シーソーゲーム 1話





 段々と日差しのきつくなる季節になったが、夕暮れを過ぎるとまだ肌寒いほどの涼しい風が吹く。

 公園の側の小さな道は、昼間の子供達の喧騒をすっかりと失せると、まるで別の場所のように静寂が支配していた。

 猫の目の形をしている小さな月が、ひっそりと藍色の空に浮かんでいる。人気の無い道には、まばらに常夜灯が煌々と照ってはいたが、闇の範囲の方が圧倒的に多かった。
 反対側の道は民家が建ち並び、夕飯時なのか暖かい光と美味しそうな匂いがほんのりと漂っている。が、それはあくまで壁に阻まれた向こう側の話だ。
 曲がり角の多い道には、自販機の頼りない明るさがせいぜいである。

 その中を深司はゆったりとした足取りで歩いていた。
 学校を出る時にジャージの上を羽織るか、腰に巻くかで悩んでいたのだが、思いのほか涼しかったので、羽織ってきて正解だったと、つらつらと考えながら。

 実際、登下校は特別な行事が無い限りは制服であることが義務付けられているのだが、連日遅くまで部活動をしているテニス部の面々は、時として面倒でジャージのまま帰ることが多々あった。都立の中学では普通では五時半には閉門であるのだが、関東大会を勝ち進むテニス部は学校側の温情で、七時までの延長が認められている。色々と問題のあった部活なだけに、学校側も最初は時間延長を渋ってはいたのだが、都大会での成績がものを言った。現在全国にまで行けたのはテニス部だけだというのもあるだろう。他の運動部から一部反感の声も出たようだが、部活動内で持ち回りとなっている門の施錠当番を、部長の橘が買って出て、毎回完璧に見回りをすることで納得したらしい。

「…まったくヤになっちゃうよなあ。自分達が早々に地区予選で負けたくせに…強いオレ達を嫉んでさあ」

 ぶつぶつと小さく口の中でぼやく。よく「やめろ」と注意される深司の癖だが、口に出しながら頭の中で事柄を整理しているため、ぼやきが始まると他の事柄が頭の中に入ってこなくなる。時には人の話も耳から耳に抜けるので、いくら注意されても本人には注意された記憶が残らない。
 おかげで今に至るまで改善の余地はなかった。
 ただやはり静まり返る夜道での独り言は、存外に響いて聞こえる。それに気づいてピタリ、と口を止めた。

 過去ぶつぶつと夜道を歩いていた時、前を歩いていた女性に走って逃げられたという苦い経験を思い出したのだ。
 人目をあまり気にしない深司だが、やはり変質者に間違われるのは気分のよいものではない。

 肩にかけているテニスラケットの入った、大きなスポーツバッグをかけなおす。今度は口をむっつりと閉じて、足早に歩いた。
 いい加減育ち盛りの胃袋も、空腹のため痛み出してきている。

 ―――今日の晩御飯、何かな……

 育ち盛りらしい考えに没頭している時だ。
 角を曲がる寸前に、背後から誰かが凄い勢いで走ってきた気配に深司は立ち止まった。

「………っ?」

 振り返る前に、突然腕を掴まれる。驚いて振り返ると、そこには大きなマスクをした男が異常に興奮した様子で、覆い被さるように迫ってくる。
 あまりのことに、声も出せずにいると、掴まれた手を強引に力で引っ張られた。引っ張られた先が男の股間だと、わかるやいなや身の毛がよだつ。しかもチラリと覗いたその部分は、ファスナーが下ろされ生々しいものが露出していた。

「な…っ!」

 深司は腕を取り戻そうと力を入れて抵抗する。その細身からは想像できないほどの腕力に、男は鼻息を荒くしながらも驚愕したようだ。

 暫く無言で揉み合うも、大きなバッグが間にある為、男は拘束できずに苛立ちの声を上げる。深司はその焦りの隙をついて、肘で男のわき腹をしたたかに打った。

「……しつこいんだよ! 変態っ!」

「…! お…男っ?」

 ようやっと大きな声で反撃した深司に、変質者は己の失敗を悟ると同時に顎下に強烈な打撃を受けて倒れた。

「どこ見てるわけ? 大体暗闇で襲うから男と女間違うんだよ。そもそも薄汚いモノぶら下げて何しちゃってくれてんだよ。アホだよね。なんていうか人間落ちるとこまで落ちたって感じ?」

 バッグで容赦無く殴った深司は、地面に仰向けに倒れている情けない男を睥睨する。丁度よく、顎下にあたり脳が揺さぶられたのであろう。立ち上がることもできずに、うめいていた。

「…ったく、ラケット大丈夫かな。髪もボサボサにしてくれて…。気持ち悪いったらないよ」

「なにやってんの? 君」

 そこを通りかかった若い男女の四人組が、おそるおそると声をかけてきた。狭い道なので、見なかったふりで通り過ぎるわけにもいかなかったのだろう。
 深司は大学生らしい男女に、顔を向けると指を下に向けて「変態に襲われたんです」簡潔に答えた。
「えーっ、うっそ!」
「ぎゃーっ! マジでなにこいつ、モロ出しじゃん! 最低っ」
「電話…警察に電話!」
「あ、あっちにまだ開いている酒屋があったよな。オレ、人呼んでくるわ。拘束しとかなきゃ、暴れても困るし」

 それぞれに喚きながらも、四人もいる心強さからか迅速に行動を開始した。深司は感心すると同時に安堵する。どうにも自分ひとりでは持て余していただろう現状だ。ヘタしたら男を放置して、帰っていたかもしれない。 

「君…大丈夫だった? えっと…その声、男の子だよね」

 茶色の髪を後ろでアップにしていた女性が、心配そうに深司の様子を伺った。まったくもって無傷だったのだが、性別を確認されて憮然と「そうです」とだけ答える。この声を聞けば男なのはわかりきっているだろうに、わざわざ尋ねてくる者の神経がわからなかった。

 遠くから威勢のいいオヤジの声が上がった。どうやら人手を探しに行った大学生が、酒屋の店主他数人を引き連れて戻ってきたらしい。

 ぐう、と鳴る腹に切なくなりがらも、拡大していく騒ぎに、深司はまだまだ帰れないようだと諦めて、嘆息を漏らした。

 




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