この空の下で…  後編






 真っ白い雲が、ゆったりと空を走る。
 それを目で追いながら、太一はそっと息を吐いた。

「―――あのなあ…鬱陶しいんだよ…っ」
「すみません……」
「思ってるならあっち行け」
「はい……」

 しかし、太一はそこから動かなかった。
 昼休みの屋上。丁度影になる場所で、寝転んでいた亜久津は舌打ちをする。
 教師にでさえ恐れられている亜久津だ。
 そんな自分の側に、恐れもせずに近寄ってくる(亜久津からしてみれば)バカは数人しかいない。
 その内で最年少がこの横にぼんやりと座っている、チンマリとした少年だった。

「お前…オレを人避けかなんかだと思ってんのか?」
「―――……はい」

 生返事で返されて、気の短い男は激高した。

「聞いてんのか、小僧!」
 長い足を存分に生かして、隣に座る少年を蹴る。
「―――すみません」

 蹴られた腕を摩りながら、太一は立ち上がった。

「甘えてんじゃねーよ」
「甘えて…ました。ごめんなさい」
 
 顔は見えなかったが、声が掠れいてる。鼻を啜る音まで聞こえてきて、亜久津は尚も苛立った。

「慰めて欲しいんなら、他当たれ!」
「―――慰められたら、ボクはダメになるです」
「だからオレのところに来たのかよ。アホが」
「―――ボク。カッコ悪いです。恥かしいです」
「おめえがカッコ良かったことなんてあんのかよ」

 こちらに小さな背を向けたまま、太一は震えている。拳をぎゅっと握っているのが、亜久津からでも見えた。

「―――ボクは、ずっとやらなきゃいけないことと、しなきゃいけないことを間違えてました。いつか、わかってくれる。助けてくれる。そう、思ってました」
「バカだからな、お前。誰もがお前に優しくしてくれるとでも思ってたのか?」
「はい。思ってました」
「誰もお前なんざ助けるわけがねえだろ」
「はい。口にしなければ、何も伝わらないんですよね。それに気づいて、恥かしかったです」
「お前は助けて欲しいのか?」

 亜久津は身を起こすと、ポケットからタバコを取り出す。一本口に咥えたところで、太一が振り返った。
 恐るべきダッシュ力で近寄ると、口からタバコを取りあげる。

「そんなこと、誰が言いましたか?」
「てめえ」

 目元が赤い。充血だってしてる。
 それでも不敵に笑って、自分に楯突くものだから、思わず亜久津から笑みが漏れた。
 骨のあるヤツは、嫌いじゃない。

「亜久津先輩。ボクは、貴方を尊敬しています。貴方に感謝しています」
「ザケンナ。鬱陶しいっ」
「あまりに、優しいものだから、ボクは甘えてしまってました。ボクがテニスを始めたのは、強くなりたいと思ったのは、ボク自身のためです。気づかせてくれた亜久津先輩に、顔向けできなことだけはしたくない。それができないことが、カッコ悪いことです」
「タバコ返せっつーの」
「それが、恥かしいことです」
「人の話聞いてっか?」
「ボク、頑張るです!」

 亜久津はもう一度、太一に蹴りを入れた。



 部活始めのランニングを終えると、集合をかけられる。
 全員が集まった時点で、伴田から言われたメニューを学年ごとに南が振った。

「一年は素振り。次いでレギュラー練習のボール拾いだ!」

 ようやっとラケットを持つことを許された一年が、コートの端に並ぶ。
 躰ができきっていないので、ランニングのあとの素振りは、すぐに息が上がっていく。
 その後、レギュラーがコートに入ったのを見て、移動した。
 しかし、全員がボール拾いにかかることはない。
 どうみても人数が過多である。
 太一は、一年全員を呼び止めた。

「待って。ここで二手に分かれよう。二年の先輩のガット張り頼まれてるんだ」

 驚いて皆の視線が一番小柄な少年に集まる。それらは全て剣呑なものだ。
 一人が、嫌々といった風に口を開いた。

「なんでオレ達がやんなきゃなんねーんだよ。お前が頼まれんだろ?」
「一年に頼まれたんだよ。ボクはもう、マネージャーじゃないから」

 堂々と返されて、皆は目を見張る。幼い印象しかなく、バカにしかしてなかったので、口答えされたことに驚いたのだ。

「壇…お前、マネージャーだろ? つか同じ一年でもさ、お前入ったの最近で、言うなればオレ達先輩だぜ?」
「同じ年で先輩って言われてもね」
「信じらんねえ! てめえ、先輩に可愛がられてるからって態度でかいぜ!」

 かっとなったのか。一人が太一の胸を押した。
 一歩だけ下がったか、少年はぐっと堪え。まっすぐ顔を前に向けた。

「ガット張りは大切なことだよ。覚えておかいなでどうするの? それでも栄えある山吹のテニス部部員なのっ?」

「――――!」

 まさか怒鳴られるとは思わなくて、一年生部員は息を呑んだ。

「確かに、ボクは途中入部で、皆より遅れている。でもね、君達が覚えていて損はないことを、知ってもいる。……ねえ、これから三年間。ボク達はいっしょになってテニス部を支えていく一員になるんだよ? ボクの態度が悪いなら謝るけどさ。ボクを知ろうともしないで、毛嫌いされるのは我慢できない。ボクがマネージャーから部員になったのは、決して軽い気持からじゃないんだ。君達と――全国に行きたいと思ってる」

「全国……?」

 一年にすれば大それた夢を示唆されて、顔を見合した。
 しかし、シードにまでなっている学校だ。いつか、自分達が三年になった時、今の千石達のような存在にならなければいけないだろう。

「全国に、行こうよ」

 とびきりの笑顔を向けた。
 一学年中で、一番容姿端麗と名高い太一だ。
 微笑まれて悪い気はしない―――どころか、思わず皆顔が赤くなった。

「わか…別れるか。今日は半分にガット張りを教えてくれよ。あとは球拾いだ」

 太一の胸を突いた少年が、しどろもどろだが提案する。他も異議はなく、まばらにだが頷き返した。

「うん。あとスコア付けとか、整理もね。来年、後輩が入った時に教えられるように。―――でさ、ボクにテニスを教えてよ。先輩」

「オ…オレ達だってそう、テニスが上手いわけじゃ…」
「いや、先輩って…その……」

 それぞが羞恥に身悶えて、頭を掻いたり、抱えたり。隣の少年を小突きながら――――照れ隠しに笑った。



「凄いね、太一マジック。さすが亜久津に懐いただけあって根性あるねえ」
「……あれは…なんだか誑し込んだって感じがするな……」
 遠巻きにして見ていた千石はパチパチと手を叩き、東方もそれに倣う。
 南は心底ほっとしたように、胸を撫で下ろした。
「よかった……」
「心配症だねえ、南君」
「部員の心配するのは当たりまえだろ」
「だったらオレの心配もし・て・ね」
「懐くな鬱陶しい!」

 じゃれ合うエースと部長を横目に、東方は嘆息を漏らす。
 
 とにもかくにも、山吹の未来は伴爺の人選で決まるのだ。
 太一を選手にしたのは亜久津だが、裏には確実に伴田の思惑が絡んでいる。
 
「山吹の未来は安泰らしいぞ。良かったなあ、南」
「うん? うん。よかった」

 心底嬉しそうな南を、千石が「単純だよね」と目で東方に語った。
「そこが、南のいいところだ」
 小さく囁けば「そっか…誰も逆らえない人間を、部長にしているのか」
 初めて気づいたらしく、神妙に頷かれた。





 太一は校舎に目を向け。屋上のあたりを見る。

 この空の下。
 続く道は、明日へとちゃんと繋がっている。



「ふぁいっとー山吹ーっ!」

 声は、貴方に届きますか?
 
 ゆっくりとだけど、歩んでいきたいと思います。










■■…と、いう訳で突発で書いた太一話です。
いや〜私太一大好きらしいですよ(笑)ショタですから〜
なんて言うか、この子の前向きな所が好きかもですね。
なんか亜久津に騙されてるアホっぽいとこも好きですが
世間では真っ黒。もしかしたら将来千石よりタチ悪くなったらどうしよう。
この話を読んだ友人の一言。
「東方がカッコ良いよね」
あ…そうかも。




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