シーソーゲーム 4話


 教頭の励ましは延々と続いていた。温厚とはお世辞にも言えぬ橘だが、げんなりとしながらも拝聴していた。が、二十分越した時点で忍耐も使い果たす。

「――だからだねえ、我がテニス部、いや運動部始まって以来のだねえ」
「すみません、教頭先生」
「なにかな?」
「妹が待っておりますので、そろそろ帰ってもいいでしょうか? 昨今なにかと夜道は物騒なようなので」
「おお、もうこんな時間か……そうだな。確か先週、変質者に襲われて警察沙汰になったのは君のところの部員だったしな」
「――――え?」

 形ばかりの会釈をして立ち去ろうとした時である。ピタリ、と橘は動きを止め、怪訝な顔で教頭を見た。

「なんの話ですか? それは今朝の朝礼の話ですか?」
「うん。おや、君は知らなかったのか? 確か…伊武君と言ったか。女性徒と間違われたそうじゃないか。あの長い髪のせいだろう…切るよう君からも言っておいてくれ」

 長髪の男子生徒が気にいらないのか、教頭は渋面を作ると橘の肩を叩き「気をつけて帰りなさい」と退室の許可をした。

 橘はさっさと職員室を出る。

(―――深司が間違って襲われた? ったく、だからアレほどジャージでは帰るなと言っていたのに…)

 階段を駆け下りると、橘は全速力で部室へと戻った。
 外に出ると陽が落ち、うっすらと辺りは暗くなっている。

「すまない、皆。遅くなってしまった」

 部室の前でたむろっていたガクラン姿の部員を見ると、誰も帰宅していなかった。妹のために残っていてくれたのかと思えば、申し訳無い気持ちで一杯になる。

「いいえ。橘さんもジジイの相手、ご苦労様です」
「こら、アキラ。口が過ぎるぞ!」

 軽口を叩くアキラを、石田が軽く諌めた。ほのぼのとした遣り取りに部長は苦笑を漏らす。

「まあ、その通りだからな。―――ところで深司」
「はい?」
「お前も今日はオレ達と帰ろう。家まで送るから」
「―――え? いや…あの途中までは一緒の道ですけど…ウチまでなんて…」
「教頭から聞いたぞ。今日ぐらいはオレに送らせろ」

 苦々しく呟かれて、深司は変態に襲われたことを知られたことに気づく。

「…あの…でも今日は大丈夫ですよ。オレ、ガクラン着てるし」
「それでもだ。この間だってお前の中身を知らずに、血迷った大学生に付け回されていたじゃないか。この大切な時期になにかあったらオレは悔やんでも悔やみきれないだろう」

 深司の肩を抱いて説得にあたる部長に、森は「中身って…意外と橘さんも言うよな」と内村に耳打ちして同意を得た。

 基本的に伊武は負けず嫌いだし、その容姿のせいで抱かれる幻想を殊のほか嫌う。女扱いされた日には、のちにどのような報復が待っているかは想像するだに恐ろしい。

 先だって深司をストーキングしていた男は、橘に鉄拳をくらって撃退されたが、その後なんの気配も感じないのは決して怒り沸騰の部長を恐れてのことではないだろう。

 内村は知っていた―――事の顛末を。

 のされた後。学生証を抜き取った橘は、これ以上のことがあれば公にすると脅し、内村に学生証をコピーするよう申し渡した。その時、深司はその学生証のコピーをもう一部内村に頼んだのだ。特に不思議がることもなく渡したのが、大学生の運の尽き。

 アキラと内村を連れて、夜、不在時を狙って男の住むアパートを訪れた深司は、二人に見張り役を頼むとおもむろに建物の裏に消えた。
 一人暮らしの男の住処は一階で、どちらかと言えば古臭い建物。容易く男の部屋の窓まで行けた。そして持参したサインペンで、窓に細かく『呪』の字を書き、埋め尽くして帰ってきたのだ。

 想像してみよう。

 朝、男が何の気なしにカーテンを開ける。そこには一面に『呪』の文字がみっちり。

 

 ――――男は数日中に引っ越して消えた。

 


「どうした、内村! なんで泣いてるんだっ?」

「ごめん…森。ちょっと思い出し泣きだ」
「そっか…お前ナイーブだもんな」

 困惑しながらも背中を摩ってやる。仲間っていいなあ、と改めて内村は思った。

「お前からしてみば、余計な申し出かもしれないが…心配なオレの気持ちも汲んでくれ。今日は一緒に帰ろう」
「橘さん……」

 他の男に言われたならば、とことん嫌な顔をした挙句にぶつぶつと毒を吐くだろう深司だが、この部長だけには弱かった。

 自然、橘を見上げる双眸は潤み、頬はほんのり上気している。

 アキラは『ヤバイ! 今こいつの頭の中は橘さん一色だ!』察すると、慌てて間に入った。

「た…橘さん! 実はオレ今日深司の家に用があるから一緒に帰るんですよ! 橘さんは杏ちゃんを守って帰って下さい。杏ちゃんまでこいつの家に寄らせるのは可哀想です!」
「―――そうか…そうだな。杏がいたか」
「お兄ちゃん、私は…その」
 別にいいのよ、と言おうとしたが、アキラが眼力で必死に訴えてきたので飲み込んだ。

「なんだよ、アキラ。お前ウチになんの用だよ」
「黙れ! この乙女モード暴発させやがって」

 すっかり当初の目的を『橘さん』で喪失してしまっている友人を小さく罵る。

「お…お兄ちゃん、私おなか空いちゃった!」
「ん? そうだな。待たせて悪かった。じゃあ、皆気をつけて帰れよ。―――深司は特にな」
 妹の哀願に弱い橘は、後ろ髪ひかれつつも皆を促した。

 門を出ると、それぞれの道へと別れる。橘兄妹の姿が消えたのを確認して、皆はまた門の前へと戻って来た。
「―――よし。じゃあ、まあ行くか」
「そうだな。イイ具合に日は暮れたし……」

 なんとなく気まずい空気の中。一同は、やはり橘がいなくなったと同時に現れた他校生二人を取り囲む。真中では唇を噛み締めて羞恥に耐えるセーラー服の少女が一人。

「なんで…なんでボクがこれ着なきゃいけないんですか…っ」

 短いスカートを手で抑え、恥らう姿は美少女と言っても偽りはないぐらい完璧だった。

 ―――勿論、アキラの脱いだ制服を着ていたのは、やはり少年なのだが、不自然なところは恐ろしいほど無い。

「いやあ〜壇君…じゃなかった。壇さん素晴らしいね! さすが山吹一の美少女だよ!」
「千石先輩…誰がなんですって? んなものになった記憶無いですよ!」
「いやあ〜でもさあ。凄いよね壇君。細いね…さすが一年だぜ! オレの入らなかったスカート入るんだから」

 アキラがしみじみと、先ほどまで己が着用していたものを眺める。足だとて成長途中とあって、すんなりとキレイに伸びていて姿形は少女そのものだ。かえって少年だと言われても信じられないほどである。髪の毛も頬まであるのを、杏のピンで可愛らしく留められていた。

 皆にじろじろと上から下まで眺められ、太一は身の置き所がない。

(なんでボクがこんな目に…だいたい全部千石先輩が悪いんです!)

 事情の全てを聞いた千石は、だったら適任者がいるじゃない。と、勝手に後輩を推薦したのだ。
 確かに太一ならば見事に制服を着こなせるだろうし、変態が放っておかないほどの『かまって』オーラーが出ている。恰好の餌食となるだろう。堂々と歩いている人間よりも、おどおどと歩いている少女のほうが襲いやすいに決まっている。
 だが太一にとっては当たり前だがたまったものではない。いくら自分が未だに少女と間違われる容姿をしていようと、中身は立派に男の子なのだ。
 千石がこの頃、ふらふらと他校に出入りをしているのを、部長である南が案じて、お目付け役として太一は着いて来た。にも関わらず、どうしてどうしてセーラー服を切る嵌めに陥るのか。

「壇君のセーラー服姿拝めてラッキー」

 のほほん、嘯く千石をキッと睨みつける。
 大体にしてこの男はトラブルメイカーだ。ヘタに悪運が強いために、何事にも恐れずに首を突っ込む。どうせ自分は安全なのだからと確信しているものだから始末に終えないのだ。
 現に千石はいつでもどこでも安全圏に居る。今だってそうだ。ただし、周りに居る人間はそうも行かない。いつも彼の無事のために犠牲になるのが常である。
 それを「ラッキー」の一言で済まされれば、殺意だって湧くだろう。

「君…気持ちはわかるよ。あとであの人のお礼参りに尽力するから、今は堪えてくれまいか」
「伊武さん……」
「えーと…あのねえ。だから不穏なこと吹き込まないでよ、伊武君」

 目を離すと、純真な一年を悪の道へと誘おうとする深司に、千石はほとほと困った。

「それじゃ、行こうか。こっちの道なんだけど…教えるから一人で歩いてくれるかな…。勿論すぐ後ろにはオレ達がいるから」

 毒を食わらば皿まで。

 常識人である石田、内村、森、桜井は、巻き込まれた少年に同情を禁じえないものの、こうなったら最後まで付き合うしかあるまい、と腹を括った。

 全員が年上の人間ということもあり、太一は逃げることもできずに項垂れる。

「こんな姿、亜久津先輩には見せられないですう」
「壇君、ちょっとこっち向いて」
「はい?」

 ―――ぴろりろり〜ん。

 

 場違いにも流れた可愛らしい音に、太一は目が点になった。

「じゃあ、行きましょうか! れっつらごー」

「―――ちょっと、待て千石先輩」
「うん?」
「今何撮りくさりましたか? その手に持っている携帯で」
「記念撮影」

 しん…と、不動峰の面々はあまりの無神経さに声もでなかった。
 ふるふると怒りのために震えた小柄な少年は、般若のごとき笑顔で

「覚えてろよ、この下り坂エースが。あとで血を見てもその携帯は無いモノと思え?」
「いやーん! 太一君が壊れた!」
「アンタが悪いんだろ!」
 不動峰一斉突っ込み。

 いくらテニスの腕があるとはいえ、このような先輩だけは持ちたくないと、憐憫の眼差しを太一に向けた。

「もう! さっさと終らせましょう! ボクだって暇じゃ無いんですから!」

「す…すみません。壇さん…」

 何でか謝るのは不動峰部員だった。 

 

 

 





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