Travels ――試練
喬木によりかかり、息を殺す。
神経を極限まで研ぎ澄まして、相手の動向を伺った。
黒い影が回りこんだのを察知する。
即座に印を結ぶと、息を吐いた。瞬間、相手にもこちらの位置がわかっただろう。
――未の印、巳の印、寅の印。
ザッと結ぶと、土に突き立てた。
「火遁、金剛炎」
口から吐かれた言葉とともに、自らを中心とした大きな円の形で焔が広がった。
「ぐああっ」
男の叫びが耳に届く。一人は絶命したようだ。
結界を焼き切る術のお陰で、己に張り巡らせられていた魔障の範囲がわかった。
アラシは予断なく立ち上がると、走り出す。敵は残り三名だったはずだ。
一人消えたために薄くなった魔障の突破を試みる。だが、左方から隙間無く突き立てられる千本を避けるが為に、微妙に場所をずらされた。
「ちいっ」
影さえ残さず、折るように飛ぶと、木々の闇に紛れ込み相手の気配に耳を欹てる。
空の月は赤い。満ちたそれはまるで化け物の目のように。
闇夜に蠢く矮小なる者を見下し、光りを降り注いでいた。
まるで、逃げられはしないのだと、嘲笑しているようだ。
(いいや、オレは生きて帰るんだ……っ)
腕からは、温い感触とともにむっとする生臭さが鼻につく。痛みを無くすツボを針で打てば動きも容易くなるだろうが、今ひとつでも感覚を失うことは死を意味する。
ただでさえ臭いで場所を特定されないよう、微量の風を起し散布しているために、どっと血の気が失せている。そんな中、感覚を手放してしまえば、気づけば死んでいたなんて事もありえるだろう。
汗が流れて目に入った。
しかしもう動く手は利き手だけで、その手で一心不乱に印を結び続けているので拭う事もできない。
辺りに満ちているのは、殺意のみ。
一緒に居た木ノ葉の仲間は既に屠られたと見るべきだろう。
唇を噛み締めるも、今は感傷に耽っている場合でもない。まずは自分が生き残らなければ、死んでいった者達に対して面目が立たぬ。
敵は小国の隠れ里の忍で、呪術を得意としている者達であった。
どこの誰に頼まれているのかは知らぬが、あちらこちらに封じられている荒神を解放しては、その憤怒の力で火の国を混乱せしめていたのである。
抹殺指令はすぐに木ノ葉の里へと依頼された。だが、敵もさることながら、暗部の精鋭で追い詰めたと思った途端に、高等呪術『魔障』を発動させた。
その中は虫一匹さえ漏らさず、殺す毒気が充満する。
樹木には影響ないと見えるが、辺りに光りが満ちた時どういう光景が広がっているかは想像したくもない。発動されたと同時に仲間は悶絶死したと思われた。それほど凶悪な術だ。
自分がそんな中で、まともに息ができているのは敵方にしてみれば驚愕の事柄だろう。お陰で隙ができて一人は殺せた。
「お前は何者だっ!なぜこのような中生きて動いている!化け物かあっ!」
想像を絶した状況に、とうとう耐え切れなくなったのか敵方の一人が叫んだ。
すかさず前に踊り出ると、恐怖に慄く男の目に自分が映る前にその咽笛を右手で潰した。「がっ」と奇妙な音ともに、空気の漏れる音が聞こえ、男は絶命する。咽笛は爪で破れるほど薄く、そして一度潰されてしまえば粘膜が癒着し元に戻る事はない。
木偶人形と化したそれを捨てると、魔障の外に出る為に体を反転させた。
(何で動けるって…そんなの神様に聞いてくれ…っ)
「…うっ!」
近くに降ってきた葉が変化して蝙蝠となった。ダラリと垂れ下がっている腕に噛みつかれる。足が縺れた。
どう、と倒れる。
(―――オレは…ここで死ぬのかな……)
顔に草木が刺さり、土の匂いが鼻腔を塞いだ。
脳裏に、青々とした木々に囲まれた木ノ葉の里が浮かぶ。
なんて明るく、温かい景色。
(死ねるか……っ)
土に爪を立てる。なんとか体を起そうと、必死にもがいた。
背後で、ボキリ、と枝を踏み潰す音がする。
「さすが…最強と謳われる木ノ葉だけある…しかしこれで終わりだ……っ」
疲れた男の声。残り二人だと思っていたが、どうやら一人になっていたらしい。なるほど、無我夢中とはいえ自分の力は大したものだ。
しかし、一人なら…っ
体を起した、手には独鈷称。刺し違える。それができる。
「――――――っ!」
「―――――な…っ!」
パーン、と鼓膜を大気が震わしたように感じた。
敵方の男の短剣が降り注いだが、紙一重で止まる。
信じられない、と男の顔が驚愕に歪んだ為だ。
どっと、アラシの胸に新鮮な空気が入ってきた。感覚を例えるならそれだろう。
「魔障が破られるなんて……っ!」
それが、男の最後の言葉となった。
術とは返されれば、そのまま術者に返って来る。その負担に心臓が耐えられずに潰れるのだという事は、のちに知った事だ。
男が口から血の泡を噴出し、絶命した。
「…うっ」
襲い掛かられている最中の出来事だったがゆえに、死体が重力に負けて自分に崩れ落ちてくる。肉の塊に押し潰され、体中の傷口から血が溢れ出したような錯覚にうめいた。
それを退ける力は、もはやアラシにはない。
「―――そんなムサイおっちゃんと心中する気か、バカ」
「…………」
霞む目を細めて、なんとか声の主を認識しようと試みるもそれは徒労に終る。
その声はどこかで聞いたような、しかし知らない女の声だった。
くノ一の援軍でも来たのかと思ったが、このような危険な場所に女性一人だけで乗り込んでくるだろうか。そう疑ったが、意識を繋ぎ止める事は困難で、そこで暗転した。
「また盛大にやられたのう〜」
しみじみと言われてしまっては、アラシも素直に嫌な顔をするしかない。
「腕なんか切断ギリギリの危うさだってか?まあったく情けないつーかなんつーか」
今度は振り子のように首を左右に振られる。
「―――自来也先生…何しに来たんですか」
「うむ、良くぞ聞いてくれた。ワシのデビュー作ができあがったので、可愛い弟子に進呈してやろうとわざわざ来てやったのだ!」
「この腐れ外道―――っ!」
「ういえぶし――っ!」
横合いからお盆でドタマを殴られ、ボイ〜ンという情けなくも鈍い音が自来也に炸裂した。
「痛いっつーの!ツムギーっ!」
「やっかましい、この変態教師!その可愛い教え子が瀕死の状態で任務から帰って来たってのに、どーゆう神経してんのさ!」
「あはは!情けなーい」
ボイ〜ン、ボイ〜ン。
「うひゃひゃ!痛いぞー」
「――止めなよ、ツムギ。お前が殴っても喜ぶだけだよ」
「きいっ!本当の変態ね!」
「いやいや、こう益々おぬしの胸も揺れるほどに成長して、師としては喜ばしい限りだっつーの」
「いやーっ!誰かどーにかしてーっ!この変質者を病室から追い出してー!」
身の毛をよだてて叫ぶツムギを、自来也はデロ〜と見ている。そんな師の姿に、アラシは頭を抱えた。
「むむむ。ツムギ、お前ももう十八歳になるんじゃから、こう大人の落ち着きというものをだな…」
「四十代に突入したジジイがソレで言われたくないわよっ」
「こう水着なんか、ハイレグが似合うぞ」
「引導渡してやるからかかっておいでっ!」
「だから、喜ぶだけだから止めなって…」
先ほどから繰り広げられる、師弟の命をかけたじゃれあいに、アラシが深々と溜め息をつく。
そして眉を顰めた。動くとまだ傷口が痛むのだ。
「ほら、まだ動いちゃダメよ」
逸早くその状態を察したツムギが、アラシの体を支えた。
「ありがとう、なんか入院してから色々看て貰っちゃって悪いね」
「他人行儀なこと言わないでよ。私達仲間でしょ」
「うん。でも、ありがとう」
「まったく…」
ツムギは姉のような態度で、律儀なアラシに苦笑した。
ここは木ノ葉の里で唯一の総合病院である。瀕死の状態で運びこまれたアラシは、予断を許さない状況で三日間昏睡していた。
だが、目を覚ましてからの回復は早く、一週間前に集中治療室からこの上忍特待の個室へと移されたのであった。
それでも未だ人の手なしでは立ち上がることもできない。それほどの深手を負っていたのである。
「しかし…本当によく助かったのう。誰に助けられたんだ?お前の隊は全滅したと聞いたが…アデデッ!」
「先生ってば本当に言葉を選ぶって事を知らないわね!」
自来也のたるんだ頬を抓り上げると、黒曜石の瞳が睨みつけた。
「――それが…オレ知らないんです。一体誰がここまで運んでくれたのか…誰が魔障を破ったのか…」
アラシはずっとそれを考えていた。最後に聞いた女の声。多分彼女が功労者だとは思うのだが、どうにも心当たりが無い。一度見舞いに来てくれた三代目にも問うてみたが、確実な答えは得られなかった。どうも何かを隠しているようなのだが、若輩者にあっさりとわからせてくれるほど、甘い老人ではない。
「魔障を破ったか…そうだのう…破れる人物といえば、かなりの術者じゃな」
「――ですよね…しかも女でした」
「女…?おお〜イイ女じゃったか!」
「興味はそこしかないんですか、先生。死にかけてたんですからそこまでわかりませんよ」
「なんじゃ、おしい。そこは男の本能として察知しかるべき最重要項目だろう。吾が弟子のくせに情けないやつー」
「……なんの弟子ですか、なんの」
「お前ってば本当に女に興味ないのか?妖しいヤツめ」
元気なオヤジの相手は病人ではしきれない。アラシはいい加減帰ってくれないかな、と遠い目をする。これでは治るものも治らない気がした。
「そうねえ。アラシ、かーなり前だけど好きな子が居るって言ってたわよね?その子とはどうなったの?アンタが迫ればどんな子だって速攻落とせるでしょうに」
ふと、思い出しのか、アラシにとってはあまり歓迎できない話を振られて言葉につまった。
「なんじゃー!朴念仁かと思いきやそんなオナゴはおったのかい。誰だ?どこに居るんだ?顔はどうじゃ。綺麗系か可愛い系か?」
一気に捲くし立てられて辟易する。
「あのですね…」
「この恋のキューピッド蝦蟇仙人になんでもおまかせじゃあっ!」
「――――……」
じいっ、とアラシは見つめた。
「な…なんだっつーの」
「――――……」
「えーい!突っ込みたければ、男らしくかかってこんかーいっ!」
「――――……」
「…久々に出たわね…アラシの蝦蟇油攻撃が……」
突っ込めば突っ込むほど喜んで暴走する自来也である。そんな時は決まってアラシが表情もなく、ただ無言で見つめるのだ。これが出てしまえば、暴走教師は成す術も無く退くしかなくなる。
「―――自来也先生」
「はい、なんでしょう!」
やっと口を開いてくれた教え子に、自来也は背筋を伸ばして良い子の返事をした。情けない話だが彼等の力関係が如実に表れているなあ、と毎回ツムギは思うのだ。
「宵闇祭の巫女って…知ってますか?」
「宵闇祭〜?」
思いもよらぬ問いに、自来也は頭を捻らせた。しかしすぐにピンときたのか、笑い出す。
「なんじゃーっ!お前の惚れた相手って宵闇祭の巫女かあっ!」
「え?嘘、そうなのアラシっ」
ツムギもビックリして、思わず声が裏返ってしまった。
アラシと言えば、ちょっとまずかったかな、と頬を恥かしそうに掻いている。
宵闇祭とは木ノ葉の里で、毎年七月の新月に行われる祭りだ。
八月にある大祭のために、里の中にある社から山頂にある本殿まで神の通る道を清めるというものである。
参加するのは、その年で十五になった忍の少年達。木ノ葉の里では男子は十五で元服するという習わしに則ったものである。これは一人前の男として認められた証と祝いでもある祭りなのだ。
内容は至って簡単だが、熾烈を極めるものでもあった。社に巫女が一人でお神酒を抱え待っているので、門の外で待機している少年達が零時を知らせる太鼓とともにそこを目指すのだ。そうして複数の少年達がたった一人の巫女を取り合って、担ぎ出し、山頂まで運ぶというものだった。山頂に一番に無傷で巫女を連れてきた者は、勿論その年で一番優秀だと言う事になる。
しかも一番を取った者は、必ずその年で飛躍的に能力が伸びるというジンクスつきな上、巫女は里一番の美少女と決まっていた。これで少年達が意気込まない方が無理というものである。
歴代火影が、全員この祭りで一番をとっていた、というのも噂に拍車をかけていた。
アラシの年。どの少年も忍として能力に長けた者達であったが、誰もアラシには勝てなかった。
それどころかぶっちぎりで一位をもぎ取ったのである。
競争心とは無縁なこの少年が巫女を担いで本殿に現れた時には、彼を知る殆どの者が驚いたものであった。
しかし、とツムギは回想する。
その巫女に一目惚れしたというのならば、当時の謎も解けるというものだろう。
「へえ〜だからあん時珍しく、同期の連中を蹴倒してまで優勝した訳ね」
「……蹴倒してって……」
赤面して口篭もるアラシを、ツムギは心底呆れて見た。
「それで?」
「それでって…」
「その巫女さんとはどうなったのよ」
答えは薄々わかってはいたが、取り敢えず聞いてみる。
「どうも…ないけど……」
「…はあ〜…アンタほど宝の持ち腐れっていう男も珍しいわよね。名前ぐらい知ってるんでしょ?なんで口説きに行かないの!」
「知らないんだ」
「……え?」
「名前、知らない。巫女って口開いちゃいけないんだって…だからオレ何も知らないんだよ」
「ぶっ!わっはっはっはっは――っ!おかしー!おかしーのう〜アラシ〜っ!」
大人しく聞いていた自来也が爆笑した。体をくの字に曲げてひーひーと苦しそうに息をする。
「つーかお前ほど不器用な色男も珍しいっつーか、天然記念物並だのう〜っ」
「……先生、そこまで笑ったらいくら何でもアラシだって傷つくわよ…」
ツムギに同情されて、アラシは顔を益々引き攣らせる。「それほどでも…」と呟くが二人には聞こえていないようだ。
唯一の救いといえば、この場にカグラが居ない事か。聞かれたら最後、明日には里中にこの話が広まってる気がする。
「つーかなあ…ワシ知っとるぞ、巫女が誰だか」
「いっ…イタタ…っ」
自来也の爆弾発言に、アラシが上体を勢いよく起してしまい、痛さに傷口を抑えた。普段の彼ならしないであろう慌て方に、自来也は得意げに笑う。
「あれじゃろう、その巫女っていうのは髪が腰まであって、赤紫色した目の女じゃろ?」
コクリ、と頷く。彼女の姿は今でもしっかりと脳裏に焼きついていた。白い面差しのしっとりとした美少女で、抱き上げた体のなんと軽く柔らかかったことか。
思い出すだけで、もう三年も前の話だというのに動悸が上がった。
「これでお前が魔障の毒気にやられなかった訳もわかるっつーもんだ。普段の宵闇祭で使われる巫女は、普通の少女から選ばれるが、お前の時は正真正銘の巫女だったんだよ。お前、祝福のキスを受けたろ?」
「え…っ?ええ、まあ」
頬を朱に染め上げて顔を俯かせた。「あら、可愛い態度じゃない」とはツムギである。
「お前には本当に神様のご加護があるんだ。祈りも、力ある者がすれば守護壁となってお前の体を護ってくれる。だから、呪術はお前には効かねえんだ。良かったのう、アラシ」
「―――そうなんですか?」
「へえ、便利ねえ。私もかけてもらいたいもんだわ」
「ワシもじゃい…デヘヘ、美人巫女のちゅーかい…いいのう」
「何がいいんだよ、歩く性犯罪者ヅラで」
ガラリ、と病室の戸が開けられた。そこに立っているのは忍服姿のカグラだ。
「カグラ、久し振り」
任務から帰って来てから初めて会う友人に、アラシは相好を崩す。この仏頂面を拝むと、帰って来たと思えるのだ。
いつもならすぐにどこかしらで会えるのだが、いかんせんベッドに括り付けられている現状では相手にその気が無い限り会えない。だから来てくれて素直に喜んだ。
「カグラー!おっそーい、本当ならアンタに看病任せようと思ってたのにどこにもいなんだもの」
入院してから十日間も顔を出さなかった薄情さをツムギは罵る。
「任務についてたんだよ。悪かったって…それよりアラシ、体はどうだ?」
「うん。大丈夫だよ。あと一週間もすれば退院できるさ」
「あまり無理すんなよ」
心配そうに形のよい愁眉を寄せると、カグラは手に持っていた包みを差し出した。
「病院食じゃ力出ないと思ったから弁当作ってきた、あとで食えたら食えよ」
「うわ、ありがとう。そうなんだよねー病院食って味薄くて、実は困ってたんだ」
嬉々として包みを受け取ると、感謝の礼を述べる。
「あ、いいなあ。カグラって料理上手なのよね…羨ましい…」
「アラシの方が上手いんじゃねえ?三代目専用の鍋奉行じゃん」
「…あれは…三代目が鍋にウルサイくせに自分では何もしない人だからだよ」
話が別方向に逸れたのを契機に、自来也は「さて、と」と立ち上がった。
「ワシも色々忙しいからのう。これで失礼するわ。あ、アラシ本読んだら感想文五枚は提出じゃぞ」
「―――五枚…って言うかこの本の中身ってどういうジャンルですか?」
「ではサラバだっつーの!不肖の弟子共よーっ!」
言うや否や派手な煙幕とともに、ドロンと消えた。
「ドモってなんだ、ドモって…オレは違う」
「やめてよカグラ。弟子扱いの私達の傷をこれ以上抉らないでちょうだい」
「そうだな…同情するよ…君等…」
二人はしんみりとした。
「…あ、巫女さんの正体聞き忘れた」
は、とツムギが遅まきながら気づくももう遅い。この頃は取材と称して、あちこちをほっつき歩いている自来也である。一度里を出れば居場所は用意に掴めないときていた。
「巫女さん?」
カグラが聞きとがめる。アラシは慌てて「なんでもないよ」と答えた。
ツムギは少々考える素振りを見せたが、アラシが必死になって「言ってくれるな」という嘆願の眼差しを向けてくるので黙っていてやる事にする。
「なんでもないわ。じゃあ、私も今日は帰るわね。カグラも来た事だし」
「そう?気をつけてな」
帰ろうとするツムギを、カグラはあっさりと送り出す。どうやら追求は免れたらしいと、胸を撫でおろしてみたが、そんな姿を凝視されてしまい、誤魔化すように乾いた笑みを浮べるしかなかった。
「あのさ、アラシ…大事な話があるんだけど」
「うん?なに」
いつにない真剣な表情だったが、隠し事で少々後ろめたい感覚を抱いていたアラシは生返事をした。
「あのさ…」
「うんうん」
「オレと子供作ってくれないか?」
「うんうん……はい?」
なんと言いましたか、今。
内容が脳味噌に到着して、やれやれと腰を下ろすのに時間がかかった。
アラシは固まった笑顔のまま、ブリキの人形のように頭をカグラへと向ける。
「なんだって?」
「だから、オレと子供を作ってくれないか…と」
「―――――……」
自分の耳を疑う。九死に一生を得たばかりだ、きっとどこかの機能がまだまともに動いてないのかもしれない。
「あのね…カグラ・・・オレ今変な風に聞こえちゃったんだけど」
「……」
「オレと、君とで子供と作るとか…って…まさかね!あはははははっ」
「いや、それで合ってる」
「はは……」
重い沈黙が二人の間に音を立てて落ちた。
「できるかああああ―――っ!」
「あ、やっぱそう来たか」
「当たり前でしょう。どうしてオレ達で子供ができんの!その場合はどっちが産むのさ!」
「大変残念なことにオレなんだな、これが…」
「産もうと思って産めたら男女なんていらないだろーっ!」
あまりの晴天に霹靂な告白に、アラシはカグラの頭の中身を思わず心配してしまった。
揶揄されることに敏感ないつものカグラなら、そんな雰囲気を察しただけでも鉄拳を飛ばすだろう。だが、今の彼は呆けたように自分を見つめるだけだ。
「そうだな…普通はそうだよなあ〜はあ。でも…」
「一体どうしたんだよ、カグラ…大丈夫か?」
頭を抱えてうめき始めた青年を気遣う。こうなるとどっちが病人だかわからない。
「産めるんだ…オレ…」
「だから、何……え?」
「産めるの、オレ。妊娠できる体質なの、実は」
「――――オメデトウ」
「現実逃避してもいいけどさ、一分内で戻ってこなかったら傷口こじ開けるぞ」
なんとも言えない間に、先に耐え切れなくなったのはアラシだった。混乱どころではない。頭の中ではずっと蛙ピョコピョコ三ピョコピョコと飛んでいた。
「合わせてピョコピョコ―――っ!」
「混乱するならもっとわかりやすくしろ――っ!」
ぐはー!と叫ぶアラシに、カグラが鉄拳で突っ込んだ。
「いってぇ!傷口開くだろ――っ!」
「うっせえ、突っ込まずにはいられないボケをすんなっ!」
ぜーはーと二人で息を整えると、もう一度仕切りなおしにチャレンジした。
「あのさ…カグラ、もうちょっと丁寧に話してくれないか?」
「…お前さ、オレの両親の事知らないだろ」
「知らないね」
酷薄のように感じるかもしれない返答だが、自分自身も孤児なため他人の家庭の事情をおいそれと聞く悪趣味がないだけだ。
「オレさ…実は結構古い血継限界の末なんだよ」
ポカン、とアラシは口を開けた。
「そ…それはとても大変な告白では……」
「最後まで聞くように。オレの一族は特殊で、代々この国…火の国に治められている神を祀る一族なんだ。その為に父系の系譜ではなく、母系重視なんだよ…産まれた子供は母親が引き取り育てる。そこに男親は入ってこない。だから婚姻という制度は無いんだ……」
「――そういう形態をとっていた時代があるのは知っているけど…まだ残っていたのか」
混乱する頭をなんとか平静に保とうと、アラシは理解する為に思考を巡らせる。
母系でなる一族の跡取りは女性で、女性は優秀だと思われる血を身内に取り込んでは繁栄していくのだ。
今では不埒な意味でしか取られないが、『夜這い』という行為はそうした習慣から生まれたと言われている。女が欲するのは力ある血だ。その為ならば来る者は拒まない。一緒に暮らす訳でも家族になる訳でもないので、どのような男であろうと構わないのである。
それが女傑社会の特色であった。優秀な血のみを後世に残す事だけを考えるあり方は、他の生き物の生態系を見ても理に適っていると言っていいだろう。
ただし、人には『感情』というものが存在する。時代と共に変わる倫理観に、自然と淘汰された形態でもあった。
「んで、オレの所はそれだけじゃない。相手が誰でもいいって訳では無いんだ…オレ達血族が選ぶのは、もっとも強く優秀な男。…そして火の国を護る為にできた、異能集団の長たる男なんだよ」
「―――…あの、ギブアップは…」
「ダメ。オレだって辛いんだから最後まで聞け!」
「はあ…と、いう事は――」
ごくり、と唾を飲み込む。
「オレのオヤジは…三代目火影だ」
「うわ…〜」
「そして、オレが産む子供は、四代目火影の子でなけりゃいけないんだよ」
「それは…とても大変な重要機密では」
眩暈が酷くなってきた。えーとなんだって、と考えを纏めようと必死になる。
「考えたくないんだけど…君のお父さんは二代目ですか」「初代です。カグラ先生とはイトコですね」
しーん。
アラシはごそごそと布団に潜った。
「オレは何も聞いていない。聞いてない」
「ここまで聞いといて、聞き逃げが許されると思っているのか」
布団を力任せに剥ぎ取られる。アラシはなんとも情けない恰好で友を見上げた。
「――それが事実だとして、次の火影を選ぶのはカグラじゃないかっ!なんて凄い秘密をオレに漏らすんだ!」
「お前が次の火影だからだ」
アラシは咄嗟に逃避をした。簡単だ、耳を塞いだのである。
「聞けってっ!」
その腕をむんず、と掴むと引き離しにかかった。しかし忘れてくれるな、彼は腕を負傷中である。
「いてえええ―――っ!」
「オレだって辛いんだよ―――っ!」
またもや両者が睨みあった。こうなってくると千日相撲である。どちらも一歩も退かぬ態度なものだから、話が一向に進んでくれない。いや、アラシに限っては進んでしまっては困るのだが。
「なんでオレが四代目なんだっ!冗談もほどほどにしてくれ!」
「冗談でこんなトップシークレットを話せるかあっ!」
「だから聞かなかった事にするって!」
「それで済む訳ねえだろって言ってんだ!」
「なんでオレなのさっ!」
「だから―――!」
アラシはそこで今までの彼の不可解な言動を理解した。
「……顔って…その事か……」
「――――そうだよ」
不貞腐れた態度でカグラが肯定をする。アラシがげんなりするのも無理は無い。
「だとしたら…話に矛盾が生じるだろ…。君はなんて言った?里で一番の実力者だと言ったよね。だとしたら…オレは大蛇丸先生には敵わないよ」
「お前はオレに大蛇丸と寝ろと言いたいのか」
そのものズバリと生々しい事を言われて、空気が凍った。
そうなのだ、子供を作るという事は、まさしくそういう行為の元できる結果なのである。
「いいか、オレだってこんな事言いたくねえし、やりたくもねえんだ。けどそれがオレに課せられたモノなんだから仕方ねえ、と諦めたのが三年前だ。それまではなんとしても逃げる気満々でいた」
「でもそうしたら次期火影はどうなるんだ?」
「そうだよ!わかってるんだよっ!大体オレが火の国を守護する神から逃げられる訳がねえんだよ!だからオレは悩んだ、悩みに悩んで…一回で済むなら目を瞑ろうと思ったんだ…」
「一回…」
「もち、計算方法もバッチリさ!あははっ!」
自棄になったらしい。いつも冷静さを崩さないカグラの壊れっぷりに、アラシはやっと同情した。気分は「こんなにまで追い詰められて…」である。
「でも…大蛇丸は嫌だ…ごっつい嫌だ…っ!つかオレは男だ…子供が産めても男で、しかもそう育って十八年なんだよーっ!うわーんっ!」
「そうだね…かなりキッツイね…」
「だから三代目に聞いたんだ!この里で他に頭角を表しそうな奴はいないか…特に女でだ!女で!だから、オレはツナデ先生の班に無理矢理入った」
「じゃあツナデ先生でいいじゃないか!」
「恋人いるじゃんかあ!いくらなんでも割って入れねえって! 殺されるっ」
もはや涙目になって訴えてくるカグラに鬼気迫るものを感じて、アラシも心を痛めた。彼がなんであれ、長年の友人であることには変わりない。
「しかも火影になるにはそれなりに資質も問われる。火影の他に補佐やらご意見番、長老会の審査まで入って来る。自分でなりたいと切望していない者に襲名は許されない」
「そうだろうね」
「そこでオレはお前に目をつけたんだ…当時お前女の子みたいな顔だったし…将来を嘱望される人物だって三代目から聞いてたからよ…」
二人はうっそりと顔を見合すと、同時に長嘆した。
「アラシ…お前ならなれるって…誰よりもこの里を護りたいと、真摯に憂慮している事を、オレは知っているから」
「―――顔だけでしょ」
ボソリ。
「そこにカチンときてましたか」
「ちょっとキました」
「アラシ様――っ!お願いします――っ!友を助けると思って…っ!」
「できる事とできない事があります!」
「そこを何とか…っ!」
ベッドの上で丸まるアラシの上に乗り、カグラは縋った。それを引き離そうとするも怪我をしていては出る力などたかが知れている。カグラも必死の形相で抱きついた。
「大体なんでいきなりそんな話を持ち出すんだっ!」
「お前が死にかけたからオレだって焦ってるんだよーっ!しかも次期火影候補が今期ごぞって下忍の担当に回されるんだ!揃いも揃ってオヤジばっかっ!」
「候補が決まっているならどうしようもないでしょーっ」
「お前を推した!プッシュさせて頂いたので、お前も今期から教師として頑張ってくれーっ」
「どーしてそう勝手に事を進めるんだあっ」
基本的にここまでくれば、じゃれあっているだけである。
小さい子供のように揉みあった。二人をよく知る人物が見れば微笑ましいわねえ、で終ったかもしれないが、不幸にも病室の扉を開けたのはそう親しくない方々であった。
アラシの同僚。ようは暗部の面々である。
ガラリ、と戸を開けた。たっぷり十秒。
戸は何事もなかったように閉められた。
――アラシの復帰が早々に決まったのは言うまでもなく。いかがわしい噂が蔓延したのも、やはり至極当然であった。
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