この空の下で… 前編
| 少年達が横並びになり、号令ととも一斉に頭を下げる。 「ありがとうございました!」 「はい。ではあとの片付けよろしくお願いしますね」 山吹テニス部顧問。伴爺こと伴田がいつものように笑みを浮かべると、皆に解散を伝えた。レギュラー陣を先頭に整列していた部員は、もう一度頭を下げると、今度は部長へと視線を移す。 「じゃあ、片付けの班。一年はボールと用具の片付け。二年、三年は整備」 部長である南が采配を振ると、それぞれが声を出して片付けに走った。 テニスでは名の知れた山吹なだけに、その人数は大所帯だ。だからこそ全てをこまめに目を通すことのできる人材を見極め、伴田が部長を推す。 今期、お眼鏡に叶った南は、さすがと言うべき統率力の持ち主で、個性豊かな面々を見事に纏め上げることのできる男だった。 山吹には実力者が数多く在籍し、南もダブルスで言うなら全国区の力量の持ち主である。が、その中でもエースと呼ばれる選手が他に存在している。 Jr選抜にまで選ばれた千石がそうだ。 だが才能ある者が、必ずしも統率力までを兼ね備えているという訳ではない。いまだ成長期、精神も未熟な中。南は他人の才能を称えることはあれど、嫉妬することはないという、稀にない潔癖な男だった。 それもひとつの才能といえるだろう。 だからこそ、部長という任に推されたのだ。 責任感の強さも、筋の通った信念も確かである。 それを知っている部員は、誰もが南を信頼していた。 だが、一年の集団をじっと見る、その眼差しは深く憂いを称え。柄にも無く溜め息を繰り返していた。 「どうしたんだ? 一年になにかあるのか?」 彼のダブルスの相方、東方がそれに気づき声をかけた。 南は何とも言えない苦い顔をしている。 「太一がまたいない」 「え……? あ、本当だ。何処に行ったんだ?」 東方は倉庫前を観て、目を凝らした。まだまだ小柄な者の目立つ一年の集団の中で、最も小さい少年の姿が見つけられない。 今年入った一年生部員は十二名。それに、つい最近マネージャーをしていた太一が部員として再入部を果たして十三名になった。 男子校である山吹で、運動部マネージャーとして入る者は少ない。 お陰で代々、マネージャーとしての仕事は一年部員がこなすことになっていた。 南も東方も一年の頃は雑用をよくやらされていたものだ。 しかし今年に限りマネージャーが入ったので、一年は雑用から逃れ、一手にそれらの仕事を太一が引き受けていた。 しかしそれは太一が正式な部員になってからといもの、例年通りに戻った――はずだった。 「……太一が正式な部員になってから…今の一年が雑用してるの見たことあるか? 東方」 「うーん。悪い、オレお前ほど後輩見てない」 「じゃあ今度からよく見ていてくれ。――ガット張り。ネットの補修してるの太一だ」 「…ええ!?」 「ついでにスコア付け。整理、ドリンク作りもな……」 「だって…太一、ちゃんと部員として練習してるは知ってるぜ」 「そうだよ。だからオレも気づかなかった……途中でよく見なくなるのは知ってたが……まさか全部をやってるとは思わなかった」 南の中にある、静かな憤りを知り、東方は息を呑む。彼が怒っているのは怠慢な一年でも、何も言わない太一にでもないだろう。 気づかなかった己を責めているのだ。 しばし黙り込むと、眦を上げて一年の方へと歩みはじめる。 「南〜。オレもうバテバテだよー。暑い中するスポーツじゃないよねえ〜テニスってさあ」 「うお! 千石っ。なんだ、お前暑苦しい!」 いきなり背後から圧し掛かられて、南は前のめりになる。ずっしりとした重さを伝えてくる人物は、わざわざ振り返らなくてもわかる。こんなアホなことをするのは一人しかいないからだ。 「はーなーれーろー! お前だってちゃんと整備に加われ!」 「なんだよう! 稀に見る真面目さで部活してるのに、エースを労れよう!」 「アホ! エース張るなら、当たり前のことだろう! つーか部長も労れ!」 「労ってやろう!」 「ぎゃーっ! ひゃはははは―――っ! か、肩揉む…揉むな…っ」 肩を背後からむんずと掴まれ、力任せにモミしだかれた南は、たまらず躰をくねらせて悶えた。 肩こりの酷い者ならともかく、無縁な少年だ。肩を揉まれればくすぐったさしかない。 「だーっ! 邪魔するなっての!」 躰を捩って振りほどく。憤懣しながら背後を振り返れば、悪気ない顔で立っている千石が「メンゴ!」と、モロ手を上げた。 隣で一部始終を見ていた東方はいつものことなので、わざわざ間に入ることはない。 「ったく。今からちょっと一年集めるんだから、邪魔するなよ。もう…」 念を押すと踵を返そうとした。が、千石に腕を取られ止められる。 さすがに頭にきた南が、怒鳴ろうと振り返った。 「ダメだよ、南。放っときな」 「―――な? え?」 ふざけた様子もなく。真剣な表情の千石を見て、南は咄嗟に何も言えなくなる。 「太一が何かお前に言ったか? 一年の誰かが訴えた? 何もないなら、今はお前が入るべきじゃない」 「千石………」 「一年が雑用をしていないのは、太一が一人でやってるから。なんでやっているかと言えば、太一がやっちゃうからだよ。悪いのは太一だ」 「そんな……お前……」 極論を言われて南は気色ばむ。 「確かに、それは太一のせいでもあるかもしれない。でも、太一は部員になったんんだ。仕事は一年全員でやるべきだと注意して何が悪い」 「悪くはないよ。したら太一が君にチクったと言われるだけの話でさ」 「千石…っ」 「待て待て、二人共」 黙ってやりとりを聞いてた東方が、初めて口を挟んだ。 「こうしよう。暫くは見守る。だけど太一の負担が目に見えてきたなら、一年にそれとなく仕事を振ればいい。――部活もして雑用もじゃ、絶対その内太一は根を上げるだろうし」 「―――そうだね。別にさ、オレ太一が嫌いなワケじゃないよ? 南」 「千石―――。それは、わかるが……」 「太一はね。強くなって貰わなきゃダメなんだよ。大体伴爺、何も言わないでしょ?」 「そう言えば……」 いつもにこやかな笑みを崩さぬ老人だが、その奥は計り知れない。和やかそうでも、内面は油断できぬほど辛辣だ。部員全員を粒さに見抜く眼力も確かである。 そんな伴田が太一の窮状を知らぬわけがなかった。 「期待しましょ。未来の山吹部長さんをね」 へらり、と笑うと千石は三年の集団の中へと戻っていく。 南はそっと肩を落としつつも、そのあとを追った。 なんとなくその場に残った東方は回想する。 (そう言えば、最初の頃。南と千石の仲悪かったよなあ。その時も、伴爺は放ってきなさいって言ってたっけ) 今思えば、あれは二人の力量を伴田が冷静に計っていたのかもしれない。 ムキになって言い争って、しまいには殴りあっていた二人を思い出して、笑ってしまった。 「あー! 地味sの片割れが思い出し笑いしてるー! エッロー!」 「うっせえぞ! 千石!」 東方は千石を殴るために、走り出した。 夕焼けが赤々と校舎を照らしているのを見て、太一は焦って洗い物を終えていった。 部活終了間際に、ドリンクを入れてあった容器を洗い、家庭科室に返すのを忘れていたのを思い出して、急いで抜けでたのだが、もう部活が終る頃だろう。 また号令のさいにいなかったとなると、きっと先輩達の目につく。マネージャーの頃と違って、部員なのだから、終了の挨拶にいない訳にはいかなかった。 慌ててコートに戻れば、最早誰もおず。 端に置いてあった自分のラケットを持って、重い足取りで部室に戻った。 既に三回連続で号令をさぼってしまっている。今日あたり、部長から叱責があるかと思うと気が塞いだ。 それでも、マネージャーの仕事は今まで自分が誇りを持ってしていた仕事だ。それをいきなり部員になったからといって、おざなりにするのは気が引けた。 何事にも真剣に取り組むことしか、自分はできないのだから。やれることはやらなければ、と妙な強迫観念もある。 自分は躰が小さい。腕力も持久力もない。 それでも――やりたいことができた。 最初から諦めていたことを、なんで諦めるのかと、身を持って教えて貰った。 ――亜久津仁と越前リョーマ。 太一の意識を塗り替えていった両者の戦い。思い出せばいつも胸に熱いものが込み上げる。 ああなりたい。 強くなりたい。 そう、切に願った。初めて、夢は自分で走り出さなければ実現できないと、走り出せさえすれば、もしかしたら叶うかも知れないと―――教えて貰ったのだ。 「がんばるです!」 少しだでけへこんでいた心に活を入れる。 皆のために、自分のために頑張ろう。と、決意も新たにした時だ。 部室のドアが開き、一年生達が「お先に失礼します!」と言って出て来た。 もう皆着替えたのか、と気まずくなった太一は思わず建物の横に身を隠してしまった。 テニス部の一年で、同じクラスの者はいない。それもあってか、あんまり溶け込めないでいた。しかし、それだけではなく、太一は同級生のテニス部員と滅多に喋ることがなかった。 何故ならマネージャーという位置は、先輩に使われる立場であり。先輩によく声をかけられる位置だからだ。 部員ならば、しごかれているのだから恐れもある。自然と軽口を交わすこともでできなくなるものだが、それが太一には無い。先輩達との関係は他一年よりも親しいといってもいいだろう。 運動部とはとみに上下関係が徹底しているものだ。その中で己の位置は微妙と言えた。 それらを、正式な部員となってから肌で感じていた太一は、なんとなく皆を忌避していた。だが、それは相手もだ。 声をかけることもできずに、身を潜めてしまった太一はそれを決定的に知らされることとなる。 「壇さ、きょうも帰ってこなかったな」 「当たり前だろ。マネージャーなんだからさ」 「そうだよな。なんで部員になんかなるって言ったんだ? 部長もよく許したよなあ」 「そうそう。あんなちっこいヒョロヒョロした奴が部員になってどうすんの? 大体オレ、最初に聞いたぜ。なんでマネージャーで入ったのかってさ。そしたらアイツ『ボクみたいな非力な人間が入ったって邪魔なだけだから〜』って言ってたんだぜ?」 「うわ、卑屈〜」 太一の声真似をした少年を取り囲んで、皆がいっせいに笑った。 「だったらずっとマネージャーでいいっつの」 「亜久津先輩とか千石先輩とかさ、これみよがしに仲良いいんですう〜ってオーラー出して、ムカつくよな。単なるパシリなのに一生懸命でさ」 「でもさ、オレ達が雑用してなくてさすがに先輩達そろそろ怒るんじゃねえ?」 「いいーんだよ。イイ子ちゃんの太一君が一人で勝手にやってんだから」 「それもそうだな……」 声は段々と小さくなった。校門の方へと一団が去っていったからだ。 微動だにできずに、太一は壁に身を預けた。そのままズルズルと座り込む。 暫くぼんやりと、何を見るともなしに過ごしていたら、ふっと前に影がさした。 「壇君〜どうしたの?」 「あ、千石先輩!」 声をかけられて、見上げれば千石がこちらを伺っており、慌てて立ち上がる。 何をどう言っていいか咄嗟に浮かばずに、口篭もっていると千石はふっと笑った。 「ほら、さっさと着替えてきな。南が鍵当番だから、君をずっと待ってるよ」 「すす、すみませんです!」 「じゃ、お疲れ〜」 「お疲れ様でした!」 頭をしっかり下げる。上げた時には千石はもう背を向けており、手をひらひらと振っていた 少しだけその背中を見て切なくなったが、南が待っているというので、急いで部室に入った。 「すみません。御待たせしました…っ」 「おう。太一、お前で最後だから早く着替えろよ」 「本当にすみません……」 部誌を書いていたらしい南が、椅子に座ったまま顔だけをこちらに向けた。 既に制服に着替え、帰り支度は済んでいるようだ。急いた気持ちで着替え、ジャージをバッグに詰める。 「終ったです。御待たせしてすみませんでした」 「おう、気をつけて帰れよ」 「――――……」 「どうした?」 ぼうっと立ち尽くしてしまった自分を、訝しげに見られて、太一は我に返った。 「いえ。お疲れ様でした」 「お疲れ」 しっかりと退室の挨拶をして、部室を出る。 出た途端に、視界が歪んでしまって、驚いて手でそれを拭った。 なにに一体傷ついたのか。 それさえもわからずに、太一はとぼとぼと帰路についたのだった。 |