シーソーゲーム 4話
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教頭の励ましは延々と続いていた。温厚とはお世辞にも言えぬ橘だが、げんなりとしながらも拝聴していた。が、二十分越した時点で忍耐も使い果たす。 「――だからだねえ、我がテニス部、いや運動部始まって以来のだねえ」 「なんの話ですか? それは今朝の朝礼の話ですか?」 長髪の男子生徒が気にいらないのか、教頭は渋面を作ると橘の肩を叩き「気をつけて帰りなさい」と退室の許可をした。 橘はさっさと職員室を出る。 (―――深司が間違って襲われた? ったく、だからアレほどジャージでは帰るなと言っていたのに…) 階段を駆け下りると、橘は全速力で部室へと戻った。 「すまない、皆。遅くなってしまった」 部室の前でたむろっていたガクラン姿の部員を見ると、誰も帰宅していなかった。妹のために残っていてくれたのかと思えば、申し訳無い気持ちで一杯になる。 「いいえ。橘さんもジジイの相手、ご苦労様です」 「まあ、その通りだからな。―――ところで深司」 「…あの…でも今日は大丈夫ですよ。オレ、ガクラン着てるし」 深司の肩を抱いて説得にあたる部長に、森は「中身って…意外と橘さんも言うよな」と内村に耳打ちして同意を得た。 基本的に伊武は負けず嫌いだし、その容姿のせいで抱かれる幻想を殊のほか嫌う。女扱いされた日には、のちにどのような報復が待っているかは想像するだに恐ろしい。 先だって深司をストーキングしていた男は、橘に鉄拳をくらって撃退されたが、その後なんの気配も感じないのは決して怒り沸騰の部長を恐れてのことではないだろう。 内村は知っていた―――事の顛末を。 のされた後。学生証を抜き取った橘は、これ以上のことがあれば公にすると脅し、内村に学生証をコピーするよう申し渡した。その時、深司はその学生証のコピーをもう一部内村に頼んだのだ。特に不思議がることもなく渡したのが、大学生の運の尽き。 アキラと内村を連れて、夜、不在時を狙って男の住むアパートを訪れた深司は、二人に見張り役を頼むとおもむろに建物の裏に消えた。 想像してみよう。 朝、男が何の気なしにカーテンを開ける。そこには一面に『呪』の文字がみっちり。 ――――男は数日中に引っ越して消えた。
「お前からしてみば、余計な申し出かもしれないが…心配なオレの気持ちも汲んでくれ。今日は一緒に帰ろう」 自然、橘を見上げる双眸は潤み、頬はほんのり上気している。 アキラは『ヤバイ! 今こいつの頭の中は橘さん一色だ!』察すると、慌てて間に入った。 「た…橘さん! 実はオレ今日深司の家に用があるから一緒に帰るんですよ! 橘さんは杏ちゃんを守って帰って下さい。杏ちゃんまでこいつの家に寄らせるのは可哀想です!」 「なんだよ、アキラ。お前ウチになんの用だよ」 「お…お兄ちゃん、私おなか空いちゃった!」 門を出ると、それぞれの道へと別れる。橘兄妹の姿が消えたのを確認して、皆はまた門の前へと戻って来た。 なんとなく気まずい空気の中。一同は、やはり橘がいなくなったと同時に現れた他校生二人を取り囲む。真中では唇を噛み締めて羞恥に耐えるセーラー服の少女が一人。 「なんで…なんでボクがこれ着なきゃいけないんですか…っ」 短いスカートを手で抑え、恥らう姿は美少女と言っても偽りはないぐらい完璧だった。 ―――勿論、アキラの脱いだ制服を着ていたのは、やはり少年なのだが、不自然なところは恐ろしいほど無い。 「いやあ〜壇君…じゃなかった。壇さん素晴らしいね! さすが山吹一の美少女だよ!」 アキラがしみじみと、先ほどまで己が着用していたものを眺める。足だとて成長途中とあって、すんなりとキレイに伸びていて姿形は少女そのものだ。かえって少年だと言われても信じられないほどである。髪の毛も頬まであるのを、杏のピンで可愛らしく留められていた。 皆にじろじろと上から下まで眺められ、太一は身の置き所がない。 「壇君のセーラー服姿拝めてラッキー」 のほほん、嘯く千石をキッと睨みつける。 目を離すと、純真な一年を悪の道へと誘おうとする深司に、千石はほとほと困った。 「それじゃ、行こうか。こっちの道なんだけど…教えるから一人で歩いてくれるかな…。勿論すぐ後ろにはオレ達がいるから」 常識人である石田、内村、森、桜井は、巻き込まれた少年に同情を禁じえないものの、こうなったら最後まで付き合うしかあるまい、と腹を括った。 全員が年上の人間ということもあり、太一は逃げることもできずに項垂れる。 「こんな姿、亜久津先輩には見せられないですう」 ―――ぴろりろり〜ん。 場違いにも流れた可愛らしい音に、太一は目が点になった。 「じゃあ、行きましょうか! れっつらごー」 「―――ちょっと、待て千石先輩」 しん…と、不動峰の面々はあまりの無神経さに声もでなかった。 「覚えてろよ、この下り坂エースが。あとで血を見てもその携帯は無いモノと思え?」 いくらテニスの腕があるとはいえ、このような先輩だけは持ちたくないと、憐憫の眼差しを太一に向けた。 「す…すみません。壇さん…」 何でか謝るのは不動峰部員だった。 |