季節はずれの幽霊奇談 四話














 翌朝。

 まだ薄暗い中。人の動く気配に、跡部は意識を浮上させた。
 普段は広い寝室で一人で寝ているのだから、少しの異常にも敏感になってしまう。
 見慣れない天井に、一瞬(どこだ?)と疑問に思ったが、すぐに合宿に来ていたのだと覚醒した。
 あまり上等とは言えない布団のために、背中が痛い。寝にくいはずだぜ。と、跡部は己の育ちよさを改めて知った。
 夜だけでも、近くにある自分の別荘で過ごそうか。思わず悩んでしまう。

 ――シャッシャッシャ…。

(……?)

 何かを磨る音が聞こえる。

 何時だろうかと、枕下に置いていた携帯を開こうとして、隣に敷いてあった布団が畳んであることに気づいた。

「………」

 寝惚けた頭を起こす。そして、ありえない光景にぎょっとした。
 瞬間、心臓が口から飛び出しそうになり、慌てて深く息を吸う。

「――な…何してんだ…真田」
「ん? すまない。起こしてしまったか。まだ、起床時間には随分あるから、気にせず寝ててくれ」
「気にせず…って…」

 出窓の下。早朝の陽を、カーテンを開け少しだけ入れた下で、卓袱台に座る真田は、謎な動作を繰り返している。

「だから…何してんだ?」
「写経」
「――――…………」
「いつもなら、五時に起床。ランニングと素振りが日課なのだが、勝手に出歩くことなど許されないからな。しかし、寝つづけるのも性に合わん。考えた末、簡易書道の道具ならば持ってこれたと」
「――朝から写経……」

 オレは夢を見ているんだろうか。そうかもしれない。

 跡部は布団を頭から被った。

 ――シャッシャッシャ……。

 ――シャッシャッシャ……。

「お前は水から磨る気かっ? 墨汁を使え、墨汁を!」
「や、一応墨汁なんだが。なんとなく……」
「えーいクソウ。オレは繊細なんだ」
「申し訳無い…」

 小声で吐きだすと、跡部は吹っ飛んだ眠気を、もう一度取り戻す気もなく起き上がった。

 自分の隣では千石が、背中を向けて規則正しい寝息を立てている。その図太さを忌々しく思いながらも、布団を上げるのはあとにして、静かに布団から抜け出した。

 意外と気を使える跡部は洗面具を持つと、そっと部屋を出た。人気の無い廊下は、ひんやりとしてジャージとシャツの姿だと鳥肌が立つ。

 歯を磨き、顔を洗うとまた音を立てずに部屋に戻った。電気ポットの湯で、備え付けであった緑茶のティーバッグ入れると、真田の前に座る。

「悪かった…」

 心底申し訳無さそうに、真田に謝罪され少々面食らった。威圧感のある男だと感じていたのだが、実は素直で率直なんだな。と、別の一面を垣間見た気がした。

「別に。こんな安い布団じゃ、そもそも安眠なんかできねーし」
「確かに。それに、オレには少し小さい」
「ああ、それもあるな」

 未だ頭の中が霞みかかっているのを、熱い湯で散らす。真田はまるで針金でも入っているかのように、まっすぐに背筋を伸ばし。筆を滑らかに動かしていった。

 しばらく見惚れてしまうほど、堂に入っていた。

 惜しむらくは、跡部と似たり寄ったりの衣服だろう。寝巻き代わりなのだからしょうがないのはわかるが、やはり真田には是非着物でいてもらいたいものだ。

「――お前、テニスよりも武道とかの方が向いてんじゃねえ?」

 悪意なく、口に出た。

「そうだな。剣道歴のほうが長い。だが、別にテニスを片手間にしているわけでも、軽い気持ちでしているわけでもない。向き、不向きはともかく。オレはテニスが好きだ」
「別に、テニスしちゃ悪いって意味じゃねえよ。大体、お前強いしよ。……そうか、テニスが好きか。そうだよな。変なこと聞いちまって悪かった」

 ばつ悪そうに、そっぽを向いた跡部に、今度は真田のほうが拍子抜けした。

「――一緒にやるか?」
「どうやんだ」

 真田は、初心者ならこちらの方が簡単だろう。と、筆ペンを差し出した。

 そんな物まで用意していたのか。跡部は呆気に取られたが、言い出した手前、やめるとも言えずに付き合った。





 起床時間六時の、五分前。

 セットしていた携帯の目覚ましが鳴り、千石はもそもそと動き出すと、それを止めた。
 寝癖の激しい頭が、むっくり起き上がる。右を見て、左を見て。

 固まった。

「―――何してんの…」
「おはよう。千石」
「おはよー。真田くん…跡部くん?」
「おう。おはよう」
「そろそろ終わりにするか」
「そうだな。…ふん、意外と面白かったぜ。漢字というのは奥が深い」
「精神統一には持ってこいなのだ」
「あのー……」

 起き抜けも手伝ってか、状況がまったく理解できない。

(なんで、朝からそんなやり遂げた顔してんだろ…)

「千石、すまんが蓮二を起こしてくれないか。そいつは中々起きんのだ」
「……へ?」

 書道の道具を片付ける真田に頼まれ、千石は自分の隣に寝ている柳を見た。どうしてだか知らないが、この立海の二人は、間に他校生を挟んで両極で寝ている。柳が壁際でないと寝れないと言い張った為だ。そんな柳は、壁の方を向いて寝入っている。

 ――さっき一緒に、柳くんの携帯も鳴ってたと思うんだけど。

「柳くーん。朝ですよー」

 ゆさゆさ。

「柳くーん?」

 うんともすんとも返ってこない。千石は布団を剥がそうと試みた。
 すると、中から手が伸びてきて、首を掴むとそのまま引き寄せられる。

「うおっ!」

「――起きる…起きるよ……」
「やややや柳くんっ? ちゃんと起きてよ! ってか放して!」

 頭を抱きかかえられてしまい、千石は対応に迷った。

「女の子なら大歓迎だけど、男はイヤー!」


 必死になってバタつくと、あっさりと開放される。ぼんやりとした様子で、柳が体を起こした。

「……悪い。チハヤと間違えた」
「蓮二、最初に顔洗ってこい」
「そうする……」

 幽霊のように立ち上がると、真田に従い部屋を出て行く。千石は尻餅をついたような格好で、それを見送った。

「なに、あれ…」
「意外と寝起き悪いな、アイツ」

 跡部も驚いたように、真田を見る。

「そうなのだ。まあ、遅刻などはしない男だから、別に構わないとは思うが」
「ってか、チハヤって誰よ? 抱きつかれたんですけど、オレ」
「犬。スタンダードダックスフンドだったかな?」
「ああ、なるほど。スタンダードだったら抱きつくぐらい大きいよな」
「犬と間違われたのか、オレは…。あーびっくりした。オレも顔洗いに行こうっと」

 寝癖の酷い頭をかき回して、千石もあとに続いた。

 混み合っている洗面所で、終えた柳と擦れ違う。照れたように、頭を下げられた。


「さっきはすまなかったな。どうも、寝起きが悪くて」
「いいよ、いいよ。意外な一面が見れて、面白かったし」
「その、申し訳無いんだが、合宿中は千石が起こしてくれないか?」
「はい? いや…別に構わないけど。なんか意味あるの?」
「ある。――弦一郎にだけは起こしてもらうわけにはいかんのだ」
「真田くん…。なんで?」
「弦一郎にはそれは悋気持ちの思い人がいてな。一度、今回のようなことがあって。それを見られてしまったのだ。…そしたら…」
「そしたら?」
「腹から腸が飛び出るかと思った」
「―――………」
「黙っていればバレないのはわかるんだが。弦一郎はおもいくそ、そういうことに疎い。あっさりと、問われれば自白する。オレも命は惜しいのだ。よろしく」

 固まった千石の肩を、ぽんっと叩くと、柳は部屋に戻っていってしまった。

「どんな女だ……」

 友人にまで嫉妬し、尚且つ暴力的。興味はもてたが、ヘタに紹介されることを恐れて、聞けなかった。

 












 

 山をランニング一周してから、朝食となる。坂道駆け上がりダッシュをし、終えた順から食堂へ移動となった。

「朝からきっつー」

 冷えた空気が咽に痛い。千石が咽に手をやったのを、真田は目敏くチェックした。

「ちゃんとウガイしろよ」
「真田くん、お父さんみたい」
「……千石」
「優しいって意味でね」

 あっけらかんと返されると、真田も二の句が告げない。

 真田、柳、千石、跡部は一番乗りで、食堂へと向かった。

 待ち受けていたコーチ達は、建物へと消える四人を見送り長嘆する。

「さすがだな、立海は」
「あと氷帝と山吹か。名門所だからな。しかし、千石は手塚の変わりとあったが。中々どうしてイイ選手じゃないか」
「楽しみだな。四人とも…。ほーら! お前等もさっさと続けー!」

 ダラダラと走りこんでいる他の選手達に檄を飛ばした。次いで現れたのは中学三年生のグループだ。

「後輩に遅れとってんじゃないぞ。はい、ゴール。朝食に行ってこい」

 コーチは軽い気持で、辿り付いた少年達の背中を叩く。叩かれた者達は、小さく答えるとさっさと建物へと向かった。
 肩を並べて不満顔の少年達は、全て有名高校への推薦が決まっているほどの実力者である。本来ならこの合宿のメインとでも言うべきメンバーの―――筈だった。

「あいつ等よ、生意気じゃねえ?」
「ってかさー。合宿中は先輩を抜かさないのが礼儀だろう? んなことも知らねーのかっての」
「だよな? オレ達だって去年はそうしたぜ?」
「ちょっと全国優勝したからって、調子ぶっこきすぎ」
「――一番ぶっこいてんの、千石じゃねえ? 同室者があーだからって。自分まで強い気分になっちゃってんじゃね?」

 不満顔のメンバーは四人。揃って有名なテニススクール所属で、個人ではあちこちの大会で入賞している者達だが、残念ながら学校単位での活躍はなかった。反対に、真田達は部活での活動がメインだったために、面識は殆ど無いといって言い。

「思い知ってもらうしかねーよな」
「あははは! まっつん悪役みたいだよ!」
「おめーもやんだよ!」
「ラジャ」
「でも、どーすんの?」
「それぞれ、班にあいつ等入ってるだろ? しごけしごけ。後輩にもそう回すんだ」
「あとは練習試合の時だな。千田コーチなら、オレ知ってるし。頼めば、対戦相手にしてくれると思う」
「あ、それいいな。部活動なんて生半可なヤツ等に、プロ目指しているオレ等の実力を見せてやろうぜ! 大体よ、あの真田って彼女がいるって話じゃねえか…。チャラチャラしやがってよ」
「だからまっつん。悪役みたいだってば」
「お前に、皇帝当ててやる」
「あ…ごめん…。勘弁」

 こうして、柳の危惧した通り。出る杭を打つ準備は影で進められるのであった。

 

 











 

 午前の練習も滞りなく終わり。真田と柳はラケットを仕舞うために、ベンチに戻った。

「けっこう、色々なことをコーチ陣も考えるな」
「そうだな。帰ったらウチのメニューにも取り込んでみるか?」
「皆の気迫みたいなのもいい。うむ。選抜ともなれば、ヤル気のある連中ばかりだな」
「――どこを見て、そう思ったんだ?」
「蓮二もかなりの気合入った球を受けてたじゃないか」
「殺気漲ってたな」
「よいことだ」

 一人で納得して頷く真田を無視して、柳は立ち上がる。水飲み場で、跡部と千石がいるのが見えたからだ。

 近寄れば、千石が膝を洗っていた。

「ケガをしたのか?」

 問い掛ければ、恥ずかしそうにはにかみ「ちょっとね。転んじゃったんだ」と答えが返ってくる。

 隣で上着を持っていた跡部が、嘆息を漏らした。

「おめーも、素直に相手になる事ねえだろう? 軽くあしらっておけよ」
「いやいや〜。これも鍛錬の内ですヨ」
「マゾがお前は」
「あーん。ばれたあ?」
「気色悪い!」

 バサリ、頭の上に上着を乗せられて、千石は濡れた手でそれを取る。

「ああ、タオルを使え」

 それで拭こうとしたのを察して、柳は自分のタオルを手渡した。

「サンキュ」
「三年にやられたのか?」
「やられた…というか。単に集中攻撃がきたというか…」
「お前の班は三年が多いからな」
「んー。でも、このケガは最後に気を抜いたオレが悪いだけで。別にケガをさせられたってわけじゃないし」
「そうか」
「だせぇ。オレは反撃したぜ」
「見てた。破滅への倫舞曲とか言ってたよな」

 跡部が胸を張る。きょとんとしている千石に、柳がどのようなスマッシュだったかを説明した。

「ハメツさせちゃったんだ」
「しかも踊りながら」
「うっせえな、んな細かい所に拘るんじゃねえよ!」
「ああ、そうだねえ。オレも今度やってみるよ。復活へのハンガリー狂想曲」
「激しそうだな」
「オレね、二番が好き」
「お前等…っ」

 柳と千石に、暗に揶揄されていることに、跡部は腹を立てる。

「オレの技をパクるんじゃねえっ!」
「―――………」
「―――………」

 千石は眩しそうに目を細め「救護室行ってきます…」と、よろめきながら逃げた。

「んだよ、そんな痛いのか?」
「違うー。救急箱別の人たちが使ってたからさ。血をさっさと止めたいんだ。午後は練習試合じゃない? 跡部くん達の誰かと当たればいいなあ」
「そうだな」

 跡部は殊勝にも、千石の荷物を持っていってやると申し出た。ハウス内に戻る、少年の後ろ姿を確認してから、跡部は柳に改めて向き合う。

「お前の班でもあったのか?」
「あった。弦一郎はまったく気づいてないがな。三年に目をつけられたな。そいつ等の学校の二年達にも、命令しているみたいだ」
「ったく。弱い犬ほどよく吼えやがるぜ」
「主犯は四人。東、松本、藤堂、樋山」
「…そこまでわかるのか?」
「観察していれば。…そして、樋山のコーチが今回一緒に来ている。午後の対戦相手は推して知るべしだな」
「ふーん。ま、誰が相手でも負ける気はねえけどな」

 跡部は口端を上げて、遠くでたむろう三年達を睨んだ。




















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