわけでしょう?」 空気に直接触れた肌が泡立つ。そこに大蛇丸の死体のように冷たい手が触れてきて、途端襲った嘔吐感を必死に抑えた。 「―――そうね…そうならぬよう、巫女には絶大な神通力があるという…その一端がこれ…」 平らな胸を撫でて、大蛇丸が細く笑む。 「男の体をいくら犯せども子などなるはずがない…。ねえ、カグラ本当のあなたの姿はどちらなのかしら?この薄い皮の下には一体何があるというの?」 爪をぐい、と立てられぷっつりと血の珠ができた。カグラは嫌悪感と痛みに顔を歪める。 「面白いわ…なんて興味深いの…。人なんてものは皮一枚めくれば、臭くてどれも一緒。単なる肉の塊だけれど、あなたは違うのかしら…ねえ」 体を捩じって抵抗を試みるが、足に腕に、もがけばもがくほどいつのまに放たれたのか、蛇が絡まってきた。みしり、と肉の軋む音がする。 「ふふふ、猿飛先生もご高齢。次の火影が決まることなくあなたが消えたら、一体この里は…いいえ、今や忍に戦力を頼りすぎる国そのものがどうなるのやら…」 カグラが悲鳴を上げた。その時だ、窓ガラスが割れ、そこから無数の蝶が部屋に押し寄せた。結界を破られた大蛇丸の目がすっと細められる。 「―――異な真似を」 ―――炎。と、大蛇丸が呟くやいなや、蝶は青白い焔を撒き散らして紙のようにヒラヒラと床に落ちてゆく。 否、ようにではなくそれは紙であった。 「式神…?」 気づいた時には、赤い呪が綴られている紙が明確な意思を持って床に陣を敷いていく。 カグラはその意図を察すると、素早く詠唱に入った。 『一心奉送上所請一切尊神、一切霊等、各々本宮に還りたまえ、向後請じ奉らば、即慈悲を捨てず、須らく光降を垂れたまえ』 床に赤い線が引かれ、燃え上がった。 「…ちっ」 カグラの体に巻き付いていた蛇も燃え上がる。黒炎をあげると、異様な臭いとともに一瞬にして灰になった。大蛇丸が触れていた肌も、焼けた鉄のような感触に変わり、咄嗟に離す。そのまま背後へと飛びすさった。 しかしカグラの詠唱は止まない。 『行年護神、三元加持、一切星宿、養我護我、年月日時、災禍消除』 火が踊るようにうねる。それは中央に集まり形をなしていった。 『上来諷誦、所集功徳、上界天人、下界諸神、扶桑国内、王城鎮守、八大金剛各守護したまえ』 「送神文…っ!」 大蛇丸の目の前に、真っ赤な鳥が出現し、甲高い鳴き声とともに羽ばたきをする。 ―――キエェェェェエエエッ! 狂おしく泣き叫ぶ鳥は、焔からなる朱雀。カグラは床の陣から、国中央にある大社へと道を繋ぎ、神の気の一端を召喚したのだ。 全てを焼き払う、浄化の火。 空気から空気へと伝染していった。それは大蛇丸の体にも燃え移る。 「さっさと自分の体に戻れっ、大蛇――っ」 体の半分を火に飲み込まれた大蛇丸は、それでも笑みを漏らすと、姿自体が歪み始めた。空気に溶け込むように、消失する。 途端、火が弾けるようにして消えた。 「―――冗談じゃねえ」 最後に吐き捨てた悪態が大蛇丸に届いたかどうかは知らぬが、最悪の事態は免れたようだった。カグラは床にへたりこんだ。 「カグラッ!」 悲鳴のように自分の名を呼び、血相を変えたアラシが部屋に入ってくる。玄関の戸が大きな音をたてて開かれた。 「カグラ…っ、無事か?大蛇は…っ」 焦りが先に立ち、どうにも口が回らない男の態度に、カグラはやっと安堵の息をつけた。 「――大丈夫だよ。お前が憑代を撒いてくれたから…」 不甲斐無いと、アラシは肩を落とす。来てすぐに中に大蛇丸が居た事はわかったが、力が足りずにどうしても入る事ができなかった。小さな穴を作り、そこから憑代用に漉いた紙を入れることで精一杯だったのだ。 「蝦蟇を召喚しようにも、お前がいるかと思うと…」 沈痛な面持ちで目の前に座った男に気にして欲しくなくて、おどけて見せるが、どうにも失敗したようだ。震えている手に気づかれて、そっとアラシの手がそれに重なる。 「カグラ…すまない…本当に…」 痛みを堪えるような視線の先に、カグラは慌てて繋がれていない方の手ではだけられていた胸元を掻き合わせた。そこにあった爪痕も、勿論見られただろう。 「あ…あの、大蛇丸は元々オレをどうにかしようとは思ってなかったんだ。現にここに来ていたのは分身の方だったし…。オレはどうやらヤツの好みではなかったらしいです。ほっと一安心」 そう呟くように言い、浮べられた笑みに堪らなくなってアラシはカグラの体を掻き抱いた。 「アラシ?」 力まかせに抱きしめられて、カグラは驚いたが、されるがままに身を委ねる。 「オレは悔しいんだっ。君を護れなかった…っ!大蛇に太刀打ちできなかった…っ!なんて無力なんだ。なんて…」 ゆっくりと、腕の力が緩んでいった。カグラは体の強張りを解く。至近距離で見合わせたアラシの顔に、鼓動が跳ね上がった。 「オレは、強くなる。誰よりも…。まだその資格はないけれど、他の候補者達と同じ位置に立った時。もう一度、選んで欲しい」 気弱な表情で心配をするカグラに(今の告白の意味わかってるのかな)と思いつつも、アラシは苦笑した。 「何言ってるんだか。今まで散々なれなれって言ってたじゃないか」 真顔で断言されて、カグラは赤面した。 その隙を狙って、唇を掠め取る。 一瞬にして離れたその感触に、カグラは最早どうしていいのかわからなくった。アラシの意図が掴めずに、混乱だけが波のように襲う。 「い…いいのか、それで…」 何が一体大丈夫なんだろうか、そう突っ込む前にまた唇を重ねられた。細かく、ついばむようにキスをされて、カグラの心臓は飛び出る勢いで音を立てる。 「おい、アラシ…」 身を捩り、一時だけアラシのとんでもない攻撃を躱す。 「オレ、お前の顔好きだよ」 そう言われてしまえば、散々「顔だけ」と言ってきたカグラだ。言葉に詰まるしかない。 「ああーそうですか…でもですね、アラシさん」 意味がわからずに首を傾げると、カグラは大きく息をつくと、ゆっくりと吸い込んだ。 その時訪れた変化が、アラシには一瞬わからなかった。それほど自然に、移り変わっていったのだ。 顔が俯き、そしてまた上げるまでの間。 握っていた手からなめらかな骨の感触が消え、変わりに柔らかく小さくなっていた。 「女の方が、やっぱ雰囲気も出るよなあ」 惚けた物言いだが、高めの声はゾクリとくるほど艶やかだ。 紅をひいてもいないのに、赤い唇も悩ましく、顔立ちは同じというのに、ここまで印象の変わったカグラに、アラシはあんぐりと口を開けた。その顔には見覚えがある。それが驚きに拍車をかけていた。 「お…女…?」 男前の顔を台無しにして慄くアラシに、カグラは目を丸くする。 「子供を産むんだから、女じゃなきゃ無理だろうが。男が妊娠したら気色悪いぞ」 一緒に風呂にも入った事もある、アラシの驚愕は計り知れないらしい。 「特異体質で悪かったな。オレだってさあ、十五の時に初潮がこなかったら男として生を真っ当してたっつーの」 サラリと言われて、アラシは卒倒寸前である。 「アレはショックだったぜ。発狂しないのが不思議だったもんな。そこで女になれる事を知って、オレは腹を括ったんだ」 三年前にいきなり自分が暗部にぶち込まれた訳がこれでわかった。わかったからと言っても眩暈が増すだけである。 「宵闇際の巫女は…君か…」 そうなのである。この顔にアラシは恐ろしいほど見覚えがあったのだ。 「あー…覚えてたのか…アラシ。あん時さあ、女になって間もなくて、生理の度にツナデ先生の所に泣きついてたんだけど、そん時に『丁度いいからやれ』って無理矢理なあ」 苦い顔で説明すれば、アラシは益々頭を抱えて項垂れてしまった。その姿に、さすがにカグラも不安を覚える。 「あのさ…やっぱ気持悪い?――悪いよな、こんなの…」 自嘲気味に呟かれて、アラシは意を決してもう一度カグラを真正面から見つめた。 「け…」 「け?」 しどろもどろに、話すアラシを、女は艶やな仕草で見つめ返した。 「結婚を前提にお付き合いして下さいっ!」 「――――………」 言った!言ってしまったっ! 今や熱がありそうなほど、カッカとする顔をアラシは己の両手で包み込む。それほど恥かしかった。 そんな乙女のように恥かしがる男を、沈黙して見つめて間もなく。 ――のちにカグラが語った所によると、それから三日間も腹が痛かったというほどの、抱腹絶倒をしたらしい。 |