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学業に支障をきたさないよう、祝日を入れた三連休での合宿日程だったがために、多少渋滞に巻き込まれたがぎりぎり午前中には到着した。三時間近く体躯に合わないシートに座りりっぱなしだったために、さすがに足が痺れた。真田は荷物を頭上の棚から取り出すと、少しばかり緊張してバスから降りる。
人見知りは激しいほうではないが、知っている人間が一人しかいない状況での寝泊りとなると、やはり少しは身構えてしまうというものだ。表には出さぬが、気を改めて引き締めた。
バスから降りれば、山の上ということもあり、冷気といって申し分ない風が頬を撫でる。すっと、肺が洗われるような気がした。
山は好きだ。赤く萌え始めた木々も美しく山肌を彩り、見る者を楽しませてくれる。いつか登るためにまた来たいものだ、と考えるだけで楽しくなった。
「――そういえば、選ばれていると思っていた男がいなかったな」
宿舎までの道のりを並んで歩いていた柳に、真田は「誰のことだ?」と尋ねる。
答えは柳の口からではなく、玄関前にて仁王立ちで待ち受けていた。
「おめーらおせーんだよ! ちっ。待たせやがって」
尊大ここに極めり。秀麗な顔を顰めた少年が、ようやっと到着した者達を見下すように言い放つ。
全員が呆気に取られる中。見た目や態度からして傲慢な少年に向かって、やはり物怖じしないのは千石だった。
「あ、氷帝の跡部くんだよねー! ねえねえ、なんで一人だけ先に着いてるの?」
「あーん? お前は誰だ? オレ様が安物のバスなんかで来れるかっつーの」
「オレ、山吹中の千石キヨスミってーの。ラッキー千石って呼ばれてるんだ。キヨたんって呼んでね!」
「キヨ…? は?」
「そっかー跡部くんはお金持ちなんだよねー。新幹線とかで来たの? あ、もしかして跡部様とか呼ばなきゃダメ?」
恐ろしい勢いで吹雪が荒れ狂ったように、周囲は感じた。
跡部は最初に唖然とし、次いで渋面を作る。
「――普通に呼べ」
「わかったー! さーてオレの部屋はどこかなあー」
合宿所の中から「早く集まれー」教員の呼びかけがすると、千石の興味はあっさりそっちに移ったようで、そそくさと跡部を置いていった。
「―――………」
かなり強烈な登場だったのだか、こうなってしまえば形無しだ。跡部は顔面をひくつかせて「頭おかしーんじゃねえの」と毒づいた。が、誰も聞いてない。
「弦一郎、オレ達も行こう」
「あ、うむ。」
やりとりの全てを観ていたくせに、何が起きたのか理解できなかったらしい真田は、夢から覚めたように柳のあとに続いた。
「おい、ちょっと待てよ、お前等」
跡部の前を通ったと同時に、話かけられ足を止める。
「お前等立海大附属の真田と柳だろう? あと幸村とか言ったか? ヤツはどーした」
初対面ではないが、話をしたのは二人共初めてだ。にも関わらず、傲慢な物言いに、礼儀を重んじる真田はカチンときた。
「――すまないが、名乗りもしない人間と話す気はない」
「…ふん。えらそうなのは見た目だけじゃないってことか」
「お前が言うか、それを」
思わず突っ込んだ柳だった。
「まあ、いい。この合宿でオレ様の名前をいやっていうほど覚えて帰りやがれ」
捨て台詞を残した挙句に、鼻で笑われて去られた。
真田はやはり、呆然と「――で、何が言いたかったんだ?」と柳に訪ね「さあ?」と肩を竦められる。
少なくとも大勢の参加者がいる合宿で、跡部と懇意になることなどありえないと二人は高を括っていた。
が、神様は気まぐれであった。
部屋は四人ひと部屋。八畳の畳敷きで、大きな出窓がついていた。まだ改築して久しいこともあり、どこも綺麗なものである。
一度ホールに集められた少年達は、部屋を振り当てられ、支給されたジャージに着替えるよう言われた。廊下では番号を探す少年達で溢れていた。真田と柳も然り。
割り当てられた号数の部屋を見つけ、ノックして入れば既に入室者がいた。瞠目する。
跡部と千石が、異様な雰囲気を作り出して居た。
「―――………」
「―――………」
立ち尽くす真田達に、向けられた四つの目はやはり、丸くなり。
微妙な沈黙が、四人の間に降りた。
「先ほどはどうも。合宿中、同室というのも何かの縁だろう。よろしく」
平然と受けて立つのは柳だった。まず、何を考えているのか真田でさえわからない男なのだから、初対面に近い千石と跡部にわかる筈も無い。拍子抜けしたように、
「あ…ああ」
「よろしくね! 二人とも!」
と、返した。そして柳は、何事もなかったように跡部に向きなおる。
「氷帝の跡部だな。先ほどちゃんと名乗らなかったが、オレは柳で、こっちが真田だ。まあ、知っていたみたいだが。ちなみに幸村は家庭の事情により今回は辞退した」
ここまで堂々と当てこすられると、跡部もプライドにかけて堂々と返すしかない。
「そうだ、氷帝の跡部だ。…本当ならばこんなシケタ合宿に参加する気はなかったんだがな。幸村と戦ってみたかったから来たんだ。残念だ」
「帰ったら伝えておくよ」
まあ、伝えたところであの男は歯牙にもかけないだろうが。柳は冷静に判断する。多分、幸村と跡部では致命的に反りが合わないだろう。
「ふん、しかし皇帝なんぞとご大層な異名を持つ、真田がいることだし。無駄足ではない――ことを祈るぜ」
「―――……」
真田は黙って、睨み返した。
「…ねえー。いきなりバトルモードに突入しないでよー。オレそんな険悪な雰囲気でずっと過ごすのヤダ!」
呆れたように、千石が割って入る。
「安心しろ千石。真田は単に、どう返せばいいのかわからないから黙っているだけだ」
「――れ、蓮二」
「そうなんだ〜、真田くん。こう言う場合は『倒せるモノなら倒してみたまえ。あはははは!』とマント翻して高笑いするとこなんだよ?」
「そ…そうなのか? しかし、何故マントなのだ?」
真剣に聞き返した真田に、千石は真面目な顔で「マントあったほうがカッコよくない?」とのたまった。
「そう…か?」
「そうだよー」
跡部はそんな遣り取りをポカンと見つめ、柳は(やるな、千石)感心した。
ここまで真面目に最後までおちょくる人間も珍しい。立海のメンバーならまず、途中で笑ってしまい、騙された真田が怒るだろう。
「――って、なんだ? オレが真田に負けるとでも言いたいのかっ?」
「いきなり横からきたね、跡部くん。そんなこと言ってないよ。マントあったほうが迫力あるじゃない」
「迫力? まあ、そうだな…それはオレでも構わないんじゃねえか?」
「じゃあ、いっそのこと青マントと赤マントでってのは?」
「ダサくねえか?」
「何色がカッコいいの?」
「―――紫?」
「――裏地は竜だね。で、真田くんは虎で」
「虎? やぶさかではないが。テニスをするのに、邪魔じゃないだろうか」
「テニスをする前に脱ぎ捨てるんだよ。ヒラリって」
「おお、それはいいかもしれねえな」
「跡部くんなら似合うよー」
盛り上がる三人を尻目に、柳はクローゼットを開けるとブレザーをかける。支給されたジャージに、もくもくと着替え始めた。
(――誰か突込み連れてこい)
自分が突っ込む気は皆無だ。面倒臭いのが、なによりも嫌いな柳だった。
(うーん。突っ込むタイミング外しちゃったな。ってか、跡部くんも真田くんも天然かあ。あはははは…はあ)
ドツボに嵌った千石は、笑顔で固まっていた。目の前では、二人が真剣に、どのような勢いでマントを脱ぎ捨てるかを議論している。
「しかし…やはりマントは無理があるんじゃないか?」
「そうだよな。やっぱ、ジャージの上じゃねえか?」
「なるほど。しかし、あとで拾うのが情けないな」
「んなもん、後輩に拾わせりゃいーじゃねえか」
「うーむ。ウチの後輩はそのような可愛気は持ち合わせておらん」
「オレ様の後輩は可愛いぜ? まあ、犬みたいなのや、下克上を狙うのや、おかしいのもいるがな。山吹はどうなんだよ」
「え、ウチ? うーん…イマドキ?」
「なんだそりゃ」
「黒いよ。グラサンしているよ!」
「――お前、それは叱らなければいかんだろう」
「なんで? 面白くていいじゃん。ってか、イイ子だよ?」
「ふん。オレ様の樺地には敵わないだろうがな」
「なんの、ウチの赤也だってバカな子ほど可愛いぞ?」
「テニスだって強いぜ」
「それはこちらもだ。ウチの一番ルーキだ」
「……あのね、ウチの子自慢の最中悪いんだけど。柳君がさっさとホール行っちゃったよ」
自分で蒔いた種なので、根気よく付き合っていた千石だが、さすがに収集がかかっていることを思い出し、尚且つ柳が自分達を見捨ててしまったのに気づいて慌てた。
「なに?」
「あ! 蓮二がいない!」
「早く着替えよー。怒られるよ」
そう忠告しながらも、千石はすでに脱ぎ始めていて、真田と跡部も急いでそれに倣う。
千石は心の中で、生真面目な突っ込み南を思い描き(お前がいないと、オレは駄目らしい…)と、調子づいていた自分を戒めたのだった。
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